自己責任のすすめ/東京東筑会副会長 長畑寛照(48期)

皆さんいろいろご意見もおありでしょうが、近頃の政局ときたら、何がどうしてどうなったのか、常識ではさっばり分からぬことばかりです。政策とは無関係のつまらぬ論議で国会を不毛なものにした挙句に、あの社会党と自民党が手を結んで社会党の総理が生まれるなど、少し前まで誰が予想できたでしょうか。

野次馬としては面白くても、国民の負託を受けて国の将来を決める国会の問題であってみれば、冗談では済まされません。いずれ政界再編成が進んでもう少しまともな形に収斂されていくとしても、急がれる内外政策の策定も実行もそっちのけで、自らの損得だけで野合する姿は、まことに浅ましい限りではありませんか。

しかし考えてみれば、こんな政治家を生んだ責任は、残念ながら彼らを選んだわれわれ国民にあることも事実です。国民のレベル以上の政治家を持てないということばを改めて噛みしめる必要がありそうです。

戦後は、何かといえばすぐに他人のせいにする風潮があるように思います。パプル経済をもたらした土地や株をはじめとした投機行動も、過剰な設備投貴や生産活動も、元を正せばすべて人と企業の欲ぼけが原因です。バプルが、崩壊して、不景気になったからといって、早く何とかしてくれと騒ぐのは、本来筋違いの話ではないでしょうか。今私たちにとって一番大切なことは、偏った無責任なマスコミなど周りの雑音に惑わされず、自分の頭で何が本物で何が正しいかを見分け、自分の行動に責任を持つということではないかと思うのです。

   *   *   *

今年も大勢の大学進学者を迎えて、東京東筑会は、約2,100人の会員数に達しています。大正から平成の卒業生まで数十年にわたる多士済済の会員が、それぞれの個性を発揮しながら和して同ぜず、東京東筑会と共に発展していただくことを心から期待しております。

なお、長年当会のために尽力された鴛海先輩が副会長を辞任されましたので、安永保昭さん(58期)に副会長代行をお願いしました。いずれ総会で承認をいただきたいと思っております。

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特集 東筑スポーツ所感

"槙原投手に感謝!!" TV史上初の完全試合中継。 東筑OBの快挙!

日本テレビ・アナウンス部  山下末則 (64期)

5月18日。福岡ドーム、巨人‐広島7回戦9回裏、2死走者無し。放送席で私は歴史的な瞬間を逃さないようにと必死の思いで精神の集中を図っていた。一方、この試合のディレクター山田記義氏(78期卒)は中継車の中で力メラの選択ポタンを前に手が震えていた。

27人目の打者・広島力-プの御船が1塁ヘファウルフライ。落合が捕った瞬間、極度な緊張興奮状態。巨人軍創立60周年、通算7.000試合に達成された夢の記録である。16年ぶり15人目の完全試合達成、数字だけは間違えるなと自分目身に言い聞かせ絶叫するだけだった。

山田ディレクターは中継車の他のスタッフのウォーという歓声をよそにスイッチャー盤と格闘していた。手にはジットリと汗をかいている。槙原のアップを真正面で捉えなければ!普段はネット裏のカメラで捉える投手の表情を記録達成の瞬間、山田Dは1塁側べンチ横の④カメラにすかさず切り替えた。槙原は落合へのファウルフライを追っていた。大記録達成喜色満面、槙原投手の夢の実現を見事にテレビ画面に映し出した。しかし、それ以上に絶賛されたカメラワークは8回裏の槙原投手の背中越しにマウンドをみつめる画像だった。記録達成まで残り3人、長嶋監督の後ろから緊張したやるせない表情の槙原を捉えたカメラは素晴しかった。構造上、東京ドームでは実現不可能な映像で舞台が福岡ドームだったことが幸いした。これ又記録に残る秀逸なテレビ画像だ。

槙原設手がパーフェクトゲームを意識し始めたのは3回。しかし私も山田Dも本気に大記録を感じ始めたのは7回からである。実況で打者のカウントを7回から始めたのもその為である。19人目、20人目…と。数字を印象づけるようにした。それと同時にぴらめいたのは完全試合の過去の記録をコメントしないと決めたことである。記録を辿ってゆけば実況はもっと厚みを増したかもしれない。しかし、スポーツ中継では全てではないが面白いジンクスがあった。完全試合のような大記録は実況でその歴史をひもといた瞬間、その記録はあっという間に消えてしまう。そんな実況を何回も目撃したことがあるからである。

従って最後の最後まで過去の記録について一切コメントしなかった。『記録に触れなければ大記録が誕生する』と私自身も祈りにも通じる思いがあった。そんな事は関係ないだろうが、こうして完全試合史上初のTV中継が東筑の先輩・後輩で達成されるという幸運に恵まれた。放送人としては最高の喜びである。

思えば中継前の打ち合わせで私と山田Dは模原投手の完投すら予想していなかった。巨人・槙原、広島・川口の両先発が途中で崩れ、その後の投手リレーの妙味をどう表現するのかがテーマだと語り合っていた。しかし、本当に野球はわからない。あっという間に2時間14分で夢の記録が生まれたのである。勿論完全試合は予想して達成されるものではないが、試合前に失礼な予想をした2人は今は槙原投手に申し訳ない気持で一杯である。槙原投手、ゴメンナさい。槙原投手に感謝!! オフには3人で祝賀会を開きましょう。

 

マラソン完走の記/川上祥登(57期)

「川上さん山中湖一周マラソン走ってみませんか?」

行きつけのトレーニングジムで顔なじみに声をかけられふたつ返事でOKはしたものの、ジムでロードランナーで30分位走る事はあるのだが、14.3kmの距離がどの位かさっばり分からない。

「距離は皇居2周位だから大した事はありませんよ」

誘われた顔なじみに「走ってみましょうよ」と誘われて皇居まで走りに出かけたのは良いが、2周どころか1周も出来ずに足が痛いやら何故か腕が痛いやらで途中から歩いてしまう始末で「やっぱり駄目だな」なんて弱気になるところをすかさず連れは「最初は誰でもそんなものですよ」と先に行ったり戻ったりで休まず伴走してくれる。

結局ジムから8人で行く事になったのだが、12年連続出場のリーダーに昨年初経験が2人、あとの5人は初参加であった。あとで聞いた話だが、誘った顔なじみは目分より遅くしか走れそうにない者ばかりを集めたそうで、小生もそのターゲットだったらしい。

前々日、仕事で伊豆長岡でゴルフをしたあと宴会があり、遅くまで二次会、麻雀と過ごした翌朝、メンバー皆東京に帰るのに小生のみ、山中湖へ行くというものだから、無理して心臓麻痺などおこさない様にと皆びっくりした顔であった。

「大動脈閉鎖不全症」という持病があり、はげしい運動とサウナを禁じられている自分にとって、ひょっとしたらなんておっかなびっくりのところもあった。

しかし会場に着き、ゼッケン番号を貰い、それなりの格好をして並んでスタートを待つ間の何とも云えない心の高まりは、小学校の頃の運動会以上のものであった。号砲が鳴ってもなかなかスタート出来ない。何と云っても12,000人が走るわけだから、3分以上経ってやっとスタートしたのだが、人・人・人でなかかな前に進めない。

最初は物珍しく嬉しいものだから、まわりを見渡しながら浮き浮きしながら走っていたのだが、いろいろな事に気がついた。道の真中を走っていたのだが、道路の中心都は凸の形になっていて走りにくい事。右はしを走っていると車道における追越車線よろしくのろのろ走っていると追い越されざまに注意される。

揃いのTシャツグループ、ペアルック、老若男女入り乱れてのランニングは、前を見ても、後を見ても人・人・人の波。それでも5kmを過ぎた頃、くっきりと富士山が左手に見える様になったのも束の間、そろそろ息切れがしてきて、足も痛くなってきた。歩こうかという気持ちと、自分だけ歩くのは体裁が悪いとか、心臓麻痺をおこしたらどうしようかとか、いろいろ頭の中で考えるようになり、景色も目に入らなくなった。ひたすら前を走る人の背中を見続けながら曲がり角のバス停の名前が前々日のコンパニオンの名前だったなとか、まさか70歳過ぎの人に抜かれたりしないだろうなと思った矢先にそれらしき人に抜かれたり、こんな女の子に負けられるかと抜かれた女の子について行って急に苦しくなったり、それでもなかなか10kmの表示が表われない。その内30分後にスタートした八ーフマラソンの先頭の連中が次々に自分を追い越していき、もう駄目だもう限界だ、あの角まで行ったら恥を覚悟で歩こうと思ってそこまで行くとそこはあと1kmの表示になっていた。これはラッキーと勇気百倍、よしという感じで最後の頑張りでゴールに飛ぴ込んだタイムは、1時間25分52秒。2時間はかかるだろうと思っていた自分、1時間40分位はかかるだろうと言っていたメンバーの話からすると意外であった。それでも走った事も、タイムを貰ってゴールした事も初めての経験。この感激は涙が出る程であった。実際感激の余り泣きながらゴールしてくる人が何人かいたのは同感であった。後日送られてきた順位は50歳以上男子壮年選手1.049人中626位であった。

12,000名の参加者名簿を見ているといろいろなサークルの中で○○高校OB会というのが目について東京東筑会JC(ジョギングクラプ)という所属で何人も参加出来たら楽しいなと思って一筆取りました。

「皆さん、一緒に走ってみませんか?」

 

応援部小史/小御門俊郎(68期)

東筑の応援部は昭和28年初の甲子園出場の際、創設された。

野球部専属の応援部という風に思われがちであるが、そんなことはなく、すべての東筑の応援部である。しかしながら、野球を中心においていることは否めない。

創設時は、修学旅行の際に明大応援団に教わった関係上、明大式の応援形態であった。(三原会長は、明大応援団のOBなのでその関係と聞いている)それから、地元九州の様々な応援団の影響を受け、東筑独自の応援形式を繰り広げたが、応緩部だけの応援に終始し、盛りあがりのないものであった。

昭和47年、2度目の甲子園の時、私が、早大応援部に在籍していたことから現在の早大方式へ切り替えた。皆さんから『テンポが良くなった』、『スタンドが一つになった』等、お誉めの言葉を頂いたが、試合の流れに沿ったスピーディでテンポの良い、又、スタンド全体を一つの声にした応援が出来たと恩っている。

その後、昭和53年に甲子園で初勝利を挙げることができたが、特に第2戦目の日大二高戦の勝利はスタンドの力で勝利を呼ぴこんだものと思う。

それ以後、応援都の二年生を早慶戦観戦のため上京させたり、早大応援部学生の派遣による応援指導を行ったことで高度の応援テクニックをマスターした。今では、福岡県内応援部の指導者たる地位を確保している。

私は、応援指導で全国の高校を廻っているが、東筑の応援技術は、全国でも十本の指に入る位すばらしいものがある。応援の試合等がないので目立たないが、全国レベルのクラブ活動の一つである。

北九州の活性化と両校のお互いの研鑽を旨として、4年前に始まった、私の悲願でもあった『東筑・小倉定期戦』が、今後の応援部にとって最もよい刺激になると思われる。が、まだまだそれぞれの色が出ていない。東筑・小倉のお互いのカラーを出し合えれば、これが本当に北九州の活性化の一助にもなることができるであろう。そうなれば、これが本当の応援部の役割となるであろう。

こんな東筑応援部であるが、近年、部員不足に悩まされていると聞く。

どうか昔さん!

友人・知人・ご親戚のご子息を応援部へご勧誘いただきたく何卒よろしくお願い申しあげます。

また、母校の勝利を願い、一生懸命に声を出している応援部に皆様の応援をお願い申しあげます。

 

同期会だより

最近の49期会のこと/秋丸照雄(49期)

在京東筑49期20周年記念同期会を平成5年6月に帝劇とクラプ銀座ソフィアで27名出席し盛大に実施した。

10月には人形町今半本店で、定年退職で帰郷予定者の送別会を有志20名で行うと共に、定例のゴルフ会を鹿野山CCで3組と新日鉄白渓山荘で宿泊パーティをやって盃を重ねた。

先年、浅草橋の旗屋に東筑の校章入り同期会旗を注文制作して以来、催しごとのたびに、必ず旗を掲示して気勢をあげ結束を固める習わしで、これが会長の役割となっている。

運営は地域別に6グループを編成し、それぞれに連絡責任者を定めて当番幹事を持廻りで担当することにしている。総員は48名。

平成6年は埼玉グループが第21回同期会を6月に、千葉北グループが第5回ゴルフ会を10月にそれぞれ担当し、そのための秘策を練っている様子である。

平成5年3月までに全員が還暦を迎えたことになるが、孫の話は御法度の若々しい会でありつづけたいと願っている。

 

私たちが東京で暮らすようになった理由-ある79期生の今までの過程- /里信也(79期)

私たちが東筑高校を卒業して13年もたった。故郷に戻らず、東京で生活している。そもそも、何故、私たちは東京で生活することになったのだろう?

私が中学生の頃、塾で友達になった石井勝久(いしいかつひさ)氏も御多聞にもれず大学から東京に出てきた組だ。1年浪人して立教大学に入学。西鉄旅行という地元の企業に就職する。が、仕事が忙しい等の理由で3年半働いて、転職する。次に勤めたのが、コモリコーポレーションという印刷関係の機械等を製造している会社である。福岡支店の希望を出していたが本社の東京勤務となる。営業職のせいか接待ゴルフで北海道から九州まで、忙しく駆け回っているらしい。現在、飯塚出身の奥様と船橋に2人で住んでいる。来年には貴公子のような(本人日く)2世誕生とか。

高校の3年間(実は浪人の1年間も)同じクラスだったモップというニックネームの篠原準一(しのはらじゅんいち)氏の場合はこうだった。大学は京都大学法学部に行き、就職は日本生命に決定していたが、大学の時研究していた日本中世の法制史をどうしても研究したかったために学習院の大学院に入った。現在東京生活6年目に突入。いつかは研究の成果を本にして出版したいとか。院生だけでは生活していけないので知り合い3人ぐらいで塾を経営したり、予備校で英語を教えたりと幅広く活動している。

最後に私、里信也(さとのぶや)の場合。やはり大学はこちらの神奈川大学外国語学部英語英文学科に入学。卒業後は遊学でもしようと4年生の12月まで呑気に構えていた。ところが、大学の就職課からの私立高校の教員の話があり「2、3年仕事をするのもいいかもしれない」と二つ返事で引き受けた。が、教員という仕事があっていたのか横浜商科大学高校英語科の教師をもう10年近く続けている。姉に「長男なのに実家に戻らない」と文句をいわれたこともあるが、私もすでに横浜に根づいてきている。結婚して今では男の子が2人もいる。

私たち79期生も様々な理由で東京近郊に住んでいると思うが、なかなか連絡をとる機会がなく、ちょっと寂しい思いをしている。これを機にぜひ連絡を取り合おう。

余談になるが、私の勤務する高校の今年の卒業生、斉藤秀光がドラフトで、あの仰木監督のオリックスに入団が決まった。応援している。ガンバレ!!

 

出生率1.5人の当事者近況/安藤進一(83期)

彼の話によると、二人目を仕込んだのは、というよりも当たってしまったのは、一人目の時と同じ日らしい。出産予定日まで同じというのだから、生命の神秘はそこまでよくできているものかと、驚きというよりかえって微笑ましくなってしまう。タバコの煙に紛れながら、彼がしみじみと口にしたその言葉、「子供って、ほんっとに簡単にできてしまうもんだな」。

ここ数年、僕らの話題の中心は、明らかに変わり続けている。10代の頃は「誰とだれがつきあっている」という話題で一貫していた。ところが20代に入ってからは、間運いなく2度の変換期があった。

前半は10代の延長。しかし半ばになると「誰とだれが結婚する」。そして後半となった今はもっぱら、「パパ」「ママ」「赤ちゃん」だ。

最近、同世代の連中と飲んでいると、妊娠だの出産だのといった話を平気でしてしまう。たとえ、その中に女性がいてもだ。ほんの数年前までは、とてつもなく恥ずかしい話題だったはず。まして女の子の前でなど。

しかし、僕自身、結婚してはや4年目(え!もう、そんなになる?とお思いの方も多いことでしょう)。一昨年など僕の周囲は大結婚ラッシュで、東筑の同期だけでも、何組結婚したのか 、よくわからないほどだ。そうなると、今度は「おめでた」系の話になるのが必然というもの。たまに会うと「お子さんは?」-あいさつ代わりというよりも、最低限の礼儀とさえ言いたくなる。

前回、東筑同期で大々的に同窓会をやったのは、一昨年の12月。それこそ結婚ラッシュの真っただ中で、その名も「合同結婚お披露目会」。5組のカップルのお祝いを、いっぺんにやってしまったわけで、それまでの会とはひと味違った、ハッピーな雰囲気の中にも、一つの時代の区切りを感じさせる感慨深さがあったように思える。

それ以降も、僕の知っている範囲だけで、相当な数のカップルが誕生している。常々、またお祝いの会を閲いてあげねばと思いつつ、なんだかんだで1年半も間隔があいてしまった。

そこでこの9月、原田功貴君の結婚を期に、ひさびさの同期会を盛大に催したいと思っている。きっと今度は「パパ」「ママ」「赤ちゃん」が話題をさらうだろうし、子連れでやってくるメンバーもいるかもしれない。

誰かの言葉ではないが、僕らのつきあいも「大人の関係」の段階に入ったと言うべきか。なんて偉そうなことを言っている僕も、さんざん追い抜かれはしたものの、来年早々にはいよいよ……というわけで。

 

第5回新入生 (92期) 歓迎会/古川奈奈(79期)

去る6月7日(火)、東京都文京区の日本女子大学桜楓館において、新入生の歓迎会が行われました。この会は東京近郊の大学へ進学した新入生を対象に、当東京束筑会の紹介をかね、先・後輩、また新・旧会員相互の親睦を深めることができるようにと、毎年行われているものです。今回も92期生を中心に新入生45名、総勢60余名の参加があり、例年にもまして、にぎやかな集まりとなりました。

まず、司会を担当された幹事長の川上祥登氏の開会宣言がおこなわれ、続いて東京東筑会長の三原朝雄氏から新入生歓迎の挨拶がありました。

挨拶の中で三原会長は「現在の社会情勢にはたいへん厳しいものがある。自分の進むべき道の模索、将来の選択にも不安な要素は多いと思う。しかし、それらに負けず後輩学生諸君には、充実した大学生活を送って欲しい。我々先輩同窓もできるかぎりの助言・援助をしていくつもりだ」と激励の弁を述べられました。

その後、東京東筑会副会長の長畑寛照氏による乾杯の音頭、そして交流会の始まりとなりました。先輩、後輩の別け隔てなく話せるようにとの配慮から自己紹介等の時間も設けられ、すっかり和んだ雰囲気の中、会は進行していきました。

「友達に誘われたんですが、なんだかおもしろそうなので来てみました」「去年、一度来てみて楽しかったので今年も参加させてもらいました」等々当日の参加理由は様々でしたが、久しぶりの同窓生との再会などもあり、あちらこちらの人の輪から大歓声が上がる一場面も見られました。途中、川上氏の方から東京東筑会の主な活動内容について説明がありました。また、俳優の高倉健氏をはじめ各界の著名人、さらにそれらの人々を囲む会の聞催等、様々なイベントが行なわれていることも、あわせて紹介されました。

「先輩は上手に使って、賢く付き合って行こう」川上氏のそんな提案に会場はまたまたドッと湧き上がっていました。堅実な後輩たちの中には、これを機にと、名刺集めに精を出す姿も見受けられました。

「あまり良い印象が(東筑会に対して)なかったが、今日参加して、いろんな方面で活躍されている先輩が多いので驚いています。今後、いろんな方々との出合いが楽しみです」「これからも相談に乗ってもらえれば、と思います。例えば就職の件とか…」新入生の感想は様々でしたが、中には「会費が学生にとってちょっと高すぎます。今日は朝ごはんは抜いて、お昼はパン一個です」といった切実な意見もありました。

最後に90期の太日万佐由、91期の許斐智男両名の指揮により校歌斉唱、川上氏の閉会宣言で会は大盛況のうちに幕を開じました。

尚、歓迎会に参加された学生の方々は以下の通りです。

石山要介、石井かおり、石田光史、占部圭一、太田万佐由、太田三保子、釜田淳子、草場龍太郎、來間絵理、許斐智男、加来秀郎、銭場武文、坂本幸弘、武内亮、高田智子、高橋遵永、田村望、時田紀子、丹靖之、辻奥英生、内藤健司、中竹竜二、中村康彦、中山惣一、野口正哉、久枝知太郎、日高廣太郎、廣中直次、藤哲朗、藤沢成典、藤江鉄平、藤本洋一、宮下雅史、松本勉、松尾知明、正野睦朗、室屋慶介、宮原真一、政近住代子、山本俊輔、山本誠己、山本貴之、山本清起、山本拓志、渡辺洋祐(以上45名・敬称略)

新入生歓迎会は毎年開かれています。ご報告しましたように、若い人達にとっては先輩の方々に期待するところも大きいようです。0Bの皆さん、今後とも歓迎会への多数のご参加、どうぞよろしくお願いします。

 

ゴルフ同好会だより

(各成績表は割愛しました。 HP管理人)

第18回ゴルフコンペ/有田幸彦(52期)

第18回東筑ゴルフ会は4月14日埼玉の名門飯能ゴルフクラブで先輩・後輩30名参加し、話題豊富な賑やかな一日でした。

当日は数日来の雨もすっかりあがり、ゴルフ場名物の桜も勿来関を思わせる程爛漫と咲き乱れ、スコアは別にしてゴルフの醍醐味もここにつきるというのが参加者一同の実感でした。

また当日は女性デーとも云える程女性の活躍が目覚しく、女性の参加者が多かったのは勿論、優勝者も山崎氏で日頃の研鑽の成果を十分発揮され満場の祝福を一身に集めた次第です。

また、なんと云っても赤坂の林氏が第1回目から18回連続出場の表彰を受けたことは特筆に価します。千葉、埼玉、そして神奈川県とゴルフ場は変わりましたが、皆勤賞は偶然のことではなく、東筑ゴルフ会の生成発展を願いまたご本人の強い参加意識があったればこそと思います。誌面を借りて再度拍手したいと思います。

 

第19回ゴルフコンベ/末森多美生(63期)

冷夏、台風、地震津波などの天然現象に悩まされ、深刻なる米の大凶作と不景気の平成5年度、秋の第19回東京東筑会ゴルフコンペが10月27日(水曜日)飯能ゴルフクラプに於て開催されました。それまでの天変地変が嘘のように1週間以上続いた秋空、それも当日、いわゆる日本晴れの中、24名の雄姿が現れ、和気あいあいとして朗らかな雰囲気の中、飯能ゴルフクラブの名物ホール、イン10番より厳しい戦いの火蓋が斬って落されました。

イン10番は362ヤード、パー4、ティーグラウンドからは全面に広がる池越えで、選手にはかなり強いプレッシャ-がかかるところ。ショットする前になると言葉数は多少?少なくなったものの、さすが我が名門母校全選手無事通過、と報告したいところですが、池を見ると必ず入れなければならないと言う「哲学」でもお持ちでないかと思われる折女26期、N先輩唯一人、池ポチャと伺う。

各パーティとも真摯なプレーの中にも和気あいあいとし、各々、好プレー、珍プレーが続出していたらしく、姿の見えない遠くの林からも、明らかに北九州訛の大きな声と歓声が飯能の森に響き渡っておりました。

プレー終了後の懇親パーティー(実の所これが1番楽しくて、38期梶原先輩は忙しい中をコースを取って頂き、しかも当日後半参加なされ、地方にいる小生なんぞはゴルフが出来なくても参加したい雰囲気です。)では、鴛毎副会長より「今回は昨今の世相を反映してか、女性の参加者が男性の参加者を上回る女性上位で、やっと東筑も世間並みになったのか?」とか「幹事になられた51期生の厚き友情を、同期の方々の多数の参加で見た。」などの軽快かつ人情味溢れるスピーチに引き続き、頑張った人、ちょっと調子のでなかった人、でも好運にも各賞をもらえた人、等の成績発表(頭文字等も次表を参照してください)が行なわれました。

後は恒例の各入賞スビーチと懇談。プレーを反省しながらもパートナーを誉め讃え、ゴルフの事、東筑の事、近況などが北九州弁混じりで飛び交い、最後にはB・Mの59期Ⅰ先輩の「貴方、ゴルフで落ち込むことはないのとよく言われるの。馬鹿じやないの、楽しむために遊んでいるのに落ち込むことなんか有るはず無いじやん。」(B・Mがスピーチされたのは私の記憶にもあまり無いことでしたので。)

旧聞のことですが、三原東京東筑会会長が「彼女奴に○王があったらな-」と呟いておられた事を思い出させられました。盛り上がる会に名残りは尽きませんでしたが平成5年度の東京東筑会の総会の御出席依頼(実は幹事期は小生どもの63期生でした。)で次回のコンペの再会を期してお開きになりました。

最後になりましたが、幹事の折女25期山崎美恵子先輩・51期片岡正瀞先輩ご苦労をおかけいたしました。おかげで仕事を忘れて楽しい一時を過ごさせて頂きありがとうございました。次回の幹事の方も宜しくお願い致します。アレーレー、次回も51期片岡先輩ですか?

 

第20回ゴルフコンペ/高野宏治(55期)

日本列島桜の開花が全国的に一週間程遅れた関係で、東京東筑会ゴルフコンペの行われた4月6日は、飯能カントリーの桜が例年より一週間程遅れての満開日にあたり、それは見事な景観でした。一言では言い表わせませんが桜の花が咲き乱れ木が全体的に大きくふくれ上り、盛り上って見える為、フェアウェイが狭く感じると言ってもあながちオーバーとは言えない程の景色でした。

前回、思いもよらない優勝(本人の言葉)をしてしまい、今回幹事を勤める事となった同期の渡辺豊美さんの再三のお誘いを受け、遂に断りきれずに久し振りに参加する事になった東筑会コンペでした。

幹事の渡辺さんが躍起になって集めた為だろう、同期(55期)の人達が男女合わせて7人も参加し各組に一人ずつ配した様子は、同期の者としては心強いものを感じました。

私も参加に当り、幹事は大変だから優勝と観戦記を書く4位をはずして上位をねらいたいと思いながらスタートしました。

暖かで、穏やかで、桜は満開で、風もなく、好天気に恵まれたご言い訳の出来ない絶好のゴルフ日よりに参加の皆さんは、伸び伸ぴと楽しいゴルフに興じておられました。優勝は、飯能のメンバーのメンツにかけても人には譲れないとH8の梶原眞(38期)大先輩がベスグロ優勝をされました。梶原先輩の優勝、特にベスグロ優勝には、当日参加の若手の人達はうなだれるだけです。プービーは、中野恒子先輩(折女27期)、女性ベスグロには山崎美恵子先輩(折女25期)が若手を押えて取られました。

しばらく飯能が続いたので次回は、久し振りに相模原Gで行われる事に決定しました。なお、鴛海先輩の提案により次回より70歳以上の男性は、レディースティでティ・ショットをしても良いと云う事になりました。大変楽しい東京東筑会ゴルフコンペでした。

次回相模原も大勢参加される事を期待して報告と致します。

 

編集後記

今年の猛暑が嘘のような春まだ浅い、とある日本橋の有名うどんすき店。「東京東筑会会報づくりとうどんすき」の謎が解けないまま、誘惑にかられてすでに私はコシのあるうどんをすすっていた。

船津氏、田中氏、橋本氏、伊賀氏、古川嬢、後日かけつけた河野嬢。ひとしきり恒例の母校礼讃話の後、栄光の前東京東筑会会報編集長船津先輩からの禅譲であった。船津先輩のご苦労がビールと共に胃にしみる。

♪ よきかな東筑うるわしく、東筑、東筑、ゆたかなれ、あーあー、東筑♪ やっばり母校は理届抜きでいい。

誰もがそうであるように、東京の喧騒の中で自身を磨き、日常に埋没しながら夢を見続ける。ふと、時と時の間になつかしい母校の風景が目に浮かぶ。「堀川の水はきれいになっただろうか」。「大八車のラーメンの味は変わってないだろうか」。「今年は東大に何人入学したんだろう」。ついよけいな心配をしてしまう。笑顔になる。いつのまにか、オリックス監督仰木大先輩のご活躍や、日本テレビ山下先輩のアナウンスぶりが自慢に思える。

そこには、東筑卒業生老若男女の伝統が一つのフレームで融合し合う時の目に見えない不思議なテレパシーを感触する。「東京東筑会会報づくりとうどんすき」の謎がやっと解けたような気がする。これからもこの東筑テレパシーをもっと大切にしていきたい。本紙編集にご協力頂きました皆様、本当にありがとうございました。      菊川一美(76期)

 

第12号

(1994年 平成6年10月)

第12号