■目次■


  会長挨拶
  監査役就任のご挨拶
  第一回「あずみ会」
  現役高校生派遣事業
  もうひとつの懇親会企画
  この指とまれ
     げってん会
    東筑庭球会
    ひびき会
    竜昇会
    小龍会
  53期・鎌倉散策
  63期・還暦旅行
  49期会便り
  5・8倶楽部
  多士済々
  2007年度 懇親会のお知らせ
  寄稿
    耳田容子(102期)
    田中暢子(88期)
    髙橋遵永(90期)
  夢(学生部による編集)
  関西東筑会懇親会
  会務報告 


 

会長挨拶   東京東筑会に参加し楽しもう / 会長 安永保昭(53期)

 

1.皆様のご支援に感謝。

 一昨年(2005年)度スタートした執行部も3年目を迎えましたが、この2年間に会費を納入頂いた方が、2004年度の595から680さらに842へ、また懇親会に出席頂いた方も257から379さらに401へ増加するなど、会員の皆様の大きなご支援を頂き、会の活性化への動きを進めることができました。この様な皆様の大きな支援に心から感謝申し上げ、今後も一層のご支援をお願い申し上げます。
  ただこの間、システム上の不備で、会費納付済みの方への振替用紙の送付などに因り、88件もの重複納付会費が発生致しました。すでにシステムの対応も済ませ、重複納付会費についても、会の規則では「過年度分と見做して差し支えない」とあるものの、今回はご意向をお聞きし返金などの処理をさせて頂きましたが、多くの方々が寄附してくださいました。心からお詫びとお礼を申し上げます。

2.活発化した活動と増した楽しさ。

 昨年(2006年)度も執行部は引き続き「東筑の絆の拡げ深める」ことを目指しましたが、会員の皆様の会の運営や行事への参加も増え、その活動はさらに活発化し、その楽しさもさらに増したのではないかと思います。
  『懇親会』は76期の知恵と熱意で楽しく密度の濃い内容と史上2位の出席者数が実現され、またその模様はネット配信もされました。その際初めての試みとして先輩方の長年にわたる貢献への感謝と若い世代への期待をこめて「75才以上と学生の無料招待」を実施しました。
  『会報』、『HP』、『東筑フォーラム』、『現役生東京研修支援』などの事業も事務局長はじめ担当スタッフの方々の献身的で積極的な努力と多くの方々の運営への参加で内容的にもさらに充実しながら実施されました。
  『同好会』などもお世話下さる方々のご努力で多くの会が立ち上げられ、その参加者も増え活動も活発化しています。さらに新しい会や講習会(勉強会)などの動きもあります。
  『財政基盤の健全化』についても「会費収納数のアップ」などで引き続き収支黒字が実現され、まだ会の安定的な運営には充分とは言えませんが、剰余金残高も2004年度の283万円が337万円さらに412万円にまで増加しました。

3.更なる発展を目指して。

 本2007年度もこれまでの2年間と同じく、『東筑の絆を拡げ深める』ことを目指しています。そのために『懇親会』、『会報』、『HP』、『東筑フォーラム』、『現役生の東京研修支援』などの事業のレベルアップは勿論のこと、『同好会』などの活動の活発化を推し進めています。さらに会の将来を見据え『若い世代の開拓』にも重点を置き、その一環として「新社会人歓迎激励会(あずみ会)」が開催されましたが、会の事業として今後も継続することを期待しています。また来年迎える『東京東筑会三十周年の準備』にも取り組んでいます。これらの活動の基盤として『財政の健全化』を進め剰余金残高500円を目指していますが、会の収入は大口寄付金や広告料あるいは事業収益などに頼ることはせず、会員の皆さんお一人お一人の貴重な会費で会の運営を行うことを基本にしています。

4.積極的な参加で“楽しもう”。

 これらの事業や活動が「東筑の絆を拡げ深め」、会員の皆様の楽しみ、癒し、活力の再生などにつながればと念願しております。そして皆様の参加がそれらをさらに活性化させ、会の楽しさを増大させます。多くの会員の皆様には会費で会を支えて頂くと共に、運営や行事・同好会活動への参加などで会の楽しさを是非味わっていただきたく、東京東筑会への積極的な参加をお願い申しあげます。

 本年度も執行部の方針にご理解を賜り、引き続きご支援・ご協力とご参加をよろしくお願い申し上げます。
 

安永会長

 

安永保昭


1937年、折尾生まれ。則松小、折尾中出身、九州大学法学部卒業。化薬アクゾ株式会社の社長を2001年に退任。


趣味は、美術館、庭園巡り。スポーツ好きで、ゴルフは月に2~3回、そして週に2回か3回、テニスコートで汗を流している。
東京東筑会では、昭和61年に会計監査、平成7年より副会長を勤め平成13年に退任。多くの推薦を受け、昨年度より会長に就く。

 

 

監査役就任のご挨拶 / 大井恭二(62期)


2007年4月26日の総会において、監査役への就任を要請され受諾する事になりました62期の大井恭二です。前任の築地先輩(55期)の後を受ける形となりますが、永田監査役(67期)と共に微力ながら東京東筑会の運営に参画させていただきますのでよろしくお願いいたします。


  私は1968年、竹中工務店に入社し、ずっと大阪勤務(設計部・技術部・作業所他)でしたが、その時点では関西東筑会の存在を認識していません(情報もなく教えてくれる人もいませんでした)。
  1988年6月に、東京への転勤を命じられ(作業所・設計部・品質監理部他)その折りに東京東筑会の存在をはじめて知りました。その頃の我々62期の期別幹事は青野勲君でしたが、同窓会の当番期になった頃(1992年)からなんとなく小生が期別幹事・実行委員長をやらざるを得ない状況となり、はじめて東京東筑会の催しに本格的に参画する事となりました(1992年:時点では、62期生は46歳位です)。


  早いものであれから15年が過ぎまして、会社人生では定年をむかえ、現在は株式会社ミクニという小さな建設会社に勤めながら、一方では田舎の大學にて非常勤講師(職業能力開発総合大学校にて建築施工を週一回講義)をし、頭がボケないようにしています。
  幹事会等では、皆で知恵を出し合って会が盛り上がるように努力していきたいと思いますので重ねてよろしくお願い致します。

 

大井監査役

 

大井恭二

 

1946年生まれ。黒崎小、陣山中出身。熊本大学建築学科卒。
株式会社竹中工務店へ入社後、1988年まで大阪勤務し、その後上京。

今年、同社を定年退職するとともに、これでのスキルとノウハウを活かし、株式会社ミクニへ入社。
趣味は、仕事以外すべて。魚釣り、自転車、ゴルフ、スポーツ観賞、山歩き他と、多彩である。


 

    明日を見る      第 一 回 「あ ず み 会」      若者たちを
       激励す

 

 

東京東筑会は去る6月16日、「新社会人」ならびに「新たに関東地区に転勤された社会人」、 「東筑100期生までの大学生」を激励する第一回『あずみ会』を盛大に開催。多くの同窓生が、 東京東筑会の新会員としてあらためて迎え入れられました。
「あずみ会」は、これから毎年開催される予定です。若い後輩たちを激励するために、ぜひ来年の 「あずみ会」にお集まりください。

太古、北部九州で海運を司っていた安曇族が東進し定住した所が、信濃安曇となったといわれています。
この安曇野一帯の長野県東筑摩郡(ひがしちくまぐん)、地元では「東筑」(とうちく)と呼ばれているそうです。
「明日を見る」から転じて「あずみ」。 そして、遠くの山々を見晴らす「安曇(あづみ)」。
東京東筑会の新しい催しの名前を、ぜひご記憶ください。

 

第二の故郷「東京東筑会」 /  江藤 啓司(101期)

江藤啓司

 私は今回初めて東京東筑会に参加したのですが、東京東筑会を一言でいうと「第二の故郷」です。東筑のDNAを受け継いだ先輩方や後輩が集まり、高校時代の話や東京では誰もわからないような地元の話で盛り上がりました。
  参加する前までは、知らない先輩方と交流を深めることに不安もありました。しかし、同じ高校で三年間青春時代を過ごしてきたので共通の話題があったり、普段できない地元の話や懐かしい北九弁で思わず笑ったりしてすぐに打ち解けることができ、楽しい時間を過ごすことができました。先輩方の前で自己紹介をする時間があったのですが、皆様がとても笑顔で迎えてくれて、緊張することなく挨拶することができました。

皆様を笑わせようと冗談を言ったときに、「しゃーしい。」と笑いながらつっこんでくれた先輩がいらっしゃって、とても懐かしくうれしかったです。東筑会は昼に終わったのですが、終わった後も多くの先輩達と杯を交わし、気兼ねなく話すことができ、とても幸せな一日を過ごすことができました。
  東京東筑会に参加して一番感じたのは、始めにも述べましたが、東京にも地元のように帰れる場所があるということです。東筑会には多くの先輩方がいらっしゃるので、経験豊富な先輩方からアドバイスをいただいたり悩みの相談にのってくれたりします。まだ社会人になって数ヶ月なので不安に思うことや悩みもありますが、先輩方から多くのアドバイスや励ましの言葉をいただき、社会人として日々精進していこうという気持ちになることができました。
  これからまた東筑会が開催されますが、積極的に参加して先輩後輩の輪を広げていこうと思います。将来的には先輩から受け継いだ東筑DNAを後輩へ受け継げるように成長していきたいと考えています。

 

「あずみ会」に参加して /    安部 瑛利子(101期)

安部瑛利子

 先輩のみなさん、こんにちは。101期の安部と申します。
  先日行われた新社会人歓迎会「あずみ会」に新社会人として参加させていただき、私も本当にひとりの社会人になったのだなと改めて実感することが出来ました。
  というのも、私は入学したての一年生のとき、二〇〇一年の第一回目の生徒派遣事業で東京へ生まれて初めて行き、本当に多くの刺激を受け、出来ることなら東京で働いてみたいという思いを胸に抱きました。大学三年生になり、就職活動を始めようかというとき、福岡でこのまま残って地元就職をするのか、東京で就職するのか迷った時期もありましたが、東京で出会った、素敵で優しい先輩たちのように自分も都会で自己実現をはかり、また、その姿勢を持って後輩たちに刺激を与えられるようになりたいと思い、東京就職を決意しました。

派遣事業で受けた影響は、自分でも気付かないうちに、胸の奥底でかなり大きなものだったようです。元々チャレンジ精神が旺盛で、何事にも果敢に挑む性分ですので、様々な企業の最前線で働いていらっしゃる先輩方の姿を見て、自分も、この日本の中心である東京で働くということを意識し、漠然とではありますが将来こうありたいという未来像を持って学生生活を送れたと思います。
  まず、外務省や国会議事堂といったところへ行かせていただいたことは本当に私の中で大きく影響を受けました。一年生のころでしたので、文系・理系どちらに進むかというときに、私は迷わず文系の道をえらび、法学部へ進みました。高校生の頃からITの仕事に興味を持っていたのですが、この研修を通して、ただ自分の興味のあることだけに邁進するのではなくて、まずはこの国を支えている法律を学んでみたいと思う大きなきっかけになりました。そして、各企業への訪問でも、具体的に「働く」ということを考えるきっかけになったと思います。また、そのようなところでご活躍されている先輩方は、誇らしくあると同時に、自分もいつかこんな風に胸を張って仕事をしたいということを強烈に感じたことを今でも鮮明に覚えています。
  大学で法律を学ぶ傍ら、法律だけにとらわれず、少しでも興味のあることは更に勉強したり知識を深めたりし、また、目指していたIT企業への就職も念頭においてプログラムなどの勉強もした結果、今年の春、念願叶ってSE(システムエンジニア)になることが出来ました。金融系のIT企業なので、今まで勉強してきた知識や関心も活かし、更なる自己実現に向けて頑張ろうという思いでいっぱいです。
今度は私が後輩たちに東京で働くということ、目標は大きく持って、しかも初めから無理だと決め付けずチャレンジして自分の可能性を広めることの楽しさ、素晴しさを、身を持って伝えていければと思います。
このような素晴しい機会を与えてくれた高校と、先輩方には本当に感謝しても感謝しきれません。「あずみ会」ででも、皆さん気さくで、あたたかく、東京という、福岡から遠く離れたところでも、心強く、ほっと安心できる場所がここにはあるということがとても嬉しかったです。
本当に東筑に行って良かった!と思っています。
いろんな分野で、いろんな世代の先輩方がここで頑張っているということを励みに、今後ともこの場所で一生懸命頑張っていきたいと思っていますので、皆さんどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

現役高校生派遣事業  ~ 研修協力と歓迎会を実施~

 

18年度研修 現役高校生派遣事業は、東筑高校が毎年3月に行う、選抜された新2年生による国内研修です。東京東筑会は、東京滞在中の見学スケジュールを作成して生徒たちを引率するなど、研修をより実りあるものにするために全面的に協力しています。
  今年の東京での研修は、3月27日から29日の3日間で行われ、多方面で活躍する東京東筑会会員の協力により、生徒26名と教師2名を、東京大学本郷キャンパス、NHK、国交省、国会議事堂、最高裁判所、博報堂、第一生命、資生堂、マガジンハウス、出光美術館などに案内。28日の夜には、約70名が集まり、盛大な歓迎会を催しました。
  これらの様子は、今回の引率教師であり、同窓生である神原さん(90期)の原稿に詳しく書かれています。
  今後も東京東筑会は母校発展に寄与するために研修協力を行い、現役の東筑生たちに、東京ならではの素晴らしい刺激を与えていきます。

 

「東筑高校卒業生としての絆」  / 元 東筑高等学校教諭 神原 顕一郎(90期)

神原顕一郎 

3月26日に小倉駅改札口前に集合した私は、生徒たちと同様いささか緊張と期待とそして不安を胸にしていました。生徒達をきちんと京都・東京まで連れて帰ってこられるであろうか、東筑会の先輩方に粗相のないようにご挨拶できるであろうかという緊張。普段教員生活をしている中で経験できないことが待っていることに対しての期待、そしてこの派遣事業の引率を最後に五年間の母校での勤務が終わり、4月から新しい学校(鞍手高校)への転勤が決定していたことへの不安です。これから先に学校生活、受験が待っている生徒に対して、去ることが決まっている私が何を言えるだろうか、言いっぱなしで終わってしまうことが無責任であるのではないかという思いと、やはり最後に職員として、また東筑高校の先輩として彼らのために最後まで色んな事を伝えきらなければならないのではという思いが交錯していました。そういう思いをよそに「のぞみ10号」は小倉を出発し、派遣事業が始まりました。

 

 今回の派遣事業で学校側の窓口としてお世話になり、しかも私の恩師である(!)平田龍司先生(69期)からは「全部話がついているから、行ったら全部(関西・東京東筑会が)やってくれるから心配するな」とおっしゃっていた通り、派遣事業全体を通じて、1日目は関西東筑会、2日目からは東京東筑会の皆さんにお世話になり、我々引率は本当に甘えてばかりでした。

関西東筑会では京都大学の案内を卒業式の当日という非常に慌しい中で学生の皆さんがしてくださり、夜の「樽八」での歓迎会は本当にリラックスした雰囲気の中で美味しい食事をご馳走になることができました。
また、関西東筑会事務局長の富永純二先輩(66期)からは生徒達に気合を入れていただき、校歌も3番まで歌うといった貴重な体験もさせていただきました。
歓迎会の時に、関西東筑会の皆さんは「東京東筑会は人数も多いし、組織的にきちんと案内もしてもらえる。盛大に歓迎もしてもらえるよ」とおっしゃっていました。実を言うと私と引率を行なった児玉幸子先生は出発前に、東京ではわからないなりにルートや段取りをもう少し細かく考えておいたほうが良いのではないかということを話していたのですが、2日目に東京入りするとそうした心配はまったく無駄であることがわかりました。

 東京で最も印象的だったのが、3日間を通じて欠かすことなく東筑高校の卒業生の皆さんが私達のために様々な面で骨を折ってくださったことです。二日目の東京駅到着のホームでは事務局長の結城謙吾先輩や上野大和君(101期)に出迎えていただきましたが、最終日、東京発の新幹線に乗る直前までずっと東京東筑会のどなたかが側について下さった事でとても安心でした。
また、訪問した先々で東筑の先輩方や後輩の皆さん(圧倒的に私から見ても先輩が多かったのですが)にはわずか1、2時間かそこらの訪問でしかも予備知識もそれ程ない1年生(現2年生)のために多くの労力を費やしてくださり、心のこもったメッセージを生徒たちに投げかけて下さいました。
生徒たちは次から次へと多くの実績を残している先輩方にお会いし、その先輩方から力のこもった、愛情のあふれる言葉をかけていただくことで入学して初めて、東筑高校がいかにすごい学校なのか、東筑高校の生徒であることがいかに素晴らしいことであるのかということを肌で感じていたようでした。私自身も今回は本当に東筑高校の人間関係の深さ、卒業生の質の高さを実感しました。研修先の一つ博報堂では、説明をしてくださった先輩が、実は私の高校時代のサッカー部の山本先輩(88期)であったという思いがけない再会もありました。
また、私自身にとっても、歴史や公民を教えているのですが、めったに見ることができない物を見ることができたり、もう一生入ることはないだろうなという場所に入らせていただいたりと、教員として勉強になることも多い研修でした。特に国会議事堂・第一生命マッカーサルーム・最高裁判所大法廷では生徒の引率を忘れ、今から思うと大人気ない行動をとってしまったのではないかと反省しています。

 東京での研修で圧巻だったのが3日目の歓迎会でした。安永会長はじめ実に80名近くの先輩方が私達を歓迎してくださり、本当に驚くと同時に改めて先輩方の後輩に対する気持ちの強さを感じることができました。まるで以前から知り合いであるかのように私達に声をかけていただきました。私が会場に入り、所在なげに立っていると声をかけてくださったのが、この度郵便事業CEOに就任される北村憲雄先輩(59期)でしたが、歓迎会全体を通じ立場や年代を超えて仲間として迎えて下さる先輩方の懐の深さを感じました。
また、木元伸一先輩(77期)作成のビデオにあった「東京へ来い」というメッセージは確実に生徒たちに伝わりました。生徒はこの研修を通じて関西や東京に出て来たいという気持ちをかなり強くしたようです。ある生徒は歓迎会の帰りに地下鉄の駅まで歩きながら、「成績はまだまだだけど、勉強して東京の大学へ行きたい」と私に話してくれたのが印象的でした。

 歓迎会では私が東筑高校で教えたかつての生徒達と再会を果たすことができましたが、何より貴重であったのは、同期の90期の仲間とこの場で旧交を温めることができたことでした。高橋遵永君は同じサッカー部で今でも年に一・二度は会って一緒にボールを蹴ったり飲みに行ったりする間柄ですが、1年次同じクラスでバスケットボール部の佐野剛仙君、そして早稲田大学ラグビー部監督の中竹竜二君とは本当に久しぶりの再会でした。
佐野君とはいつか飲みに行こうと約束をして高校を卒業し、今回ようやくその機会を持つことができました。中竹君とは1年次・3年次で同じクラス、2年次は二人とも体育委員で授業連絡をいつも一緒に行っていたこと、私がサッカー部の主将で彼はラグビー部の主将でグランドの隣同士で練習をしていたことなど高校時代は本当に縁が深かったのですが、高校卒業後は次第に縁遠くなり、今回再開するのは実に約十年ぶりでした。会うことのできた時間は限られていましたが、顔を会わすと「よう」と声を掛け合う、本当にそれだけでこの十年間の穴を埋めることができた気持ちになり、同じ東筑高校で3年間という時間を共有できたことの絆の強さを感じることができました。

 100周年をきっかけに始まったとされる生徒派遣事業は、現在の形になって今回が2回目です。昨年度の生徒も、今回の生徒もこの研修を通じて非常に「成長して」学校に戻ってきます。学習や学校生活に対するモチベーションがとても上がります。同じ東筑高校の卒業生として、職員としてそうした姿をとても頼もしく思います。それも東京東筑会をはじめ先輩方の皆さんの献身的なサポートがあってこその事です。
私は残念ながら東筑高校を離れることになりましたが、今回の研修に参加した生徒たちが恐らく2年後に東京の大学に入学することになると思いますので、その時は今回と同じようにご指導いただきたいと思いますし、是非これからも後輩たちに高い志を持たせるためにも、これまで通り厚い援助をいただきたいと思います。東京東筑会は東筑高校の卒業生の絆を確かめ合える貴重な会であると思います。
これからも益々当会が発展されるようお祈りして研修の報告とさせていただきます。
本当にありがとうございました。
 

 

もうひとつの懇親会企画
     

   「もう一度、あの頃の授業を受けたい…。高校生に戻った至福の時間」

                                          徳成旨亮、飯田章子(76期)


76期企画

私たち76期は、2006年11月に開催された東京東筑会懇親会の当番期として、春から本格的な準備活動を開始した。膨大な準備作業に同期の皆が、気が遠くなりそうな気分になっている中、「自分たちへのご褒美が何かあれば頑張れるのになぁ」という声が誰からともなく湧いてきたのは自然な事だった。
そのおぼろげな希望が形になってきたのは、懇親会にお招きする恩師を決めるための議論を実行委員会で行った時。お招きする先生を投票で決め、誰とはなしに「先生の授業をもう一度受けてみたいねぇ」という話になった。
恩師3名のうち、原田テルミ先生は東筑の先輩で専攻が音楽という事もあり、前日の懇親会でメイン企画のひとつとして美声を聴かせていただく事にして、白石純一郎先生(国語)と吉田克己先生(世界史)には、76期のために懇親会の翌日に『特別授業』をお願いしよう!衆議一決、そう決まった。
そうと決まると、何にでも凝るのが76期。

「授業の開始には、チャイムは絶対やね」「そうやね。壁には、時間割も欲しいね」
「黒表紙の出席簿も作って、先生から当ててもらうっちゅうのはどうやろうねぇ」
「答えられん奴は、立たされたりしてね(笑)」「起立・礼の号令をかける学級委員も決めないかんね・・・」「なんか大事なモン、忘れとらぁせん?」「あっ、早弁するための(?)弁当やね」「かしわ飯、食いたくない?」と出るわ出るわ、この歳になっても先生の授業を受けたいなんて、何と真面目で前向きな同期たちなのだろうと頼もしい限り!
こうして、懇親会の企画チームとは別の企画チームが組成されたのである。

そして2006年11月4日、前日の企画満載の懇親会と同期打ち上げの余韻も覚めやらぬ中、1時間目の「世界史」の授業が始まった。チャイムの音と共に克っちゃん先生が登場。昔と変わらない学級委員の起立・礼の号令が発せられると克っちゃんは、「おぉう!」と一言。その瞬間、私たちの『クラス』は30年程前に一気にタイムスリップした。
穴埋め式手書きプリントを使っての中国史の授業は、当時のままが再現されて、皆の表情が一言一句聞き逃さないようにと、どんどん時間を超えて高校生に戻っていった。
授業後半は、先生はこの夏まで中国へ語学留学されており、若い学生に混じっての異国の地での学生生活は並々ならぬものだと想像するに、それを楽しみ、学生としても結果を出すという意志の強さ。体験に基づくバイタリティある話をされ、私たちをどんどん惹きつけていった。先生は「教え子たちの前を常に歩いていたい」という信念と自負を持ち、一度やると決めた事は徹底的にやり遂げるという姿勢を今も貫いてらっしゃる。人生半ばで、どうかすると息切れしかけている中年教え子たちは、「人間 吉田克己」に再び触れることができ、深い感動を与えていただいた。

1時間目は国語。「杜甫がトホトホ、歩いとったわけやね!・・・はい」
白石先生の名調子の授業は健在だった。今回は「古典にみる日本文化」というテーマ。
先生は、日本文化の根底を縄文に求められ、自然への崇拝や一体感が、後に弥生文化との融合を経て「無常観」という日本固有のしたたかとも言える感覚に醸成されてきた過程を「徒然草」「閑居の友」「城の崎にて」などの文学作品を引き合いに出されて解説された。これは、いじめや自殺などの社会問題を抱える現代の私たちにとって、日本人として個々人の中に持っている縄文遺伝子を今一度見つめ直してみることが問題解決のヒントになるのではないか、というメッセージを下さったのである。
前日の懇親会とその後の二次会で殆ど寝ていなかった76期生だったので、授業中に寝てしまうのではないか、と心配していたが、大学でも教えられていた白石先生の名講に、授業を受ける同級生の態度は真剣そのものであった。
二時間の授業を終えて、「あぁ、あの頃ちゃんと聞いとれば良かったとにね…」というのが、授業を受けた『中年生徒』の一致した感想である。

吉田先生白石先生


(早弁をする間もなく?)授業も終わり、待ちに待った昼食。
なつかしい味『かしわめし』を食べたいという希望を、可愛い後輩のためにと東筑軒の先輩が快く受けて下さり、折尾からの空輸が実現したのである。皆で先生を囲んでワイワイがやがや、色んな話に花が咲き、あっという間にフライトの時間が近づいてきた。最後に先生に寄せ書きを渡して記念撮影。両先生が何度も「東京へ来てよかった、ありがとう」とおっしゃって、少し涙ぐんでおられた姿をみて、私たちにもこみ上げるものがあった。

先生方には、北九州から東京へ来ていただくだけでも大変な事であり、その上授業までをお願いした事で準備も含めて大変なご負担をお掛けした事と思う。それでも、教え子たちの熱意を快く受けて下さった事に、改めてこの場をお借りして感謝を申し上げたい。
先生~私たち、マジメに授業受けましたよ!そして、先生たちの思いを受け止められるくらいオトナになりました・・・・・・。
ふと気が付くと虎ノ門の空は夕焼け。異次元へほんの少し旅をして十七歳の自分に会ってワープして現実へ戻って来た、そんな至福の時間であった。

最後に、当番期は多くの同期との再会、新しく先輩後輩との出会いがあり、改めて「東筑DNA」を感じる節目であった。徹底的にとことんやる76期の気概を見守っていただきありがとうございました。
 

 

この指とまれ!   ますます盛んな 東京東筑会の同好会活動

 

ゴルフ同好会 「東京東筑げってん会」

    フコウな人、シアワセな人~平成19年7月1日げってん会    木元伸一(77期)

フコウな人
  「会報への投稿は、順位によって決定したいと思います。今回は第4位の方に原稿を書いていただきます。」と73期武田幹事より、朝、開会前に案内があった。そして楽しいときは流れて午後遅く、気になる成績と順位の一覧表ができた。
「第4位は、77期の木元さん。賞品はなし、会報の原稿をお願いします。」
その日、一番のフコウな人はこうして決定したのでした。

 7月1日。千葉県成田市の多古カントリークラブ。その日のスタートは、とても幸先はよかったんです。梅雨の真っ最中にも関わらず、見事な曇天。そうそう、好天だと暑すぎて、この時期これはこれで大変なんですね、ゴルフは。途中リタイア続出、酷い時は熱中症なんてことになりかねません。この日は最高気温25度。微風。前日の雨でグリーン上のボールは止まりやすい。最高のコンディションです、ホント。東京東筑会の方は普段の行いがよいんですね。

麻生げってん会会長からの挨拶。
「途中、少しでも体調がおかしいと感じた場合は、無理せず、格好つけず、虚勢を張らずにリタイアしてください。」
  これには、一同爆笑。そして元気に最初のホールをスタートしたのでした。

 

順位
氏  名 OUT IN Gross HDCP Net
優勝
 大住耕司(70期)
47
52
99
27.6
71.4
 安永保昭(53期)
45
44
89
16.8
72.2
 末森多賀生(59期)
47
44
91
16.8
74.2
 木元伸一(77期)
48
54
102
27.6
74.4
 麻生泰久(54期)
42
41
83
7.0
76.0
BG
 小田善道(54期)
52
49
101
25.2
75.8
 武田哲也 (73期)
53
51
104
27.6
76.4
 村上陽一 (77期)
50
52
102
25.2
76.8
 重岡愼哉(70期)
55
46
101
24.0
77.0
10
 久場 襄(54期)
54
53
107
30.0
77.0
11
 山本秀夫(70期)
46
52
98
20.4
77.6
12
 秦 章人(73期)
54
47
101
22.8
78.2
13
 佐野和範(71期)
50
48
98
19.2
78.8
14
 森田克哉(54期)
50
50
100
20.4
79.6
BB
 帆足光弘(59期)
44
49
93
13.2
79.8
BM
 今井 梢(59期)
59
65
124
36.0
88.0

 

げってん会

炸裂60代、パワー!
  珍プレー、好プレーが続出。各ホールでは真剣なまなざし、爆笑入り混じりながら、楽しい時間は過ぎていきます。
楽しいゴルフって「え?もう午前の最終ホール?早いなぁ」って感じですよね。
小生の組は、麻生げってん会会長(54期)、今井梢先輩(59期)、げってん会幹事の武田先輩と、それは豪華な顔ぶれ。麻生先輩の余裕のおやじギャグをかましながらのブレない正確なティーショット、気合の乗ったロングパット。麻生先輩、今日は41・42とベスグロを見事獲得です!ホントにすごいです。
そして、今井先輩のレギュラーティー(本来は、女性は少し前から打ちますが、今井先輩は男性と同じ場所からです)からの豪打にも圧倒されます。そして元気なこと!明るいこと!
「うちは旦那が早くに亡くなったから、きもっちゃん!おかげさまで、こうしてゴルフ三昧よぉ~!わっはっは!」(天国の亡きご主人様も、きっと微笑んでおられることでしょう)。
  後ろの組でも、小田先輩(54期)、末森先輩(59期)が順調にスコアを伸ばしているようで、いやはやシニアパワー炸裂です。今の日本の縮図を見ましたね。元気なニッポン復活のキーは間違いなくシニアですね。

シアワセな人
  そんなシニアパワーが炸裂する中、7月1日、最も幸せだった人を紹介しましょう!この方は、なんと、優勝はするは、優勝賞品ほか各種賞品を獲得するわ、他にも・・。
「うわぁ~容赦ないなぁ。」
  世に言う「独り占め」状態です。本人は思わぬシアワセにいたく恐縮しているようです。え?そんなシアワセものは誰かって?
  はい、その人は70期の大住先輩です。そして、私はしっかり見ました。帰り、ゴルフ場玄関につけた大住先輩の愛車が、外国製高級スポーツ車であったことを!
  今日はゴルフよりも人生とは何たるかを勉強いたしました。そして、どうも世のシアワセは、偏るようでゴザイマス、はい。


 
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 テニス同好会「東筑庭球会(とうちくにわだまかい)」

                                  会長:増田浪枝(55期)
                                   幹事:森山裕充(84期)

「生協の白石さん」で知られる東京農工大学の職員「庭球の森山さん」こと、森山裕充さんにより、 府中市晴見町にある東京農工大学屋外テニスコートが無料で提供されています。2ヶ月に一度の開催です。

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 カラオケ同好会「ひびき会」
                                 会長:高崎幸雄(51期)
                                  幹事:増田浪枝(55期)

毎回場所を変えて盛り上がっている「ひびき会」。
去る5月26日に行われた第5回ひびき会は、四谷のカラオケスナックを貸し切って大盛り 上がりした様子。東京東筑会ホームページに掲載されています。

 

東筑竜昇会   中竹竜二(90期)早稲田大学ラグビー部監督応援団

  ― 希望と失意と感動のカレンダー ―               佐野和範(71期)

東筑竜昇会

 2007年1月13日、国立競技場からの帰路の隊列は、ノロノロと虚ろな足取りであった。やけに景色が白っぽく喉が渇いた。
第43回全国大学ラグビー選手権決勝、関東学院大33―早稲田大26。
受け入れ難い敗戦。何故?という疑問符もしばらく出てこなかった。

 2006年度早稲田大ラグビー部は、清宮克幸氏から我らが中竹竜二氏に監督を命じた。
安定したサラリーマン生活を擲っての、退路を絶った監督就任である。
清宮前監督の置き土産といわれるスター選手を擁し、ポテンシャルは維持されていると思われたが、しかし春のオープン戦では、個人技に優れるものの集団としては全く見る影もないチームとなって惨敗を続けた。
ここから中竹監督は、スタートしたのである。
夏の菅平では基本に戻った練習を繰り返し、前監督時代になかった「チームトーク」を習慣づけ、選手自らがゲーム・コントロールするチーム「中竹ワセダ」を作ってきたのである。

 関東大学対抗戦では、3試合連続完封で上々のスタートを切り、「横から縦へ」の戦術修正で慶應義塾を破り、明治の重量フォワードに「走り勝ち」、対抗戦の全勝優勝を果たした。
この間「東筑竜昇会」の応援は次第に熱を帯び、東筑同窓生も数多く集まって、歓喜と祝杯、日常生活では得られない気分の高揚を秩父宮や国立で味わった。そして同時に、中竹竜二その人の素晴らしい資質を知るようになって、中竹さんに明るい希望を託したのである。
  まだ行ける、まだ成長するという状態で大学選手権トーナメントに入り、順当に正月越え、そして決勝の相手は、6年連続の両雄対決となる春口監督率いる関東学院大。早稲田優勢の下馬評と実際に数試合を観戦してきた印象から、「東筑竜昇会」の応援メンバーは誰しも「中竹ワセダ」の勝利を疑わなかった。
しかし結果は……“崩壊”“自滅”といってよいゲーム展開、それを修正することが出来ず、為すことなく終わった。ノーサイドの笛と同時にグランドに跪き、うずくまる赤黒ジャージの選手達を見て、大学ラグビーの怖さ残酷さを垣間見、また何に対してか判らぬ屈辱を感じた。

 春の声を聞くものの、一部の中竹監督に対する指導力批判や清宮前監督との無意味な比較論に憤慨しながら鬱然とした日を過ごしていたが、2007年度の監督再任が決まり、深く突き刺さるという意味の「ペネトレイト」のスローガンのもと「権丈組」として再起動するというニュースに、昨年とは位相の違う喜びを感じた。
  権丈君をキャプテンに据え、経験と闘争心に勝る畠山君、五郎丸君をバイスキャプテンとする理想的な戦闘集団は、実質3月から始動し4月は猛練習に明け暮れた。
  この2007年春のオープン戦では、慶應、明治、帝京と勝利しながらも、常に現下の課題を見つけ、次の試合までに鍛え直してきた。強力フォワードと信頼のバックスが巧く噛み合って、ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンの中竹イズムも浸透してきた。
選手達には、「打倒関東」「王座奪還」という明確な目標がある、一撃で倒すタックル、前に出るディフェンス、頭から突き刺さるブレイクダウンという闘争心がある。中竹監督には、前年の貴重な経験と選手権までの視野の拡がりがある。

 そして7月1日、横浜三ツ沢競技場。ようやく訪れた春練最終戦の関東学院大との再戦では、自陣22メートルラインを割られたのは一回だけ、それ以外はほぼ相手陣内という完全にボールを支配した、文字通りのワンサイドゲームで38対0の完封勝利。
関東に主力選手が欠けていたこともあるが、僅か6ヶ月で連戦連勝のカントーらしからぬ“当たりの弱い”チームになってしまった。
  まだ夏の練習試合があり、秋冬のシーズン本番こそ真価を求められるものであり、これに勝利したとして一・一三の溜飲を下げることにならないが、あの屈辱に似た感情を払拭するに充分であった。またそれ以上に、強く重く早い「権丈組」にある種の凄みと感動を覚えたのである。

 自信に溢れ成長を続ける「中竹ワセダ」は、来年1月その目標どおり王座奪還を果たすであろう。そして「東筑竜昇会」は、中竹竜二監督とビクトリーロードを共に歩んでいきたいと希う。

 

 素晴らしきかな、小龍会

 
   ~頑張れ、慶應蹴球部 小田龍司君~        木元伸一(77期)

2007年3月2日 新橋梁(ヤン)の家
 小龍会は、早稲田大学ラグビー監督私設応援団である竜昇会の分派として発足した。
昨年の大学ラグビーは、対抗戦グループ・リーグ戦グループともに大いに盛り上がりを見せ、毎試合秩父宮や国立は沸いた。その原動力は早稲田大学の好調と慶應復活の胎動にあった。
  そう、11月23日早稲田対慶應の一戦、この試合の前半戦の慶應ラグビーは別人のようであった。そして、その中でもキラリと光るのは、15番を背負った小田龍司(102期)、まさしく彼なのだ。
彼が小学校の頃から、ラグビー一筋に取り組んでいたとしても、慶應のレギュラーポジションを確保するのは、正直難しい。中竹監督もだが、何とか彼も応援しようではないか。そんな機運が盛り上がれば、素早い東筑の先輩たち。佐野先輩(71期)がすぐに横断幕のデザインを製作すれば、松尾先輩(69期)は有志に声をかけて発足会を準備する。その先輩諸氏は実にうれしそうだ。後輩の活躍を応援したくて仕方がない。そうなると我慢できないオヤジ達。その発足式は、3月2日新橋梁の家に、松尾先輩、佐野先輩、西本先輩などを中心に8名が集結した。横断幕のデザイン三種のうち、どれがいいか喧々諤々、会の名称「小龍会」の確認など。
実に楽しい時間が過ぎる…が、この時点では小生、ここまで小龍会に“はまる”と思っていなかったのである。この後がすごかった!

2007年5月3日 日吉慶應グランド
  時は過ぎて、新緑が目に眩しい5月。松尾先輩、佐野先輩の呼びかけに小龍会のメンバーは、日吉駅に集合した。立教との練習試合だ。それにしても5月3日と言えば、GWの真っ只中ですよ。家族サービスはいいの!?皆さん。
到着した慶應大学日吉グランドは、きれいな人工芝のグランドで、隣には体育会の選手達の宿舎も併設されている。瀟洒な設備だ。選手たちもお膝元での練習試合とあって、リラックスした雰囲気だ。到着当初は、ガラリとしていた応援席だが、開始時間が近づくと、混む混む。後でわかるのだが、この慶應ラグビーサポーターの紳士淑女の素晴らしいこと!選手に投げる掛け声が、実に愛情たっぷりなのだ。決して野次ることなどない、褒め言葉と愛ある叱咤激励だ。われら小龍会のメンバーは、ラグビーの応援姿勢はかくあるべし、との刺激を大いに受けたのでした。
  そして、選手達とのふれあい。日吉グランドは、観客席とグランドが一体化して、その距離が近いだけに試合の前後に選手たちと自由に触れ合うことができる。その日も我らが小田龍司君と山田章仁君(小倉高校出身)と話をすることができ、また一緒に写真なども撮らせてもらったりした。小龍会のおじさん達も少々舞い上がり、興奮状態だった。

5月20日 宇都宮グリーンスタジアム
  先日の日吉グランドで「宇都宮では、君らの横断幕を掲げるよ。」という約束を守るべく、小龍会のメンバーは5月20日の宇都宮グリーンスタジアムに集結した。早稲田と慶應の練習試合、栃木県ラグビーフットボール協会60周年記念試合だ。地元では、大変盛り上がっており、記念グッズに、オリジナルラベルを貼ったビールや日本酒なども売っていた。
さあまずは、何をおいても横断幕だ。大会本部の方と交渉し、バックスタンド側に小田君&山田君の横断幕を無事に掲げることができた。もちろん竜昇会の横断幕も、だ。振り返ると、応援席の最上段にある監督席に中竹監督の姿も。
  改めて、メインスタンドから眺めてみると、薫風にたなびく横断幕、緑のグランドに黒黄が映えている。両君の喜ぶ顔が見たい。
今回の宇都宮では、うれしいハプニング、出会いがあった。両君の母君が応援に来ていて、ご丁寧に挨拶に来てくれたのだ。小龍会のホームページを知り合いから教えてもらったようだ。「あの子は、何にも言わないんですよ。本当に応援いただいて有難うございます。」と頭を下げられる。お礼を言うのは、我々の方だ。応援しながら毎回、こうして仲間が集まる機会を作ってくれて。何より後輩の活躍が心からうれしいのだ。
熱きオジサン達だから、これでいいのだ。バカボンのパパではないのだが、自分達は「小田&山田両君のパパだ!」くらいに考えているバカボン達なのだ。

ラストシーズン!
  そんな小田君も今年は4年生。いよいよラストシーズンだ。神田の寿司をエネルギーに山中湖の合宿で、身体能力に磨きをかけ、キック精度を高めて、秋の開幕に備えてほしい。そして東筑の先輩が監督を務める大学最強チームである早稲田の胸を借り、慶早戦にそのすべてをぶつけてほしい。君達自ら、魂のラグビーの真髄を見せてほしい!バカボンのパパ達が涙する試合をぜひ見せてほしい!!
 
ラストシーズンだ、燃え尽きろ、小田龍司。思い切り駆け抜けろ、山田章仁。
今シーズンまでの小龍会、我々は全身全霊、君のことを応援することを約束しよう!
頑張れ、小田龍司!
 

 

「53期・第5回 鎌倉散策」レポート  /   文:53期会/編集部
 


  ぺこりぺこり、パン、パン、ぺこり。好天に恵まれた3月23日、53期の一行は、江ノ電・長谷駅からほど近い権五郎神社に詣っていた。
  極楽寺開山の歴史と、新田義貞の稲村ガ崎伝説などを学ぶ「第五回 鎌倉散策」の出発である。この楽しくて勉強になる足どりを、皆様には文章で辿っていただきたい。

■御霊神社(権五郎神社)
「後三年の役」に16歳で源義家に従いて活躍した武士、鎌倉権五郎景正が祭神だという通説から、権五郎(ごんごろう)神社とも呼ばれる御霊神社。桓武天皇の子孫、平義兼の孫の村岡五郎忠通の5人の息子に由来するという説もある。権五郎景正の命日に行われる祭り「面掛行列」は、県の指定無形民族文化財。十種類の面をつけて、神輿の前を練り歩く。面の中に福禄寿があることから、鎌倉七福神のひとつに数えられる。

 虚空蔵堂を目前に、石碑の前で一行はしばし脚を止め、刻まれた文字を凛々しい眼で彫り直した。鎌倉十井をご存知だろうか。中でもなんとも美しい名前をもつ「月星夜の井」。かつてここは昼でも暗い山深い道であったという。井戸を覗けば、水面に星が見られたと伝わる。

■虚空蔵堂
  天平年間、行基が廻国の際、ここで虚空蔵を祀る修法を行った。すると星月夜の井に三つの明星が現れた。井戸水を汲み上げると不思議な形の石があったが、行基はこれは虚空蔵さまを祀れというお告げだと思い、ここに明鏡山円満院星井寺を建てた。元禄年間に再建されたが、関東大震災で壊滅している。

 知恵と福徳の仏様。これに、あやからないわけにはいくまい。虚空蔵菩薩は知恵と福徳を無限に内蔵しており、衆生の願いを叶えるために蔵から自在に取り出して救済するという。どうか我らに知恵と福徳を授けたまえ。合掌。
  弘法大師が諸国巡礼の折に修法を行ったと伝えられる成就院、極楽寺坂切通し、上杉憲方の墓、熊野神宮、そして極楽寺へ。和気藹々。健脚は歴史を訪ね闊歩を続ける。

■極楽寺坂切通し
  鎌倉七切り通しの一つ。往時は傾斜が急で幅も狭かった。七里ガ浜を通って藤沢へ通じるこの地は、都と鎌倉を結ぶ重要な出入口であった。北条重時が極楽寺を建ててここに住んだのは、鎌倉を守るための政治的・軍略的必要から。新田義貞は鎌倉攻めの際、この地で大館宗氏を大将とする多くの兵を失い、稲村ガ崎にまわった。

■極楽寺
  寺の完成を待たずこの世を去った北条重時と、その遺志を継いだ二人の子どもによって完成された。往時は七堂伽藍・四十九院を備えた大寺院であった。寺に伝わる古絵図に二重屋根の金堂・十三重の塔などたくさんの塔が立つ様子が壮大に画かれている。
  鎌倉攻めの戦で寺は焼け壊れ、その後も幾度かの火災、地震や台風などで崩れ落ち、現在は唯一残っている吉祥院が本堂となっている。当時の広い境内の大部分は、稲村小学校や住宅地に変わっている。

 「月影の谷若葉して道清し」阿仏尼邸跡の歌碑に脚を止め、鎌倉十橋のひとつである針磨橋へ。続いて、日蓮が刑場へ連れて行かれる途中に袈裟を掛けたといわれる日蓮袈裟掛けの松。ありがたいお袈裟を血で汚すわけにはいかなかったというその誇り高さに感服する。
  大館宗氏率いる新田軍が極楽坂の切通しへ攻め込んだときの、最後まで残った11人を弔う十一人塚と、その討ち死にの地にひっそり佇む大太刀稲荷神社へ。11人の無念が、ふっと胸をよぎる。
  さらに歴史を辿り、散策の最終地点、稲村ガ崎へ。稲村ガ崎新田義貞徒渉伝説地碑、明治天皇の歌碑などに立ち止まって古に心を馳せ、爽やかな潮風と相模湾を望む素晴らしい景勝で今回の鎌倉散策を締めくくった。

 

新田義貞の稲村ガ崎伝説
 
極楽寺方面から山が海岸まで押し出している岬の形が、稲束を積み上げたような形をしていることから、稲村ガ崎と言われるようになった。往時は軍勢を通すような道はなく、波飛沫を避けながらやっと通れる危険な小道だけがあったようである。
  新田義貞の鎌倉攻めの時、極楽寺坂切通しが雌雄を決する戦場となった。新田軍は大館宗氏を大将とする数十万とも言われる兵で攻め掛かり、一時は優勢となる。しかし、敗れたかと思われた北条方が押し返し大館一族は滅びてしまう。最後まで生き残った十一人が討ち死にした地にあるのが大太刀稲荷神社で、それを弔うのが有名な十一人塚である。
  義貞は極楽切通しからの攻撃は無理だと判断し、稲村ガ崎にまわって海岸線を突破しようと考えた。しかし道はなく海上には大船がぎっしりと守りを固めており、ここも隙がないように見えた。
  義貞は皆を集め、大願成就を海神に祈り、腰にさした黄金造りの太刀を海に投げ入れた。するとその願いが届いたか、月が沈む頃、稲村ガ崎の海が俄かに引き、鎌倉勢の数千の兵船は遥か沖に押し流されてしまった。これを見て義貞勢は干潟を渡って鎌倉に乱入したと太平記に記されている。これが新田義貞の稲村ガ崎伝説である。
  稲村ガ崎は、かつては霊仙山と地続きであったが、現在は国道134号線に切断され、海辺に取り残された島のようになっている



還暦旅行  ~ 100人の赤いちゃんちゃんこ /  渡辺克彦(63期)
 

63期旅行1

63期同期生は東筑同窓会当番幹事のとき、還暦旅行をしたいという同期の仲間の希望を20年近く経ってようやく実現できました。皆が還暦を迎えてからとのことで今年実行しました。
神戸に集合して、ナイトクルージングでの船上パーティ。5月19日(土)六甲アイラントにあるリゾートホテル「神戸ベイシェラトンホテル」宿泊。翌日は京都の鴨川おどりコースと、城崎温泉泊りコースと二コースに分かれてそれぞれ楽しい時間を過ごしました。
新神戸駅に全国から同期100名丁度の参加者になりました。
ここに、参加希望で仕事や体調の具合で出席できなかった63期の皆様に旅行の楽しさを少しでも味わっていただきたくご報告します。またこの記事をご覧になる東筑同窓生やご家族の方々が同窓会の楽しさや意義を少しでも理解される事を期待します。

 皆さんからのお便りを紹介することにより、旅行の雰囲気が感じられるかとおもいます。

「還暦旅行へ参加された方々、また都合により参加されなかった方々、還暦旅行へ100名の同期の方が集まり盛大にまた楽しく無事に終られたことと報告を受けています。ジャスト100名はなにか不思議な感じがします。決行二~三日前に1名の参加が決り99名が100名に、それも思いがけない人の参加、運命的な気がします。」

「一作日、63期感謝還暦旅行から無事戻りました。私は一泊コースでしたがとても楽しく有意義でした。」

「百瀬です。楽しかった還暦旅行から早や一ヶ月が過ぎました。」

「旅行の写真を頂いたので、お礼のメールをしましたがエラーで届きません。」

「九州の皆さんの還暦旅行に対する意気込みのすごさと緻密さに感服致しました。すばらしい企画で良かったと思います。私的には、3年9組のマドンナと宴会が出来たことは大変嬉しい限りでした。9組のマドンナは誰か・・・秘密。9組の参加が多いようでありましたが、これは落ちこぼれ仲間意識が強く、勉強よりも遊び重視の学校生活だったことからと思いますよ。そして更に、副田先生を迎えて10月頃に集まろうと盛り上がっていました。話の続きは関東で!」

「おかげさまで元気な皆さんにお会いできて本当に嬉しかったです。福岡の実行委員の皆さんの行き届いたお世話もさることながら、参加者100名はこれまたすごいことですよね。今後もまた元気で大勢が再会できることを願ってお別れしました。元気な渡部涼子さんにもお目にかかれて懐かしかったです。」

「返事が遅くなりましてすみません。小生は特に支障がない限り新横浜から乗り込みます。よろしくお願いします。」

「先日の還暦旅行で久々に皆さんと御逢いできました。」

「先日の還暦旅行の際に、遠賀中卒業生で写真を撮り、森哲郎君へはメールで送りましたが、次の人達の住所がわかりらず、写真を送れません。」

「九州在住の幹事の皆さん及び関西在住の方々が一年半前から、このイベントのために準備して下さったお陰で、随所に肌理の細かさを感じる旅となりました。幹事の方々をはじめ皆さんのお陰でとても楽しい還暦旅行でした。卒業以来初めての方やお互いに知らずに過ごした方、特に一年生の時同じクラスだったのに、この度、遠い親戚だったと判明した方等 思い出深い旅となりました。感謝!感謝!」

「入江勉君からの呼び掛けで博多地区63期同期会を6月29日に行います。」

「還暦を迎えはしましたが、論語に記載されている「六十にして耳従う。(どんな人と話をしても、その人の話を過不足なく正確に聞けるようになる。)」という境地は、自分はまだまだ遠いと感じております。ましてや十年後に「七十にして心の欲するところに従えども矩を越えず。(心の趣くままに行動しても、決してハメをはずさない。)」という心境に至れるかどうかもわかりませんが、とにかく、死ぬまで努力したいものです。先日、還暦旅行の写真を何枚かお送りしましたが、さらに追加をお送りします。他の方々からたくさん送られると思いますので、取捨選択をご自由になさってください。」

「写真、見ました。還暦旅行と神戸の雰囲気がわかりました。ありがとう。皆さん、年相応に「年輪」を重ねているようですね。今回は、参加できず、少々残念でしたが、まあこれからも機会をつくって、楽しくやりたいものですね。お元気で。」

「63期東筑還暦旅行の一泊二日コース(5月19日、20日)に参加して写真をいくつか撮影しましたので転送致します。ご笑納ください。少し枚数がありますので何回かに分散してお送りします。」

「土曜は、午前中どうしても横浜を出られず、十六時ころ新神戸駅着の新幹線で行きます。
したがって、午後のイベントは参加できず、直接ホテルに17時までには着きますので、よろしくお願いします。」

「卒業以来、初めて会う人もいて、本当に懐かしかったですよ。それぞれ、人生いろいろで、集まった人はそれなりに時間が取れて、健康で、幸せな人だったのですよね。そして同級生に無関心ではなくて・・・・・・・。みんな、いつまでも、まずは元気でいてほしいものですね。もちろん自分も。」

「これから、年を取ってからこそお互いが大事になってきます。なぜならこの難しい人生を生き貫いてきて、またこの後、より良く生きるためには心を開いて語り合える友こそが全てに勝って必要だと思えるからです。食に飢えて苦しむ人よりも心の空しさに倒れる人の方がはるかに多いのですから。」

「100名の参加者がいましたが、神戸の船の前での記念写真には99名しか写っていません。待合室で一人ぽつんと待っていた人がいました。100名の赤いちゃんちゃんこは非常に目立っていました。」

「ナイトクルージングでのパーティは皆満足した。神戸の素晴らしい夜景などは誰一人観ていなかったのでは。仲間との歓談で外を見る余裕はなし。」

63期旅行2

四九期会便り   /  越智猛雄(49期)


久しぶりに49期会の近況報告を申し上げますが、まず我々49期会の幹事をしておりました秋丸照雄氏が、昨年10月にお亡くなりになりましたことをご報告せねばなりません。
同氏は在学中は生徒会長として学年のトップとして活躍しておりましたが、東京東筑会49期同期会を昭和49年に松尾武満氏(同氏も北九州にて本年に入りご逝去されました)と共に立ち上げ、同期会会長として、また東京東筑会49期幹事として常に我々の先頭に立って活動してこられました。残念でございますが、ここに謹んでご報告申し上げます。

 さて、49期会は先に申し上げたように昭和49年に結成され、年一回の懇親会を行い、一杯呑みながら近況報告等をし合い、壮年期には必ず二次会に行くなどしておりました。しかしながら昨今は歳の所為もあり、二次会はせいぜいお茶位で済ます今日この頃です。
  今年も6月に開催したところですが数えてみますと、今年が34回目になっておりました。その間ピーク時には会員数が49人に達していましたが、定年後に直ぐではないが、故郷の北九州に戻られた方、何人かの物故者、その他で段々と減っていき、現在は34名の会員数になっております。懇親会には大体20人前後の出席者がありますが、どうも固定した方ばかりで、残念ながら来ない人は全く来ません。
  幹事は三地域に分かれ順番にしております。15年位前にはゴルフ会を7、8回続けてしましたが、現在はしておりません。
その他「湯遊会」という会を作り、有志でもって湯巡り、寺社、仏閣巡り等を年一回程行って愉しんでおります。この方のリーダーは藤村誠枝氏でプランや車の手配等、彼がしておるようです。
あと北九州の同期会にも二、三人行って旧交を暖めております。もう我々の年代ですから東京東筑会懇親会の出席率も良くないと思いますが(それでも数人は行っておるようですが)ご諒解下さい。

 

5・8倶楽部 (ごんぱちくらぶ) 新潟の旅 / 末松 誠(58期)

 

  新潟大学の教授を永年務めた同期の野中浩俊君が、退職を機に新潟の県民会館で、集大成の『野中吟雪 書道展』を開催することになり、遠くの山々にまだ雪が残る新潟を訪れました。
日本随一の『富岡鉄斎の研究家』としても知られ、多くの著書を出版し、いつも若々しい姿と同様、その力強い書風は、圧倒されるものがあります。
七〇点もの力作があふれる会場は、多くの関係者が集い、書道一筋の路を歩いてきた、野中君の人となりがしのばれるものでした。
毎年、鳩居堂で「不手非止展」を開き、ずっと鑑賞してきましたが、58期の自慢の一人です。
訪問した全員(九州から女性6名、関東地区から女性五名男性4名の参加)に退任記念の研究著書『鉄斎の書』をいただき、全員大喜び。

新潟と言えば地酒。
通常は一切出来ないのですが、特別の計らいで、地酒ブームのさきがけとなった「越乃寒梅」を見学し、そのすばらしい工程管理、いきとどいた清潔さ、そこに働く人達の飾り気のない素朴な人柄、日本文化が根づく作業環境に、心洗われる思いをさせていただき、帰り際には、また全員に「越乃寒梅」をいただき、恐縮のいたりでした。

職人、万才。寒梅、万才。感謝!
その日の宿泊は、八千八百坪の伊藤文吉家という豪農の館で「北方文化博物館」という文化庁の有形文化財として見学が許され、その庭や広間の見事な日本文化は一見に値します。
84年の歴史ある邸宅を改築した「大呂庵(だいろあん)」という静かな落ち着きのある宿もすばらしく、大満足の一夜を過ごす事が出来ました。
翌日は、新潟で九州組はどこかの温泉へ、東京組はしばし「ふる里村」で新潟の歴史を訪ね、「へぎそば」を楽しんだ後、帰路につきました。

 

多士済々。    ~社会のいたるところで輝く東京東筑会の人材


あらゆる分野で活躍する優れた人材を擁することが、東京東筑会の誇るところ。
しかし、その全貌を把握することは、簡単ではありません。とくに30から40歳という年代は、仕事や子育てに忙しく、なかなか同窓会活動に参加できないという事情があり、顔ぶれが見えてきません。
そこで編集部では、インターネットで人脈を辿り、Eメールでインタビューを行いました。社会のいたるところで才能を発揮している同窓生たちの、ほんの一部をご紹介します。



野田 香 (旧姓 下山)(80期)

☆職場を教えてください
花王株式会社、メディア企画センター商品広報部です。

☆そこで何をしていますか?
TV・雑誌等メディア向けPR戦略の立案、企画、推進。

☆さらに詳しく教えてください
PRの仕事を一〇年以上続けていますが、PRに対する考え方は様変わりしています。商品を宣伝するだけでなく、宣伝とパブリシティの両輪で、メーカーの意図が伝わるように戦略を立てています。アメリカなどで政治や世論を動かすロビー活動に対してイシューブランディングのような手法を研究中です。

☆仕事上の目標を教えてください
新製品の発売と共に社会背景などの情報が出せることを目標にしています。例えば春の新製品「セグレタ」を大人向けの高級シャンプーと位置づけ、現在の四〇代女性はバブルを経験しており自分に対する投資にお金を惜しまない、髪のエイジングに注目した商品を開発し、その世代向けに発売したというストーリーを作りメディアに発信し、露出事例をつくりました。

☆お仕事の宣伝をどうぞ
花王のPR活動はまだまだこれからです。会社も今春より新たな体制になり、世界的には原料の高騰時代を向え、時代に即応したPRの仕事で企業活動を支援できたらいいなと思っています。

☆読者にメッセージがあれば
冬季国体に福岡代表として出場した同期の石丸君の影響で、去年青梅マラソンロードレースの部(十キロ)に出場しました。今年は年齢別で上位入賞をねらいます。故郷の遠賀川の堤防を思い出しながら走っています。



徳成卓也 (80期)

○職場を教えてください
NTT東日本 東京支店 法人営業部です。

○そこで何をしていますか?
事業計画策定・実行管理、各種施策立案・実行、営業・SEの支援等をしています。

○さらに詳しく教えてください
東京支店の法人営業部では、東京の23区等の自治体様、企業様等をお客様として、広域インターネットサービスやひかり電話等の事業所様向けネットワークサービス、各種ソリューションのご提案・ご提供を行っております。私は、その中で総合支援部門に所属しており、収支目標を達成するために、いろいろな営業施策を考え、実行したり、個別の案件に携わっている営業担当やSE担当を支援しております。まあ縁の下の力持ちということになるでしょうか。

○仕事上の目標を教えてください
組織としては、収支目標を達成することですが、私としては支援する立場として、前線の部隊から喜ばれる仕事をすることを第一にしています。

○ お仕事の宣伝をどうぞ
ご存知のように通信の世界は、技術的にはすごいスピードで進歩していますし、私が入社した20年前くらいから、NTTグループは、ずっと攻められっぱなしで、苦しい思いをしていますが、皆様に信頼されるような仕事ができたらよいなと思っています。

○読者にメッセージがあれば
早いもので4年後には当番期が回ってきます。これまでは、同期でたまに集まり、お酒を飲みながら楽しいひと時を過ごしてきましたが、これからは数多くの先輩・後輩の方々と同窓の輪を広げて、同期と同じように楽しいひと時をと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

桃園 聡 (83期)

☆職場を教えてください
東京工業大学です。

☆ そこで何をしていますか?
大学院理工学研究科の機械宇宙システム専攻で助教をしています。

☆ さらに詳しく教えてください
授業では工学部機械知能システム学科の「エネルギーと流れ」「情報数理」などの科目で主に演習・実験を担当しております。研究においては「トライボロジー」という摩擦・摩耗・潤滑に関する科学技術の分野で、摩擦現象の基礎研究をはじめ、軸受・シール・ブレーキ・クラッチなどの性能向上をめざした応用研究、摩擦・摩耗が原因で生じる事故やトラブルの調査などを行っています。

☆仕事上の目標を教えてください
当面の目標は現在開発中の試験機を完成させ、その実験結果を論文にして投稿すること。究極の目標としては、摩擦係数を定量的に予測するシミュレーション技術を確立することです。☆お仕事の宣伝をどうぞ
私の所属する研究室では、摩擦・摩耗・潤滑に関する最先端の研究が行われております。企業の皆様との共同研究プロジェクトや摩擦に起因するトラブルのコンサルティングにも積極的に取り組んでいます。過去には各種事故調査委員会などにも関与してきました。
また、授業を担当している機械知能システム学科においてはカリキュラム全般を見直し、従来型の授業や演習・学生実験をやめ、関連する講義・演習・実験を終日まとめて行う「レクチャー・ラボ統合型授業」に基づくカリキュラムを実施し,平成十八年度機械学会教育賞を受賞するなど教育的効果が注目されています。

☆読者にメッセージがあれば
同窓会とはコミュニケーションを円滑にする究極の潤滑剤ですね。



柴田のりよし (83期)

○ 職場を教えてください
フリーカメラマンです。自宅を事務所兼用にしています。撮影で全国を回ります。今はデジタル時代ですから、自宅の作業部屋にこもり画像処理をすることもあります。

○ さらに詳しく教えてください
仕事といっても、注文に応じて撮影する場合と自分の企画で動く場合の二つがあります。注文仕事としては雑誌、パンフレット、ブライダルや学校用のアルバムなどです。自分で企画を立てる場合は、写真だけでなく文章も書いて週刊誌などに売り込みます。

○ 仕事上の目標を教えてください
手が届きそうな低い目標がいいですね、あまり崇高な目標を立てても疲れますから(笑)。フリーになって以来、一、二年に一度、ニコンやキャノンなどカメラメーカーのギャラリーで写真展をやっています。今年は九月に、新宿ニコンサロンで中国の都市部の変貌を記録した写真展を開催します。当面の目標は、それを成功させることと、その分の写真集を出版することです。写真集の方はまだ目途が立っていないので、頑張らないといけません。

○ お仕事の宣伝をどうぞ
ここ数年、月刊誌『Voice』(PHP研究所)で巻頭の連載ページを撮影しています。多少硬い雑誌ですが、本屋さんで見かけたら手にとっていただけたら嬉しいです。

○ 読者にメッセージがあれば
四十路を迎え、いろいろと背負うものが増えました。健康で日々楽しくやっていけたらと思います。



小田 敏 (92期)

☆ 職場を教えてください
渋谷区恵比寿西二丁目九番九号代官山テクノビル四階 NOTAVLE

☆そこで何をしていますか?
装飾品のデザイナーです。

☆さらに詳しく教えてください
ビントアナ トーキョー(BIN+ANNA TOKYO)というブランドを立ち上げてオーダーメイドでのアクセサリーを作成いたしております。アメリカ・ヨーロッパのアンティークのパーツやボタン、ファブリック、ベネチアンガラスのビーズや天然石、その他いろいろおもしろいパーツも使っています。一味変わった装飾品を作っているのでミュージシャンなどからのオファーも多くアクセサリーの枠を超えた装飾品も作っています。またアーティストのPVでのスタイリングなども、最近はお仕事いただき楽しくやっております。それはさておき、ブランドコンセプトの主軸は、皆様が日々身に着けるものに「関心」と「愛情」を抱けるようなものを創りあてることでありまして、贈り物や自分自身のお気に入りのひとつとなるアクセサリーをお客様と一緒に考えて作るオーダーメイドのスタイルで三年間ほど続けてきました。モノや気持ちを大切にするとはどういうことでしょう?オーダーメイドで手にしたものを見て、返ってくるお客様のリアクションからいろいろなことを私は教わった気がします。

☆仕事上の目標を教えてください
どうしても捨てられないもの、失くしたとしたら泣いて探しに出るもの、そういうものを作ることです。

☆お仕事の宣伝をどうぞ
ソイル& 〝ピンプ〟セッションズ元晴氏のサックスのストラップ、椎名純平氏の楽器のカバー、バグダッド カフェ ザ トレンチ タウンのPVのスタイリングなどやっています。恵比寿のショップでは販売だけでなくカフェスペースもありおくつろぎいただけます。オーダーに関してはマリッジリングなども受け付けております。世界にひとつだけのジュエリーやアクセサリーをお作りいたしておりますのでご興味のある方はホームページを是非ご覧ください。http://bin-anna.com

☆ 読者にメッセージがあれば
ここ東京にいる中で、ローカリズムの持つエネルギーは温かくとても力強いものだなと感じています。私はなかなか東京で地元の人と接する機会がないので、これを機にいろいろな再会や出会いにつながっていけば嬉しいなと思います。何か面白いことなどあれば、お気軽にお声かけください。
 

渡辺詞男 (85期)

○ 職場を教えてください
一級建築士事務所です。

○ そこで何をしていますか?
事務所(メタボルテックス)の代表者として建築の設計・デザインをしています。

○ さらに詳しく教えてください
私は戸建住宅、集合住宅から店舗の内装など、建築空間全般の設計・デザインをしています。
デザインの最初の段階では枠にとらわれず、建物以外のものからも参照しながら、アイディアをカタチにしていきます。スケッチを描いたり、カメラやビデオなどを使ってイメージを映像化したりします。次にそのカタチを具体化するためにいろいろな条件を加味しながら、模型を製作し、コンピュータを使って三次元のモデリングをします。そして模型とコンピュータモデルを行き来しながら発展させていきます。それらを基にCGパースや設計図書等を作成して、デザインの提案をします。
その他の活動として早稲田大学大学院にて都市の再生をテーマにロサンゼルスの調査・研究をしています。

○ 仕事上の目標を教えてください
日本だけでなく世界中で活動していくこと。

○ お仕事の宣伝をどうぞ
私は山下設計(組織設計事務所)で長年勤務した後、アメリカ、ロサンゼルスの南カリフォルニア建築学校(通称サイアーク)の大学院留学・修了を経て、コープヒンメルブラウ(オーストリアの建築設計事務所)で二年間働いた経験を持ちます。その多様な経験を生かして新しい質の空間を提案しています。また同時に行っている都市の調査・研究も建築設計に生かして行きたいと思っています。建築に興味がある方、普通の建築は嫌だという方、また海外の建築系大学院留学に興味のある方など、ぜひお問い合わせください。

○ 読者にメッセージがあれば
秋の懇親会には参加予定なので、建築に興味のある方はお声をおかけ下さい。どうぞよろしくお願い致します。


      //////  あの頃、いま、これから //////

東筑時代の思い出 「新聞部」 /   耳田容子(102期)


 わたしは休止状態であった新聞部に入部し、部員を増やして仲間と新聞を発行した。東筑高校を卒業して4年が経つが新聞部は現在も部活動を続けている。
  部員の居なかった新聞部に一人で飛び込み、顧問の先生と二人で活動を始めた。わたしが新聞部に入るきっかけは単純で「もしかしたら文章が上手く書けるようになるかもしれない」ということだけであった。部員が一人という不安は無く、一人で気楽に出来るという安易な考えが強かったが実際一人では何も出来ないことを痛感した。
  先生が新しく部員を紹介してくださり部員が二人になった。しかし、二人になったとはいえ、何をしたら良いか目的や目標が無く、中身の無い時間を過ごしてしまった。
  こんなわたしたちは文化祭があることを知り、文化祭へ向けて部活動にハリが出来た。文化祭では新聞の歴史を辿り発表することと日本全国で発行されている新聞を集めて展示することとなった。
だが、全国47都道府県で発行されている新聞を集めることは容易では無かった。各新聞社に電話し新聞を送っていただいたが部員二人では人手が足りず数名の友人に手伝ってもらった。
翌年の文化祭では世界各国で発行されている新聞を集めたので更に大変になった。文化祭は多くの協力を得て無事に成功した。来てくださった方々から高評価をいただき、苦労したがやり遂げた達成感を感じることが出来た。

12月に初めて東筑高校新聞を発行するまでに新たな部員が三人増え、仲間が五人となった。新聞を発行するにあたり、特集記事を組み、インタビューをし、空いた時間を見つけては原稿を書き連ねた。新生新聞部の第一号の新聞が完成し生徒や先生方に渡すことが出来たとき、モノを作る喜びを実感することができた。

一年生から二年生へなり、新入部員が入りわたしも先輩となった。後輩が入ることで、しばらくは廃部になることは無いという安堵感があったことを覚えている。自分の代で部活動が終わるのではなく、後に続くことが大切だと思う。わたしたちが開いた道に続いてくれる後輩が出来て嬉しく、わたしたちの活動が無駄では無かったことが証明できたのではないだろうか。
東筑高校新聞も発行を重ね三年生になった時はさらに部員が増え、新聞部を安泰させたまま卒業することができた。

高校を卒業してわたしはリハビリを学ぶため専門学校に入学した。その専門学校は新設の学校で、わたしは一期生となった。自分たちで学校を作りあげることは新聞部での活動と似ていたと思う。
仲間と一緒に作り上げるという体験は人生においてとても大切である。一期生なんてなろうと思っても簡単になれるものではないし、部活動を復活させる機会に出会うことも少ない。自分で道を開くという二つの環境に居られたことはとても恵まれていたのではないだろうか。今わたしは上京し病院に就職している。一人暮らしに不安は無い。仕事が上手くできないとか家事に慣れないとかはあるが、一人で知らない環境に飛び込むことに迷いは無かった。それは新聞部での活動や専門学校での経験が自信に繋がっているからだ。
わたしに自信を付けさせてくれた経験は人生においてとても重要な位置に居続けることであろう。


東筑のつながりに支えられて /  田中暢子(88期)
 

 

田中暢子

先日、東筑現役生で選別された学生が見聞を拡げ、諸先輩方に多くのことを学ぶという目的で、上京しました。国会や有名大学を訪れ、東筑の諸先輩方が活躍する企業を訪問し、講話を聞き、なにがしかを得て将来に役立てるという主旨であり、わたくしが勤務する生命保険会社にも訪問していただきました。
  わたくしが所属する総合金融法人部の執行役員部長である宮田芳文さんも東筑生(69期)であり、通り一遍の話をするのではなく、若き後輩達の心の琴線に触れる話をしていたのが印象的でした。当社への訪問の前は、電通。ここで学生の案内をしていたのが、わたくしと東筑で同期だった山本君。同胞の活躍を肌で強く感じた次第です。
  わたくしは現役時代応援部のマネージャー。1年目で野球部が甲子園出場、2年生の時ラグビー部が花園出場を果たし、応援に駆けつけることが出来た恵まれた時期に現役を送ったことになります。
大学に進学したおり、ゼミの教授が大の高倉健ファンで、何かと九州や東筑の話になり、親近感を覚えていただいたものです。

東筑での経験があったから、また多くの諸先輩方が社会で活躍されておられるからこそ、東筑の卒業生ということで随分助けられた気がいたします。大学、大学院と進学した後、前職の信託銀行に総合職として入社した時も、同胞の先輩に叱咤激励され、職務に邁進していたことが思い起こされます。今回、生命保険会社に転職する際に受けた面接で、東筑の先輩である宮田さんの人柄や言動に感化され、一緒に働こうと心に決め、大変今は充実した業務の日々を送る毎日です。
  女性が活躍すると何かと大変なことのように捉えがちですが、お客様を大切にし、仕事に責任をもち職務を遂行することにおいての男女差はないと考えます。現役生の男女の比率も昔とは大きく様変わりしている昨今ではありますが先輩方に習い、男女関係なく、社会で活躍する後輩達が増えてほしいと願わずにいられません。

 わたくしの業務はホールセラー。2002年10月に解禁された、銀行・證券の窓販分野で、当社の個人年金保険の販売を推進してもらい、当社のシェアを伸ばすことが主眼です。引受会社の人間という立場なので、銀行員や証券マンの方々が実際の取扱者であり販売者、わたくしのやっていることは間接営業です。商品を導入・販売していただくにあたり、銀行の本部や支店で、担い手である行員の方々に研修や勉強会を行う、あるいは直接行員の方と一緒にお客様のもとに出向く、あるいは来店されたお客様にご提案をするということも多々ございます。顧客向けセミナーの講師を務めることもございます。直接販売よりも難しい点は多くあります。しかし、商品をよく理解していただき好んでいただき、ホールセラーであるわたくしに信頼を寄せていただけないと、ご契約には至りませんから、大変やりがいのある業務といえます。
  これから団塊の世代の退職金運用は社会の大きな課題。諸先輩方も悩まれておられるのではないかと拝察いたします。日本の金融機関も現在では総合金融サービス業としての色合いが濃くなってきましたが、欧米諸国のリテールバンキングと比較してもまだまだの気がいたします。が、自己責任の現在だからこそ、自由闊達、質実剛健の東筑魂が重要だと思っています。

 

サッカー部の思い出 あの頃へ、あの頃から /  髙橋遵永 (90期)

高橋遵永

入学式から数日後、クラスの友人とサッカー部の練習を見に行った。中学の時、彼を試合でマークしたことがあった。たまたまマークした相手が同じクラスにいたことは、新しい生活に期待と不安を半分ずつ抱いていた自分をいくらか落ち着かせた。
  練習を見ていたら部員の一人が声をかけてきた。

「お前ら新入生?」
「あ、そ、そうです。」
  どぎまぎと答えた。体格の差はなくとも、初めて先輩に声をかけられると緊張する。といってもサッカー部の先輩が恐いという噂があったわけではない、念のため。
「俺も。入学前から練習に参加しとるんよ。」
  声をかけてきた部員も実は新入生。
「じゃぁ偉そうな口きくな!」
  いきなり初対面で上級生面したその男にギャンというと「ニャハハ」と言って練習に戻っていった。一年半後、「ニャハハ」は主将になった。
  当時のサッカー部には指導者がいなかった。最上級生、正確には主将が中心になって練習や戦術を考える。試合中の選手交代も主将が決める。いわば主将が監督。場合によっては「代打、俺!」といったヤクルト古田的状況もありえた。
  当時は本気で勝ちたい気持ちが強いほうが勝つと思い込んでいたところがあった。今となってはそれよりももっと主将を支えて戦術的な話し合いをしておけば良かったと思う。体力や戦術、技術で優劣がつけられない場合に初めて気持ちの勝負になるのだから。ただ、体力はあったんじゃないかなぁ。

 3年生のゴールデンウィーク、インターハイ県北部予選トーナメント決勝進出。決勝という言葉はついてはいるが、結局、僕たちは目標にしていた県大会にはわずかに、いや、いくらか届かず、最後の試合を終えることになった。確かに舞台としては小さい。戦術や技術は拙かった。それでも勝ちたい、勝つんだという気持ちだけは強く、がむしゃらに走り回った分悔しかった。
  試合後はニャハハの主将が部員を集めてチームの解散を宣言した。後輩が流す涙は沁みた。みんなそれぞれ家路についたが、僕ともう一人の友人だけ荷物整理のため部室に戻ることにした。科学的根拠は分からないが、ひとつ上の主将の「スポーツ選手に悪い。飲むな。」という言葉を信じて1年生の夏から炭酸飲料は飲まなかった・・・正直飲んだとしても2、3回。ようやく解禁と思い、駅で僕はファンタオレンジを、友人はカフェイン2倍のジョルトコーラを買った。電車を待ちながら飲んだおよそ2年ぶりの炭酸飲料は、いろんな意味で乾いた喉にシュワシュワーッとして、クラクラーッとくる程おいしかった。改めて負けたんやな、終わったんやなと思った。トイレに寄って少し遅れて部室についた僕は扉を開けるのをためらった。一足先に戻っていたジョルトコーラの彼の啜り泣きが聞こえたから。仕方なくトイレに引き返した。
  東筑サッカー部に入部したのが15歳。今はその倍を超える年齢になった。中学時代にマークした相手とは、数年に一度OB戦で一緒にプレーする。彼は今、日本を代表する多国籍企業で活躍している。ひとつ上の主将は医者になった。炭酸飲料がスポーツ選手に与える影響とカフェイン2倍の効用について尋ねてみたい。カフェイン2倍の彼の消息は不明。また一緒にプレーしたい。ニャハハの主将は高校教師となった。今は転勤したものの東筑サッカー部の顧問となり、後輩を指導した。高校の思い出としてまず思い浮かぶのがサッカー部。みんな、またチーム作らん?



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   夢     ~挑戦 東筑魂を受け継いで~
 
様々な希望を抱き、上京してきた大学生にインタビューしました。
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親元を離れて /  大田黒佑里奈(104期)

大田黒佑里奈

 [プロフィール] 中央大学法学部二年 英米法研究会所属
            東筑では茶道部 浅川中学校出身



① 東京の大学を志望した理由は?
九州出て親元を離れることで、早く自立したかったからです。

② 上京してよかったと思うことは?
いろいろな地方から集まった人と出会って、自分とは違った考え方に触れることができていい刺激になることです。価値観の違いが再認識できて面白いです。

③ 上京して大変なことは?
自炊などが大変で親のありがたさが身にしみてわかりました。

④ 東筑での思い出は?
図書委員として、放課後に友達と話しながら楽しく仕事をしていたことです。つらい勉強も、あの制服も、今となっては良い思い出です。

⑤ 将来の夢は?
図書館司書になることです。

⑥ 司書を目指している理由は?
小学生の頃から本を読むことが好きでしたし、図書館独特の雰囲気も好きでした。そして何より、東筑の司書の伊藤先生の影響が強いです。先生は、本だけではなくて、音楽や映画、美術などのあらゆる芸術に造詣が深く、司書室でよく興味深いお話をしてくださいました。高校生だった私は彼女に憧れ、私もいつか、人に好かれるような司書になりたいと思うようになりました。

⑦ どんな本が好きですか?
ミステリィ小説が好きで、週に一冊は読みます。優れた小説には作者の思想が反映されています。その思考をトレースする瞬間が幸せです。

⑧ 大学でやりたいことは?
思う存分、本を読みたいです。大学図書館の蔵書コレクションが素晴らしいので、活用したいです。これからは、小説だけではなくて、哲学や法律、経済など、もっと様々な分野の本を読んでいけたらと思っています。あとは、青春謳歌!

 

自分との戦い   /  奥野耕輔(102期)

 

奥野耕輔

 

 [プロフィール] 早稲田大学第二文学部3年
            ラグビー部所属(ポジションンLO)
            東筑でもラグビー部 遠賀南中出身

 

① 大学でもラグビーを続けようと思った理由は?
  高校三年間ラグビーが終わった時に、振り返ってみて自分のラグビーに納得できず、一年浪人して早稲田に入り、大学で自分の納得のいくラグビーをしようと思ったからです。

② どうして早稲田のラグビー部に入ったのですか?
中竹竜二さん(90期)左京泰明さん(95期)の先輩方が早稲田のラグビー部の主将をされていたのですが、この二人は大学3年まで2軍にいて、4年で主将に選ばれた方で、そこに努力して主将にまで這い上がる東筑魂を感じ、ぜひ早稲田に入って自分も先輩方の後を追いたかったからです。

③ ラグビーを通して成長できたことは?
克己の精神。

④ 逆に辛いことは?
毎日の練習です(笑)。

⑤ 今、早稲田の監督を中竹先輩(90期)が務められていますが、どんな印象ですか?
常に選手と同じ目線で考えてくれる方で、とても親近感がわいています。練習の時は早稲田の一選手として扱い、プライベートは東筑の後輩として扱ってくれます。とても尊敬できる先輩です。

⑥ オフの日は何をしていますか?
毎週月曜日が休みで、映画を観に行ったり、音楽鑑賞(タワレコで、笑)したりしています。

⑦ 将来の夢は?
ラグビーを続けず、ラグビーで培った事を生かして別のフィールドで活躍したいです。具体的にはマスコミ関係に行きたいと思っています
OB・OGへ一言 秋の早慶戦(十一月二三日)で、同期の小田龍司と対戦できるようにレギュラー入り目指して今以上に頑張ります。ぜひ応援に来てください。今年から就職活動をするので、先輩の方々ぜひよろしくお願いします。

 

 

新たな人生の舞台へ  /  谷 沙耶香(101期)

 

谷 沙耶香 [プロフィール] 慶應義塾大学法学部4年 
           手品サークル所属
           「全塾」という大学の組織の代表を務める。
           NHKディレクター職内定。
           高校時は放送部に所属。八児中学校出身。

① 大学4年間はどうでしたか?
  手品サークルに所属し、OBの人とのつながりや後輩とのつながりができ、たくさんの人と関わる中で自分も成長できました。手品は三分間の舞台のために一ヶ月ほど練習をするんですけど、そういう無駄だと思われることに一生懸命になれるのは大学生の特権だと思います。

② 「全塾」という組織の代表ではどんなことを?
企業の人に直接頼み、就職活動をひかえている大学生のために講演をやってもらう活動をしていました。そこでは組織をまとめることの難しさや上に立つ人間としての人の動かし方を学びました。すごく大変でしたが、人のために仕事をして喜んでもらうことはとても気持ちよかったです。

③ 他にはどんな活動を?
スタンフォード大学への短期研修に参加するなど、とにかくいろんなことにチャレンジしました。「がんばる」じゃなくて「楽しむ」をモットーに四年間充実した学生生活を送りました。

④ NHKを志望した理由は?
放送業界は人が知らないことを広めて、人が変化することのきっかけづくりができる場所だからです。NHKは海外にも支局があり、技術面でもトップクラスなので、よい環境で自分の可能性を無限に広げることができると思ったからです。

⑤ 将来のキャリアビジョンは?
まず地方で何年間か下積みをして、いろんな人と出会い、視野を広げてから最終的にはドラマ制作をしたいです。日本中を泣かせるドラマを作りたいですね。そして、肩書きなしで、自分の名前だけで仕事がとれるような人になりたいです。

⑥ 最後に、東京東筑会へ一言
東京東筑会に熱さはすごいです。その熱さが先輩から後輩へ受け継がれる伝統が今もなお残り、いい意味で変わらないよさがあると思います。後輩たちもその熱さを感じてほしいです。


 

関西東筑会懇親会 応援報告 ~ 当番期の大役を終えて~ 億谷和彦(74期)

74期関西東筑会

 去る5月12日に、平成19年度関西東筑会懇親会が開催されました。
私たち74期は、当番期の使命を果たすために、13名が東京発7時50分発のぞみに乗って大阪に向かいました。
午前11時から現地で、関西東筑会の同期7名、北九州からの応援22名と共に、当日事前準備を開始、いよいよ当番期として最後の舞台本番が始まりました。
まず、増田東筑高校校長先生のお話で大変印象深かったことがあります。


○男子クラスが復活したこと
  かく言う私は、高校三年間を通じて男子クラスという、憂き目に遭っています。
○九州大学合格者数が昨年度97名(内88名が現役)だったこと。
  あの修猷館高校を九大合格率では上回ったというのは、我々の世代に取って、時代の流れを感じるエポックです。

 関西名物3番までの校歌斉唱の際に、関西東筑会の応援部OB富永事務局長から増田校長先生へ、ぜひ現役高校生に校歌を3番まで覚えさせて欲しいとのご注文がありました。
  東京東筑会からは佐野幹事長が出席され、当日の新聞に載っていた「同窓会に参加したくない」という相談室の記事を題材に、同窓会に参加できることのよさと参加できないことの不幸に関するお話をされました。参加者の皆さんも大半が頷きながら聞いていたように思います。
  関西東筑会の同期が最後まで準備に奔走した懇親会も無事に終わり、2004年に北九州、東京で同期の結束を固めた総会、懇親会から始まった当番期活動のフィナーレを飾りました。
  その後、74期の皆で大阪の町へ繰り出し、埴生先生を交えて二次会、三次会、そこでは、今後の同期の活動として、広島東筑会への応援、還暦の修学旅行などを計画することを確認しました。そして、この日最後の締め、四次会は、新しい都、東京のメンバーで京都の宿に移り、京都駅前の料亭で、古き都の夜をも堪能することができました。
  翌日、関西の同期が準備してくれた京都旅行の組、名門コースでのゴルフ組、久しぶりに関西の知人と会う機会に恵まれた組、翌日の仕事に差し支えるので帰らなければならない組などに分かれましたが、それそれが大いに楽しんだ二日間でした。

74期関西東筑会2

 

京都旅行・・・ おもてなしのこころ  / 齋藤容子(74期)

関西東筑会が成功裏に終わり、関西と九州などの同期との打ち上げの翌日、ちょっと紫外線が気になるほどの陽気の中、古都を散策しました。
自宅に関西東筑会の担当割りの表が届いたのは、出発の数日前でした。一緒に翌日の京都旅行の日程が同封されていました。高台寺と京町屋(杉本家)は聞いたことがありません。高瀬川二条苑の昼食は京都の懐石料理です。参加する人達の名簿もありましたから、あの人とも会える、この人も来るわと、楽しみです。金曜の夜、そんな気持ちで、職場から一路大阪へ向かいました。

当日は、関西の同期の方たちが、参加者の宿泊ホテルに迎えに来てくれ、第一番目の目的地高台寺に到着しました。古典にお詳しい埴生先生と案内係の方の間で話がはずみ、いろいろな説明を聞くことができました。中庭の植物はその年回りを考えて植替えの準備が行き届くように、季節ごとに彩色も考えられて配置されています。玉砂利の庭の所作といい、すべてに思いがたくされ意味があるのですね。目線をあげると遠くの景色は見事な青葉。まるで紅葉のように色が重なりあっています。

いつもなら数分の順路です。こんなにゆっくり京都を回るのは久しぶりです。気がつくと、前のグループからずいぶん遅れていました。松尾さんが度々携帯で、他のメンバーと連絡を取り合ってくれているのが聞こえました。食事の予約時間も迫っているのでしょう。おかげで心行くまで、高台寺散策を楽しむことができました。

この旅行は関西の同期の方たちが、同窓会の準備に追われる中、企画してくださいました。旅の行き先のアイデアを出した人は下見までしたようです。遠くから来てくれる同期に感謝し、ふだんでは気がつかない京都のいいところを案内したい、その気持ちが随所に表れていました。「人をもてなす」ということ深く感じた旅行でした。

74期関西旅行

 

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会務報告/平成17年度決算および平成18年度予算…(略)
東京東筑会会則…(略)

 

編集後記

若い世代の参加が増えています。あらゆる世代が集い、先輩後輩の壁を廃してそれぞれが交流を楽しむ“東京東筑会らしさ”が、ますます色濃くなってきているのではないでしょうか。そんな素晴らしい繋がりが、いつまでも連綿と続くことを心より願います。今回の編集にあたりましては、そんな東京東筑会の層の厚さを反映すべく、各世代からバランスよく原稿を掲載するように留意いたしました。
編集作業も残すところわずかとなったいま、ふとインターネットの「ヤフー!」で[東筑高校]を検索してみました。検索第一位は、当然母校のホームページ。そして検索第2位は、東京東筑会ホームページです。つまり、東筑高校に興味をもった人の中で少なからぬ方々が、我らが東京東筑会の存在を知るのです。
例えば、将来東京で活躍したいと夢みている故郷の中学生は、東京東筑会の存在を東筑の魅力のひとつと感じて、さらに受験勉強に励むかも知れません。そして数年後「あずみ会」の壇上で、私たちに自己紹介をしてくれているかも知れません。
                                           三好尊信(84期)

東京東筑会会報 第25号 平成19年9月20日発行 編集長:三好尊信 発行人:安永保昭 発行所:東京東筑会事務局


第25号

(2007年 平成19年9月)

第25号