1945年、8月の雲一つない青空に、突然「平和」が訪れました。
戦いの喧騒が消え去って、優しい風が吹いてきました。
・・・戸惑い・・・安堵と不安感。
子羊の寄り添う家族の輪の中に、戦死の父は戻らない。生きる手立ては、母ひとり。
ただ、・・・お腹が空いた。
母や妹たちのため、ぼくは元気に生き抜こう。家族のために働こう。
眉秀でたる、10歳の仰木少年の新たな決意でした。
――終戦直後――
少年たちは、継ぎはぎ布のグラブとボール。棒のバットで無心に遊んでいます。
『ベースボール』
「野球」こそ、民主主義の象徴で、自由な生命(いのち)の、羽ばたく世界。
仰木少年、あなたの そのセンスは中学の頃から評判でした。
そして、質実剛健、校風の高校へ。
入学の その日からグランドに散る、あなたの汗は、一本松の根に染み、
球音は空に翻(ひるがえ)り、皿倉山にこだましました。
白とエンジのユニホーム。気合い一閃(せん)、入魂の右腕から繰り出す白球は、
青春の綾(あや)を織り成して、六甲おろしの甲子園、憧れの初舞台へと。
父さん 見たか、晴れ姿。幼き頃のボール投げ。あなたが笑顔で受け止めた、
キャッチボールの、この成果。
母校、東筑高校の名を全国に知らしめてくれました。
生きる為、そして、自分の力を試す為、あなたはプロの世界を決意しました。
盟主(めいしゅ) ジャイアンツへの反旗を背なに、福岡の新興「西鉄ライオンズ」へ。
常道・常識をくつがえし強敵を破る 知将『三原脩(おさむ)監督』との、運命的な、出会い。
彼のもつ義理人情と、反骨の気質(かたぎ)こそ、
まさに、仰木選手 故郷(ふるさと)の、風土に育つ心意気。
以心伝心、あなたは意気に感じて、三原監督に身を託します。
何たるプロの激しさぞ。自由気ままな戦術の底に流れる「ノックの嵐」。
飛び来るボールが、土を吐(は)く。
ベースもラインも消え去って、意識もすでに、朦朧と。
『道を極める厳しさ』を、あなたは改めて知らされ、やがて、三原監督その人を、生涯、父とし
師と仰いだのです。
『信汗不乱』(しんかんふらん)
「ただひたすらに汗を流せ。結果は自ずとついてくる」監督になったあなたが創った言葉です。
選手の個性を見極めて、矯正せずに伸ばす、型にはめない、柔軟な思考。
人々は、それを「仰木マジック」と呼びました。
あなた一人が見抜いた素質、振り子打法の、小柄な選手は、やがて世界のイチローに・・・。
白鷺(さぎ)のような華麗な攻守の舞いを、今日も私たちに見せてくれています。
1995年、1月の阪神淡路の大惨事。
絶望から 人々、選手と共に あなたは立ち上がりました。
瓦礫の中、親をなくした子供たち・・・思わず、手を差し伸べて、抱き締める。
戦後の、貧しい生活と、自分の姿が重なって・・・握り飯などを配ってまわる。
茫然自失の多くの人々のため、『頑張ろう神戸』の合言葉。
右の袖に縫い付けて、まなじり決して、逆境に立ち向かう。
翌年、10月。宿敵巨人を打ち破る、日本一の、その瞬間。
イチロー、歓喜の拳を突き上げた。
外野スタンド、ファンに向けて、一度ならず二度三度。
駆け寄る選手も拳を上げる。
歓声沸き立つスタンドに、涙で応える、あなたがいました。
野球監督という、過酷な責務。心身ともに酷使が続く。
幾星霜の栄光ぞ。続投の多くの願い空しくも、70歳で旅立ちぬ。
仰木さん、あなたの故郷遠賀川は、水清らかに悠々と、
岸辺の緑も美しく、若い生命に溢れています。
そして、また、試練耐え抜く心意気。自由で不屈の生涯だった、
あなたを偲ぶ「川風」が、今日も優しく吹いています。