
CONTENTS
新役員就任の挨拶
安永保昭(53期)・稲冨保夫(51期)・山保文枝(59期)・佐野義人(68期)
郷土往来
新北九州空港・来年3月16日OPEN! /宮野謙剛(83期)
近 況
モロッコからの便り /占部建三(63期)
東筑の思い出
エトランゼの「同窓会」 /北里欣也(43期)
私の当地 /加茂睦和(58期)
中庭と体育祭 /今永喜美子(85期)
「三年間過ごした場所」 /濱 雄治(101期)
懇親会PR -75期当番期-
懇親会と準備の思い出 /姥浦浩子(72期・旧姓 高原)
同期会だより
25回目を迎え、ますます盛会 /稲冨保夫(51期)
安永保昭東京東筑会会長の激励に24名が出席 /千々和久幸(53期)
平成17年度関西東筑会懇親会・72期同期会に参加して /林 幸彦(72期)
提 言 ~東京東筑会も改革を~
同窓会も積極的に稼ごう 「会報」は全員無料配布 /小林三郎(54期)
東筑高校の同窓会活動の現在と将来に思う /永田雄次(67期)
会務報告
平成17年度予算案
編集長より
会員各位 平成17年5月
東京東筑会 会長 安永保昭
個人情報保護法への対応に関するご報告
拝啓 時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。さて、平成17年4月1日より「個人情報保護法」が施行されました。
私ども東京東筑会は、会員各位の個人情報の取り扱いに閲しまして細心の注意を払って参りましたが、今後は一層個人情報の適切な取り扱いに努めて参りたいと存じ、当会の基本方針を以下のように定めましたので、ご報告させていただきます。
敬具
[個人情報保護方針]
1.法令等の遵守と継続的改善 当会は個人情報保護に関する法令・ガイドライン等
を遵守し、個人情報を適切に保護する為に基本方針の継続的な見直し、改善に
努めます。
2.適正な取得・利用 個人情報の取得にあたっては、利用目的を明記し適正な方法
によって取得いたします。また、取得した個人情報は当会の活動の範囲内で利用
します。
3.第三者への提供 会員ご本人の同意がある場合を除いて、第三者に個人情報を
提供することはありません。
4.安全管理 ご提供いただいた個人情報の正確性及び安全性を確保し、個人情報の
紛失・破壊・改ざん・漏洩等が無いよう適切に管理いたします。
5.開示・訂正・利用停止等 当会が保有する個人情報こ関して、会員本人から開示・
訂正・利用停止のお申し出があった場合は迅速かつ適切な方法で対処いたします。
6.苦情等の窓:当会の個人情報の取り扱いに関する苦情・お問い合わせは東京東筑会
事務局(日・祭日は休み)
TELO3-3232-5211 FAXO3-3232-5212
63期 渡辺克彦より
63期では、長年話題を提供していた入江勉君がその話題を実行しました。
2005年5月21日めでたく独身に終止符を打って、素晴らしい伴侶を得ました。福岡より夫婦で上京し、
同期に花嫁を紹介してくれました。その模様は63期情報を載せているホームページ「渡辺倶楽部」に
公開しています。またそのときの同期会に卒業以来音信不通だった高松仁君も参加されています。 http://homepage3.nifty.com/watanabeclub/
キーワード「渡辺倶楽部」でも検索してください。
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70期 重岡慣哉より
私達が幹事を行って早5年が経ちました。5年に一度は、同期の元気な顔を見たいですね。
10月の懇親会には、集まりましょう。思わぬ人が来ています。
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74期 山下雅実よリ
元懇親会実行委員を中心に、各種宴会、一泊でテニスとゴルフ、平日有給休暇で北海道ゴルフ
と 楽しく仲良く遊んでます。「かてちゃりい」と思った同期は10月22日に。
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76期 日原高志より
いよいよ来年は当番期を迎えます。懐かしいあの顔、そして忘れていたあの思い出、楽しかった
高校 時代が今ここによみがえります。懇親会で思い出を掘り起こしましょう。
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77期 垣内義則より
東京東筑会77期の集いを、本年4月16日(土)に開催しました。なんと22名(男性16名、女性
6名) の出席!定期開催しますので、ぜひ参加ください。懐かしい仲間と再会できますよ。
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59期 太田征男より
同期生の仲間が集って歓談したり、旅行するのはこれまで以上に楽しくなると思います。
今年の懇親会には、北村憲雄君が一時帰国して出席します。皆さんも是非出席下さい。
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84期 三好尊信より
今年は、九州から村田員俊君、北海道から森山裕充君が転職で上京されました。
二人とも10月の懇親会で会えますよ。
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101期 塗木達也より
卒業して3年、上京している同期がどんどん明らかになっています。
今年の懇親会は同期が大勢来るようです。
新役員就任の挨拶
4月25日の東京東筑会の総会で会長に選任された53期の安永保昭です。
前任の古岡会長(36期)は、平成8年度に就任されて以来3期9年に亘って東京東筑会会長を務められました。
その間、会は東筑創立百周年・東京東筑会20周年という節目の年の大事業も経ましたが、その知名度と見識などにより東京東筑会の顔として内外に会の存在感を示されると共に、古野少佐との交流などを通して 「東筑の誇り」、「東筑魂」 や「川筋気質」などをお教え頂き、さらには中国の故事などをもとに人生の教訓を頂くなど、東京東筑会に大きな足跡を残されました。
私はその器でもなく、もう気楽な立場で居たいので固辞していたのですが、まったくの想定外の展開で大変重い役を担う事になりました。この上は会員の皆様の信任に応えるべく誠心誠意努力して参りますので、何卒宜しくお願いします。
東京東筑会は発足以来関わった多くの方々の努力で既に四半世紀を超える歴史を重ねていますが、実質的には数名の幹事長や事務局長の献身的なしかも長期にわたる犠牲によって支えられてきました。これらの方々への敬意と感謝の念を抱きながら、積み上げられた伝統を大切にして行きたいと考えています。
しかしながら、急速な世の中の流れや世代の移り変わりの中で、東京東筑会も従来の考え方や仕組みでは対応出来ない面が多々出てきています。会の三大事業として「懇親会の開催」、「名簿の発行」、「会報の発行」が定められていますが、数年前から若い方々の努力でさらに 「東筑フォーラム」や「ホームページ」なども立ち上げられ、これらも事業としての比重が増してきています。
また、例えば「名簿」 について言えば、会の基礎として「名簿の整備」は大変重要ですが、個人情報保護法の精神からいって「発行」は不適切になって来ています。「会報」のあり方も議論が必要になってきました。さらに会の仕組みについても議論が必要になってきました。
このような中で、東京東筑会の存在価値を高めるには何を追い求めていけば良いのか、そのための仕組みはどうあるべきかなどの議論を深め、「会則の改正」を含む『制度のリニューアル』を進めていく事が一つの課題で有ると考えています。
今一つの課題は 『財務基盤の健全化』 であると考えます。数年に百一った収支赤字の連続で財政基盤は弱くなっていますが、前年度は若い方々の努力で会費収納のアップと送料の引き下げなど費用の効率化が進められ、久しぶりに収支がプラスにバランスしました。このような動きをさらに進めると共に、経理システムの再構築が必要であると考えます。
会の事業も進めながら、これらの課題を実現していくためには、幹事会や役員会でのオープンな議論と役員や期別幹事の方々の努力もさる事ながら、特に若い方々の新しい発想や知識そして行動力を必要としています。まったくのボランティアで飲み会も割り勘ですが、若い方々が幹事や委員あるいは事務局員などとして積極的に参加して頂ける事を期待します。
世代は違っても青春時代を同じ「東筑」という風土で過ごした方々が、東京東筑会によって、その絆をさらに強め、癒され、活力を再生する一助となれるよう頑張って参りますので、会員の皆様のご支援とご指導ご鞭提をお願い申し上げまます。
安永保昭
1937年、折尾生まれ。則松小、折尾申出身、九州大学法学部卒業。
化薬アクゾ株式会社の社長を2001年に退任。
趣味は、美術館、庭園巡り。スポーツ好きで、ゴルフは月に2~3回、そして週に2回か3回、テニスコートで汗を流している。
東京東筑会では、昭和61年に会計監査、平成7年より副会長を勤め平成13年に退任。
多くの推薦を受け、今年度より会長に就く。
この度、副会長を申し受けた51期の稲冨です。
古岡前会長の健康上の理由によるご退任で役員の交代が余儀なくなり、新体制による人事が行われ、53期の安永新会長、59期の山保新副会長が総会の場で決まりました。
そして、もう一人の副会長として、安永会長、山保副会長より就任の依頼を受け、学歴・職歴の無い小生が受けてよいものかと、さんざん悩みました末、引受けることにしました。一番頼りない小生ですがよろしくご指導のほどお願いします。
東京東筑会は、今いろいろと問題を抱えていますが、今後の会が今まで以上に、楽しい会となる様に、楽しく集まれる会に成るように、皆さんと一緒になってがんばり、影から後押しして行きたいと思っています。
任期一杯がんばって行くつもりです。皆さんのご協力よろしくお願いいたします。

稲冨保夫
1933年、生まれ。中間小学校、中間中学校出身。
プロフィールでは語りきれない、豊富な人生経験の
持ち主。趣味はカメラいじりと野球。戸田市ソフトボール協会の役員も務めている。
前幹事高橋氏の後を受け51期の幹事となり、十数年。幹事会出席数はトップである。
昨年、会の経理処理上の問題で協力を求められ、5年ぶりに東京東筑会執行部に顔を出し、ささやかながら助力をいたしましたが、これがご緑でこの度、はからずもこのような役目をおおせつかることになりました。微力ながら会のためにお役に立てればと、お引き受けいたしました。
私が会の会計の任を辞して6年の間に、当然のことながら世代交代が進み、急に若返りすぎたためだけではないでしょうが、会の運営がいささかギクシャクしている現状を見るにつけ、私達は今、同窓会とはそもそもどのような姿であるべきか、原点に戻って考えてみる必要があるように思いました。この思いから、本当に久し振りに古い同窓会誌を引っ張り出して、会の創生期に大変ご苦労された大先輩諸氏の貴重なご見識を勉強させて頂きました。
私だけが読んだのでは勿体ないので、ここにそのいくつかをご披露させていただきます。
▽初代会長 三原朝雄氏 (26期)
心の継がりである東京東筑会が、先同後輩三者のより深い理解により 「如水の交わり」 にまで昇華していくことを望んでいる。
▽初代副会長 白石大祐氏 (43期)
恒常的に存続する 「東京東筑クラブ」 がどこかに作られて、同窓生が気軽に立ち寄れ、先客と寛ぎ、話を交わし、しばし憩えるそんな場を実現したい。
▽元副会長 長畑寛照氏 (48期)
会員のための会でなければならない。価値観の異なる老若男女が、この会を通じて別け隔てなく交流できる温か味のある場として育てていきたい。
▽元副会長 千々和久幸氏 (53期)
同窓会は、一過性のお祭りであってはならない。継続こそ大切である。地味な期別幹事の日常的なボランティア活動こそ継続の力である。百の議論よリーつの実行こそ貴い。
▽現期幹事 中村一生氏 (64期)
同窓会とは参加することに意義がある。参加して思い出話に花を咲かせればそれでよい。十回集まりがあれば、十回同じ話で盛り上がる。同窓会とはそんなものです。
このように、諸先後輩の東京東筑会に対する熱い想いに触れるにつけ、同窓会とは、青春の多感な時期を同じ学舎で過ごした仲間が、誰でも気軽に集まれて、お互いに元気な姿を確認し合い、懐かしい昔話に花を咲かせ、近況を語り合える和やかな暖かい、そして全く身構える必要のない場であることが、原点でなければならないと教えられました。
次代を担う若い現役の方々の参加、大いに歓迎です、が、どちらかといえば、現役を退かれた方々、或いは、そろそろ現役引退の近い方々が、旧交を温めあえる場にすることに比重を置いた方が自然なのかなとも思います。
これまで色々な経緯があったように伺いましたが、 同窓会とは…どうあれば良いのか…自問しつつ、出来る限りの努力を重ね、お役に立てればと考えております。
皆様方の力強い応援を、切にお願い申し上げます。

山保文枝 (旧姓日上野)
昭和17年、生まれ。江川小、洞北申出身。
子供の独立後に専念できるものをと始めた書道が本業となり、 (社)創玄書道会会員、八王子生涯教育書道講師、創華会主宰と超多忙な毎日を過ごす。
健康の秘密は、22年続けている週2回の水泳と週1回のボーリング。
東京東筑会では昭和58年から平成11年まで会計を担当された。
この度、幹事長に就任させていただきました、68期の佐野です。
私が東京東筑会に入会しましたのは当番期の1年前、平成9年の同窓会からです。
私達の当番期の時は幸か不幸か、東筑百周年、東京東筑会20周年の記念同窓会であり、私はその実行委員長という大役を仰せつかりました。その折には先輩、後輩諸氏には大変お世話になり、ありがとうございました。改めて御礼申し上げます。
今回、幹事長をお引き受けするに当たって 「同窓会」 って何?と思い辞書を引いてみました。
【同窓会】 同じ学校で学んだ、同じ先生に学んだものの集まり。
ただそれだけでした。ただそれだけに改めて同窓会運営は大変な仕事だと痛感している次第です。
幹事長としての私の使命は、先輩諸氏が築いてこられた東京東筑会を引き継ぎ、若い世代に新しい東京東筑会を築かせることです。
当番期当時は幹事会でも先輩方が多数おみえになり、私達同期も若い若いと思っておりましたが、あれから8年も経ちました。当番期、或いはその後輩連中から見ると私も口うるさい年寄りになって参りました。
又、私達の世代は所謂「団塊の世代」 の下の世代と言われておりました。私は勝手に学生運動終焉の世代 (私たちの前年、東大受験が中止) と思っております。学生運動終焉の挫折感とともに、それまでの、たとえば先輩の言うことが絶対だった価値観が私達の世代から変化してきました。
また71期頃より本校の学区が広がり、私達のころで20弱だったものが、今や40数校の中学から受験できるそうです。
私は芦屋中学出身で、私の同期は50名程いましたが、今は数名しか入学できてないそうです。1学年の人数も私達の時は500名でしたが、今は350名しかいません。
これらのことから今の若い人達には同期会という横の関係、同窓会という縦の関係も薄らいでいくのではないかと危惧しております。
この状況の中で、安永新会長以下、新役員の皆様と打ち合わせを重ねる中、今までの会運営ではそぐわない問題も顕著になってまいりました。会則の見直し、財政の建て直しなど問題が鬱積しておりますが、期別幹事の皆様と一つ一つ解決し後輩達に良い伝統を残していきたいと思っております。
そして、この東京東筑会でより活発な活動を行うために、「知り合い作り」 の場にしようと提言します。
東京東筑会には 「マスコミ東筑会」 という会がありました。同じ東筑同窓生でマスコミ関係の人達だけの40名ほどの集まりでした。復活しましょう。他にも同業種の会を作りましょう。金融、情報、建設、流通業、お互いの情報交換の場にしましょう。
また、東京あしや会という会があります (東筑生だけの会ではありませんが)。中間会が復活するそうです。では各地域の会を作りませんか?他にもゴルフ同好会があります。じやあテニス同好会、囲碁将棋の会、手芸の会等々趣味の会を作りましょう。絵画、書のグループ展をしましょう。路線別、小田急沿線、常磐線沿線、中央線沿線の会でお花見しましょう。いつもの電車の人が東筑生だったかもしれません。最初は少人数でいいんです。東京で東筑生の知り合いをたくさん作りましょう。
同じ学校で学んだ人、同じ先生に学んだ人達が世代を超えて知り合いになる場を提供する、そんな会にしたい。その集まりが新しい東京東筑会になります。まさしく「このゆびとまれ」 です。
新しい伝統を皆様と一緒に作りましょう。皆様のご協力よろしくお願いいたします。

佐野義人 (68期)
昭和27年生まれ、芦屋中学出身。
西南学院大学卒業後、外資コンピューター会社に入社し、5年間営業を勤める。その後、久留米の税理士事務所にて3年間勤務し、現在の勤め先の前身である会社に入社。
熱海、東京にて18年を過ごす。長い単身生活後、2年半前から家族4人での生活をエンジョイ中。
趣味はゴルフ、美術館めぐり、ダーツ。
このゆびとまれ
まず皆さんの情報で出来ることから始めましょう。
東筑の同窓生がやってらっしやる、レストラン、居酒屋さんを紹介しましょう。
同期の方などでご存知の方、敢えてください (当然ご本人の承諾は必要ですが)。
また展覧会、講演会など情報を敢えてください。趣味の個展、グループ展でもいいですよ。
興味あって近くの方が立ち寄ってみては。徒党を組んでいくんではないんです。買い物ついででも。
次にいろいろな会ですが、難しく考えないで 「オ二さん手を上げて!」 「テニスしています。今度 やりませんか?」程度でかまいません。二、三人からどうぞ。
「秋、紅葉狩しましょう。近場でいいとこありますよ。同期の人誘っておいで。(中央線沿線の方) 」 「常磐線沿線の会作りましょう。北千住で飲みましょう。」
なんでもいいじゃないですか?
一人でも二人でも 「知り合い」 になりましょう。輪が広がると思いませんか?
今はタイムリーな情報源としてホームページがあります。有効に使ってください。
ニケ月に一回の幹事会で 「こんなことしましたよ」とご報告ください。
来年の会報は、楽しい会のスナップ写真でいっぱいにしましょう。
たくさんの東筑の「知り合い」を作りましょう。東京東筑会はその情報発信源です。
情報をお持ちの方、「オ二さん」、事務局に連絡ください。
ホームページに流してもらってもかまいません。
同期の幹事さんにご連絡いただいてもかまいません。
ダーツって流行ってるのご存知ですか? うまくはないけど面白いゲームではまっています。ダーツしてみたい人、このゆびとまれ!
郷土往来
皆さんは九州に帰省するとき、どんな交通手段を使っていますか。おそらく多くの方々が、福岡空港を利用しているのではないでしょうか。しかしそれも、来年の正月までの話になるかも知れません。
北九州市東京事務所に勤める宮野さんから、故郷と私たちの距離を縮めるうれしいニュースが届きました。

新北九州空港 来年3月16日OPEN! 宮野謙剛(83期)
東京勤め2年目になりました83期の宮野と申します。北九州市役所には平成2年に「土木」の技術職として入職し、15年目になります。入職した頃から 「東京事務所」 という職場がある事は知っていましたが、まさか自分が赴任するなんて思ってもみませんでした。
東京に来た時の第一印象は、とにかくみんな、よく歩く歩く。こちらに来る前は直方市との市境の八幡西区星ケ丘(昔の笹田) という新興団地に住んでいて、通勤は当然車、買い物は週末に郊外のスーパーでどっさりと買い込むのが当たり前で、近くのコンビニに行く際にも車で行くような車社会ど真ん中での生活でした。こんな私でしたが東京赴任が決まって2台の車を処分し 「いざ東京」と勇んで来たものの、まず歩くことだけで1回目のダウンをくらったみたいでした。
すぐに超軽量のビジネス用ウォーキングシューズを買いに走った事は言うまでもありません。
以降は今一番ホットな話題の新北九州空港についてご紹介いたします。
◆新北九州空港の概要
新北九州空港は24時間運用可能な海上空港として北九州市の沖合3キロの周防灘に建設中です
【写真1】。
現在、国による滑走路、誘導路、管制庁舎などの本体工事と平行してターミナルビルの建設工事も進んでおり開港に向けて着々と準備が進んでいます。
この空港が出来る人工島は関門航路の渡漢土砂処分場であり、昭和52年に北九州市に隣接する苅田町沖に着工、平成6年に新門司沖に着工したもので、合わせて今の形になったものです【写真2】。写真を見てわかるようにまだ一部が陸地化していませんが、ここには今後当分の間、引き続き関門航路の浚渫土砂を受け入れる事となっています。資源を有効活用した合理的な計画で、国内の他の海上空港と比較しても、空港の建設費は非常に安価なものとなっています。
現在の北九州空港は滑走路が1,600メートルで小型ジェット機(130人程度)しか就航できないなど物理的制約の多い空港ですが、新空港では、滑走路の長さは2,500メートルで、ジャンボ機などの大型ジェット機(450人程度)の就航が可能になります。
◆今後の展開
新空港の開港によって、人・モノ・情報の交流が活発化することで、新しい産業やビジネスのチャンスの拡大、雇用の増大が期待されます。
深夜早朝の運航が可能という海上空港の特性を生かし、既に新規航空会社が早朝深夜便も含めた東京とのシャトル便1日12往復を計画しており、また宅配運輸業者も深夜の貨物専用便を計画しています。また、国内地方路線や韓国、中国を中心とした国際路線についても積極的に誘致を進めています。
新空港周辺は、既存の日産自動車に加え、昨年12月のダイハツ車体中津工場の本格稼働、さらに、トヨタ自動車エンジン工場が来年稼働するなど、自動車産業の一大集積地となりつつあり、関連企業も含め、国内外との人・モノの流れがさらに促進されることが期待されています。
◆アクセス道路
小倉から空港へのアクセス道路は、都市高速道路~九州縦頁自動車道~東九州自動車道~新北九州空港連絡道路で、延べ30キロ、所要時間は27分です。道路本体の工事とともにそれぞれを円滑に乗り継げるようにする工事が進められています。
①都市高速道路~九州縦貫自動車道現在、両道路を直接連絡する直結ランプを建設中です。
②九州縦貫自動車道~東九州自動車道
九州縦貫自動車道から工事中の北九州JCTを経由し東九州自動車道に入ります。この北九州JCTは既存の九州縦貫自動車道から大分宮崎方面への分岐点にあたり、すなわち東九州自動車道の起点です。このJCTを含め苅田北九州空港ICまでの八・二キロは既に舗装工事に着手しており工事は最終段階に入っています。


③東九州自動車道~新北九州空港連絡道路
東九州自動車道苅田北九州空港IC 【写真2】 と空港島とを結ぶ、延長8キロ(うち海上橋梁部2.1キロ) の四車線道路です。
日豊本線と国道10号を高架で越えて行く一般道です。海上橋梁部は全長2.1k m、幅員22メートルの橋梁で、橋梁形式は航路部にあたる中央径間部 (0.4キロ)が鋼モノコード式バランスドアーチ橋、両側径間部(1.7キロ)が鋼床版連続箱桁橋です。中央部の主径間は210メートル、海面から道路面までの高さは約27メートルです。この橋の特筆すべき事はその外観の美しさと、無料であること、歩道があることです 【写真3】。
歩道は幅員3メートルで、自転車および車椅子でも通行可能なように緩斜面の取付け道路で平面道路と接続しています。私自身も体験しましたが、この橋梁からの景観はすばらしく、なかなか体験できない貴重なスポットだと思いますよ。橋のたもとに駐車場もございますので、機会があれば開港後にぜひ行ってみてください。
◆八幡西区からのアクセス
八幡西区から飛行機に乗るとなると、現状では八幡西区の住民の96%は福岡空港を使っています。その理由は便数の多様さ、アクセスの利便性に尽きると思われます。かく言う私も100%福岡空港を利用していました。しかし今回、新空港が開港いたしますと、およそ1時間に1本、羽田行きの便はありますし、アクセス時間は車で黒崎駅から37分(福岡空港までは54分) となり、非常に便利になります。ターミナルビルの目の前に1,500台の駐車場を完備し、駐車場料金も24時間で390円(福岡空港は周辺民間で1,000円)と格安です。
さらに黒崎駅~引野口IC~千代ニュータウン~新空港といった直行バスも計画されており、引野口ICから比較すると新空港までは36分、福岡空港までは56分となり、アクセスに関しては十分太刀打ち出来る様になります。また、現状の引野口ICバス乗場が窮屈ですので、新空港の供用開始を契機に駐車場や送迎用のスペースも確保したバス乗降場を整備しています【図1】。

◆最後に
最後にこれから北九州地方へ出張・帰省・旅行される皆様、現北九州空港と併せて、3月からは新北九州空港をぜひど利用ください。よろしくお願いいたします。
51期 稲冨保夫より
昭和27年11月、現在の校歌完成、校庭一本松の下、全校生で合同練習。新校歌にて学校を
送り出された卒業生は、我々51期生が最初、今もなつかしい・・・
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52期 畠山和政より
1月12日に開催致しました東京東筑52期会兼仰木彬君の監督就任激励会から8ケ月たちました。
プレーオフ戦で10月8日9日10日に先ずロッテと戦います。応援に行きます。皆で!
又、新生東京東筑会の発展にも我々52期は協力しましょう!!
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54期 小林三郎より
54期の皆さん、東京東筑会の改革に先陣を切って取り組もう。
来年は高校卒業50周年を迎え、5月22日には全国から東京に集結し、帝国ホテルでパーティーを
開催、どうぞお楽しみに。
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55期 久保田・浜中より
今年の55期同期会は12月10日(土)三井アーバンホテルで予定しています。
別途案内をしますが、あなたの予定表に今すぐ記入を願います。
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近 況
東京東筑会の皆さん、こんにちは。
63期所属の占部と申します。来年末までには同期のほとんどは還暦を迎える事になり、「還暦旅行」計画の話が持ち上っていて、とても楽しみにしております。さて、今回の東京東筑会会報投稿の内容ですが、ここ数年の自分と家族の歩みを振り返って、比較的ユニークと思われる体験(あくまでも私自身が勝手に抱いている世間一般の「平均的家庭生活者像」 ?と比べて)で、一番印象的だったことについて書こうと考えました。まず、過去数年を顧みて真っ先に脳裏に浮かぶ大きな出来事は以下のようなものでした。
(1)1998年6月にそれまで27年お世話になった日本企業(通信業界)を自己都合退職し、同じ業界の外資系(スウェーデン)企業に転職。2000年8月~2001年1月にスウェーデンのルンド市に半年間妻と同居で赴任、秋にデンマーク、ノルウェー、冬にモロッコに旅行。
(2)2002年8月に家族4人(私と妻、長女、長男)で「無賃」タイ旅行。(未使用のまま貯まっていた航空会社のマイレッジのポイントを全て消費)
(3)2004年4月にリオンでフランス料理の一年間見習い修業を終えた息子が帰国し軽井沢のレストランに就職。
(4)2005年4月に7年間お世話になった外資系企業を自己都合退職し、日本のベンチャー企業(通信業界)に転職。フリータだった娘がJICAの青年海外協力隊でモロッコへ派遣。

この間、実母、義母、養母、実父が1、2年おきに次々に世を去り、寂しい思いをしました。波乱万丈とはいえませんが、それなりにめまぐるしい変遷を経て今日を迎えています。このなかで、特に印象に残るのは半年間のスウェーデン滞在とその間のレジャー旅行(ノルウェー、デンマーク、モロッコ)でした。
なかんずく、2000年のクリスマスシーズンに妻とモロッコへ旅行した際に訪れた古都マラケシュは思い出深かったのですが、奇しくも今年、我々の娘がJICAの青年海外協力隊から同地へ派遣(2年間)されることになろうとは夢想だにしませんでした。本当に奇縁です。娘はフリータ生活中に一級建築士の資格を取っていたので、その枠でなんとか入隊出来たようで、かの地での仕事は歴史的建造物の修理・記録作業関連のお手伝いとのことです。
モロッコはモスリムの国の中でも比較的リベラルで開けていますが、ヨーロッパ、アジアとは全く異なる文化の香りを感じました。ここで、娘からのメールから一部を抜粋引用します。
◆
私が来たことによって今からはじめることになるプロジェクトは、マラケシュメディナの現状の全調査というとても責任重大かつ興味深い仕事です。
今、マラケシュはバブルが来ているという話は前もしたと思うけど、メディナの中もここ2、3年でかなり様変わりしています。
昔ながらのすばらしいつくりなのに保存状態があまりよくない伝統的な家を次々にヨーロッパの会社が買い取って、西洋人にウケる「モロッコ風」の趣味のプチホテル(メゾンドット)に次々改装していってるの。別荘としてメディナ内に家を持つ外国人も増えてて、その分、昔からの住民や家は実際どんどん失われているんだよね。
その流れに何とかウチの職場が前からブレーキをかけたいと思っているんだけど、国の上の方針が目先の外貨収入だけに向いてしまっているから、プロジェクトに必要なPCなどの機材も予算が付かず、放置されちゃってるのが現状。
昔からメディナの調査は何年かに一度は行われていて、主要な建物の手書きの図面やいくつかの写真などは残っているものの、デジタル化したまとまった資料としてすべての建物の現状は把握できていないの。
そこで今回、改めて最新のデータを地道に集めていきながら、ひとつのまとまったシステムとして整えるプロジェクトをはじめるワケ。そのデータには、建築物の意匠、構造、設備、平面・立面などの単体としての情報だけでなく、街区内での位置づけ、ひいては歴史学・考古学から見た価値や社会学・文化人類学などの視点も取り入れて、総合的なものにしていく予定。もちろん、これは完全に終わらせるには少なくとも5、6年はかかると思われる仕事なんだけど、取りかかれる場所からできるだけ早く今の現状を調査していって、改築・新築の申請に対する適切な判断を下せる材料を整えていく必要があります。
◆
サハラを旅したお嬢様の足跡の写真
まだまだ経験の浅い娘ですが、自分の眼で直に物事を見て考えながら懸命に与えられた課題に取り組んでいる姿がほほえましく、また誇らしく思うこの頃です。
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東筑の思い出
当時ぼくの小さな楽器店の経理士A氏は、福岡県の鞍手高校から西南大学を経た人であった。昭和50年代、それは同窓会というものが、日本中に澎湃として巻き起こっている時代であった。「もう、食傷しとりますたい」とA氏は言った。
「今年は高校も大学も一緒くたですもんね。しかし東筑はどうしてやらんとですかね」
一方ぼくはと言えば、熊本の阿蘇から小学6年の3学期に福岡県の炭坑町に転校して、翌年めでたく東筑中学に入学したものの、その5年生の最後の学期も終わろうとする時、ぼくの家族はぼくを置き去りにして熊本に舞い戻ってしまった。しかも昭和19年、あの悲劇の太平洋戦争は断末魔の苦痛に喘いでいた。やがて敗戦。日本人が始めて味わう混乱怒涛の時代だった。おまけにぼくは時間的にも空間的にも、すべてが断ち切れてしまったのである。ぼくは糸の切れた凧に等しかった。
「しかしですな、同窓会ち言うてんですな」と、A氏は言った。「向こうはこっちを覚えとるというのに、こっちは全然思い出せんこともあるとですたい。もちろんその反対もありますがね」何と言う贅沢な不平であることか。ぼくはばとんど腹立たしいくらい惨めな聞き手だった。
ところが昭和53年のある日、新聞の読者案内欄に「東筑中学、高校の同窓会の開催」という文字が、よそよそしくも規則正しく並んでいるのをいきなり発見したのである。
その日、多分10月のある日、ぼくは勇んで新宿の京王プラザホテルに向かった。
会場は500人ほどの人びとに埋めつくされていた。しかしその中には、ぼくの同窓生らしい人物は発見できなかった。おまけに不思議なことに女性が少なからず混じっていたのだ。だまされたような気分に悩まされて、ぼくはスゴスゴと会場を去るしかなかった。
やっぱり同窓会には無縁だったのだ、とぼくは自分に話しかけた。同級生らしい人物は一人もいないのに、なぜか多数の女性がいた。あれが本当に東筑の同窓会だろうか。

▲昭和57年度の東京東筑会懇親会にて。三原朝雄元会長の左隣がシライシ氏。その隣が北里氏。
翌日ようやく冷静な気持を取り戻して、ぼくは会場で受け取った参加者名簿をつくづく眺めてやった。「昭和19年卒業43期生」その中にぼくを含めて4人の名が並んでいる。
翌日思いきって、なんとなく面影を浮かべられるオオスミという大柄な少年を選んで、電話をしてみた。「昨日は19年組の同級生は誰か来とったろうか」とぼくが遠慮がちに言うと 「あんた、キタサト君ちね。ほう・・・・」 と、なぜか腑に落ちない様子の返事である。しかし30分もしないうちに、意外な電話がきた。「キタサト君ね。おれシライシたい。今オオスミが知らせてきた。昨日は福岡からウメバヤシが来て、43期は別な所に集まったとたい。すまんすまん。」 その男の声は懐かしげに意気込んでいた。「実は近いうち、またウメバヤシが来ることになっとるけん、ぜひあんたにも来てもらいたか。近いうち電話するけん、待っとんなっせ」
ウメバヤシと言うのは社宅近くの商店の件で、確かに同級生の一人だった。色白で少し不良ぽい少年だった。鞄の紐を出来るだけ細く伸ばして、鞄を尻で跳ねあげながら歩いていた。彼は予科練に言った筈だった。
10日もしないうちに、シライシから電話がきた。明日同級生が7人集まるという。
約束のその日、ぼくは神田駅東口の改札をめざした。「おお、キタサト君」と、ぼくが改札口を出ると同時に、チロルハットをかぶった白痩身の男が手を挙げて歩み寄った。ぼくはその男が、ぼくの同級生であるかどうかを詮索する余裕はなかった。ぼくは手を伸ばして、彼の手をしっかりにぎりしめた。
予定の狭苦しい宴会場には、7人の同級生が集まっていた。「おっ、キンチャン」 と叫んだのが、あのウメバヤシだった。彼は少し痩せて見えた。しかしぼくが真に同級生であることを確信出来たのは、実は彼一人だった。
こうしてぼくの同窓会はこの日新しく誕生したのである。シライシとぼくは、東筑中学の新一年生として、いつも優しく語り合うことになったのであった。
←灯台もと暗し。 在学中は気付かなかった心の友に、同窓会で巡り合うこともある。
折尾で育ち、東筑高校の東側にある則松小学校に東筑のふちに添って通っていた私にとって、東筑は通学路から見るようにまさに見上げるような存在だった。私にとって東筑は高校の代名詞といえるもので、中学の後には東筑に行くものだと信じこんでいた。ただ見上げる存在だっただけに好奇心も大いにそそられた。通学路から斜面を這い上がると、まん中に松ノ木が邪魔そうにぽつんと立っている、子供心に奇妙に感じるグランドがあった。しかしそこで開かれる運動会は、そのスケールの大きさや華やかさで子供達の目を楽しませ、毎年の楽しみとなっていた。そこで行われる体操の模範演技はサーカスかと思えるほどアクロバティックであり、特に楽しみだった。
またグランドの東南の角にはプールがあり、夏場は周りに水遊び場がないだけに子供達の大きな関心を引き付けていた。監視の目をかいくぐり何度遊んだことか。ただ水は汚れ底にはコケが生え、その汚さは言い様もなかった。
毎日学校に通いながら見ているだけに特に東筑というものを意識はしなかったが、今でも強く記憶に残っていることの一つは、折尾の八幡公園で開かれた昭和28年の甲子園出場の壮行会である。設えられた舞台の上に選手達が並ぶとともに、公園に入りきれないほどの人が集まり、頑張ってこいよという激励会である。これほどのことをやるほど大変なことかと思いながら公園の滑り台の上から見ていた。
東筑入学は、南極に昭和基地が作られ、東海村に原子炉が出来、原子の火が灯り、ソ連がはじめての人工衛星「スートニク1号」を打ち上げ、映画「戦場にかける橋」や「嵐を呼ぶ男」が公開された、昭和32年である。さらに付け加えれば、長島が巨人と契約した年でもある。東筑時代はどのクラブ活動にも属さない 「無所属」 でありまたノンポリでもあったため、授業が終わるとサッサと家に帰る、遊びのない3年間の生活だった。特に自宅が折尾駅の裏で学校まで5分少々のところだっただけによけいに立ち寄り遊ぶ場所もなかった。ただ野球の応援だけにはよく出かけた。小倉豊楽園、三萩野、桃園、平和台などが主だったが、3年の春だったと思うが、九州大会では佐賀まで出かけたこともある。野球の応援も夏の大会は盛んであるが秋の新チームによる試合の時には閑古鳥がなくような寂しさだった。一年か二年か記憶は定かではないが、豊楽園球場での秋期北部地区予選で、主審がノーアウト満塁のケースで、内野フライに対してインフィールドフライを宣言しないことがあった。当時の大橋監督が猛抗議を行い選手がベンチに引きあげるなど紛糾し、審判団に対し数少ない観衆からも野次が飛んでいた。後ろで大声で野次っている人を振り返ってみて教頭の石川先生だったので驚いたことがある。そういう私も審判から「そこの生徒、高校生らしい応援をしなさい」と注意を受けた。
昭和44年、就職で東京にでてきてからは東筑を意識することもなく過ごしていた。ところが昭和54年、新聞の片隅に東筑の関東地区同窓会開催の案内を見つけた。京王プラザホテルで開かれた第1回東京東筑会である。同期生と卒業以来の懐かしい再会であった。我々が第2回の当番期となってまた東筑が頭の片隅に意識されるようになってきた。当番期の後、毎年同期会を開くようになり、出来るだけ出かけるようにしている。出席率は決して悪い方ではない。ここ数年は同期の末松誠君が四ッ谷三丁目で経営する、焼酎バー「羅無櫓」で開くことがばとんどである。出席者がやや固定化されている感はあるが、それでも開く毎に若干の新参入者があらわれるのが楽しみである。店は決して広いものではないが、30名前後が押し合いへし合いでアルコールを酌み交わしながら熟年の生活をまた高校時代の思い出を語り合っている。
また主の末松君が山登りやということもあって、ボランティアで有志を山に連れ出している。私が聞いているだけでも、白馬、那須、櫛形、屋久島、ヒマラヤなどである。私もかつては仕事の関係で東京に出かけることが多く、夕方になると同期の仲間と語り合って四ッ谷三丁目に出かけ、即席同期会を開いていたが、時には顔を出した同窓の方とにわか同窓会となることもあった。
時は移り、我々もリタイアの年を超え熟年の生活を送るようになり、四ッ谷への足が遠のくようになってきた。また東筑の記憶も遠くなってきている。しかし東筑への思いは弱まることはなく、夏の野球に冬のラグビーと県予選の結果を楽しみに見ている。今年の夏ももう一息だっただけに残念だった。ともかくなにかにつけ東筑への細い糸口を大事にしたいと思っている。

「中庭」 と言って、みなさんはどこを思い出されますか?
私は、真ん中に小さな丸い池のあるあの「東筑高校の中庭」を思い出します。
戦 略
東筑の体育祭は、学年対抗戦です。(でした?)1年の時3位、2年の時2位、と、順当に先輩方を『立てて』きた私達にとって、3年の体育祭は、絶対に勝たなければならない勝負でした。
目的がはっきりしたときの東筑生のチームワークには目を見張るものがあります。やるべきことに対して、自然にリーダーが生まれ、彼ら彼女らをいくつものチームが支える。それぞれが自分の役割を自覚し、それを実行していました。
春の体力測定の50メートル走記録をもとに、本人の言い訳は許されず、リレー代表が決まりました。
「3年の春という運動部員にとってのベストコンディション時の記録を、引退した後『勉強一筋』(?)の今の私に求められても…」と心の中で叫びながら、毎日バトンタッチの練習をしました。
得点の大きい、リレーや、応援合戦で必ず勝つ、というのが、私達の戦略だったからです。
そして本番
体育祭当日は、応援団長による「学生注目!」で幕を開けました。練習の時には一度も見られなかった「縦横きちんとそろった入場行進」。徒競走などでは、『現役』2年生に遅れをとることもありましたが、リレーでは、なめらかなバトンタッチで勝利を収めました。
そして、応戦合戦。女子生徒によるダンスパートの、万華鏡のような変幻自在の隊列の美しさと、息のあったおどりは、自分たちでも会心の出来でした。男子生徒のドラゴン神輿は、あまりにも『作り込んだ』ため大きく重くなり、当日はピロティーから運動場へ運び出せないのではないかとひやひやしました。会場に雄姿を見せたときは、その迫力に観客席からどよめきが起こりました。3年の「すごさ」を見せつけての勝利でした。
そして、「総合優勝」。とにかくうれしかったことをよく覚えています。

「打ち上げ」 の危機
「池落とし」。それは、体育祭終了後中庭で行われる、3年にだけ許された 「打ち上げ」 でした。体育祭での功労者を中庭中央の池に落として水をかけ、本人の音頭で「えっさっさ」 をやるというものでした。
実はこの 「池落とし」、体育祭の一週間ほど前に、先生方より中止を言い渡されたのですが、その後の 「協議」 でこの年まで許されたものでした。ご存知の通り、あの池はとても小さく浅いため、その中で大人数が暴れたら非常に危険だ、と言うのが中止の理由でした。たしかに毎年けが人がでていたようです。しかし、突然に 「中止」 を宣告された私達は納得しませんでした。それでは、体育祭が『締まり』ません。急遮、先生と生徒のトップ会談が行なわれました。この時の我らの参謀が、中條さんでした。彼は、本来は一学年上でしたが、2年のときに海外留学をしたため、私達と一緒に、「3年の体育祭」を迎えていました。とにかく頭の切れる方でした。私は残念ながら別のクラスだったため、その恩恵にあずかれなかったのですが、定期試験前には、各出題先生の癖をも見抜いた「傾向と対策」の特別講義が彼のクラスでは行なわれていました。その中條さんのロジックに先生もたじたじになり(?)私達の「池落とし」は許され、翌年からは、それに替わるものを生徒たちが自主的に考えることになりました。(翌年からはキャンプファイヤーが行なわれることになったと記憶します。)
最後の 「池落とし」
私達の「池落とし」と「えっさっさ」は熱く、そして慎重に行なわれました。けが人を出さないという約束を守るために。中庭が異様な興奮に包まれていました。みんなの声と気持ちが、中庭に渦を巻いているようでした。今となっては、誰が池に落とされたのか定かではありませんが、『指名』された人はそれぞれ、「みんなが納得する功労者だった」ということだけは、はっきり記憶に残っています。
数日後、避難していた鯉が池に戻ってきました。中庭は静まり返っていましたが、「完全燃焼した後の満足のため息」がそこはかとなく漂っていました。
今思い出しても、心の温度がちょっと上がる「中庭」です。
高校を卒業し、大学へ進学するために故郷を離れ上京し、早くも3回目の夏が来て、その夏ももう終わろうとしている。もちろん、東京や、それ以外にも故郷から遠く離れた場所ででももう長い時間を過ごしてきている先輩方にとっては、まだまだそこからが大変なんだよ、と思われるかもしれないが、若干二十歳の自分にとっては、たった3年でも、今まで生きてきた中の20分の3の時間である。自分なりに、この東京で暮らし、今まで知らなかった世界にも触れ、地元にいるままではすれ違うことすれなかった人たちとも知り合うこともできた。
とはいうものの、あっという間に時間が過ぎてしまった、というのが正直な感想で、地元に帰り友達に会えば変わっていないといわれることのほうが多い。
それでも、東筑高校で過ごした3年間という時間が、東京に来てから経とうとしているわけである。東筑高校で過ごした3年間も、実際にその中にいて過ごしている最中は、ただ毎日があっという間に過ぎていくという印象だった。試験期間以外は朝早くから課外授業、放課後は部活動、夏休みなどの期間中も授業があり、ほぼ毎日と言っていいほど学校へ行き、1日12時間くらいは学校にいた気がする。家に帰っても、食事を摂って風呂に入って寝るだけで、あの頃は生活の中心がまさに学校にあったと思う。慌しい3年間、毎日を東筑高校で過ごしていた。もちろん一応進学校であるからこそ、朝や休み期間中の課外授業があり、その分比較的忙しく毎日を送っていたわけだが、それ以外の部分でも、今考えても充実した生活を送っていたと思っている。体育祭や文化祭などのイベントに、進学校でありながらあそこまで力をいれていて、また生徒も楽しんでいるのは珍しいことだ。大学で知り合った友人と昔(と言ってもついこの間のこと、と言ってもいいくらいのものだが)の思い出話をしても、自分や、そのほかの卒業生もなかなか恵まれた環境にいたのだな、と感じる。もちろん私立の高校に比べて校舎も古いし、冷暖房は自分たちのころでも職員室と保健室、あとは図書室と自習室にしかなかった。夏の教室は、正直に言うと授業に集中することなどまず無理なほど暑く、席替えの際にはみんな窓側になりたがり、下敷きをうちわがわりにして扇いでは先生に注意されたりもした。
そんな、今の時代では設備的には恵まれているとはいえない環境の中で、みんな楽しく過ごしていたのだ。その最中にはあっという間で、意識することもなく過ごした時間、3年間だが、今になって思い返してみるとあまりに密度が高い。なにより思い出話をする時に出てくる話はこの高校時代の思い出が圧倒的に多い。これはきっと、これから先長いこと時間を重ねていって、また振り返ってみる時にも変わらないような気がする。そんな気がする。
なかでも東筑高校に感謝したいのは、3年生になってからの時間もそれまでの2年間に劣らず、むしろより充実した時間を過ごさせてくれたことである。受験生であるにも関わらず、3年生の1年間に、今、多くの楽しいできごとを思い出せるのは本当にありがたいことだ。文化祭も体育祭も3年生の時が一番盛り上がったと思っている。
文化祭では、その当日の朝に全校生徒が体育館に一度集まるのだが、自分たちの時には、各クラス自分たちの出し物の宣伝をするCMを作り、体育館に集まった際に一斉に放映していた。3年のときに作ったCMで先生にずいぶん怒られた記憶がある。自分のクラス(3年10組だった)の出し物は校庭も使ったウルトラクイズ大会だったのだが、そのCMで、○×クイズで○と×が書かれたプレートに身体ごとつっこむのだが、間違ったほうに飛び込んでしまいプールに落ちてしまう、という内容のものを撮影した。しかし教師によるチェックの段階で、制服のままプールに飛び込むのはいかんし、これが許されるなら、と真似してプールに制服で入る生徒が出てきても困る、という理由で、一番はりきって撮影したプールに落ちるシーンがカットされてしまった。当時は納得がいかず、ずいぶん食い下がったが結局カットされたままで多少くやしい思いをしたのを覚えている。なにより着替えまで持ってきて飛び込んだのが自分自身だったから…。まあそれも今ではいい思い出である。もっとも真似をする生徒が出てきて…という部分は、今でも、それはさすがにないだろ、と思うが。それでも受験も差し迫った3年生がそこまでイベントに入れ込める高校はいい高校だな、と思う。
そしてなにより最後の体育祭、高校でも最後のイベントといってもいいくらいのものだが、これも、3年生の秋という大変な時期にありながら、その時期はほぼみんな体育祭一色になる。
応援練習をしたり、山車を作ったりで遅くまで学校に残りがんばっていた。そして3年生の体育祭といえばファイナルである。いつ頃からはじまり、今もその文化があるのかどうかはわからないが、優勝した3年生が体育祭終了後にロータリーで水をかけあうという、よく意味はわからないがなんとも楽しいイベントである。これは3年生で、かつ体育祭で優勝した時にのみに許され、(実際自分たち101期生が2年生の時には、こずるい手を使いながらも3年生に勝ってしまい、ファイナルは行われなかった。この体育祭もある意味盛り上がった)先生に水をかけてもよし、むしろかけられない先生はちょっと寂しそう、という無礼講なもので、これが許され、盛り上がるあたりもいいところだったと思う。
そんな三年間を過ごした場所は忘れられないものだ。なんだかんだ言っても、高校時代、17、18のころの思い出は死ぬまで覚えているだろうし、今ですら頭の中できらきらしている。
先輩方には、何を、まだまだの若造がと思われるかもしれないが、それでもなつかしいものはなつかしく、ついこの前のことのように思われても、あの頃に戻ることはできない。もっともこれから社会に出て、数年後にはそんなことを言っていた今、のことをなつかしく思うのかもしれないが。いや、きっと思うのだろう。人間は物語がないと生きていけない、という話を大学の教授からきいたことがある。生きていくうえで、人間はできごとを物語に置き換えていくことが必要だ、というような内容だったと記憶している。
ならば思い出こそが自分が主人公の物語であり、いままで自分が経験してきた(まだまだ全然足りませんが) ことの集合体である。
人間みんながみんな主人公なんだよ、なんてことを言うつもりは毛頭ないが、それぞれの人間にとってその思い出は本当にたいせつなものだと思う。その中でも大事だ、と思える時間を過ごした高校も自分にとって大切な場所であるし、その場所に感謝もしたいと思う。
2005東京東筑会懇親会へようこそ! 75期が心よりお待ち申し上げます!
キャプテン ジャック スパロウからのメッセージ
執筆・編集 2005東京東筑会懇親会実行委員長 75期 北田 耕一郎
メインテーマ 未来を託す がんばれ若造!
今年の東京東筑会懇親会のテーマは、「未来を託す がんばれ若造!」 です。
さて、何が若造なのか?
誰が若造なのか?
この答は、今年の懇親会に参加することで、それぞれご自身で感じ取っていただけることとなりますが、その前に、お読み下さっているあなたにとって、若造とはいったいなんでしょうか?
社会経験豊富なあなたにとっては、「社会人デビュー間もない人間」 「自分達より若い世代のひとたち」 「未熟な若者」…でも、更に社会経験豊富な方から見れば、あなたも若造かもしれませんね。
そうなんです。誰でも、いつでも、いつまでも若造なんです。私たちすべての人間がいつまでも発展途上であることを認識し、いつも前向きに青春し続けよう!
東筑生の青春は終わらない!
ということでこのテーマを選びました。
懇親会では、このテーマを実感していただくため、いくつかの仕掛けがあります。
○日常生活では、巡り会う機会のない先輩と後輩が交流して、これから社会人デビューするひとにも
既に社会人のひとにもその輪が拡がる楽しい企画!その名も
「若造名刺交換ゲーム」
プレオープンから本編を通じて伏流として楽しんでいただきます。
○現役東筑生徒の学校生活!
75期実行委員会が総力を挙げて現地取材を敢行した東筑高校文化祭での現役生徒達の若々しく
明るく爽やかで健やかな眩しい青春の姿をそのままに御覧頂くこととなります。
懇親会では、東筑の建物や過去の映像を回顧する企画はよくありますが、いまの東筑生の活き活き
した姿を見ていただける機会はあまりありませんでした。
ぜひ今年の懇親会で、これまで味わえなかったフレッシュな青春と再会してください!
〇今年の懇親会は、若い方・ベテランの方・大勢で来られた方・お一人で来られた方…
参加していただいたすべての同窓生に、同じように楽しんでいただき、満足していただけるおもてなし
を形にするつもりです。
みんな同じ東筑の若造ですから、同じ楽しさ・同じ満足を胸一杯に、うふっと言いながら帰っていただ
きたいのです。
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……若造名刺交換ゲーム……
年代を超えて幅広く同窓生の輪を拡げることができればいいなあ!
若い世代がどんどん来てくれる末広がりな懇親会にしていきたいな!
参加できる人:
若造!(学生さんは全員。自分は若造と思っている方どなたでも!)
ル ー ル:
同期以外と名刺交換!必ずおしゃべりすること!
注 意:
プレオープンと歓談時間中に交流深めてね!
名 刺:
ある方はたくさん持って来てね!
ない方も大丈夫!当日フリー名刺用意しています!
東筑コラム 「若造である。」
「おい、数学の最初の計算問題一題だけやけの。英語とか国語とか手だすなよ。」
「わかっとるわい。」
「カメラ忘れるなよ。俺カセット持っていくけの。」
「おう、東筑学館のところに9時ちょうどまでに来いよ。絶対一問だけやけの。」
「お前のほうこそ、簡単やけちゅうて色気出して沢山書こうとかするなよ。」
「わかっとうち言いよるやろが。」
その日、俺達は行橋の映画館に行かねばならない使命があった。
この日曜日を逃すと、当分「燃えよ!ドラゴン」を見るチャンスは巡って来そうにない。共通模試なんかと天秤に掛けるまでもない。
「おっ、ちゃんと来たのう。一問だけしか書かんかったか?」
「あたりまえたい。それより行橋までっち、どのくらいかかるんかのう?」
俺達は弾む心で東筑学館の横の坂道を駆け下りていった。
その日行橋の映画館は異常な雰囲気に包まれていた。一眼レフを持った高校生とカセットデッキを持った高校生が、「うおお!やっぱブルース・リーは速さが違う!しびれるのう!」
「しゃあしい、声が入るやろが、黙って見れ。おおう!あちゃ~!あっ、俺の声が…」 などと、銀幕の向こう側に入り込みそうな興奮状態で、最終回まで居続けたためだ。
「俺は映画館に15回行って32回観た!」「お前が15回行ったんやったら、俺は絶対17回行った。」
「くらすぞ!なら俺は絶対20回行った。」
帰りの鹿児島本線も、周囲にはお構いなく熱い興奮に包まれていた。
私は、東筑にいた3年間が人生の中で最も員重で、最も楽しくて、最も輝いている時間だった、と思っている。
一分一秒違わぬ同じ時間を過ごせるものなら、もう一度過ごしたい。
あの時間に負けないような馬鹿で居続けたい若造である。

私たちが、懇親会を担当したのは3年前です。
その前の年頃から幹事さんが中心となって同期に連絡を取り、時折親睦会として集まりました。卒業して以来、親交のある人もいましたが、クラスが違うと会ったこともない、ほとんど知らない人ばかりで、最初はぎこちない自己紹介から始まりました。
昼間女性だけ少人数で集まったこともあります。30年近くたっているのに皆苗の面影を残していて懐かしく、楽しかったです。覚え始めのパソコンから度々メールが入るようになり、掲示板への書き込みも始まりました。
71期の先輩より当番を受け継いだ年の暮、どのような懇親会を目指すのか、その方針決めに集まりました。こんな意見が出ました。
若い頃参加したが、同期が一人でつまらなかった。十年前の先輩にどのような人がいるのかわからないし、後輩のことも知らない。でも懇親会に出席するきっかけは、同期に会いたいからではないのか等々。
縦のつながりと横のつながり、そのどちらに重点を置くかの折衷案として、会場を途中で混ぜるシャッフル案が出ました。分け方は出身中学が挙がりました。私たちは小学区制最後の年ですので、その頃出身中学はさほど多くはなかったのです。
それから色々なことが順調に進んだ訳ではありません。皆忙しい中、なかなか集まれなかったり、少ない予算で余興(お楽しみ) を何にするかでは、なかなか案が出ず、話しが止まってしまいました。春も終わる頃、誰かが言った懐かしの写真展に決まりました。
同期のことがわかってくるにつれ、頼もしく思うのは色々な職種の人がいることです。コンサルタント、建築、イベント企画、写真家、福岡には航空会社の人もいましたし、公務員、パソコン、会計に詳しい人や営業の人は色々な所を知っていて、会場を見つけてくれました。
来賓の方や恩師の先生の出席が決まり、懇親会会場の下見が始まりますと連絡も密となり、その頃有志メンバーのメールが幾つ飛びかったかわかりません。タイムスケジュール、会場設営、司会進行、出席の呼びかけ等、打ち合わせも詳細になりました。
案内状の発送は女性が主体となり、がやがやとクラス会のように作業したことも楽しい思い出です。
そんな頃、代表幹事をしてくれていた愛智君が突然亡くなり皆ぼう然としました。早くから同期と連絡を取り、その中心としてまめに総括など入れてくれてましたが…。皆で受け継いでいこうと決めました。
懇親会当日は、呼びかけもあって、なかなか出られなかった同期も集まり、福岡や関西から多くの応援が来てくれて心強い思いでした。総勢九十数名。設営、案内係、接待、受付等に分かれました。

今回は、東筑フォーラムも、フォーラム実行委員の御尽力で併せて開催されました。その頃引退されていた仰木先輩が、御厚意により、インタビュー形式で講演して下さいました。お子さん連れの人や、野球部と思われる若い人が会場に向かったのも監督ならではと思います。
フォーラム終了後、懇親会に移りました。途中中に入りますと、あちらこちらで歓談する様子が見られ、会場から熱気が感じられて、よかった、と思いました。食事や飲み物の売れ行きもよく、幹事さんがあわてる場面もあったようです。
シャッフルタイムは、出身中学、もう少し範囲を広げた地域分けとなりました。テーブルによって盛況のところ、思いの外人数の少なかったところはあったようですが、先輩に会えたとか、お母さんの教え子、親戚と知っている人など、これまでにない出会いがあったと思います。
会も終盤に近づき、当番のたすきを次の73期に渡しました。そして最後は、同期応援部指揮による校歌の合唱です。皆で歌いました。世代を越えた同窓の集いですが、校歌を歌う時、会場は一つとなります。皆、東筑が好きなんだという思いです。
その余韻を残して、皆でお見送りをしました。
その後、会場を移して集まりましたが、残って下さった副田先生が感無量の様子で話されたのが印象的です。
あれから数年たち、同期が集まることは少なくなりましたが、会えば懐かしく、時を忘れて過ごせます。
本年5月に、関西東筑会で72期最後の当番がありました。
また同期が多数集まり、懇親会、その後の同窓会ともに盛り上がったようです。
同期会だより
私たち51期は、例年5月の第3土曜日に、代々木倶楽部に集まり、同期会を行っています。毎回35、6人の皆さんが、北は北海道、南は中部、関西、九州より集まり楽しい一刻を過ごしています。
今年は25回目の節目の年になり、参加者の趣味の作品を持ち寄り、会場の周りの壁に貼り、皆の目を楽しませ盛り上がりました。
グラス片手に昔話に花を添え、楽しい歓談の時間があっという間に過ぎてしまいます。
古希を過ぎていても、当時のまま 「おい、お前」 で話しの輪が出来、高校時代そのままの姿に帰ってきます。
今回は、特別参加の新会長53期の安永氏、新事務局長70期の結城君、ホームページ委員の71期佐野君、同窓会当番期幹事の皆さんの参加により、45名以上の会となりました。
来年26回をいまから楽しみにしています。

▲ 同期が持ち寄った作品の展示。ぜひ東京東筑会公式ホームページで素晴らしい作品の一部を
ご覧いただきたい。
七月七日、53期が代々木倶楽部で恒例の七夕会を開催した。本年度は七夕会に加えて、「安永保昭東京東筑会会長を励ます会」という大義名分を掲げた。その看板の霊験あらたか(?)で、九州からも小野亨雄五三期会会長、船津春美両君も出席し、総勢24名が集まった。
53期は北九州と東京に拠点があり、これまでも口実を設けてはしばしば顔を合わせている。本年度は卒業後50年という節目に当たり、12月の「知命記念修学旅行」を企画、50年前に行きそびれた奈良に集まることになっている。ちなみに「還暦記念旅行」 は南紀およびブラジルだった。
昨今、同期会は面白くないという意見も一方では聞かれる。入れ歯と孫と想い出話では間が持つまい。
53期は以下のようなプログラムで同期会を盛り上げている。
1.同期会を飲み食いだけの場にしないで、各自の近況交換、各分野で実績を持つ同期生の薀蓄
披露の場とする。
2.観劇、歌舞伎鑑賞、寄席見物等非日常の世界を体験する。
3.江戸情緒を探索する会、歴史的な場所・遺跡の散策 (すでに鎌倉を二度探訪)。
4.毎月のゴルフ会。
5.甲子園、花園ラクピー場への応援。
とまれ、おれがおまえがのワイワイガヤガヤ、60代は人生の花とばかり53期は健在、いや意気軒昂
である。


5月14日、大阪のホテルグランヴィア大阪で関西東筑会懇親会が開催されました。前々年から参加しておりますが、今年は特に盛大な懇親会となりました。
参加者の年齢層は18歳から100歳までと幅広く、関東から九州までの総勢155名の参加でした。
72期は、最後の当番期締めくくりとして、東京から17名、九州から43名そして関西から17名と総勢77名が集結しました。
東筑旗に囲まれた広々とした会場で美味しい料理と嗜好をこらした内容に思わず当番期であることを忘れさせられたほどです。
増田校長、田代先生の挨拶に始まり、大先輩のハーモニカ演奏、最近CDデビューした上野君の歌 (72期)、園田さんの詩吟 (72期)、そして、かしわめしを食べながらの仰木監督サイン入りグッズの抽選会とだんだん盛り上がっていき、最後はクライマックスの校歌斉唱です。
ところでみなさん、「驀地に」はなんと読むか覚えていらっしゃいますか?校歌の二番の歌詞にあるのですが、「ましぐらに」と読みます。応援団出身の富永先輩がこの読み方を説明された後、「さあ、日本一長い校歌の応援団以外だれも歌ったことのない二番を歌うぞ」の掛け声で怒涛のようなどよめきと割れんばかりの拍手のもと、二番まで歌いました。恐らく高校一年の4月に米倉先生の音楽の授業で歌ってから30余年ぶりだったのではないかと思います。その後応援歌も歌うこととなりました。
50歳を前にしたおじさんとおばさんの目に安心感と達成感、郷愁等さまざまな思いの涙々で懇親会が無事終了しました。
会場の後片付けを速攻で済ませ、待ちに待った2回目の修学旅行の始まりです。偶然?にも30年前と同じ八坂バス2台に分乗し、目指すは京都祇園の高級料理旅館「花楽」です。バスに乗ったとたん高校時代にもどり、在校2年時に出場した夏の甲子園一回戦のビデオをみながら京都へまっしぐらです。ビール片手にあれは絶対エラーだと野次る声、いやいやあれこそナイスプレーだとやり返す元野球部の面々。そうこうしているうちに祇園さんの裏隣へ到着しました。
浴衣に着替えての大宴会後は、人によっては卒業後の社会勉強の場でもある祇園や花見小路に三々五々繰り出し、結局ほとんどが午前様のようでした。しかし、年をとると早く目が覚めるのか、朝食前の東山散策に多数が行き、清水で北部九州弁が飛び交っていました。
昼前より京都三大祭りである葵祭りを、周到なる根回しによって用意された特等席で観覧。続いて南禅寺を散策後、「順正」で湯豆腐を賞味して修学旅行も無事終了です。
3回目の修学旅行は、初回修学旅行で行った上高地にて5年後に行なうことを総意決定し、また各地へ舞い戻った次第です。
3年にわたる当番期を経験し、高校時代の関係復活と新しい関係構築ができたことは東筑同窓会の賜物だと感謝しております。
提 言 ~東京東筑会も改革を~
伝え聞くところによると、東京東筑会の財政事情は、会費収入が伸び悩み、かなり厳しいそうだ。このままでは会の活動にも影響がでかねない。会費収入のみに頼らずに、新たに資金源を検討する時代が到来しているのではないかと思う。低成長時代に迎えて会費徴収は、どの学校も悩みのタネ、名案はなさそうだ。時代を先取りして、積極的に同窓会資金づくりに、起業(事業) を考えたら、どうだろう。
(「会報」経費は事業収入で賄う)
東京東筑会は、毎年3,000円の会費を支払い、「会報」を受け取る、たまに会費制の懇親会に参加することの繰り返し。これでは、同窓会の魅力も薄らいでいるというのがホンネだ。尚更のこと若者は遠のくだろう。我々も、この辺で頭の切り替えが必要かもしれない。「同窓会が資金稼ぎをして、何が悪いのか」と言いたい。
「会報」発行の経費は、事業収入で賄い、全同窓生に無料配布することにしたらどうか。得られた資金は 「会報」発行のほか、文化事業「東筑フォーラム」 に使えばよい。併せて会費値下げにつながる。
「会報」発行の経費は毎年、会費収入のほぼ五割も占める。この「会報」発行が同窓会本来の活動を圧迫する。これが同窓生の不満を募らせ、会費収入の伸び悩みにつながっているのではないか、と思う。
(「親睦」 こそ本来の目的)
徴収した年会費は、事務局開設や運営に必要な経費などに当てるほか、「会則」 に掲げる、「会員相互の親睦を図り…」という、うたい文句を達成するために当てればよい。具体的には、これまで皆無だった親睦を図る「趣味の会」 「同好会」等の活動盛り上げに活用するのもひとつの手だ。
あらゆる会があれば楽しい。こうしたサークルを通して先輩後輩のつながりができ、同窓会本来の目的が果たせる。「会報」が参加呼びかけに役立つ。
地方都市に行くと職場内に派閥?の一種に「沿線会」というのがある。それに習い、それぞれの沿線会をつくってみてもおもしろい。とにかく「楽しくないと人生ではない」のだ。
(負んぶに抱っこの事務局開設)
ところで、もう一つ気がかりなことが、事務局経費のことだ。開設の経緯は知らないが、当然支払うべき費用も払えず、同窓生の善意に甘えて、お互い見過ごしている。
ざっくばらんに、現状を言わせてもらうと、現在は結城謙吾君(70期)が経営する会社に事務局を置かせてもらい、役員会や会報の編集作業にお借りしているという。家賃は払わず、会議開催した日は謝礼として光熱費(2,000円)だけで済ませているそうだ。恐らく仕事中でもお構いなしに電話での問い合わせなどもあるだろう。残念ながら東京東筑会には、独自に開設する余力はない。
(「会報」費用は60~100万円)
最後に、「会報」の無料配布のために、お金をどうやって稼ぐか、が課題だ。口先だけで稼ぐこともできるが、知恵と汗を出し、しっかり調査・研究を行い、綿密な戦略のもとで取り組み、最初は試行錯誤になるかも知れないが、皆さんの協力があれば軌道に乗る。
東京東筑会と同窓生の絆であるはずの「会報」の配布は、昨年から年会費納入者のみに限られているという。これでは東筑会はますますジリ貧に陥るのではないかと危惧する。
「会報」を出すために、いくら必要なのか。収支報告をみると、年度による変動はあるが、過去5、6年の制作費用は約60」~100万円、これに郵送費が加わる。今の体裁にこだわらなければ、やり方次第ではさらに安く済む。
(出版には多士済々の先輩を)
同窓会にふさわしい事業として、出版事業がある。わが母校は多士済々の人物を輩出する。読者は卒業生のみでなく在校生、父母もターゲットとする。「東筑フォーラム」 と連携する手もある。
また、高齢者社会を迎えて東京東筑会は年齢幅広い。61期以前の方(数は不明)は定年退職、第二の人生を歩んでいる方も多いと思う。こうした方々でツアーを組み旅行会社と提携、斡旋料を頂く方法もある。
さらに、手っ取り早いのは通信販売や九州と関東を結ぶふるさと産直だろう。このほか、皆さんもいろいろなアイデアをお持ちだろう。
今年で55歳になる。30年前ならば定年である。かってならば悠々自適というところであるが、今は、働き盛り、東筑高校時代の受験時代のようである。入社時には、まさかこの年でこれほど働かねばならないとは、また、働けるとは、思いもしなかった。それは、低経済成長や少子高齢化の現実化などの将来を予測できなかった。というよりも、当然予想されうるにもかかわらず、高度成長の再来を期待し続けた帰結であった。それでもここまでの時代や環境の変化は、予測しなかった。それと同様に、85歳の母と話すことが多い日々で、30年後の自分の姿に映し替えて見るとき、それはやはり現実感が伴わない。
個人的には、この7月に転籍という形で一旦退職し子会社に入社したため、第二の人生のスタート気分である。平成16年の調査では、55歳の男子の平均余命は28年、社会人としてのこれまでの人生とほぼ同じ期間を、平均的には生き続けるのである。
これまでの30年間が予測できなかったように、こらからの30年間も想像できないくらいの変化を遂げるのは、携帯電話やパソコンそしてインターネットなどの電子機器や通信技術の変化を見ていると間違いないであろう。それと同様に、30年前の同窓の先輩方が55歳のとき (昭和55年当時) に、30年前 (昭和25年当時) に対して、同じ思いをもたれたのではなかろうか。そんな思いがある故に、その変化を乗り越えてきた諸先輩に、生き方を学ばせていただきたいし、私たちの後輩諸兄にもこの30年を伝えていかねばならないと感じている。
東京東筑会を同窓生の懇親中心の場から、福岡県下有数の歴史と伝統のある高校の同窓生の会として、母校東筑高校に貢献するとともに、社会にも貢献すべく活動をしていくことが必要だと強く感じている。そのときに、30年後を見据えての活動でもあるように舵取りを変えていく時期ではなかろうかと思う。
この30年、より人間らしく、豊かな便利な生活や活動ができるようにするために、科学や技術の研究や開発により、様々な設備や機器そして環境が整えられた。おかげで情報収集・伝達や業務処理スピード、人や物の移動スピードは、飛躍的に向上した。海外旅行はかつての国内旅行並に気軽なものになり、価格は国内旅行以下のこともある。それらを可能にしているのは、技術や設備の稼動を支える主たるエネルギー源である石油であり原子力の大規模な使用によるものである。一方、それは地球の資源や環境に大きな影響を与えるまでになってしまった。我々が、もっと豊かに、もっと早く、もっと多く、もっと多種多様にと、物やサービスを求め欲して進んできた結果である。この変化の多様性と速度は、それを当然のごとく使う世代と必要に迫られて使う世代では、コミュニケーションのあり方にも大きな違いができてきた。その結果、世代間の意識は大きく乖離して、同年齢もしくは同世代だけの交流に偏ってしまった。
そのような時代であればこそ、東筑高校同窓会の重要な意味と役割があるように思う。人生において最も多感な時期である3年間を、長い歴史と伝統で培われた東筑高校で過ごしたことが、その校風が、自然に血となり肉となっている。それこそは、同窓生間である種の言葉を超えた共通の価値観であり、共通の意識であり、即ち、愛校精神であり、同窓意識である。この世代を超えた共有意識をベースにして、明日の東筑高校作りと同窓生の活躍を通じて社会への貢献を図るべく、東京東筑会の会員が世代を超えて協力して、取り組んでいくことが求められている。世代としてもっとも多いベビーブーマー世代の役割は、ここにおいても重要である。
私もその端くれとして、微力ながら取り組ませていただきたいと願うものです。
何かと同窓会活動に制約の多い昨今の環境ではありますが、まずは東京東筑会の活動拡大と東京東筑会総会の盛会のためにより多くの同窓生の参加を図るべく取り組んで参りたいと思います。
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会務報告…(略)
平成17年度予算案…(略)
ご承知の通り東京東筑会では厳しい財政難が続いております。昨年度は皆様のご協力によりなんとか赤字は免れましたが、内実は節約を重ねた厳しいものでした。今年度は会員の皆様のお心に届く同窓会となるよう役員一同いっそうの努力をしてまいる所存です。
つきましては少しでも充実した会の活動のために、ひとりでも多くの方に年会費を納入していただきたくお願い申し上げます。懇親会のご案内に同封されました振込み票にてお振込みください。
また直接期別幹事や役員にお支払いくださっても結構です。どうぞよろしくお願いいたします。
もとより同窓会誌は、会員の皆様の手によってのみ作られるものであり、私にできることといえば、あまりにもささやかです。
せめて私の力が会の利益につながるようにと、コスト削減という点に努めました。広告代理店の制作局に勤める私は、普段なら一頁の制作に数百万の予算を費やします。それだけに、お金をかけずにモノを作るというのは、なかなか愉快なものでもありました。(皆様の会社で、お金をかけずに効果の高い広告を作りたいという時はぜひ声をおかけください。)
そんなわけで、これまでの会報と比べ、各所で手が抜かれております。前号までの立派な会報を読み返しますと、編集長がいかにご苦労されたか骨身に染みる思いであり、この場をかり、前編集長とその奥様に最大の敬意を表させていただきます。
また、安い料金で全項のデザイン・レイアウトを引き受けて下さった同僚の橋本氏と、浅野製版所様にも心より御礼申し上げます。
三好尊信(84期)
東京東筑会会報 第23号 平成17年10月1日発行
編集長:三好尊信 発行人:安永保昭 発行所:東京東筑会事務局
第23号
(2005年 平成17年10月)
