
東京東筑会三十周年記念事業
500の心がひとつになった2007年度懇親会から一年。 |
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30周年の今年は、さらに盛大に! |
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【東京東筑会2008年度懇親会】 |
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まだお申し込みでなにい方は、いますぐご連絡ください。 |
30年の想いが、歌声とともに響いてくる。 |
東京東筑会三十周年記念コンサート開催決定♪ |
■日時:2009年1月10日(土) 13:00 開場 13:30 邦楽演奏 14:00コンサート開演
■会場:四谷区民ホール ■アクセス:地下鉄丸ノ内線「新宿御苑」駅より徒歩5分 ■歌手:大野徹也(テノール/70期)、手嶋眞佐子(メゾソプラノ、アルト/87期) ■案内・申込:東京東筑会ホームページをごらんの上、お申込ください。 |
■目次■
三十周年記念原稿
幹事長・事務局長挨拶
東京東筑会事業
2007年度東京東筑会懇親会回想
あずみ会
生徒派遣事業・現役生徒の言葉
同好会活動
何でん語らん会
竜昇会
げってん会
にわだま会
鎌倉散策会
ひびき会
多士済々
歴代役員一覧表
会務報告
東京東筑会会則
三十周年記念会報発行にあたって |
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東京東筑会三十周年、おめでとうございます。84期生である私は、会の創設当時、10才の小学生でした。 思い出深いその頃の折尾駅前の写真を見て、30年という歳月の重みを改めて実感いたします。 東京東筑会の活動のお手伝いをさせて頂くよう になったこの数年で、多くの先輩・後輩との 世代を越えた有り難い出会いを体験いたしましたが、それも会を創設された大先輩方々のお陰 であると感謝の気持ちが溢れてまいります。いまはこの喜びを、 全ての同窓生に伝えたい思いで編集作業を続けております。 今号では、大先輩方々のご協力によって会の創設の頃を 窺うことができます。歴史が記された貴重な記念号として、 皆様にいつまでも永く保存して頂くことを心より願います。 名ばかり編集長・三好尊信(84期) |
母校東筑高校が百十周年を迎えた今年、東京東筑会も創立三十周年を迎えました。まことに慶賀すべきことで、会を支えてこられた会員の皆様に心から感謝し、共にお祝いしたいと存じます。
また、この4月の役員改選でほぼ半数が入替わった新執行部は、この記念の年に会の運営に携われることを光栄とし、「東筑の絆を拡げ深める」ことを目指し、更なる会の発展に誠実に努めて参ります。一層のご理解とご支援・ご協力をお願い申しあげます。
「東京東筑会の三十年」を振り返るため、会報などを基に歴代役員.スタッフ、収支決算概要、会費納入者数、懇親会出席者数などのデータを別表に整理し、主要な事項を下記に抜粋してみました。
◆昭和54年…応援部OBが57期などと京王プラザホテルで第1回同窓会(総会.懇親会)開催。
380名参加。以降当番期のバトンタッチによる「同窓会の定期開催」が始まり、会が継続的・組織的
な形で発足。
◆昭和56年…副会長などの役員が任命され「常任幹事会」による運営となる。
◆昭和58年…「会報」創刊。
◆昭和60年…「事務局長」・「会計」と新設の「幹事長」を役員とし、定期化した「期別幹事会」中心の
運営となる。「総会と懇親会の分離」など行われ、ほぼ現在の会の運営方式が整う。「名簿の刊行」
の定期化も行われ、またこの頃「会員の掘起し」、「広報」、「同好会」の活動なども活発に行われる
など、創生期を担われた方々の熱気とご努力が覗える。
◆平成元年…若い世代開拓のため「新入生歓迎会」を開始。
◆平成5年…広告収入などを止め「会費中心の収入」に変更。
◆平成10年…東筑百周年(会の二十周年)記念懇親会。記録的な597名参加。
◆平成12年…「現役生研修支援」が始まる。
◆平成13年…「ホームページ」開始。
◆平成14年…「東筑フォーラム」開設。
◆平成18年…個人情報保護のため「名簿刊行の中止」、「役員の任期短縮と多選禁止」、「監査
機能強化」、「会計規則制定」などの制度改革。
この年から多くの「同好会」が復活または新しく立ち上げられ活発化。
◆平成19年…新社会人激励などのため「あずみ会」が始まる。
このように、現在の東京東筑会の事業や仕組みは歴代の役員・スタッフは勿論、期別幹事など多くの方々によって創り上げられ、困難な時期にも受け継がれ、内容的にも進化し充実化されてきたものであることが分ります。これらの方々の献身的な貢献に感謝するとともに心から敬意を表します。
この受け継がれた伝統は大切にすべきではありますが、世の中の流れや世代の移り変わりの中で、会が存在価値を保つためには、変革して行かなければならないものでもあります。幸いこの数年の変革は会員の皆様方のご理解とご支援を頂けていると思われ、懇親会参加者や会費納入者も増加傾向にあり、会の事業も拡大し充実し、「いくつもの東筑の環」が拡がりつつあり、財政も安定してきています。しかし、東筑の卒業生数が往時の半数という現実や今後期待されるニーズに、会は更なる変革を求められます。
本年度も執行部は「東筑の絆を拡げ深める」ため、会の事業や同好会の充実でもっと多くの会員に会の楽しさを知っていただくことを目指しますが、特に「若い世代の開拓と組織化」を重要課題とし、さらに「東京東筑会三十周年を記念」して「記念会報」の発行、11月22日の「記念懇親会」、そして東筑フォーラムの一環として1月10日の「記念コンサート」を実施してまいります。
会員の皆様には、これらの方針にご理解ご支援を賜りますようお願い申し上げるとともに、「東京東筑会三十周年」という節目の年でもありますので、いろいろな機会をとらえて東京東筑会の行事や事業に是非ご参加頂きますようお願い申し上げます。
東京東筑会の皆様にはご壮健にてご活躍のことと衷心よりお慶びを申し上げます。日頃より東筑会にご支援ご協力を賜りまして誠に有難うございます。厚くお礼を申し上げます。
さて、東京東筑会は創立三十周年を迎えられました。誠におめでとうございます。因みに、東筑会は大正二年に発足、数えて95年になります。ご同慶に存じます。
ふるさとは遠きにありて思うものと言われますように、皆様には生まれ故郷や青春時代を過ごした東筑のことなどが思い出され、感慨も一入のことと存じます。
母校東筑は、創立百十周年を迎え6月14日に記念式典が挙行されました。東筑会の皆様には記念事業推進のためご寄付を賜りまして厚くお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
記念事業として、『一本松記念碑と位置指標』をグランド東端の多目的ホール・百年館前に設置しました。東筑のシンボルであった一本松は、昭和32年晩秋に朽ちて伐採され、昭和50年、45期生によりその『根柢』が発掘され東筑会館に安置されています。
一本松が姿を消して以来50年、この度その位置を確認し、東筑の校風の象徴であり、在校生を激励し、卒業生の母校を偲ぶ縁であった『一本松』への思いを新たにするものであります。
なお、創立百周年記念に東筑会が植樹しました若松も元気に育っています。新しい一本松になるものと期待しています。母校東筑を訪ねられ、東筑のシンボル『一本松』を想起していただければと思います。
また、東筑会館の空調設備の更新、百年館のトレーニング機器の拡充を行いました。在校生の諸君に喜ばれています。
東京東筑会のさらなる発展と皆様のご健勝を祈念申し上げます。
東京東筑会発足三十周年、誠におめでとうございます。先輩の皆様のご努力により、故郷を遠く離れた関東の地で、東京東筑会が三十年に亘り営まれてきたことに、敬意を表しますと
ともに、心からお喜び申し上げます。
皆様ご存じのように、母校東筑高校は6月14四日に、200名を超えるご来賓をお迎えして、盛大に創立百十周年記念式典を行いました。同窓生、地域、その他関係各位の皆様の東筑高校に寄せる期待の大きさを痛感しました。また、東筑高校が地域から見守られ、地域によって育てられてきた学校であるということも改めて感じました。
母校はその期待に応えるべく、生徒・職員一同頑張っております。開校以来の「文武両道」「質実剛健」の校是のもと、殆どの部活動が県大会に出場し、そのうちいくつかの部活動は九州大
会、全国大会へ出場しています。
最近では総合部のピアノや囲碁では国際大会にまで出場しています。また、学習面では県下トップクラスの進学実績を挙げ、「本当の教育力がある学校」として、週刊誌等にも紹介されま
した。
また、福岡県でも生徒数の減少に伴い、県内の高等学校の再編整備による統合が行われたり、クラス数が減じられたりしています。今年も近隣の高校ではクラス数が減じられました。しか し、東筑高校だけは、6年前に学年クラス数が1クラス減の9クラスになったままその後は減少することもなく、現在では北九州地区で一番規模の大きな学校 となっています。これも東筑高校が地域に密着し、中学生の最も進学したい学校となっているからではないかと思います。
現在、学校では「高い志を持って勉学に励み、自己の進路を開拓する」ように積極的に指導しております。その一環として、同窓会のご支援・ご援助のもと、関東・関西へ生徒を派遣し、見
聞を広めるとともに、意識の向上を目指す「生徒派遣研修事業」を行っております。東京東筑会の皆様には、生徒が上京した際に企画から見学等の手配をして頂くなど、大変お世話になって
おります。
お陰様で、この事業を通して生徒たちは、大学では知的刺激を受け、企業では仕事に対する厳しさと誇りを感じ、また、官公庁、企業、財界並びに学会で活躍する先輩の皆様との
交流を通して、今後の学校生活への動機付けや自己の進路実現に向けての意気込みを新たに、一回り大きく成長し、頑張っております。
東京は北九州から遠く離れてはいますが、東京東筑会の皆様の母校に寄せる熱い思いは距離をもろともせずに届いております。その思いに応えるべく、職員・生徒一同これからもしっか りと頑張ってまいりますので、今後ともご支援・ご協力の程よろしくお願いいたします。
最後になりましたが、東京東筑会のますますのご発展と、会員の皆様のご健勝を祈念いたしましてご挨拶といたします。東京東筑会三十周年、誠におめでとうございます。
1983年
1白石副会長(故) 2筆者
昭和54年初秋のある朝、何気なく読んでいた朝刊の同窓会便り欄に、東筑(旧)中学・高校同窓会の記事を見つけ、当日懐かしさを胸一杯に会場の新宿京王プラザホテルに駆けつ
けました。
会場には二百数十名の同窓生が集まり、大変な熱気が溢れていました。今は亡き初代会長・三原朝雄先生(文部大臣・防衛庁長官等をご歴任)のよく通るお声でのご挨拶に始
まり、最後は校歌の大合唱で締め括って大盛会のうちにお開きとなりました。
当日、私の同期も十名近く出席しており、中には昭和25年卒業以来の顔合わせとなる人も居て涙溢れる熱いシーンもありました。その後、同ホテル内のバーに席を移し同期会となり積もる話は尽きることなく遅くまで続きました。今では懐かしい思い出です。
その後の本会の発展には目を見張るものがありますが、その陰には歴代事務方の大変など尽力のあることを忘れることは出来ません。
特に初代事務局長の59期・末森多賀生さんはご自分の歯科医院を事務局として提供され、医師の仕事の傍ら大役をこなされさぞ大変であったことと思います。超多忙となられた為、その後を57期・川上祥登幹事長、68期・小御門俊郎事務局長に引き継がれました。小御門さんもご自分の会社を事務局として提供され、ご両名とも本会の基盤固めに奔走されました。この流れは現在の事務局にも引き継がれており、今日の発展の基となっております。
話は戻りますが、京王プラザでの総会で、出席期の幹事選出があり、48期は何故か私が受けることとなりました。最初の仕事が同期の消息調査と会員を増やすことでした。何分初め てのことで30名位の消息が判明するまで3~4年かかりました。
一方、会の活動が盛んになるにつれ会報発行の機運が強くなり、昭和57年10月に編集委員9名が選任され私もその任に当たることとなりました。然し、悲しい哉殆ど素人集団で原稿・広告集め、編集方針、紙面割り付け、校正に至る迄皆大変苦労しました。私も出光計助先輩の玉稿をお願いに出光本社へお伺い致しましたが、ご多忙の為、残念ながらお受け頂けませんでしたけれども、代わりにその後長期に亘り広告を頂戴いたしました。
委員は勤務終了後に集まること十数回の会議を経てやっと昭和58年4月創刊号を発行することが出来ました。この為の会議室を三原先生のご配慮でお借り出来たことはどんなに有り難かったことか!
更に先生は全委員を議員宿舎にお招き下さり自らスキヤキを作ってご馳走下さったこと、今もあのご温顔と共に忘れられません。いろいろな経緯はありましたが先輩諸氏のご指導のもと会報創刊号制作に参加出来ましたことは、私の生涯の大きな思い出として残るものと思っております。
三十周年にあたり、本会創生期の思い出を書かせて頂きました。当時の関係者の心意気を少しでも感じて頂ければ幸甚です。
東京東筑会報三十周年記念号への投稿の依頼を頂き、光栄且つ私如きがと空恥ずかしい気持ちです。何しろ私は作文が大の苦手、しかしここは大死一番挑戦いたしましょう。
我家は長姉を除き二女二男、そして勿論、父が東筑で学びました。上3人が東筑在学中、父はずっとPTA会長の名誉を与えて頂き、どんな肩書よりもこれを重要と考えていたようです。
末の弟が東筑に入学する時、国政を目指すことになり、子弟教育の手助けを片手間では出来ないと会長を辞任いたしました。
お蔭様で昭和38年に衆議院に父は初当選し、東京での生活が始まりました。早速在京の同窓会の人達と諮り、東京東筑会を発足させることになり初代の会長に父は推挙されました。
東京に在っても愛する東筑の為に働けると父は事の外この人事を喜んでいました。父の東京での住居は九段議員宿舎と言う古い2Kのアパートでしたが、会報出版の時などは長畑さんや佐藤
さん等の在京卒業生が集まり、小さな部屋での小型東筑同窓会の趣でした。又議員会館の父の部屋も東京東筑会の出張所の風情で、特に東筑出身の在京学生の溜まり場のようでした。
こんな事情からかある時、東京東筑会の幹事会で「東京東筑会はまるで三原朝雄の私的団体のようではないか」と抗議めいた発言がありました。父を含む世話役の人達はそんな意識は毛頭持ち合わせていなかったのでビックリしたようでした。確かにあの当時集まる場所とて特になく、ついつい父の事務所ならタダだし気心も知れているLという安易な気持ちで皆がいた事が誤解を与えてしまったのでしょう。後に疑念も晴れ再び和気あいあいを取り戻しました。

私は結婚してより東京住まいとなりました。それ以来三原朝雄の娘ということもあってか使い易いと思われたのでしょう。何か事あるごとに先輩方に呼び出され小間使いを永い間して来ました。しかし私自身が先輩と呼ばれる年になった60を過ぎてからは若い人達に活動をお願いし、ただ今ではノンビリと一会員の立場で東京東筑会を楽しませて頂いています。
父は60を過ぎてゴルフを始めました。「下手の横好き」そのもので、特に東筑会のコンペになると風雨は何のものかわ、早起きしてでかけていました。全てに先駆けて参加するのはこの
ゴルフコンペでした。そのコンペの折、誰かが「総理大臣賞があればいいね」と言うと早速父が時の竹下首相に掛け合い「竹下杯」を寄贈して貰ってきました。
それ以後暫くの間「竹下杯争奪戦」が華々しく行われていましたが、今はどうなっているのでしょうか。
父は何時も「天下国家を考え、世界を見据えて行動するのが真の政治家なのだ」と大言していました。一方家庭では細かい所まで気配りする小うるさい一面を持つ父でもありました。しか
し、内外一切変わりのないのが母校東筑高校への愛着です。母校の為なら粉骨砕身、何でもしたいと思っていたようです。特に野球部が甲子園に行く時などは大変で、率先垂範、たいしてお金も無いのに大盤振る舞いをしたりして母をボヤかせていました。我が家唯一の小倉高校出身の長姉はこんな時父の東筑への偏愛が又始まったと揶揄するのが常でした。
郷土と母校東筑高校を誰よりも愛した父の一端が三十周年誌を通じ御披露できたとするならばこの上もない私の喜びです。
今一度東京東筑会三十周年をお祝いし、母校東筑高校の益々の前進を祈念してペンを置かせて頂きます。
わたしはひょんなはずみで故白石大祐副会長(43期)に目を掛けられ、ある日の幹事会で突如幹事長に引っ張り出された。会長の三原朝雄は不動である。鴛海正副会長(38期)とはまだ面識がなかった。東京東筑会総会は有志の心意気で悉意的に開催されていたが、整然たるルールも組織もなかった。
わたしは覚悟を決め白石先輩の推挙に応えるべく(どうせやるなら破れかぶれに)幹事長として走り回った筈なのに、その前後のことはもう記憶に無い。行き掛かり上、昭和60年度(1985年度)の東京東筑会総会は、わが53期が当番期を引き受けざるを得なかったことだけはハッキリしている。総会の当番期は本校とは別個に動いていた時代である。組織力の高い(集まりの良さそうな)期が、持ち回りで当番を引き受けていた。
まず東京東筑会の基盤となる期別幹事会を定期的に開催しよう。会員を掘り起こし、名簿を整備しよう。年間計画を決め、会費で運営出来る体勢を整えよう。次いで会報を、さらに総会の当番期を本校に合わせ相互に交流しよう等々…。未だ「名簿と会費」が組織力のバロメーターであった時代の話である。
ああそして恐ろしいことに、なんとこの目標通り実践してしまったことである。東京東筑会も若かったし、わたしも若かった。
草創期には、草創期を担うにふさわしい人材が蝟集した。相棒は末森多賀生君(59九期)であった。わたしは歯の治療ではなく、東筑会の打ち合わせのためにしばしば末森歯科医院に通った。幸い白石大祐先輩の会社が目と鼻の先にあった。ともに熱血漢で東筑が無ければ夜も日も明けぬ仲間だった。
山保文枝さん(59期)は、その頃から現在まで出突っ張りである。小御門俊郎(68期)、川上祥登(57期)、小林三郎(54期)君も社業より東筑の仕事の方がずっと楽しそうだった。どこから表れるのか中村一生君(64期)の瓢々たる言動も忘れられない。
先輩では佐藤晶(48期)、長畑寛昭(48期)、秋丸照雄(49期・故人)、高橋嘉正(51期)、畠山和正(52期)さん等に随分助けられた。わたしは社業で平成元年(1989年)~14年(2002年)まで東京を離れたが、このところ川村理哲(52期)先輩、後輩の田仲清司(55期)、深堀和雄(69期)、田中直(78期)君等々ともに草創期を支えてくれた顔ぶれの見えないのが寂しい。
いやこれはわたしが東筑会をサボっているせいかも知れない。
54期が東京東筑会懇親会(その当時は総会)の当番幹事を引き受けたのは、もうふた昔も前の昭和59(1984)年のことである。
その頃はまだパソコンも、プリンターも普及していなかった。同窓会名簿も十分整理されてなかった。すべて人海戦術で作業し手書きによる対応だった。また、会場探しにも苦労したのを思い出す。都内で200人規模の宴会場ですら、数が限られていたので、早めの予約が必要だった。
さらには、東京東筑会が正式に旗揚げして間もなかったので、「東筑魂」を集結するシンボル的なものもなかった。総会当番幹事を終え54期生の間から「東筑健児のよりどころにするものが欲しい」「形のあるもの、色のあるもの、要するに思い出の目印になるものを作ろう」という声があがった。
それじゃあと、54期が当番幹事担当の記念に「同窓会旗」を作製して東京東筑会に残すことが決まった。現在ある「東筑高校」を中心に、左右に「東筑中学」「折尾高女」の校章を染め抜いた同窓会旗がそれである。
この旗を作る段階で、関西東筑会副会長をしていた同期の吉迫幸自君(現在鞍手町在住)にも相談したところ、「関西も何もないので作りたい」という返事だった。経費的にも2枚作る方が得ということになり、東京と同じ大きさ、デザイン、図案、色のものが関西東筑会にもあるのはこのためだ。
「デザイン、図案はどうするか」「どこの染物屋にお願いするか」など、素人集団でわからないことばかりだったが先輩や人材多彩な同期の方々から協力を得てようやく完成した。
この図案は、54期で洋画家の大和洋三君(茅ヶ崎市在住)や書道家の麻生泰久君(三鷹市在住)の知恵をもらい、福岡の54期事務局長の三好利孝君が芦屋町の染物店(46期・刀根義弘社長)を紹介してくれたので出来上がった。皆さんの協力に改めて感謝したい。
最後に東京東筑会が三十周年間継続して発展してきたのは、初代事務局を担当した末森多賀生君(59期)の功績大である。東京・神田で歯科医を開業しながら、東筑会の雑用をこなし、先輩後輩の序列がはっきりした東筑気質の同窓会をまとめるのは大変だったと思う。

59期が東京東筑会懇親会の当番期に当たった昭和56年、同期の末森さんが会の事務局長を受けられた時に会計の役を仰せつかり、家計簿すら付けたことのなかった私でしたが、今井さんと共に同窓会に足を踏み入れることになりました。以来18年もの長い間会計役を通して皆さんとお付き合いをさせていただきました。
最初に58期安部先輩から会計事務を引き継いだとき、預かった出納帳の科目欄に会費納入者一人一人の名前が丁寧に書かれてるのを見て、とても暖かい温もりを感じたことを鮮明に覚えています。発足当時、全て話し合いながら運営する手作り同窓会には何かしら家庭的な雰囲気があったように思います。(これが同窓会の原点かな?)
一年程経った頃と思いますが、鴛海、白石(故)両副会長と末森さんから、将来どこかに部屋を借りて、同窓生の誰もが気軽に立ち寄って話の出来る「東筑サロン」を作ろうと言う話が出てきました。これを実行するには、何はさておき資金の貯えが必要になります。いろいろ策を考えましたが、結局会員数を増やし一人でも多くの方から会費を納めていただく以外にないことに思い到り一念発起、あらゆる機会を利用して同窓生の皆さんにご理解を戴き、又、会費納入のお願いをして廻りました。
当時は会費の前納、後納も受け入れておりましたので、会員全員の年度ごとの入金状況が一目で分る様な表を作り常時持ち歩いておりました。いつしか皆さん私の顔を見るなり「僕、払っていますか?」と、ご挨拶の前に先ず尋ねられるようになりました。多分その頃の私の顔は、年会費徴収の鬼に見えたのかもしれません。一方、当然のことながら支出も抑える必要があり、予算の執行に当たって経費節減に努めたことは言うまでもありません。当時はパソコンのような便利な道具は無く、諸会合の案内、報告は勿論、会報広告掲載のお願い(広告料を会報制作費の一部に充てていた)、支払請求、入金お礼等々全て自前の手書き手作業でした。特に会報の発送の時は、家族に夜中まで手伝ってもらって、支出削減に努める状況でした。
その結果、五百万円程の貯金が出来たのですが、いつの間にかサロンの話は立ち消えになってしまいました。笑うに笑えない本当の話なのです。
今、当時のアルバムを見ながら回想しています。既に黄泉の国へ旅立たれた方も多数いらっしゃいます。現在の東京東筑会の形は様変わりしましたがそこには確実に30年の積み重ねがあることを思い返しております。この歴史の重みを忘れずに、皆さんと共に更なる発展に向けて努力していきましよう。

1988年 東筑会館前にて
1鴛海元副会長 2筆者
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2008年4月23日、東京国際フォーラムにて行われた「東京東筑会総会」終了後の幹事会にて、
前事務局長の結城謙吾(70期)が幹事長に推薦され、承認された。
それに伴い新しい事務局長として高田明(73期)が就任した。
東京東筑会30周年おめでとうございます。
東京東筑会は大先輩方が種を蒔き、東筑の絆で大切に育てられ、今日30周年という大きな節目を迎えることが出来ました。一後輩として、先輩各位に対し改めまして御礼を申し上げます。引き続き今後とも熱いご支援をお願い申し上げます。
この記念すべき年に東京東筑会幹事長へ就任できました事は、私自身にとって大変光栄なことでありますが同時に幹事長という重責をひしひしと感じています。偉大な先輩幹事長には及ばない微力な私ですが、先輩・同輩・後輩のお力添えにて東京東筑会の老壮青学の絆を深めていきたいと思いますので、ご指導ご支援の程よろしくお願い申し上げます。
現東京東筑会安永会長体制は3期目に入りました。これまでに、財務基盤の確立、複数の同好会の発足、会則変更、新監査役制度の導入、執行部の組織改革、ホームページの充実、青年部(U-30)の発足を機に学生部の組織化などを行って参りました。
30周年に当たる今年度は、記念事業として会報30周年記年号の発行、30周年記念コンサートの開催(来年1月14日 四谷区民ホール 二期会大野徹也・手嶋眞佐子ジョイントコ
ンサート)を計画しております。
会員各位へは、後日ご案内を申し上げますので多数のご来場をお待ち申し上げております。
来る11月22日に開催される懇親会は、当番期の諸君が30周年に相応しい会になるよう準備を重ねております。 同輩をお誘いあわせの上、昨年にも増して多数のご参加を心よりお待ち申し上げております。
会の運営について、現在、東京東筑会の会員数は2,800名余りですが、ここ数年来、会の活動が非常に活発になって来ております。より多くの世代の方々に運営に関わって頂きたい為、本年度より次の様に一部組織体制の見直しを致しました。
会の主たる事業を行う幹事長の下に組織委員会(委員長‥76期・西本逸郎さん)を置き、東筑フォーラム(講演会開催…78期林恵二さん)、青年部あずみ会(77期・木元伸一さん)、学生部(102期・坂本一子さん)等の事業統括を行うと共に、ゴルフ(げってん会)、テニス(にわだま会)、カラオケ(ひびき会)、IT会、PHOTO会、東筑竜昇会(ラグビー応援の会)など各同好会の活動を支援していきたいと思います。特に、昨年48期・長畑先輩のご提唱で発足した『何でん語らん会』、53期の先輩方のご理解で発足した『鎌倉散策の会』は、東筑の絆をより深める意味でも実りある会にしたいと思います。
又、事務局長の下には広報委員会(71期・佐野和範委員長)を置き、ホームページと会報(84期・三好尊信編集長)の充実に努めます。
本校との関係では、現役高校生東京研修支援事業を益々充実させ、本校の生徒が少しでも東京にチャレンジしやすいように応援したいと考えております。
最後になりますが、現在の東京東筑会を運営していく上では、期別幹事様の存在が絶対に欠かせません。どうか、会員の皆様、同期幹事への暖かいご支援をお願い申し上げます。
盛夏の候、東京東筑会会員の皆様におかれましては、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
私はこの度、前任の結城事務局長(現幹事長)の後任として東京東筑会事務局長の大役を仰せつかりました、73期の高田明と申します。
高校時代はサッカー部と生物部に所属しておりました。当時のサッカー部は弱小クラブであり、華々しく練習する野球部の片隅で細々と練習をしておりました。当時の木造校舎(1階化学班、2階生物部)の前にゴールを置き、シュート練習で老朽校舎を散々に痛めつけていたのは、憂さ晴らし?…などではありません。
生物部では特大の捕虫網を片手に蝶を追いかけておりました。九大白水教授の蝶類図鑑を、夜な夜な教科書以上に読み耽っていたのを思い出します。
現在は埼玉県在住で、会社員をしております。勤務先も埼玉県内にあり都内に出るのに少々時間がかかる為、幹事会には毎回遅刻(すみません)してしまい、更には土曜休みも少ないことから東京東筑会の行事にも参加できないことも多々あります。が、IT時代のおかげと申しましょうか、メール活用にてどうにかこうにか役目をこなしている状況です。
そもそも私は東京東筑会、と言うか同窓会そのものに全く興味がなく、ましてや関わりを持つ気などさらさらなく天下太平に過ごしておりました。そこにたまたま姉の期(68期)が東筑百周年の当番期に当たっており、集客にやっきになっていたという降って湧いたような不幸(笑)があり、集客源泉の一つとして半ば強制的に東筑会に関わりを持たされてしまいました。
ところがそれがまた良くしたもので、この百周年の懇親会で我が敬愛する恩師藤江真佐子先生と再会し、一気に東筑熱に火が付いて行ったのであります。
それからというもの、幹事会に少しずつ顔を出すようになり、そうこうしているうちに自分たちの当番期を迎え同期との結束が深まるや一気に「東筑」にハマって行ってしまいました。それにしても、その後役員を拝命することになるなどとは夢にも思わず暢気に「東筑」を楽しんでおりましたのに…、ここは現幹事長の70期結城謙吾氏にうまくハメられてしまったというところでしょうか。
兎にも角にもお引き受けした以上は、会員の皆様にご迷惑をおかけしないよう一所懸命がんばります。とは言え「ウツカリ」や「チョンボ」の多い私めのこと、今後とも会員の皆様のご指導、ご鞭撻そしてご声援をよろしくお願い申し上げまして、新任のご挨拶と致します。 今後ともよろしくお願い申し上げます。
台風直撃で東筑魂を再確認
目覚めると外は雨。しかも想定外の台風20号が懇親会の開催時に東京を直撃する予報。たしかに日ごろの行いは悪かったが、まさか台風が来るとは‥・。
懇親会の目玉にしていた東筑軒の「かしわ飯」に「うどん」、シロヤの「サニーパン」は、当日、北九州空港から飛び立ったとしても、はたして台風の中を羽田に着陸できるのだろうか。
大きな顔をして、各期の幹事さんに、「当日をご期待ください!」と言ってたのに、会場がガラガラだったらどうしよう。
われわれ当番期のほぼ全員が、ドンヨリした顔で集合してきました。
「でも、天災だからしょうがないじゃないか」。せめてこの台風の中を来てくださる諸先輩、後輩たちをわれわれができるかぎりの「おもてなし」をしようではないか。
この開き直りが東筑生らしい。 目玉の品を乗せたスターフライヤーが、羽田に無事、着陸したとの連絡が入ると、がぜん元気が出てきて、さっきまでのドンヨリした顔も消え、さぁここからが本番、とばかりに会場の「アルカディア」では、大きな声が飛び交い始めました。

■心優しき同窓生に感謝
「台風で集まらなかったら当番期がかわいそうじゃない」、とばかりに、心優しい同窓生の皆さんが開場前に詰め掛けてくださり、狭い受付がごった返してきました。
調子に乗りやすいわれわれ77期は、まだ会場の中では式典のリハーサルやお店の陳列をしていたりと、「おもてなし」には程遠い態勢にもかかわらず、開場時間を早めて、ご入場いただきました。
いよいよ本番スタート。受付係から、出席人数の速報が届きました。なんと451名!われわれ77期を加えると500名を超えています。
これで、どうにか諸先輩が築いてきた伝統に泥を塗らなくて済む…。
ホッとすると同時に、いやいや、われわれの力なんかじゃない、これこそ東筑生の心遣いなんだと気づき、ただただ感謝の気持ちに。「おもてなし」しようなんて生意気だったのではないか、
幹事経験者の先輩方から「よかったね」「頑張ったね」と励まされる声の数々に、一年間かけて準備してきた実行委員のメンバーの顔は、安堵よりも感謝の表情へと変わってきました。
■これぞまさしく同窓会だ!
いろいろなハプニングもありましたが、東筑軒の「かしわ飯」に「うどん」、シロヤの「サニーパン」を楽しそうに、そして懐かしそうに喜んでいただいている同窓生のお顔を拝見しているうちに、市ヶ谷にいるはずが、なぜか折尾の堀川沿いにでもいるような錯覚に陥り、29年前にタイムスリップした感じを覚えます。
「う~ん、うどんはやっぱり東筑軒のうどんバイ」
皆さんの顔が、18歳の顔になっています。
仕事や育児も関係なく、一瞬にして高校時代に戻れるから、そして多感な同時代を過ごしたという共通の言語で会話できるから…。同窓会のよさを再認識しました。
先日、日本を代表する著名なコンサルタントから、「上坂くん、21世紀はコミュニティーがカギを握ると思うけど、そのコミュニティーは、同窓会を中心に発展するだろうね」と言われました。
今回の同窓会(非営利コミュニティー)での集いを体験していたわたしは、彼の言葉に思わず領きました。
思えば20年はど前、ピーター・ドラッカーが著した『非営利組織の経営』に対して、若かった私は生意気にも、「残念ですが日本では売れません。理由は、欧米と違って教会を中心としたボランティアのベースがない日本に、非営利の組織は根付かないからです」と申しました。
その答えとして「20年後の日本は違っていると思うよ。教会ではないだろうけど、何かを中心としてできる非営利のコミュニティーが、営利組織(企業)に代わって重要な役割を担い始めるはずだよ」
残念ながら、彼の本としてはめずらしく、まったく売れませんでした。しかし、本質のところは、私が間違っていました。日本に非営利組織は、しっかりと根付いています。
そして、その中心となるのは、営利目的ではなく、同時代を生き抜いた「同窓会」というコミュニティーが、大きな役目を担っていくのだとも思います。
■「川筋千本ノック」は続く
東京での77期の集まりは、6年前、9名からのスタートでした。「俺たちの大学受験時っち第二次オイルショックやったから、教職が多いいやんか。北九州在住の仲間が多いけ、東京は少ないバイ」
そこからの名簿集めは北九州からの応援もあり、結局70名ほどに増えていきました。
とくに、女性陣の活躍に助けられました。高校時代は(3年間、男子クラスだった仲間もいるほど)男子校? と思えるくらいに女子の数は少なかったのです。しかし、実行委員会の活動は、男子よりも多くの女子が参加、活躍してくれました。
77期は甲子園で唯一、2度、勝利の校歌を歌った仲間です。
その思い出もあり、野球部の象徴「千本ノック」を懇親会のテーマのひとつに掲げました。
私たちの打ち続けるノックを、先輩・後輩ともに最後まで心優しく受け止めてくれました。 いま考えると、あっという間の準備期間でした。北九州での総会も含め、大変ではあったけれど、仕事では味わえない、そして何ものにも代えがたい経験をさせていただきました。 2年後の関西での当番期の応援まで、「ノック」を打ち続けるつもりです。
安永会長、稲冨前副会長をはじめ、各期の幹事の皆さん、台風をものともせずにご参加いただいた諸先輩、後輩に、ただただ感謝です。
最後に、喰田孝一野球部監督(当時)の著『監督一代』から引用させていただきます。
「東筑でよかったバイ」

みなさん、こんにちは。101期の上野です。
東京東筑会の会報で記事を書かせていただくのは二度目になるのですが、今回は30周年記念号ということで、若干のプレッシャーを感じながらも、自分らしさを保ちながら、思いのままに書かせていただこうと思います。
さて、7月5日に行われたあずみ会ですが、まず参加していただいた皆様、ご参加いただき本当にありがとうございました。楽しんでいただけましたでしょうか。また77期の木元先輩、打ち合わせを始め、会の企画から実行まで若手を引っ張っていただき、本当にありがとうございました。
前回記事を書かせていただいたときは、イベントに参加したものとしての感想を書かせていただきました。今回は、会の参加者という立場と、会の企画や懇親会の司会という主催側の立場の両方からの感想を書かせていただきたいと思います。
まず、会の参加者としての感想ですが、一言で言うと、大変楽しく意義深い会だと感じました。
前半の講演会では、住友信託銀行の井上晶氏による貴重なお話を聞くことが出来ました。井上氏は、これまでの生涯を振り返りながら、そこで形成されていった「自分らしさ」というものが今の仕事のやり方に大きく影響を与えているという話をしてくださいました。
また、井上氏が社会人8年目に出会った、最初は苦手だったけれども今では人生の師と仰ぐことになった部長さんから得た魔法の言葉の話がとても印象的でした。物事に対処するための魔法の言葉とは、当事者意識、問題意識、プレゼン能力の三つで、私自身三つ目のプレゼン能力というものに関しては、井上氏の話を聞いて以来特に意識するようになりました。後半の懇親会では、司会進行務めさせていただきましたが、皆様の協力のおかげで、私自身、司会の片手間ではありますが、参加者として、おいしいお酒を飲むことが出来ました。
次に、会の主催者としての感想ですが、会の運営の端々で東筑らしさを感じました。
このあずみ会の企画の話を初めて聞いたのは5月の初頭でした。当初、打ち合わせということでかなりの人数で集まって話し合うのかと思いきや、私を入れて4人という小規模さに驚きました。しかし、木元先輩がほぼ全ての段取りを考えてくれいたおかげもあり、なんとか形になるだろうと思いました。少人数ながらも、短期集中して実際にことを起こすことが出来るという部分に、東筑魂というか東筑らしさを感じました。
さて、実際に私が行ったメインの仕事は懇親会の司会進行だったのですが、これはとても緊張しましたが、終わってみれば大変良い経験が出来たと思いました。今回の懇親会では、この春から社会人となった新社会人のお祝いをテーマにしていたのですが、新社会人が一人ひとり今後の抱負を述べる場面では、ワイワイガヤガヤ騒ぐ声がピタっと止み、皆、真剣に耳を傾け、温かい声援を送っていました。こうしたメリハリのよさと後輩を思う心というのは東筑魂の表れだと感じました。
また、懇親会の途中で行ったチャリティーイベントの腕相撲大会は当初の予想以上の盛り上がりを見せ、みなさんのお祭り好きな部分もまた東筑魂の表れだと感じました。このように、あずみ会を通じて、会の参加者として楽しませてもらうと同時に、主催者として東筑魂を改めて実感することができました。
東京東筑会に参加する若手の数は年々増えていると思います。特に学生については顕著だと思います。私が初めて東京東筑会に関わったのは、同期の塗木に誘われた幹事会だったのですが、学生が私と塗木の二人しかいなかったのがとても印象に残っています。
しかし、若手の方々の中には、東京東筑会に参加するのをためらっている方もまだまだ多くいらっしゃると思います。
若手中心の会であるあずみ会が、そういった方も気軽に参加し楽しんでいただき、東京東筑会と関わるきっかけとなるような会になることを期待しています。
また、あずみ会は若手中心の会と言いながらも、会の企画や運営は木元さんを初めとする諸先輩方に引っ張っていただいているのが現状です。
今後は、会の企画、運営についても徐々に若手を中心に担っていけるようになることが理想だと思います。そうして、若いうちから同期や年の近い期同士でひとつの会を作るという経験をすることによって、将来担うであろう懇親会の運営の練習としてあずみ会が機能するとさらに良いだろうと思います。


最後になりましたが、私自身のことについて書きたいと思います。
私は101期なので、ストレートに大学に進学し、ストレートに卒業していれば社会人2年目なのですが、色々なことがありまして、まだ大学3年生です。今年から就職活動が始まるのですが、どういった職業に就こうかいまだにはっきりしていません。
しかし、ひとつはっきりしていることがあります。それは、周りに流されず自分自身の感覚を貫こうということです。世の中の大半は論理で動いているため、現代を生きる私達は論理で考えることを絶対的に正しいと思いがちです。実際、私そうした論理に従って生きてきました。「いい高校に行き、いい大学に行き、いい企業に勤めなさい」という親の言葉をなぞって生きてきたのだと思います。
しかし、今でもはっきり覚えているのが、この言葉を聞いたときに嫌悪感を抱き、人生は凄く退屈なものだと感じたことです。最近になって確信したことは、人生をよりよいものにするためには、感覚や感性を大事にするということです。ここでいう感覚や感性とは、好きとか嫌いとか、「これはイイ」「これはイマイチ」といった理屈抜きの思いのことです。
「東筑高校に入ってよかったことは何ですか」と聞かれて、「いい大学に入れたことです」と答える人はいないと思います。就職活動を始める際に、「せっかく苦労して東大に入ったんだから…」ということが最近まで耳から離れなかったのですが、私自身の経験を振り返ると、東大に入ったのは就職のためではなく、受験勉強そのものに楽しさを感じ、取り付かれたように勉強していたからでした。就職活動も同じように自分のうちから湧き出る感情を大事にし、楽しさを見出すことから始めたいと考えています。
とかなんとかいいながら、どこにも行くあてがなかったりするかも知れませんが、そのときはどなたか先輩に拾っていただきたいと考えています。
という笑えないかもしれない冗談で締めくくりたいと思います。
生徒派遣事業は、東筑高校が行う選抜された新二年生の研修である。東京東筑会は、東京での見学スケジュ ールを作成し、生徒を引率するなど、研修を実りあるものとするための協力をしている。また、歓迎会には、生徒たちを激励するため大勢が集まる。以下は、東筑高校が作成した研修報告書からの抜粋である。
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「私は農学部に進学したいのだが、農学部の教授の先輩からうかがった、研究の内容や博士課程の話はとても参考になるものだったし、元証券マンの先輩との会話で出た環境問題と経済の関係性についての話は、これからの研究テーマを考える上でとても重要なものとなった。」
「何よりも心に残ったことは、東京東筑会のいかにも首都らしい華やかな歓迎会と、関西東筑会のアットホームな雰囲気の歓迎会だ。今回の派遣事業を支援してくださった先輩方や関係者の皆様、本当に有り難うございました。私は社会に出ても恥ずかしくない人物になれるよう、勉学に励み、幅広い知識と教義を身につけるよう努力していきます。」
「今回の派遣事業を通じて私が学んだのは、東筑の先輩方は至る所で活躍しており、また、お互い一人一人の為に、そして私たち現役生の為に協力し支え合っているということだ。この派遣事業を振り返り、まだ入学してから一年しか経っていないものの、私は東筑に入学してよかったと、今、心から思っている。」
「東京東筑会の歓迎会は若い方から年配の方まで多くの先輩方が駆けつけて下さっていた。そこでの歓迎会はとても面白く、また、様々な先輩に話を聴けて有意義なものとなった。もし、できるならもう一度参加したい…と思わずにいられないほど充実していた。」
「この研修を通して、いままでの自分の視野がいかに狭かったかを実感し、それを大いに反省した。それと同時に、この研修で得たものを糧にして、これからの学校生活をより充実させるために努力しなけ「私にとって、この生徒派遣事業は、人生の中でと言っては大げさかもしれないが、それくらい重要なものとなったのではないかと思う。日本一広いキャンパスをもつ東京大学では、日本の学問の最高峰の雰囲気を味わえ、構内を一通り見学し終えたときには、疲れとともに、東大に魅了されていて、東大にいきたいと思った。」
「今回の研修で私達は東筑高校の繋がりの強さを、そして素晴らしさを感じた。この日程の中で、たくさんの東筑出身の先輩達に出会い、お話を伺ったり、お世話をして頂いたりした。本来なら足を踏み入れる事すら叶わないような施設を見学できた事も、東京・関西両東筑会の先輩方の多大など協力のおかげである。」
「派遣事業に参加して本当に良かった。自分は何も知らず小さい世界で生きていたと知ることが出来たのはとても大きな収穫だと思う。何より、自分の知らない考え方、生き方に触れることができ、世界の広さを体験することが出来たことを本当に嬉しく思う。「世界が変わった」というのは大袈裟に聞こえるかも知れないが、それ位大きな変化があった。」
「私はこの体験を通して、現在の自分の生活においてあることを深く反省した。それは、あらゆることに関心を抱き、積極的に行動していくということを、最近おろそかにしていたことである」
「これらの経験を通して、私は東筑のつながりの強さを知った。どこに行っても東筑の先輩方がいて、「東筑で良かった!」と思えるようにもなった。」


「以前から、東筑は全国でも稀に見るほどつながりが固いという評判があるのは知っていたが、その強さは、私の想像をはるかに超えるものであった。」
「派遣事業に参加して、自分の知らないことをたくさん知ることができた。この派遣事業に参加していなかったら自分はどうなっていたんだろうと思うくらい考え方が変わったように感じる。」
「この派遣事業では、普段は見ることのできない様々な場所を見学し、各界の第一線で活躍する先輩に出会った。緊張する場面も多々あったが、その緊張が僕を大きく成長させてくれたと思う。」
「僕がこの派遣事業への参加を決心したきっかけは、僕の先輩が平成十八年度の生徒派遣事業研修報告書に載っていたのを見たことである。その後に「どんなにお金を払っても、見学することの出来ない場所に連れて行ってもらえるし、参加してかなりモチベーションが上がった」ということをその先輩から聞き、これは自分の将来を決めるチャンスになると思い、今回の派遣事業に参加した。」
「お話を伺って私が共通して感じたことは、自分が到達したい目標を立て、そのビジョンを鮮明に描くことがいかに大切であるかということである。ただ自分はこうなりたい、ああしたいと漠然と思っている人と、しっかりと自分の到達ポイントを見定めてその実現のために現実に行動を起こしている人とは、その目標を達成するまでにかかる時間も、得るものも、大きく異なってくるであろうと思う」
「今回の研修で私の夢は霧がかかっているような状態からかなり明確なものになった。東京東筑会で先輩方から、東京の大学に進学すれば省庁やメディア関連の仕事に就職しやすいという話を聞いた。そして、先輩方のおかげで行きたい大学が決まったのである。」
「知らないから分からない、ではいけない。‥・その言葉が痛いはど身にしみた。これは国土交通省で、ある先輩がおっしゃった言葉だ。物事を考えるときに大切なこと、それは直接的な知識に頼らずに、自分でしっかりと考えて答えを出すことだということを、研修中何人もの先輩方がおっしゃっていた。そして、それは私に足りないものだった。」
「この研修事業で多くの得難い経験をし、さまざまなことを学んだ。自分の改善すべき点も見つかり、意識改革の本当に良い機会になった。この研修事業に参加してよかったと思い、そして東筑高校に入ってよかったとも思った。」
「東筑に入学してから、私の東筑好きはますますヒートアップしていった。その大きな理由は、先輩方の存在である。東京東筑会の歓迎会では、とてもお忙しい中駆けつけてくださった社会人の先輩から、年も近くて気さくな大学生の先輩まで、大勢の先輩方がとても親しく接してくださり、たくさんお話しすることができた。催し物も充実していて、東京東筑会の組織力を感じられた。最後に先輩方のアーチをくぐるときは、感動のあまり泣きそうであった。」

同好会活動
東京東筑会会員の皆様、お元気にお過ごしのことと存じます。 同窓会活動としては他に類を見ない活発さを誇る東京東筑会から、また新たに同好会が生まれました。その名も「何でん語らん会」と申します。
「何でん」、「語らん」、コツテコテの北九州言葉を使用していますが、実は、まさに今、社会問題となっている事柄について、「程々のお酒と、おいしい食事をいただきながら議論する」というお酒落で、知的、エレガントな同好会です。のはずです。
「何でん語らん会」は48期長畑寛昭先輩の御提案により産声を上げました。
以下にその御提案を記します。
『先行き不透明な現代社会において、日ごろ見聞するマスコミの報道や政治家の偏った議論は、大衆の意識や国の針路を誤らせる恐れがあります。私どもは、良識のある様々な議論を通じて、本質的な物の見方や考え方を冷静に見極め、自身の判断力を養うことが重要なことと思います。縁あって、青春の一時期を東筑で過ごした年齢も仕事も異なる仲間同士が、一堂に会して率直に語り合える場が、東京東筑会の中に出来たらよいのではないかと考えました。
仮に「何でん語らん会」とでも名づけ、会員有志が互いに聞き、語り、話し合うことによって、それぞれの人生の構築と社会生活の向上に役立ち、連帯感を育みながら、より充実した生きがいを持つための一助ともなれば幸いです。この会では、政治.経済.社会をはじめ、経営や教育.文化など会員の興味ある問題を選びながら、会員による会員のための楽しい会にしていきたいものですが、特にこれからの日本を担う気概ある若い諸君の参加を願うものです。』
会を始めるに当たり、山保文枝東京東筑会副会長より「何でん語らん会」の題字(写真)を頂きました。
この場をお借りして改めて御礼申し上げます。
「第一回何でん語らん会」は林恵二先輩(77期)を世話人として、2月13日の18時30分より、千代田区内幸町日比谷中日ビル1F、シーボニア・メンズクラブにて、14名の参加者で開催されました。以降同所、同時刻より開催されることになっています。
引き続き5月14日に「第2回」が参加者12名で開催されました。現在、懇親会当番期で多忙を極める林先輩に代わり、世話人を村田貴俊(84期)が引き継ぎ、8月20日に第3回を開催いたしました。
各回のテーマは以下の通りです。
◆第一回「サブプライムローン
問題と金融商品」話題提供…渡辺克彦先輩(63期)
◆第二回「環境と経済」話題提供…坂本一子さん(102期)
◆第三回「食糧自給」話題提供…村田貴俊(84期)
ご覧の通り、経済界で後世に語り継がれるであろう「サブプライム」、洞爺湖サミットの主要議題「環境」、我が国の安全保障をも脅かす「食糧自給」。 どれも今年の流行語大賞にノミネートされそうな言葉がひしめいています。将来、2008年を振り返った際に、そして21世紀の重大ニュースとして間違いなく取り上げられる社会的インパクトの強い問題ばかりです。これらのテーマに対し、同じ高校に在籍したという一点を除き、年齢や職業など社会的バックグランドが全く異なる参加者が、「ああでもない」、「こうでもない」と熱く議論しています。
実際の会の進行は、話題提供者による5分前後でのテーマ導入後、補足、議論、そして議論の要所要所を長畑先輩がまとめるというスタンスで会は進行していきます。
第一回では「サブプライムローンとは?」から始まり、近年経済発展が目覚しい中国、インドなどのいわゆる新興国の経済状況、そして、それぞれが及ぼす日本への影響まで議論されました。
第二回では環境悪化要因、環境問題による地球規模から個人レベルまでの影響と対処法が議論されました。
第三回も、「政治問題に端を発するアフリカ諸国の飢餓問題」、「新興国の台頭による食糧獲得競争」、「代替エネルギーとしての穀物由来バイオエタノール」等々、古くて新しい食糧問題が新聞紙上を賑わしており熱い議論が繰り広げられました。
とはいえ、熱い議論の中にも個人攻撃や、全否定などはまったくありません。熱い議論の後に「また次回も」と気持ちよく散会ということになります。この清々しさこそが東筑気質の一端でしょうか。世話人の林さんが注意事項として周知した「理性的に語り合う。終了後はしこりを残さない。」というのは全くの杞憂でした。加えて、第一回でもさほど多いとは言えないアルコールの提供量が、その熱さゆえ、第二回では半ば強制的に減少したことも報告しておきます。
各回の日程は、「語らん会」終了後散会前に予定が決められます。ほぼ3カ月毎に開催されています。テーマも同時に多数決で決められます。なお各回とも参加メンバーは固定しておらず先着順定員制となっています。
会の方針として、いくつかの小グループ内で議論が進むことは避けたいので、参加者全体で議論が進み、かつ全員が意見を出せる程度の人数を考慮しています。開催日及びテーマは、毎回東京東筑会ホームページにアナウンスを依頼します。昨今の社会情勢が気になる方、予定テーマにたまたま興味がある方、予定テーマの専門知識を有する方、とにかく参加して何か言わせろという方、その日はちょうど暇だという方、老若男女を問わず奮って、かつ気楽に参加いただきますようお誘い申し上げます。
ただし、「理性的に語り合う。終了後はしこりを残さない。」お忘れなきよう。

その日、「日本一オーラのない監督」の登場に会場全体がどよめいた。
2008年1月16日、フレンチ&イタリアンROUMANTEI新宿本店で、第44回日本大学ラグビーフットボール選手権でみごと優勝を果たした早稲田大学ラグビー部の中竹竜二監督の祝勝会が開催されました。
当日は、藤田会長をはじめとする竜昇会のメンバーや東筑ラグビー部の卒業生など、中竹監督を心から祝福しようと総勢60名以上もの参加者が集まりました。そして、中竹監督の恩師である東筑高校ラグビー部前監督の小田守男先生も福岡から駆けつけてくださいました。
中竹早稲田の大学選手権優勝は東筑生の何よりの願いでした。
その願いがついに叶ったという喜びで会場が満たされていました。
主役の中竹監督が到着し、会場の熱気は最高潮となりました。中竹監督が登場した瞬間、会場が一瞬どよめきました。それは決して中竹監督が日本一オーラのない監督だったからではなく、むしろ中竹監督から出る雰囲気にみなが一瞬とまどったからです。
『オーラ』が派手な見た目で他を圧倒する気迫を指すのならば、確かに中竹監督にオーラはないのかもしれません。しかし、オーラとはその人物から惨みで出る、惹きつけられるような雰囲気だとすれば、中竹監督は“日本一オーラのある監督”です。
中竹監督には表面上はわからない何か惹きつけられる魅力があります。会場はそんな中竹監督から醸し出される雰囲気に一瞬圧倒されたのだと思います。
そして、中竹監督による挨拶がありました。中竹監督は、恩師の小田先生を前に緊張されながら、本音を話してくださいました。
「私は今年負けたらやめる覚悟で挑んでいました。昨年決勝で負けてから364日ありました。その日からずっと、次のテーマを考えて過ごしてきました。その結果、いいチームができ、普段は絶対に勝ちますとは言わない主義ですが、今年はささやかに勝てるのではないかと思っていました。
トーナメントであたったチームはどこも、選手たちの強い思いが伝わってくるいいチームでした。
決勝当日は、晴れ男なのに、あいにくの雨で、さらに慶応の小田のキックもよい。しかし、心のどこかでは、絶対に負けるはずがないと思っていました。
私のテーマは『組織を作る』です。ビジネス界ではよく成功する例は紹介されるのに、スポーツ界は優勝したチームしか評価されません。負けても全てのチームに賛美されるところはあるのです。
もう一つのテーマは『文武一致』です。本当に役立つ知識は現場でしか生まれないと思っています。また、早稲田では多くの選手が集まり、下のチームの選手が必死に這い上がろうと頑張り、それがレギュラーのとてもいい刺激になっています。そのような泥臭い力がとても役に立っています。
奥野(102期)のようにそのような早稲田の選手に東筑生が来てくれると嬉しいです
。
私の根本には東筑での指導があるように思います。小田先生はカリスマ性がありラグビー界でも有名な指導者です。特にこだわりがすごく、細かく、目標に達成するまで同じことを何度も徹底的に繰り替えされました。この先生の指導が、東筑魂として私の根本にあったと思います。」
その後、小田守男先生からもご挨拶をいただきました。
「一昨年は『関東には勝てない』と言っていたら本当に負けました。今年は『勝つよ』と言っていました。なぜなら、今年はチーム(組織)プレイをしいているからです。
私はプレイを通じて人間
を磨くことを目標としています。私流は目的意識をしっかりもって、それに向かってガムシャラにやることです。中竹さんは賢い指導者です。人間的な指導者です。ただその理念を指導する
のはとても大変です。」
中竹監督の指導の根底に小田先生との師弟関係、東筑での絆があるということが、とても印象的でした。
それから、安永会長による乾杯が行われ、歓談に移りました。
歓談中は、中竹監督とお話したい人々でまわりはいっぱいでした。中竹監督はサインや写真を求めるミーハーな私たちにも優しく対応してくれました。ほとんど食事もとられていなかったと思いますが、立ったまま一人ひとりと丁寧に接してくれました。「荒ぶる」と力強くかかれたサインは宝物です。
歓談中のイベントとして、ゴミ袋をかぶって顔を伏せた左京知久主務(101期)が中竹監督の裏話を赤裸々に紹介しました。どのエピソードもとてもおもしろく微笑ましいもので、監督とチームの築いてきた絆を垣間見ることができました。

また今回の祝勝会には、決勝で戦った慶応義塾大学の選手もかけつけてくれました。山田章仁君(小倉高校出身)は「ネクタイを早稲田カラーにしてきました。」と言って、一同を湧かせ、小田龍司君(102期)は「正直、早稲田は強かったです。」とコメントし、さらに昨年入部したばかりの岡原真平君(105期)は「いずれはレギュラーで出場して早稲田を倒したいです。」との抱負を語り、それぞれがライバルという立場で、中竹監督を祝福しました。
そして、宴もたけなわとなったころ、決勝の編集した映像が会場に流れました。高らかに流れる「荒ぶる」を耳に、会場の全員が、あの日の感動と喜びをもう一度かみしめ、中竹監督を称
えました。
最後に中竹監督がおっしゃった「ラグビーで監督を応援してくれるのはここ東筑会だけです。
ここだけは清宮さんに勝ったといえます。」との言葉に一同感激しました。中竹監督は何度も「東筑会の応援に感謝します」とおっしゃっていましたが、こんなに懸命に応援できる先輩のいる私たち東筑生の方が感謝したいです。このような楽しい祝勝会を開催できたのも、すべて優勝できるチームを作りあげた中竹監督のおかげです。
中竹監督、私たちの夢を叶えてくれてありがとうございました!
今年も、東筑生一同どこまでも応援させていただきます!

「東京東筑げってん会」は、今年2008年5月25日に第5回目の開催を迎えました。
会場はエーデルワイス。
本げってん会は個人戦と期別のチーム戦というユニークな構成でゲームを進めます。今回は第5回目の区切りということで、個人戦とし優勝カップの取りきりということで開催しました。
ちなみに期別チーム戦は、各期別のネット平均により優勝から第3位までを表彰するもので、優勝チームには、由緒ある優勝杯が授与されます(持ち回り)。
この優勝杯は故・竹下登総理大臣から故・三原朝雄先輩(26期一東京東筑会初代会長)を経て、げってん会に贈られたということです。
開催当日、やはり雨(今日は降らんかったらいいのにと恩いつつ)。開始時刻の約2時間前に会場入り。
げってん会開催の諸準備を支えている幹事の武田哲也君(73期)と受付の準備
を始める。この時刻、既に待ちかねている先輩もおられました(その気持ち分かりますゾー)。
集合もよく、20分ぐらい前には、受付全員が集合。受付時には、後輩たちが手伝ってくれたので作業はスムーズに行われました(後輩に感謝)。
集合写真を撮り、麻生会長より挨拶、例によって最後には、「途中、少しでも体調がおかしかったら、無理しないで、格好付けずに、リタイアを宣言してください」と結ばれます。
無事これ名馬、ではないですが、無事であることが第一。ここからゲームが始まります。
組合せについては、事務局で期別の交流がスムーズにいくように、同期でかたまらないよう配慮しているつもりですが、参加者の期別により、偏りが生じてきています。今回の参加は50期台と70期台でした。
60期台以降は現役社会生で仕事にいちばん忙しい時期と思いますが、今後幅広い期別からのご参加を期待しております。
昨日から降り続いている雨はまだ止みません。誰もやめようとは言い出しません。すると参加される方々の日頃の精進とゲームにかける意気込みが通じたのか、午後には晴れとなり、暑いくらいのコンディションの中でプレーということになりました。(これでスコアの言い訳が半減)。
さて、ゲームの開始。ゲームとなると、先輩、後輩関係無く、真剣な面持ちでゲームに臨みますがそこは多士済々、個性豊かなシニア達、さすがに年季が入ったゴルフを展開します。第1打、諸先輩方のボールは、距離の差こそあれ、フェアウェイに。私の会心の一発は「よー飛ぶのー」の声にこンマリ、すかさず「そやけど、フェアウェイは右ぞ」。
おっしゃる通り。グリーン周りでもあっちやらこっちやらで、先輩方はそつなく載せて、カップイン。珍プレーは私。空振りをするは、地球を叩くはで大荒れのゴルフでした。コース上では懐かしい東筑弁(遠賀弁)を聞きながら、褒められたり、けなされたり。きつい冗談の割には、口も腕も達者で、「上がってナンボ」という言葉に、返す言葉もなく、「その通り」とわがスコアをみてしばし絶句。反省しきりでした。 高齢者が支える豊かなニッポンの証を垣間見たような気がします。
順位 |
氏 名 | OUT | IN | Gross | HDCP | Net | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 |
大住耕司(70期) | 54 |
54 |
105 |
32.4 |
72.6 |
|
2 |
山本秀夫(70期) | 49 |
46 |
96 |
21.6 |
73.4 |
|
3 |
安永保昭(53期) | 48 |
48 |
96 |
21.6 |
74.2 |
|
4 |
小田善道(54期) | 46 |
42 |
88 |
13.2 |
74.8 |
BG |
5 |
麻生泰久(54期) | 49 |
45 |
94 |
18.0 |
76.0 |
|
6 |
森田克哉(54期) | 49 |
52 |
101 |
22.8 |
75.8 |
|
7 |
重岡愼哉(70期) | 54 |
54 |
108 |
28.8 |
79.2 |
|
7 |
中原敬一郎(78期) | 56 |
52 |
108 |
28.8 |
79.2 |
|
9 |
廣渡正義(54期) | 54 |
59 |
113 |
33.6 |
79.4 |
|
10 |
秋吉一久(78期) | 60 |
49 |
109 |
28.8 |
80.2 |
|
11 |
佐野和範(71期) | 56 |
56 |
112 |
30.0 |
82.0 |
|
12 |
今井 梢(59期) | 64 |
54 |
118 |
36.0 |
82.0 |
|
12 |
村上陽一 (77期) | 57 |
61 |
118 |
36.0 |
82.0 |
|
14 |
帆足光弘(59期) | 46 |
53 |
99 |
16.8 |
82.2 |
|
15 |
中原 孚(58期) | 50 |
55 |
105 |
22.8 |
82.2 |
|
16 |
武田哲也 (73期) | 55 |
50 |
105 |
21.6 |
83.4 |
|
BB |
秦 章人(73期) | 61 |
64 |
125 |
34.8 |
90.2 |
|
BM |
榎本敦子(76期) | 68 |
64 |
132 |
40.0 |
92.0 |
あっという間にハーフを終えて昼食。ここで、一杯のビールといきたいところですが、今は車で来られる方が多いため、みなさんのテーブルには水やウーロン茶のコップが並んでいます。
くれぐれも「飲んだら乗るな」「乗るなら飲むな」です。さすがです。
後半は、強い日差しの中でみなさん無事ホールアウト。懇親会に移り、結果発表。今回は第5回の記念大会で個人戦です。
新ペリア方式により、表彰は優勝、2位、3位、ベスグロ、ニアピン(全ショートホール)ドラコン(全ロングホール)、ブービーです。今回から第4位が加えられました。従来第4位の方には、東京東筑会のHPに観戦レポートを書いていただくということになっておりましたが、レポートを書くという大変な作業の割に何もないというのはいかがなものかという意見を頂戴し、その労に報いるべく、第5回から表彰の対象となりました。(ちなみに、この原稿はブービー賞を頂戴した私が書いております。)
さて、結果ですが、第4回の個人戦優勝に続き70期の大隅耕司先輩が優勝いたしました。
これには一堂、「またか」のひとことだけで、声がありませんでした。(2回続けてとはすばらしい)。なお、ベスグロは54期の小田善道先輩がゲットいたしました。懇親の場では、当番期78期の秋吉一久君、中原敬一郎君からの本年度総会の案内、ゲームを振り返ってゴルフ談義など和気諸々として時間が過ぎて行きました。
次回のげってん会は10月30日、習志野カントリークラブ空港コースで開催します。また期別チーム戦も予定しています。 「みんな、かってちゃるけ、一緒にゴルフしょうや。」
是非、幅広い期別からご参加を期待しております。東筑健児、老いも若きも、男も女も、年に2回くらい集まって、楽しくゴルフをしませんか。

東京東筑会の皆様、こんにちは。「東筑にわだま会」は主に関東近辺にご在住の東筑高校の卒業生やその家族の方々が参加するテニス同好会ですが、52期~100期以降と非常に幅広い世代で構成されることを特徴としています。
活動状況ですが、通年で3回から4回(春、夏、秋、冬季はお休み)の頻度で土曜日に行っています。場所は東京農工大学のテニスコートや、都心のテニスコートなどで行っています。そして昨年からは、一泊二日の熱海合宿も開始(再開?)することになりました。

農工大(府中市キャンパス)で行う場合の一例をご紹介しますと、午後1時ぐらいからウオームアップが始まりますが、東芝府中事業場が位置する北府中駅方面からは、白テニスウエアを着て背中にはラケットを差し込んだディパックを背負って、勇ましい姿で登場される増田浪枝にわだま会会長(55期)、吉祥寺方面からさっそうと来られ、日焼けして長身から力強いストロークを振り下ろす志田和也さん(52期)、そしてこのにわだま会の活動を暖かく見守って戴き、テニスを愛して、緩急使い分けた華麗な技をご披露される安永保昭東京東筑会会長、毎日10キロのジョギングで筑波学園都市を駆け巡り、筋トレで隆々とした肉体美をお持ちの名手・加茂陸和さん(58期)、すぐ近くにお住まいで自転車で来られ、にわだま会の重鎮の今井梢さん(59期)、遠路はるばる鹿児島から駆けつけてくださる前田滋さん(55期)、お隣の小金井市にお住まいでげってん会でもご活躍でスポーツ万能な中原さん(58期)、お仕事で世界中を駆け巡りながらも、お嬢様も連れて来られる深堀和雄さん(69期)、一度は足を故障されたものの見事に復活されて私の相談役でもある田中比昌子さん(七〇期)、そして熱海合宿を企画していただき、沖田中学校の先輩でもある横川弘さん(77期)、農工大で唯一見つけた東筑出身の稲田征治君(91期 彼は環境問題に取り組む博士です)、それと2~3人の農工大生もご一緒させていただいております。また圧倒的な強さをお持ちの西郷忠雄さん(53期)、小川哲朗さん(58期)や永田晋さん(68期)、高崎直木さん(70期)も重鎮の方々です。
白熱したプレーは午後の炎天下の中でも繰り広げられ、年齢層が上がれば上がるほど諸先輩方のテニスの腕前とストロークの強さは上昇していく現象には、本当に驚くとともに、諸先輩方の偉大さにただただ圧倒されてしまう次第ですが、現役時代に各界で華々しいご活躍の原動力となったのは、きっとボールに喰らいつき、そして思い切りボールを叩く体力と気力、そして思わぬところにボールを落とす機転もきっとその要因なんだろうなあと思い、一打一打を尊敬の念を持って拝見しています。
プレーの後は、近くの銭湯か府中駅近辺の天然温泉にゆっくりと浸かり、サントリー府中工場から直送された生ビールで乾杯!といった感じです。
昨年11月2日(金)~3日(土)にかけては、12名の参加者で熱海テニス合宿を行いました。第1日目は午後にホテルに到着後、直ちにラケットを持ち夕刻までテニスを堪能しました。その後は風光明媚な環境に囲まれたホテルの温泉で汗を流し、夕食会へ。和洋折衷の会席料理に加え、ウニ、アワビや鮮度の高いイサキなどの舟盛りを堪能し、美酒のお代わりもはずみました。
様々な分野でご活躍されてきた、または今ご活躍の諸先輩方と、テニスという場を通じて交流できることは、誠に貴重な機会であり、世代を超えたすばらしきコミュニケーションを体験させていただくことには、ご参加される方々へ深謝申し上げたいという気持ちです。今後も「にわだま会」に多くの東京東筑会の皆様方がご参加くださることを心よりお待ちしております。
卓球や輪投げなどをひとしきり嗜んだ後、二次会は芋焼酎で12時過ぎまで宴会。教訓めいたお話もありましたが、学生たちも喜んで話を聞いていました。翌朝は朝露の立つ早朝からテニスプレー開始。
朝食後から正午まで、紅葉に包まれ、海を見下ろすコートで時間の限り走り続けました。その後は熱海駅で解散。本当に充実した合宿でした。

1.発起人の語り(経緯.趣旨.意向)
馬場裕二 (53期)
◎皆様、鎌倉をどれくらい知っていますか。東筑53期の仲間は高校時代に日本史を選択した者でも教科書で知った知識、小説、歴史書、映画、新聞等で知った知識くらい。北九州に生まれ、育ち、上京後も時々友人や親戚が上京時に訪れる程度で詳しいわけが無い。
◎同期会で知り合った仲間で、在鎌倉30数年の波田氏を見つけ、65歳を過ぎた仲間達から鎌倉を案内しろとけしかけられ散策会が誕生したのが平成16年春。波田氏は、とにかく良く知っています。「吾妻鏡」(鎌倉時代の古文書)に基づいた歴史と事実の検証に30数年かけています。
◎この会のモットーは
「鎌倉の歴史・文化を毎回テーマを持ち楽しく学ぶ
」
テーマ例:神社・仏閣、頼朝・義経、北条家、日蓮、花(四季)、切通し(7箇所)、井戸(10箇所)、名水(5箇所)等々
◎身近な鎌倉で、日本の武家政治社会の宗教、建築、歴史等の古事をじっくり学ぶと高校時代に一週間で学んだ鎌倉時代の歴史が如何に浅かったかと反省し早速、日本史の本を買いに走り、鎌倉時代を中心に読み直しました。
◎過去の記録と写真は五郡氏が立ち上げた53期HPに記載されています。
http://homepage2.nifty.com/55-gogo/sub2.html
◎東筑53期鎌倉散策会から「東京東筑会 鎌倉散策会」になりました。年2回(春と秋)行います。
2.「鎌倉の師」の語り
波田隆利 (53期)
一般的に古都といえば、奈良・京都があげられますが、ここ鎌倉はもうひとつの古都といえましょう。
それは治承4年(1180年)源頼朝が伊豆に旗揚げし、鎌倉入りして日本最初の武家による、政治の中心地となって江戸時代まで続いた、武家政権発祥の地が鎌倉だからであります。
古都と言われる鎌倉は、東西約2.5キロ、南北約2キロの範囲で、平地の少ないところでした。そこに幕府がおかれ武家中心の都市造りが行はれ、武家の文化が成長しました。
武家社会に戦や闘争はつきもので、戦死者の怨霊鎮魂は大事なことでした。
それで神社・寺院が沢山造られ、鎌倉で新仏教が育ちました。古来から現在まで残っている寺社あるいは、既に無くなっている寺院の旧跡を訪ねると、その裏に歴史のつながりが垣間見えてきます。
寺院や旧跡を訪ねると、よく歴史上有名な人や文人の墓などに出会います。正宗の名刀を作った岡崎五郎正宗の墓を見つけたり、正宗という名は日蓮上人につけてもらったのだという伝承があったり、また頼朝の墓の裏山には、薩摩家の祖と毛利家の祖を祀る墓が並んでおり、江戸時代の薩長の競り合いを見るような場面があったりします。
鎌倉武士は全て悲劇の結末を迎えています。頼朝の御家人は北条氏に滅ぼされ、幕府を守りつづけた北条氏は、源氏の新田義貞に滅ぼされています。これらの痕跡も見て歩きました。
53期の鎌倉散策同好会のメンバーは10人位ですが、3年前から春秋年2回寺院を中心に午前10時~午後4時30分位の割合スローペースで散策7回を数えました。専門的な話は別として、訪れる寺の来歴・時代背景・伝承など判る範囲で簡単な資料を作り勉強してきました、中世鎌倉の歴史・政治の生業が、少し判って来たのではないかと思います。
平成16年53期の有志で始まった鎌倉散策も、次回から初回に戻って視点も少々変えて歩くことになりました。健康のためにも一日一緒にあるきませんか。
◆初めは 営業活動」だった。
東京東筑会の当番幹事だった一昨年、本番まであと1ケ月と迫った実行委員会の場で、「誰か、『ひびき会』に行って営業して来てよ」と、実行委員長から声がかかった。元来、「カラオケ」は嫌いではなかったので、少しでもお役に立てればと手を挙げたのが始まりだった。
同期の男子と二人で参加させてもらったのは、表参道のカラオケボックス。誰一人面識のない大先輩を前にずっと緊張しっぱなしだったのを今でも覚えている。
◆ 営業は大成功!
この日、十八番の「天城越え」で点数を稼ごうと思って張り切っていたのだが、「僕は演歌がダメなんだよ」と高崎ひびき会会長に言われ、急遽ポップス系に路線を変えて、数少ない持ち歌を披露して、その日は無事に終了。やっぱり、役不足だったと反省していたら、なんと高崎会長を始め、多くの先輩方々から出席のお返事をいただいた。懇親会当日も、受付で声をけていただいたり、客席から手を振っていただいたり、感謝!感謝!
の一日だった。今まで、同期以外の方をほとんど知らなかった私にとって、また、新たな出会いが広がったような、そんな気持ちだった。
◆本領発揮
その後の新年会に、懇親会のお礼も兼ねて参加させていただいたのだか…「営業」という任務から関放されてとてもリラックスできたせいか、私の中の「カラオケ血」が騒ぎ出してしまい、ピンクレディーからクールファイブのバックコーラスまで、恐いもの知らずとはこの事で、とんでもないくらいはじけてしまった。少々はしゃぎ過ぎてしまったと、またまた反省していたら、先輩方は大変楽しんでいただけたようで、私この日からは晴れて「ひびき会」の一員となり、そのままのめり込んで行くこととなった。
◆ 今では生き甲斐に…
年に3回だった定例会を今年から4回として、3ケ月に一度のペースで開催している。四谷のスナックが、3時間「ひびき会」一色となる。
私は普段はその辺にいる「普通のおばさん」なのだが、「ひびき会」に参加する日は「カラオケの歌姫、花田千春」(芸名)に変身する。私は決して歌は上手くない。上手い方はたくさんいらっしゃる。だから、自分の任務はその場を盛り上げることだと思い、事前に何度もカラオケボックスへ行き、その日の勝負歌を決めて練習する。
そう!「ひびき会」は、まさに、私が一番輝いている場所。これからもこの場所、そしてここでお知り合いになれた先輩、後輩の方々をいつまでも大切にしていきたいと思っている。
◆「東京東筑会」の皆さん!
ぜひ、一度、「ひびき会」に、足を運んでみて下さい。きっと、楽しんでいただけると思います。
「歌はちょっと…」という方も、ぜひ、一度、覗いてみて下さい。私の歌を聴いていただければ、きっと自信をもっていただけると思います。「カラオケ」は度胸と心意気です。
私のようなフリーランスのノンフィクションライターやジャーナリストが、どのようにして仕事をしているか。それをよく尋ねられます。政財界の特ダネを出版社に売り歩いて仕事をとってくる怪しげな元新聞記者やトップ屋。映画やテレビドラマに登場する、そんなイメージを抱いている人が少なくないかもしれません。ひどいサスペンスドラマになると、まるで情報を金にする恐喝屋か政治ゴロのような人種として描かれている。こういうジャーナリストなどは、たいてい巨悪に殺されます。しかし、実際にはそういうフリーランスのジャーナリストやライターはほとんどいませんし、そんな輩は長続きしません。
ノンフィクションライターという仕事について寄稿を…そう依頼され、日頃同窓会活動をさぼっている罪滅ぼしのつもりで、引き受けました。東京東筑会は今年30周年を迎えられたとのこと。思えば、会の発足は私の高校2年生のときです。もちろん30年前の私は、こんな仕事をしているなんて想像もできませんでした。
高校時代ラグビーに明け暮れていた私が、岡山大学を卒業してこの業界に足を踏み入れたのは、強いていえば、新聞社や出版社は朝の出勤も自由だし、取材と称して世間で言うところの有名人とも会える、と聞かされたからかもしれません。それに、多少諷爽としているようにみえるかな、などというヨコシマな期待もありました。そうしてマスコミの世界の住人になり、いくつかの新聞・出版社勤務を経て独立したのが、5年半前の2003年1月です。
一口にマスコミといっても、新聞やテレビ、出版社に属している人もいれば、フリーランスになって活躍しているジャーナリストやノンフィクション作家、評論家や編集者もいます。
その活動ジャンルは、大きくいえばフィクションとノンフィクションに分けられるでしょう。ではノンフィクション作家やライターとジャーナリストのどこが違うのか、といえば、明確な区別はありません。新聞記者はジャーナリストです。しかし、ノンフィクション作家やライターとはいいません。単にそういうことではないでしょうか。
私の場合は、雑誌に寄稿するときはもっぱらノンフィクションライター、単行本を執筆するときはノンフィクション作家という肩書を使っています。
私自身は、週刊新潮編集部の勤務が長かったせいもあり、独立後の今も出版社の仕事が中心になっています。しかし、そう華やかな世界ではありません。
フリーのジャーナリストやノンフィクションライターは、興味のあることを愚直なくらい細かい取材を重ねる人が多い。
それをもとに雑誌記事を書いたり、単行本にしたりするわけです。取材については小説家も似たようなところがあり、フィクションもいい取材ができなければリアティのある物語は書けません。
私はといえば、決してこつこつと取材を重ねるタイプではありません。思いつくまま、取材を始め、幸運にもうまくいっているケースが多いような気がします。ただし、取材相手には、非常に興味がわきます。福岡でいえば、久留米連続殺人犯の看護婦や自民党の実力政治家たち、先頃、収監されたヤメ検弁護士の田中森一氏など、いずれも魅力ある人たちでした。
マスコミ業界は非常に狭い村社会です。私もこの世界に20年以上いるので、すっかり顔見知りが増え、お互いの情報交換という名目でたまに飲み、そのまま編集会議のような形になって、取材テーマを決める、なんてことも珍しくありません。そうして、ノンフィクションライターとして暮らしています。以下、日経新聞グループのウェブ誌「日経ビジネスオンライン」の連載記事の中で掲載している私のプロフィールを紹介します。
【ノンフィクショ ン作家。岡山大学文学部卒業後、新潮社勤務を経て独立後、政治経済事件と幅広い取材.執筆活動を展開。代表作に『古賀誠研究』『日本道路公団の闇』『官邸のラスプーチン飯島勲」研究』(いずれも 週刊新潮」)。『J A L大激震』(週刊文春)、近著『ヤメ検―司法に巣喰う生態系の研究』(「月刊現代」)が2008年第14回 雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。主な著書は、『黒い看護婦』(新潮社)、『殺人者はそこにいる』 (新潮社共著)、『サラリーマン政商 宮内義彦の光と影』(講談社)】
くだらないことを長々と書いてしまったうえ、ことのついでに著作の宣伝までさせていただきました。ひらにご容赦ください。
著者のご紹介

新潮社
「黒い看護婦」
森功著
悪女(ワル) - 同じ看護学校を出た看護婦仲間。
一見、平凡な中年女性たちは、身近な人々を次々に脅し、騙し、そして医療知識を駆使した殺人にまで手を染めていた。何が、女たちをかくも冷酷な犯罪へと走らせたのか。事件の背後には、四人組の特殊な人間関係、なかでも他の三人から「吉田様」と呼ばれ、女王然と振舞う吉田和子の特異な個性があった。戦慄の犯罪ドキュメンタリー。
2007年から2008年にかけて、世界の金融市場を席捲した「サブプライム問題」。アメリカの住宅市場の問題が、証券化という金融技術により世界中の投資家に拡散し、誰がいくら持っているかわからないという疑心暗鬼から銀行間市場での貸し渋りが発生した。そこから、イギリスのノーザンロックという中堅銀行の預金取付け騒ぎ、シティをはじめとする欧米金融機関の巨額損失や政府系投資ファンド(SWF)による出資、モノライン保険の格下げといったヘッドラインが続き、今年3月のベアスターンズの流動性危機で金融不安はクライマックスを迎えた。
ベアスターンズの救済劇では、アメリカの中央銀行に当たるFRB(連邦準備制度理事会)が主導する形で公定歩合による証券会社への貸出という大恐慌以来の緊急措置により、連鎖的破綻の危機(システミックリスク)が遮断され、金融システム維持のためには禁じ手も辞さないというFRBの確固たる姿勢が示されたことで、金融市場の混乱は最悪期を脱した感がある。しかし、サブプライム問題でアメリカ経済の失速懸念が強まり、かつ、景気浮揚のために大胆な利下げを断行したことで、外国為替市場ではドル売り圧力が強まり、これに連動する形で原油・貴金属・穀物等の商品市場では価格の急騰が見られる。日本でもガソリン価格の高騰が市民生活を直撃しつつあるが、途上国では食料品価格の高騰は飢餓という生命に直結する問題だけに、暴動に発展し兼ねない深刻な問題となりつつある。
私は若い頃にアメリカに留学する機会を得て、また、小泉内閣の特殊法人改革で住宅金融公庫の廃止と独立行政法人化の方向が決定し、国民に直接融資を行う業務から撤退して民間金融機関が長期固定金利の住宅ローンを供給するのを支援する証券化支援事業を立ち上げるに際し、アメリカのファニーメイ(連邦抵当金庫)に派遣された経歴を持つ。このことから、「アメリカの住宅市場」と「証券化」両方に詳しい専門家として、サブプライム問題について、各方面から講演を依頼されるようになったが、その流れの中で濁協大学の倉橋教授から共著のお誘いを頂き、この4月に中公新書「サブプライム問題の正しい考え方」を上梓した。
サブプライム問題を扱った書籍は昨年後半から既に数十冊出ているが、その中で4月に出版されるや、丸の内丸善や八重洲ブックセンター等の売り上げ上位にランクされ、初版発刊後僅か2週間で増刷される運びとなった。このことは「サブプライム問題」がまだ世間の関心の高い事項であることを示唆しているが、同時に、「アメリカのバブルが崩壊した」「ドルは暴落する」「証券化は詐欺だ」といったセンセーショナルな見出しで歓心を煽るのではなく、データを詳細に分析する中で、アメリカの金融市場の現実を誠実に記したことが評価されたものと認識している。
アメリカの市場が混乱して欧米の巨大金融機関が損失を計上し、大規模なリストラが断行されているのは事実である。ただ、敗戦国日本として、アメリカの不幸を喜ぶ人が多いのは事実で
あろうが、そのような島国根性では何度でもアメリカに負け続けるだろう。
アメリカの強みは開かれた国であるということである。それは単に世界に巨大な消費市場を関放している点に止まらず、毎年百万人程度の移民を受け入れ、新しい活力を呼び込んでいる点にある。日本は既に人口減少社会に転じているにもかかわらず、移民の受け入れは勿論、少子化対策についても高齢者対策と比較すると心許ない。少子化については「生まれてこない」子供は票にならないので政治問題化し難い(注)が、人口が増えなければ日本の未来は厳しい。まして、証券化が問題だと批判して金融工学を否定するようでは高付加価値の知的立国など夢のまた夢である。
日本人には、日本が沈没するのならこの美しい国土と一緒に死んでも構わないという「滅びの美学」があるが、アメリカはプラグマティズム(実利主義)の国なのでそんなロマンチストはまず存在しない。一時的に景気が減速することはあっても、万策を講じて問題を克服して世界経済の主に復権しようとするモーメンタムがアメリカにはある。翻って、日本では国の先行きの展望が見えず、住宅ローン市場ではサブプライムで問題となったような目先の金利の低い変動金利型の商品が蔓延している。アメリカがデタラメな国だと言う前に、自国の状況を今一度よく見直し、サブプライム問題を「対岸の火事」と捉えずに「他山の石」とすること、それが一番の課題であろう。
(注)高齢者は自分に不利な政策変更があれば反対票を投じることができることとの比較においてという意味。
著者のご紹介

中公新書
「サブプライム問題の正しい考え方」
倉橋透著/小林正宏著
世界金融を不安定化させているサブプライム問題。銀行、証券会社などが巨額の損失を計上し、動揺が広がっている。
アメリカ経済の減速が明らかになるなか、円高や、原油・原材料の高騰が追い打ちをかけ、日本の経済にも不気味な影が落ち始めた。
アメリカの住宅ローンの仕組みに遡って、この問題の根源を洗い出し、影響を拡散させたと言われる「証券化」に関しては、明快な分析を試みた。日本は何を教訓として汲むべきか。
DVD
「チェスト!」
ポニーキヤ二オンより発売中
生粋の薩摩っ子・吉川隼人は、やんちゃで正義感が強いクラスの人気者。
「負けるな!嘘をつくな!弱いものをいじめるな!」という鹿児島伝統の郷中教育の魂を受け継いだ彼にも、たった一つだけついた「ウソ」があった。それはカナヅチだということ。毎年夏の水泳大会を仮病を使い休んでいた彼だったが、小学生生活最後となる今年は…。
マドンナ先生とお調子者の子供たちの、心の成長を描くグローイングアップムービー。
「日本映画エンジェル大賞」受賞作!
監督… 雑貿俊郎 (76期)
■出演…松下奈緒/高嶋政宏/高橋賢人/御厨響一/中嶋和也/宮崎香蓮
■原作…登坂恵里香
■音楽…松下奈緒
★特典映像=羽田美智子と大坪千夏の鹿児島二人旅/遠泳メイキング
/主題歌「流れる雲よりもはやく」メイキング他
| 学生部企画記事 |
| 早稲田大学に変わり者がいるらしい。彼は、なんと自転車で日本を一周してきたという。是非詳しく話を聞きたいものだが、先ずはその「日本見聞録」の序章を会報で紹介する。 |
よく長旅から帰って来た人が『自由とは云々…』なんてカツコいい台詞を言ってますが、僕はそういうカツコよくは表現できません。予めご了承ください。
旅の間いろんな事を考えたり、いろいろな発見をしたり、いろんな人に出会ったりしました。ですが『コレはこうだ!』とか『自由とは!』とか『人生とは!』なんていう壮大な問いに対して結論が出たわけではありません。
ですが、発見した事が大きく分けて二つあります。僕が日本を駆け巡って発見した事は
1.『世界はデカい』
2.『何でもアリ』という事です。
1.『世界はデカい』
日本中を駆け巡って、いろんな人、自然、景色、食べ物に触れたりするのに2カ月もかかったわけです。世界中のそれらに触れる事に何年必要なのか…つて考えると世界はデカく、日頃目にしている世界がいかに狭いかがわかりました。それに、宇宙から僕を見たら、小さな一人の男が地球の小さな島を一周しただけに過ぎません。
2年後、次は世界一周です。
2.『何でもアリ』
まず、簡単に説明すると『みんな違ってみんないい』という事です。
今までの僕は、周囲の人間の多様な個性を受け入れる器が小さかったんだと思います。『みんな違ってみんないい』 そういう事をこの一言にセンスよく集約した金子みすずは、天才です。
『あの人は絶対こんな性格や!』なんて決めつけるのは良くない、『自分とちょっと違うだけ』『あんな人間だっている』そう考えると楽になるし、慣れない人や集団のなかでも順応しやすいと思います。
この二つの発見は特に有益なものになりました。正直『わざわざ日本一周してこんな発見しなくても…こんな事は当たり前…』なんて思う人もいるかもしれませんが、これらは心から『実感』した上で出した結論なので、僕にとっては軽々しいものではなく、大切にしていきたい発見・教訓になりました。
『食べ物は無駄にしてはいけない』
『健康が第一』
『出会いは自分から作りにいく』
『日本の食べ物は最高』
『ポイ捨て禁止』…etc
当たり前のこと・モノは実は当たり前ではないということ。全てが貴重であり、全てに感謝するようになりました。
そして凄くいい経験になりました。正直キッかったし(笑)、『電車使おうかな…』なんて考えるときもありました。吹雪の中や冷たい雨の中誰もいない道を進んでいるとき、何もかもが嫌になったりしたし、猛烈に寂しくなったりしました。ですが僕は猛烈に運がいい男だと思います。いろんな人やいろんな偶然に助けられました。メールでの声援や罵声が支えになったりしました。ありがとうございました。
旅の総括としては短く、支離滅裂な文章かもしれませんが、こんな感じで終わらせていただきます。
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歴代役員一覧表 (略)
会務報告 (略)
東京東筑会会則 (略)
東京東筑会会報 第26号 平成20年10月1日発行 編集長:三好尊信 発行人:安永保昭
発行所:東京東筑会事務局
第26号
(2008年 平成20年10月)

30周年記念号