
昨年11月の東京東筑会同窓会で図らずも副会長に任命されました。はじめこのお話をお聞きした時は、鴛海前副会長のあの包容力のある指導力を想い、凡庸非才の私にはとてもお引き受けできるものではないと感じましたが、「持ち味を出してくれれば良い」との温かい先輩の言葉や「きっとサポートする」との同期の励ましと、人生の原点でもあった『東筑』に関連して少しでもお役に立てればとの気持ちでお引き受けすることとなりました。まったく重すぎる役でありますが、精一杯勤めたいと存じますので宣しくご指導ご鞭燵をお願い申し上げます。
東京東筑会の主たる目的のひとつは、会員相互の親睦ということで、本年度もいろいろな行事が計画されており、是非会員の皆さんに積極的に参加されるようお願い致します。
母校と故郷を同じくし同じ土壌に育った先輩、同輩、後輩が一堂に会し、だれ憚ることなくお国訛の九州弁で話をすることは、本当に嬉しく懐かしく、それだけでも心が洗われるものがあります。そして、忘れていた初心や青春時代の言わば共通の体験を思い出したり、同窓生の活躍やその後の成長などを知ることも大変楽しいもので、それらは新たな活力の源となるとともに、また、新しい人の輪を拡げます。
東京東筑会では、この様な「旧くて新しい出会いや発見」にいつも感動させられます。
本年度も7月7日の半蔵門会館での「新入生歓迎会」、11月18日の中野サンプラザでの「懇親会」、年2回のゴルフコンペ、テニス同好会などの計画があります。自分のためだけでなく、他の人に感動を与えるためにも是非ご参加をお願い致します。
本年は、年初から短い期間に阪神大震災、急激で大幅な円高、地下鉄サリン事件あるいはオウム真理教騒動と大事件が頻発し、不安感が増大しています。20世紀末や終戦後50年に当たることもあり、これらは、社会の転換期の予兆との見方もありますが、どの様な状況になろうとも、動揺すること無く、初心や理想を忘れずに、雄々しく、乗り切りたいものだと考えます。
そのためにも青春時代に培った東筑魂を確認し、諸先輩の経験を吸収すべく、東京東筑会の行事や活動にできるだけ多く参加して頂くことを重ねてお願いしてご挨拶と致します。
特集Ⅰ 旅の楽しさ
幻のノイシュバンシュタイン 島越輝世
銀婚式に天からの贈り物 川上民枝
春の鎌倉を訪ねて 津守真紀子
今度の旅は、ツアーオプザイヤー第1回グランプリに輝いた、地球人学校の「ふれあいウォーク」ロマンチック街道とスイス、アルプス、バリ9日間の旅だった。メンバーは高校時代からの珍道中仲間、ミドリ、ミーコ、私の3人。部屋もトリプルで申し込んだ。ミドリは北九州からの参加だった。
10月15日(土)。全日空機でフランクフルトヘ約12時間の空の旅。時差8時間遅れでフランクフルトに着いた。総勢110
名は、3台のバスに分乗し、私達は2号車に乗ることになった。
◇ハイデルベルクからローテンブルクヘ
16日(日)、ドイツ最古の大学の置かれたゲーテゆかりの街ハイデルベルクヘ。ハイデルベルク城は深い霧の中だった。18世紀末製造された22万リットル入るワインの大酒樽、カールデオドール橋等を散策。
古城街道からロマンチック街道のハイライト、ローテンブルクヘ。城壁の中にドイッ中世がぎっしり詰まった街の中心マルクト広場では、市参事会酒宴館の3階の窓から特大ジョッキを傾ける市長とそれを見守る将軍が現れ、時を告げた。有名なマイスター・トリンクの仕掛け時計で、1日に7回現れるらしい。
食後は、ヤコブ協会の中ヘ。リーメンシュナイダーの「聖なる血の祭壇」が荘厳だった。家々の軒先には各種の職業を示す鉄製の美しい看板が下がっていた。
◇白鳥城は霧の中
17日(月)、フュッセンで「ふれあいウォーク」。あいにくの天気だったので、コースを変えてノイシュバンシュタイン城を目指した。残念ながら白鳥城の全景は、雨と霧のため望めなかったが、城内を見学。ワーグナーとその作品を耽溺するバイエルンの王ルードヴィヒ2世が自分の夢を実現すべく17年の歳月と巨額の国費をかけてこの城を建造したが、しかし住んだのはわずか102日。狂気の烙印を押されて、シュターンベルガ湖で謎の死を遂げたのだった。
夜はフュッセン観光局主催の地元の人との"バイエルン音楽の夕べ"。その地方に伝わるダンスや歌を聞きながらドイツ料理、ドイツビール、ワインと盛りだくさんの楽しい一時だった。
◇美しい都市ルツェルン
18日(火)は、バスで中央スイス"4つの森の国の湖"と呼ばれる歴史と景観を誇る観光都市ルツェルンヘ。屋根付きの木橋、カベル橋、屋根の下の梁には三角形の一連の板絵がルツェルンの歴史や郊外の生活を描いて見事。
中世のたたずまいを色濃く残した市街地を散策した後、リヒテンシュタイン公園ヘ。スイスとオーストリアに挟まれた美しい切手で知られる立憲君主国で、日本の皇室とも親交深い国だ。ライン河が自然の国境をなして税関検査も出入国管理もない。切手を買い、雅子様が皇太子ヘプレゼントなさったことで有名な石畳のチョコもたくさん買い込んだ。
夕刻には、ふたつの湖(トウーン湖とブリェンツ湖)の間にある街インターラーゲンヘ。
◇ユングフラウの絶景
19日(水)。バスでユングフラウヨッホの登り口、グリンデンワルトヘ。
登山電車に乗ると、車窓から角度を変えて徐々に近づいてくるユングフラウ三峰、ユングフラウ・メンヒ・アイガーが絶景だった。
乗り換えの駅クライネ・シャイデックからは、アイガーの中を7キロも続くトンネルに入った。地下道を通り抜け、氷河をくぬいた彫刻が並ぶ"アイスパレス"へ、軍手をしてロープづたいに滑らないように進む。青白く光る幻想の世界。
食後、ヨーロッパー高い郵便局から日本へ絵葉書を投函した。展望台"スフィンクステラス"に立つと、アレッチ氷河やユングフラウ連峰を一望の下、一面の銀世界。もうひとつの展望台"プラトー"ヘ出る時はちょっとした登山家気分だった。ここはヨーロッパ大陸の大分水嶺。
◇壮大なノートルダム寺院
20日(木)。当日になって突然、フランスが誇る超特急TGVがスト。パリまでバスで行くことになる。長い長いバスの旅の途中のローザンヌ近くで、同じバスの女性が「気分が悪い」「狭心症かも」と一言い出した。来る飛行機の中からよくなかったみたいということで大騒ぎ。待つこと30分。スイスの救急車がサイレンを鳴らしてやって来た。彼女は入院し、現地で通訳を兼ねた付き添い人を探すことになった。ツイテナイ人だ。
お昼過ぎにやっとパリに到着し、コンコルド広場、シャンゼリゼ通りと行き、パリの象徴、美しい凱旋門ヘ。バスは凱旋門の廻りをゆっくりと旋回。東西南北に描かれたナポレオン軍団の戦闘場面の浮き彫りに感嘆。
その後、ノートルダム寺院ヘ。中世ゴシック建築の最高傑作といわれるこの寺院正面のバラ窓は、天使に見守られた「聖母子像」を描いたもので、赤や緑の宝石を散りばめたように美しく、南塔には、ビクトル・ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」で知られる"大きい鐘"がある。この大聖堂はどこから眺めても壮大で美しかった。
次は東京タワーより少し低い、高さ307メートルのエッフェル塔へ。この塔の撮影に最も適したシャイヨ丘の頂に広がるトロカデロ広場でバスを降りた。白鳥が大きく翼を広げたように優美な姿を横たえているシャイヨ宮の中央テラスからのパリの眺望は絶景だ。最後にパリ三越へ。が、また突然のアクシデント。バスが止められ、パリの巡査が乗り込んで来た。スイスナンバーのバス、スイス人運転手だったのだが、ガイドさんと運転手とで何かやりとりを始めた。後部の客たちが騒ぎ出すと、血相を変えたガイドさんが「フランスの官憲は強力だ。逆らってはいけない。」とみんなを静めた。「必要書類が揃ってない。揃うまで通さない。」ということらしい。別のバスの添乗員が書類を届けてくれるまで待つこと1時間。おかげで三越に着いたときは閉店前30分だった。
夕食は以前より約束していた友人の娘で5年前からフランス在住のかおりちやんと、オペラ座通りにある高級レストランで本格的フランス料理を堪能した。
◇オルセーで美術鑑賞
21日(金)、快晴。ミドリはヴェルサイユ宮殿のオプションツアーヘ。私とミーコはタクシーでオルセー美術館ヘ。旧国鉄駅舎を大改装して1986年にオープンした、印象絵画の宝庫。マネの「オランビア」「笛を吹く少年」「草上の昼食」、モネの「サン・ラザール駅」「ルアン大聖堂」、ゴッホの「自画像」「アルルの寝室」、ミレーの「落ち穂拾い」「晩鐘」等など、キラ星のごとく。日本語の説明付きのカセットを借りてゆっくり鑑賞できた。
セーヌ河の対岸にあるルーブル美術館には、ミーコだけ鑑賞するためにピラミッド型の建物の中ヘ。私は前日見たので、かおりちやんとの待ち合わせ場所へ行った。ジョナトン5歳とジョアンナ2歳を連れて彼女は現れ、パリ全景が一望できる所へ登ろうとエッフェル塔へ行った。
シャン・ドマルス公園のエレベーターの最上階の展望台は274メートル。そこからはバリの全景が一望できた。力ルチェ・ラタンのパンテオン、モンマルトルのサクレクール寺院が白く輝いて美しかった。
プティック巡りの後ホテルヘ戻り、ツアー仲間と"バトームッシュ"ヘ。デイナーとアコーディオンの音楽を楽しみながらセーヌ河を遊覧。すばらしいパリの1日が暮れていった。
22日(土)。8時54分パリ東駅発フランクフルトヘ。全日空機に乗り換えて、23日(日)13時55分成田着。私の感動体験旅物語は終わった。
昨秋、あるバーティで主人にハワイ旅行のペアー券(なんとファーストクラス)が当たったのです。
嘘のようなホントの話!夢のようで最初ピンと来ませんでした。時々、宝クジを買ったり、クイズに応募してみても全く当たりませんので、実感するまで時間がかかりました。でも本当だったのです。
又、今年は我々夫婦にとって銀婚式に当たる年で、まさに天からの贈り物でした。25年…。長いような短いようなという感じです。
子育てに夢中だった前半、少しゆとりを感じるようになればなったで、結構いろんな乗り越えねばならぬ壁も経験してきました。ここで少し現実から離れてゆっくり夫婦で旅行するチャンスが与えられたことを神の恵みだと感謝しました。10日間のステキなハワイ旅行を終えて感じることは、人生の疲れを感じる年代に入ったら、仕事、家庭を忘れて、リフレッシュする機会を作るべきだということです。皆さんにも是非、夫婦で旅することをお勧めします。子供も「案ずるよりは生むが易し」で、結構、鬼のいぬ間を楽しんでいたようですし……。親が子離れするよい機会にもなったように思います。
ハワイという違った風土に接して、又のんぴりした(失敗もありましたが)気分を味い、更年期に入る時期が少し遅くなるのではと期待しています。
ハワイの男性は抵抗感なくマメに家事など手伝います。これが、一番持って帰りたいお土産なのですが、一番手に入りにくいお土産でもありました。
何はともあれ、透明な青い海、のびのびした木々、素敵なハワイ旅行でした。神様、旦那様に合掌。
先日、この地に1歳から住んでおられた長畑副会長に案内していただいて、鎌倉散策に出掛けました。天気も良く、桜も満開。気分良く出発しました。まず始めは若宮大路ヘ。かつて源頼朝が京都の朱雀大路をまねて造ったと言われている若宮大路は鶴岡八幡宮から由比ケ浜までまっすぐ伸びています。参道の両側にいっせいに咲いた桜が、花のトンネルみたいで本当にきれいな眺めでした。また私が鎌倉を訪れた日は鎌倉まつりの初日だったので、大通りの両側は見物の人々でにぎわい、中にははっぴ姿の男の人や女の人もいて、町はお祭りの雰囲気が盛り上がっていました。
◇静かなたたずまいの瑞泉寺
そんな若宮大路をぬけ、鎌倉宮を通り過ぎてしばらく行った所にあるのが瑞泉寺です。このお寺は臨済宗円覚寺の禅寺、1327年夢窓疎石が聞いた古刹です。瑞泉寺は静かなたたずまいで境内には水仙やツツジなどがあり、緑に囲まれて心も落ちついて来るようです。ひときわ私の目をひいたのは、名前はわかりませんが薄紫色の小さな花をいっぱいにつけた木でした。何となく、瑞泉寺の簡素で素朴な本堂によく似合っていたのです。また本堂の裏手には岩盤を削って滝や池を表現している庭があり、こちらは荒々しい感じなのですが、岩とまわりの木々が調和していて一枚の絵のように美しい景色でした。瑞泉寺には四季を通じて次々と花が咲くようなので、ぜひまた趣の違う瑞泉寺も見に来ようと思います。
さて、瑞泉寺を後にしてさあ次はどこでしょうと思いつつ進むと、両側を桜がうめつくす道に出ました。ここも桜が満開です。ハイランドという住宅街だそうですが、どこまでもどこまでも桜が続くのです。やっぱり、花の季節はいいな、と思ってしまいます。特に桜はすぐに散ってしまうので、今日みたいなみごろの時期にここを通ることができて良かった、としみじみ思うのでした。
◇重々しい風格の妙本寺
次にやって来たのは妙本寺です。長い杉並木を奥へ奥へと進みました。朝、少し雨が降ったせいか、空気が澄んでいて緑の木々のにおいがするようです。山門の両側には仁王様がいかめしく、すごい形相でこちらをにらんでいます。仁王様の目はガラスか何かが入っていて、本物の目で見られているようです。
門をくぐると、どっしりとした風格のある本堂です。緑の山々を背景に重々しく建っている感じで、さきのひっそりと建っている感じの瑞泉寺とはまた違った趣があります。この妙本寺の境内には、見事な枝ぶりの桜の木が一本あり、その桜や本堂を写真に収めようと、三脚を立てているカメラマンたちが大勢いました。確かに、写真にして持って帰りたいくらいすばらしい景色だったのです。深緑の山々に本堂が映えていて本当にきれいでした。またここでは柱や軒下などの彫刻にも目をとめました。龍や象などの姿が生き生きと表現されていて、細かい所までしっかりと彫ってあります。よくこんなに丁寧に造ったものだと、感心してしまいます。妙本寺は比企が谷という所にあります。昔、北条氏によって比企一族はこの地で亡ぼされ、ひとり生き残った比企能員の末子能本が日蓮を開山としてこの寺を建てたそうです。
そんな悲しい歴史の事を考えると何となく淋しく見えます。
そしてそろそろお腹がすいて来ました。旅の楽しみは食べる事にもあるのです。海沿いの国道134号線を海を見つつ通り過ぎ、懐古亭という店に着きました。古きを懐しむ。鎌倉という町にぴったりのお店です。釘を一本も使ってないという建物が、一風変わった感じで素敵です。屋根はわらぶきの様な違うような…とにかく昔を感じさせる外観です。中は天井が高く広々していて、窓から見渡せる庭にはリスがちょろちょろしていてなんだか得した気分です。料理もおいしく幸せな気分で懐古亭を後にしました。
◇美しい鎌倉文学館
最後に訪れたのは、江ノ電の由比ケ浜駅近くの鎌倉文学館です。洋館風のモダンな建物は、もとは旧加賀藩主・前田侯爵家の別邸で三島由紀夫の小説の舞台にもなったそうです。さすがは侯爵家の別荘というか、建物から気品が感じられるようです。中に入ると鎌倉ゆかりの文士たちの自筆原稿や手紙、ポートレートなどが展示されていました。昔の作家たちは字も上手だったのだな、などと思いながら、見学しました。文学の世界を垣間見たあとは、由比ケ浜の海を一望できる庭園へ出てみました。高台にあるので眺めは最高です。芝生の緑も美しく、バラの季節には色とりどりの花が咲き乱れるというこの庭園は1万坪もあるそうです。庭園から見る文学館は、青い瓦屋根も美しく、長谷緑谷の濃い緑と調和して建っていて、風景にピッタリとはまっていました。
一日、鎌倉を見てまわって感じたのですが、鎌倉は本当に自然がいっぱいで、緑も多く、気持ち良く歩ける所です。今回は車でしたが、次回は絶対にハイキングコースなどを歩いてみようと思っています。鎌倉は名刹が多いので、歴史を探訪しつつ歩くのも楽しそうです。一日、ゆっくり巡り歩き、四季折々の花々を愛で、心の洗濯をしてみてはいかがでしょうか。
特集Ⅱ 私の健康生活
東筑入学と同時に正課として柔道を選択した。次に幾何の時間に、全員土俵に集められて角力を取らされた。これは落第で部員にはならなかった。正式に入部したのは庭球部だったが、ポールをネット越えの森に打ち込んで捜し出せず、怒られて数日で退部。その後野球部、園芸部と渡り歩いて一年が過ぎた。
二年生の春、上級生が鉄棒で『小車輪』を得意げに演じているのを見て、まるで曲芸師のように魅せられて、私の人生に大きな影響を与えることとなる。その後同好の士を集め、校長先生に直訴して体操部を創設していただき、初代主将となった。部員一同の努力が実り、昭和11年の『福岡県中等学校体操選手権大会』に初参加で、団体優勝と個人優勝を獲得した。この間に鍛えられた強靱な体力と、不撓不屈の根性を身につけることができた。運命の神に最大限の感謝を捧げたい。
当時支那事変の最中だった。陸軍予備士官学校に入校し、体育の時間になると教官は『古岡候補生教官代行を命ずる』と言い残して姿を消す。東筑時代の特技が報われる得意絶頂の時間である。有り難いことに軍隊生活の体力的苦痛は、私にとっては全く問題にならなかった。東筑時代の体操の恩恵を身に染みて感じたものである。
さて、私はソ連国境からベトナムの国境まで広範囲の中国大陸を、6年半の年月にわたって苦しい幾多の経験を乗り越えて来たが、当然のことながら、死に直面したことも数え切れない。戦場で生き残るということは、勿論運命が大きく左右することは誰しも異論のないことと思う。ここで運命を乗り越えた『死中に生あり』私の経験を述べたい。
◎野生動物の勘
◎鋭敏な反射神経と即応てきる瞬発力
◎強靱な体力
◎武道・スポーツの自信
◎度胸八分に腕二分
◎自信と度胸は不断の稽古努力
結論として東筑時代の体操の極限の鍛練が大いに役立って、運よく今日まで生き残れたと固く信じている。
平成元年6月(第7号)の東筑会報のインタビューを受けて、その会報の中で、私が敵が恐くなって逃げ出したようなことが書いてあったが、それは何かの間違いで、将校は常に先頭に立つもので、敵に後ろを見せることは絶対にあり得ない。戦場で然も部下の前で考えられない行為です。幸い今回紙面を借りて訂正させていただきます。
終戦後は東京に出て、夜は柔道の町道場に通った。講道館6段まで昇段したが年齢の限界を考えて居合道に転向した。東筑時代の根性は今も生き続けている。人の数十倍の努力をして、順調に昇段しても8年以上かかる5段に、僅か2年半で昇段した。これは現在でも私が全日本剣道連盟の記録保持者だと思う。
『文武両道の東筑』と昔から誇りにされてきた。私は50才までに文武50段を取りたいと目標を立てたが、65才で文武合計55段に達した(武道は合計32段)。今の私の年齢、環境ではこれでどうやら打ち止めと思う。
本年10月1日の誕生日を迎えて満76才になる。それでも毎朝7時から8時半まで、お弟子さんたちと道場で居合道、居合斬道の朝稽古に励んでいる。夜は週1回の会社の体育館の他に、税務署、消防署の出稽古が待っている。
弟子の有段者も500人弱となり、テレビ出演、武道大会、その他諸大会への出演依頼、アメリカ(ヒューストン)支部、台湾支部への出張指導など手が抜けない。
武道には自ずから年齢的、体力的な限界がある。平成元年の叙勲(勲三等瑞宝賞)と同時に、公式な演武からは身を引きたいと考えていたが、周囲の状況は引退を許さない。今日でも模範演武や出演要請が絶えない。鍛練を怠ったとき、私の武道生命と体力が尽きるときだと思っている。3日休めば勘が衰え、1週間休めば筋力が衰え、元の木阿弥で出直しとなる。怠惰は許されない。
今回、東京東筑会報に『私の健康生活』のタイトルで依頼されたが、私には特別の健康法はない。東筑時代に貯えた体力、それを7年に及ぶ軍隊で更に鍛え、今日、いまだに毎日の稽古で心身を鍛練しており、誘われればゴルフにも行く(若いころはハンデ3、クラフチヤンピオン2回)。たまたまこの原稿を書いているとき、銀行のコンぺで運続優勝を果たした。柔道、空手を除いた武道(居合道、居合斬道)では今でも現役である。私の最高の健康法だと自負している。
最近では家内がうるさいので、なるべく肉類を遠慮し、魚介類、野菜、果物を食するように心掛けている。
今までの座右銘は老子30章の『己に勝つ者は強し』で自分を鞭打って来たが、現在は更に、『生涯現役』を加えて頑張っている。
私は健康生活をしてるのか壊してるのかと今反省しています。
まず、食事はバランス良く適度の運動をしてのんびりと週ごすとよいといいます。が、食事もコレステロールを気にせず美味しいのが好きで、百薬の長だとか云ってお酒も毎日いただきます。だから「しっかり運動しよう」と少しはりきりすぎたのか、今回は年寄の冷水となってしまいました。
雪の降らない九州に生まれて、おんぶされての雪見が忘れられずに雪のシーズンになると心踊る困った私です。今回も1月20日より3日間の予定で北海道スキーヘ行って大失敗しました。テイネでは幻想的な樹氷にうっとり。翌日朝里川で思い切り滑り、雪質も良いパウダースノーで急に上手になった気がして、スキー場も空いているしと夢中で滑り過ぎました。3目日、札幌国際で1時集合帰京と決まり、残り半日だ、ソレーと勢い余り年も忘れて…。思い切り転んで膝の筋を切ってしまいました。
一ヶ月ギプス生活で、ああもう今年はスキーに行けない!と悲しく反省しきりです。高崎さん達とのスキーも御迷惑をかけてしまいました。お店も休んで……。みんなに、なに!筋を切ってギブス!?まあまあとあきれ顔(?)。
「いつかやるなと思ってた」と久場さんの苦いお言葉。また末森さんの電話で、「ねえちゃん、ちょっと冷水やったねえ。わかっとうちゃみんなに云われとうとよ。少しとんぴんつき過ぎね。」ショボン。
ところで、私は予定魔と云われます。この日は……と予定表見ながら胸踊らせ、東京東筑会が何時とかゴルフコンぺはとカレンダーに二重丸。又九州弁で皆に会える!?と輝く思いです。
私の1週間のスケジュールは、近くのリーヴ・ルネサンス赤坂で2日程泳いだら、ジム少々、ヨガ(オウムではありませんホ)も気が向けば参加します。水曜はゴルフスクールのあとの1Fでのビールが美味しく、仲間とのタラレバが楽しみで行っています。日頃歩きませんので、週1回のゴルフが体調に合っているようです。
夏は折女4人組の西尾ざん、中野さん、山崎さんと軽井沢一泊ゴルフに行き、夜も又盛り上ります。ゴルフが終ると「御主人は何て寛大な方、心優しくハンサムに急に見える。」とかのろけを聞かされ帰宅します。
生来暢気で、鏡の前以外ではほとんど年を忘れて失敗ばかりしています。
先の短い私今のうちよ!! 少しとんぴんつき過ぎよ!! 年を考えて!! なんて、どうぞ会ったらお説教して下さい。こんなふうにいつも失敗話で花が咲いています。
それは父の米寿の御祝いに家族が集まった時の事でした。『ずっと母さんが大切に収って置いたんだょ』と一つの包みを取り出しました。訝りながら受取った娘は、還暦を目前に迎え父が子供と呼ぶには少々成長しすぎてはいましたが、そっと開いたそれは私自身の成長の足跡でした。幼稚園の修了証書に始まって、小学校時代の通知表そして1年生から6年生までの皆勤賞(元気だったんダナー)。運動会の100m走の賞状(おてんばだったんダナー)。
それにもまして驚いたのは6年間の休みの間に行われる、早朝ラジオ体操の皆出席の記録でした。賞状には鉛筆2本とか帳面一冊とかの添書がしてあって、子供心にきっと胸を張って受取った事なのでしょう。
早起きしてラジオ体操に急いで出掛ける私と弟は、いつもの様に、母のさし出すレモン湯をフーフー息を吹き掛けながら、時間を気にして飲んだものでした。
この原稿を依頼された時、テーマを伺って即座に『父と母から贈られた健康を当然の様に持ち続けただけなのです。』と云ってしまった自分が少々恥かしい。丈夫な体を贈るだけでなく、『いつも心に太陽を』と心身の成長を慈しみ続けてくれた愛を心から感謝しています。
その私も学生時代の友人の悲しい知らせを手にしても特別不思議でない域にさしかかって、これから御手本のない長寿時代に向って、歩き出す覚悟がいるのでしょう。
自分のこれからの人生はしっかりと自分自身でプロデュースしなくては、自分をよく知りそして大切にする事が健康生活の基本になるのだから。やり残しのない人生を極く自然体で自分の欲求に素直に生きようと思いました。
いつの日にかと続けて来た"ライフワーク"を先ず精一杯やろうと決心しました。
そして魅力ある中高年時代をエンジョイするんだと自分に言い聞かせました。そこで遅すぎるとは思いつつも悪友に誘われて始めたゴルフも、今はスコアの事を考えなければすっかりのめり込んで楽しんでいます。
お互い誘い誘われて女学校時代そのもの。九州弁の通じるラウンドでは、キャディさんに仲の良さを羨ましがられています。若くて美しい山崎、林、両姉上方や1級下の中野さん、4人揃っての定例宿泊ゴルフでは全くの遠慮なし。誰かさんの寝言、鼾、悪い夢でも見ているのか何か泣声がしてみたり、それは賑やか過ぎて、毛布を抱いて隣室のソファーに逃げ出したり、耳栓を探して寝不足になりながらのプレーで、スコアの悪いのを誰かのせいにしながら楽しんでいます。そして、"ゴルフライフ"の為には4人共に健康でなければと御互に気を配り励まし会いながら熱中しています。又嬉しい事に先輩方や後輩の御陰で、まるで飲めなかったお酒の味も今では大変美味しくいただける様になりました。
ラジオ歌謡、女学生愛唱歌しか知らない戦中派としては、若い人達にヘルプしてもらって林先輩の処で、後輩の北條さんの処で、只今"ロンリー、チャップリン"の特訓仲。私共の青春時代にチャンスのなかった事には、積極的にチヤレンジしています。
これからも大切な財産である健康に感謝しながら、"ライフワーク"を精一杯にこなし、スポーッに遊びにマイペースで歩いて行きたいと思っています。
Ⅰ can't Live Your Life!
(あなたの人生、代って生きてはあげられない)
心の太陽に年はないんですもの。神と両親や友人に感謝し、いつも"心に平和"をと祈って。
昨年11月63期から受け継いだ当番期、皆様の御蔭で無事終えることが出来ました。ご協力に感謝致します。ありがとうございました。
昨年の懇親会の大盛会を見てこれはえらいこっちゃ大変なことやで、と64期一同心配で胸が震えたものです。結果的には出席者も278名、当初の目標300名には及ぴませんでしたが何とか面目は保てたのではと同期で話合っています。当日は九州・大阪・京都・静岡・岐阜からの応援を含め65名の同期が集まり協力して会の運官に当たりました。
振り返ってみますとこの1年「一生一度の当番期」を合言葉に同期の総会を3回開きその度に20名位が集まり、シール貼り・封筒詰め・宛名書き・名簿の整理・名札書き等々もう二度としないであろう作業をやりました。10人前後の世話人会や少人数の作業等を含めると30回位の会合を重ねました。終わってみれば楽しい思い出です。世話人会の後、居酒屋で飲むビールの味が忘れられず「おい、一杯飲ろうや」と電話を掛ける回数が以前より増えたのは言うまでもありません。
実は、当番を引き受けた時に一番心配だったのは何を隠そう収支の事でした。それでまずは同期に協賛金を募り、立ち上がりの資金とし円滑に活動出来るよう準備を始めたのです。結果的には何とか赤字を出さずに済み、同期一同ほっと胸を撫で下ろしました。
考えて見ますと年代的には当番期に一番適した時期でありこの年代に当番期が来るようにした先輩の先見性に感心をした年でもありました。先輩から見ればひよっこかもしれませんが、もう若くもなく中年の域に達しようとする時期(すでに中年だ、との声も聞こえますが)でありこの懇親会での苦労は一つ人間の輪を広げてくれたような感じさえします。
先輩方から何度も聞かされた事ではありますが、当番期をやったことでの一番の収穫は同期の結束が深まった事だと思います。これを期に更に東京東筑会の発展に寄与出来るよう同期の啓蒙を図りたいと念じています。
最後にこの懇親会が末永く楽しく続くよう後輩の方々にお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。
平成6年の夏は非常に暑い暑い暑い日の連続でございました。雨が少のうございまして、あちこちのダムの湖底が顔をさらけ出し、長期間の時間給水が実施されたことが新聞、テレビで報道されたものでございます。その暑い夏もやっと終わり、紅葉の便りがチラホラと聞かれる頃のことでございました。相模の国は「相模原GC」で起こりました恐ろしい恐ろしい事実をお伝え致しましょう。東筑会のゴルフ同好会の面々24名とゲストの井上正士様とが、各々が思い思いのクラブを持ち寄り集うたのでございます。
昨夜来の雨も幹事の梶原大先輩のルール説明、大会宣言の頃にはすっかり上がって、いよいよプレー開始となったのでございます。御年85才の三原大先輩のティー・ショットで始まるや、右往左往の有り様でございました。ある者はモグラ叩きゲームを、ある者は童心に帰り砂場の砂を掘り返し、又ある者はボールを洗うのか冷すためか、池の中に打ち込んだりの次第でございました。中には都会の喧騒を避け一人で森林浴を楽しんでいる者もございました。かく言うわたくしめも人様以上にそれらを楽しんだものでございます。戦いすんで日が暮れて……懇親会、しぇいしぇき発表となり、世紀の大陰謀が露見致したのでございます。なーんとなんと、栄ある優勝は5期の田中敏子さん、2位には63期の岸田智子さんとワンツーフィニッシュを決めたのでございます。そればかりではなく3位、4位、20位とニアピン2個と水平賞で一人気をはいた木倉先輩を除くと、表彰台に上るのは女性陣のオンパレードでございました。この陰謀は決して許してはならないものでございます。立て東筑健児、晴らそうこの屈辱を、クラブを持って集まれ、そして女性陣を完膚無きまで打ち負かそう。
天は自助ある勇者を助く
我らは励まんゴルフの道を
いざや東筑九百の健児
振るひ興せよゴルフの道を
--------------------------------------------------------------------------------
東京東筑会会則の改正について
これまでの東京東筑会の会則は、昭和61年11月より実施されて今日に至っておりましたが、会則中明確でない部分等があり、さきに長畑副会長から本会則の改正について提案があり、その改正案が本年2月7日の幹事会及ぴ4月4日の総会で審議され、一部修正の上了承されて、本年4月1日より実施されることになりました。改正の主な点は次のとおりです。
まず、第3条の目的の中に、本会の大きな柱である「会報の発行」を加えました。
次に、第5条の役員については、各役員毎に選任の規定を明確にしました。
また、会報の編集長及び名簿委員長を役員に加えました。
第8条には、総会の決議事項と決議要件を規定しました。
このほか、第10条に本会則の変更についての規定を設けました。
◆改正東京東筑会会則◆
第1条 本会は東京東筑会と称し、事務局を東京都に置く。
第2条 本会は会員相互間の親睦を図り、あわせて母校東筑高等学校の発展に寄与することを目的とする。
第3条 本会は前条の目的を達成するために次のことを行う。
1、会員相互間の親睦を図るための会合の間催。
2、会員名簿の発行。
3、会報の発行。
4、その他本会の目的を達成するために必要な事項。
第4条 本会は次の者を会員とする。
1、旧制東筑中学校を卒業した者。
2、旧制折尾高等女学校を卒業した者。
3、東筑高等学校を卒業した者。
4、上記学校に在籍したことのある者。
第5条 本会に次の役員を置く。
会長1名 会員の推薦を受け、総会で選任する。
会長は本会を代表し、会務を総括する。
副会長2名 会員の推薦を受け、総会で選任する。
副会長は会長を補佐し、会長不在の場合はその職務を代行する。
幹事長1名 幹事会の推薦を受け、会長が委嘱する。
幹事長は幹事会を統括する。
事務局長1名 会員の中から会長が委嘱する。
事務局長は事務の運営に当たる。
編集長1名 会員の中から会長が委嘱する。
編集長は本会の会報編集製作に当たる。
名簿委員長1名 会員の中から会長が委嘱する。
名簿委員長は本会会員名簿の整理編纂に当たる。
幹事 各期毎に1名を各期の会員が選出する。
幹事は各期の会員を代表し、本会の運営に三角する。
会計2名 会員の中から会長が委爆する。
会計監査1名 会長が委嘱する。
顧問若干名 60歳以上の会員の中から会長が委嘱する。
顧問は本会の運営に助言を行う。
第6条 役員の任期は3年とする。但し再任を妨げない。
第7条 総会は、毎年4月に幹事を会長が招集して開催する。
会長が必要と認めたときは、臨時総会を開催することができる。
第8条 総会では①会務報告及ぴ会務計画、②決算及ぴ予算、③その他本会の運営に関する重要事項を決議する。
総会の議事は、出席者の過半数で決する。
第9条 会員は、会報発行費、連絡通信費等の経費として、毎年3、000円の会費を納入しなければならない。
第10条 本会則は、総会において出席者の3分の2以上の決議により変更することができる。
第11条 本会則は、平成7年4月1日より実施する。
本会の会計年度は4月1目に始まり、翌年3月31日に終わる。
第13号
(1995年 平成7年 6月)
