第6号 (1988年 昭和63年 8月)

題字 故三原朝雄 東京東筑会初代会長 (26期)
御挨拶………東京東筑会会長 三原 朝雄 (26期)
本年6月10日は母校東筑の創立九十周年の記念の好日でありました。 又福岡県史の1頁に県立中学校創設第1号として東筑が明記してあり、母校東筑が今日の隆盛を顕現しつつあることなどを想起するとき歴史の重さと責任の重大さを痛感いたしました。
私はこの日、記念講演をいたしましたが、その概要は第一には「永遠の現在」への自覚と言うか哲学であります。 現在は未来を指向する力と過去の持つ引力という相反する相剋の中にある。 そして時間はいつも現在という衣を着て我々の前に現れる以上、現在は永遠であり、厳粛に立ち向かわねばならないものである。 我々の日々の生活を真剣に過ごす責任を自覚することです。
第二は歴史観を養って貰いたいことです。 90年の母校の歩みの中から、映画「おしん」のストーリーは過去の一地方の物語でなく、その当時の東筑の環境そのものでもあったし日本社会の実状でもあった。 次に戦争、事変が起こり、政治、経済、文化等の混乱と激動の90年は有史以来、千年、千五百年の内容に匹敵、否むしろそれに倍するものと受け取れるものであった。 われ等の先輩がその中にあって今日を築いて来られたことを想う時、歴史は汲めども尽きぬ教訓の泉のようなものだと思う。
第三には反省と自悔についてであります。 私の人生80年を回顧しますと、孔子の「十有五にして学を志し、三十にして立つ。四十にして惑わず…」云々の如く、人生の節目節目においてその足跡を後世に伝える自信は全くありません。 現在の私の心境は、過去は夢にして、将来は妄想なりねー、と申し上ぐべきか。 ただしかし、人類愛に生き、和平に徹し、正直に立ち、健康に留意し、不怒、裏切らず、思い遣りを忘れず、自らの人間形成に不断の努力精進をした生涯であったことは申し上げることはできる。 しかし特に県政、国政40年の間、校友、郷土人、広く知己の人々からり温かい御支援、御協力を賜り大過なく国家、社会に奉仕出来たことに対し、今にして心の底から感謝しています。
以上が講演の大要でした。
われ等東京東筑会から去る6月10日の記念同窓会には鴛海副会長はじめ2、30名近い会員各位が遠路遙々出席され大会に花を添えて頂きました。 東京東筑会は母校の顔として千数百名の会員の各位が結束を固め運営されています。 正に母校愛に富む友情厚い親睦会です。 これからも母校のよき歴史と伝統を誇りつつ、幅広い種々の活動を通じ会員相互の信愛を深め、二十一世紀繁栄の原動力は東筑魂に由来する自信と気魄を堅持し、前進されんことを期待し御挨拶といたします。
** 田中繁吉画伯(15期)卒寿記念新作展 **
5月27日から6月8日まで、池袋西武百貨店にて、東筑の大先輩であり、日展参与、創元会常任委員も務める洋画壇の重鎮、田中繁吉画伯(15期)の新作展が開かれました。
今回は、画伯の卒寿を記念した大がかりなもの。写真のような華麗な女性像の他、新たにここ十年来取り組んできたという桜島をモティーフにした作品など、30数点が展示され、ますます旺盛な制作意欲とその若々しい色彩感覚に、思わずため息が出てしまいした。
日頃、展覧会などなかなか忙しくてどうも…と言っておられる方々も、これを機会に、是非足を運んでみてはいかがでしょうか。画伯の出品なされる日展は、今年も11月から東京都美術館で開かれます。 (田中)
…写真は会報原画の解像度が低く転載不可のため割愛しました。(HP管理人)
特別座談会 東京東筑会とは何だ!?
千々和久幸(53期)、白石基雄(56期)、川上祥登(57期)、小御門俊郎(68期)
昭和63年4月21日、火曜日。 東京東筑会の新事務局であるチアップジャパン内にて、今号の為の特別座談会が開かれました。出席者は千々和久幸副会長(53期)、白石基雄幹事長(56期)、川上祥登事務局長(57期)、小御門俊郎享務局次長(68期)、そして記録係の田中直(78期)の以上5名、小雨まじりの天侯の中、「東京東筑会とは何だ!?」をテーマに、自由で活発な大討論会となりました。
(1)新生東京東筑会誕生まで
田 中…白石さんはいつ頃から東筑会に関わるようになったんですか。
白 石…60年の2月からかな。僕はね、昭和38年に東京に来て、同期の幹事を40年代ぐらいから始めたんですよ。
田 中…その当時でだいたい何人ぐらい集まっていたんですか。
白 石…やっばり最初は10人ぐらいやったね。とにかくいろんな所に電話してね。多い時には30人ぐらいになったかなあ。それで、そういう話がどこからか伝わってね、あの時、確か千々和副会長からかな。電話をもらって、東筑会なるものがあって、もう相当組織的に動いとるから、とにかく一度出てこいよ、ということになってさ……
川 上…その前からやっといたんとちがうか。
白 石…ウーン、そうか、思い出した。それまでは56期でね、三原朝雄先生の秘書を20年やっておられた……
川 上…ああ竹内さん。
白 石…そうそう、竹内初雄君ね。今は遠賀の町議をやっとるけどね。
川 上…結局、竹内さんが東筑会の56期の幹事をやっとって、白石さんは自分たちの仲間内の幹事をやっとった訳や。なんで竹内さんがやったかというと、新生東筑会ができる前は、東京東筑会は一応、三原事務所に連絡場所があったからなんだな
白 石…それで竹内さんから運絡があって、今度、懇親会を56期がやるよって言うので、じゃあ皆が集まる回数を増やしましょう、ということになった。だから、東京東筑会との関わりは、まさに懇親会以降だね。やっばり懇親会やってね、意識的に”オッ、東京東筑会。こりゃあ楽しいな。もっと懇親会を通じてやらないかんな”と、思ったからね。
田 中…つまり、当番幹事になったのがきっかげなんですね。
白 石…そうそう。当番幹事になってから東京東筑会の存在をより以上に強く感じ、ひとつこれを発展させようやないかと、そういう気になったね。
田 中…川上さんはどうですか。川上さんは56期?
川 上…いや57期。新生東筑会というのはね、小御門たち応援部の縦のつながりでやったのが第1回なんや。その時に中心になってやってたのが、俺たち57期の村田なんだよ。で、応援部の縦のラインでやろうとしてたんだけど、なかなか集まりが良くなかった。それで途中で俺が相談を受けた訳だ。それで皆で手分けして一生懸命やったから、第1回は57期がやったということになっとるんだけど、本当は57期でも何人かしか、ほんの二、三人ぐらいしかいなかった。でもあの時は、京王ブラザに三百何人も集めたんやからなあ。
白 石…54年の10月だね、第1回は。この時は今話に出た村田和夫君、中村守衛君らがやっておって、川上なんかが手伝ってたんだよな。
川 上…その時が初めてで、それまで三原事務所に連絡場所があるなんて、全然知らんやった。
白 石…やっばり川上君の場合も懇親会を通して、ということだね。
川 上…そうそう。でもあれは本当は応援部がやったんで、57期が最初にやったなんて言われると、どうもうしろめたい。
白 石…その時、小御門君はもう入っとったんやろ?
川 上…小御門は働いた方や。
小御門…もともとは応援部のOBクラブが出来たことが発端なんですよ。甲子園に出たのが契機になったんです。
田 中…フーン。甲子園というのは有形無形の影響を与えているんですね。
小御門…そうそう。それでOBクラブというのがきっちりしたんです。それぞれ支部を作ろうということになって……元になっているのは早稲田の応援部のOB会なんですが、僕が名簿をもってまして、会の組織はどうなっているのか、なんてことを参考にして、会費を少し変えたぐらいにして、まあ作ってみようと。で、動きだして、まず名簿がでぎて、それでその年、年賀状が未たんです。村田さんから。
川 上…それまでは知らなかった?
小御門…知らないです。年賀状が来てからですね。とにかく、それじゃあ東京支部の集まりをやりましょうか、という風になって、54年の2月ぐらいにOBクラブの東京支部会をやったんです。20人ぐらい来たのかな。それでその時に村田さんが、やっばり昔、学校に迷惑かけたと、相当悪いことしたと。そうすると皆、うなずく訳ですよ。で、ここらでちょっと恩返ししようやないかと。ということで、じゃあ東京東筑会、作ろうしやあないかということになったんです。それが発端です。まあだいたい飲んだ席で終わる話なんですけど、村田さんだから続いた訳なんです。最初は場所探しでもめたんですよ。200ぐらい集めりゃあいいんじゃあないですかって言ってたんですけど、ダメだ、500人入る所を探そうってことで、それで京王プラザになったんです。50何期に山岸さんという方がいらっしゃって、安くしてもらったんです。
田 中…でもその時は蓄えの金っていうのは全くなかったんでしょう?
小御門…なかったよ。金はとにかく村田さん。とにかく、なんにもなかったんですよ。名簿もなにも。あるのは東筑会の本部の名簿だけなんです。
白 石…その時ね、三原事務所には何もなかったの?
小御門…ありました。でもそれは100人ぐらいしかのってないもので……
川 上…三原さんの同期から37期〜38期までの本当の仲間うちだけのものだったんや。
小御門…えらいさんだけでしたね。それで本部の名簿から東京にいる人を全部書き出したんです。今のカミさんがね。
白 石…ホー、それはすごい。やっばり小御門君がいたから今の東筑会があったんだね。
小御門…いやいや。それで、とにかく誰でもいいから期の一人をつかまえないかん、ということで、毎週日曜日、村田さんの会社に集まったんです。
川 上…俺は村田とは面識なかったんや。ただあいつがいろいろ探しとるうちに、それやったら川上に言えと、誰かが言ったらしい。
小御門…村田さんがいたからできたんです。電話代から何から、全部やってくれたんですから。で、日曜の朝9時頃から集まる訳です。中村守衛さんとか、金崎さんとか、私とか、若いのとか。それで電話作戦ですよ。でも訳を話しても皆、高校のことなんか特に関心ないんですよ。”何でそんなことやるんか”と、誤解がすごく多かった。
川 上…選挙の母体みたいに思われがちやったんやな。それに入ると三原さんの後援会みたいのに入らされるんやないかとね。そういう抵抗はものすごくあったよ。
白 石…末森君が事務局長になったのは?
小御門…56年でしょう。最初は58期の牛島さんにやってもらったんですよね。ここでちょっと誤解があったんです。要するに、事務局というのは、僕の解釈じゃあずっと川上さんだと思ってたんです。末森さんは期の幹事というふうにとってたんですけど……
川 上…最初の京王ブラザの時は俺が事務局長をやっとったんや。でも俺の会社はテイチクやし、やっぱりどこかに事務局を置かないかん。そしたら牛島のところの会社が社長以下東筑やし、それで局長は俺がやるけれども、事務局は牛島のテレビ西日本にすえようと、そして58期の幹事を牛島にしようということになったんや。ところが次の年にすぐ転勤になって、やっばりサラリーマンじゃあむずかしい。じゃあ次の59期の幹事は末森やから、末森のところに置こうと。とりあえずその一回きりという感覚で置いたんやけど、末森も熱心やし……
小御門…まあ、うまくいった訳ですね。
川 上…そう。それで事務局をずっとやってもらった訳や。
千々和…川上君は応援部の流れではなかった訳だ。
川 上…全然関係ない。村田の同期だったというだけ。ある日急に電話がかかってきて、村田が言うには、”小倉高校にはちゃんと同窓会の看板を出してる部屋がある。将来、東筑の同窓生のための部屋を持つというのはどうだ!”なんて言われたら、そりやお賛成するよな。
小御門…それでね、ちょうどそれをやった年に選挙があったんですよ。選挙前には絶対やらんという事にして、選挙後にやったんです。でも竹内さんがどっかから聞いてきたんでしょう。”お前ら、何やりよるんじゃ”って言ってきて……
川 上…俺たちがやりよる時にも、選挙の票がためやないのか、とかいろいろ言われた。その誤解を解くのが一苦労。
白 石…ウーン、そんな苦労があったんやね。
小御門…”若いのが何しよるんじゃ”という感じでね…。それで九州にいる竹内さんに会いに、出張を作ってもらって行ったんですよ。いやこういう訳でと事惰を話すと竹内さんもわかってくれて、”よしわかった。ただ政治団体じゃあないんだから、選挙前はまずい”と言われましたね。
川 上…それにその時の懇親会は当日精算だったから、人数が全然読めないし、当時は期別幹事もいなくてただ仲間うちだけだったから本当に大変だった。
小御門…ただその当時でも期別の名簿を作っている期があって、その名簿をもとに統一した名簿を作るのが大切だった。
千々和…最初の名簿が出来たのはいつか。
小御門…56年に牛島さんが作られましたね。
川 上…あの人も熱心な方だった。
小御門…その次はもう千々和さんですよね。
千々和…そう。それで今まで皆が言ったことをまとめるとね、東京東筑会誕生秘話というのかなあ、年代順で一言うと三つぐらいのボックスがある。一つ目は 昭和41年、二つ目は昭和54年、三つ自は昭和60年だ。最初は東京東筑会の事務局が三原事務所にあった。これが昭和41年前後。その後、三原先生の縁につながる古い人たちが活動した時代がずっと続く。そして昭和54年に京王プラザで新生東京東筑会第1回の懇親会をやったんだ。この前後に村田君とか川上君とが小御門君、つまり応援部の流れとか愛校心の強い人たちが働いて旗上げとなった。つまり、ここまでは英雄の時代なんだ。そして56年に末森事務局長が登場してこれからしばらくは、末森と、亡くなった白石さんが精力的にやった時代でこれが60年ぐらいまで続くんだ。そして60年に僕が白石さんに呼ばれ、その2月に初めて期別幹事会というのが開かれ、思いもかけないこと白石さんが僕に幹事長をやれと一言って、ここからまた新たな時代になったと思うんだ。
何が新たになったかと言うと、まず懇親会の当番期を合意のうちに決めた。49期まで逆上ってあとは本校と合わせる為に60期がやるというルールを作った。まあ英雄の時代から組織の時代に移ったという訳だ。それと期別幹事会を隔月で必ずやったんだ。議事録も残した。会報を作り、2度名簿を出した。まあ、というのが今までの大まかな足取りで、じゃあこれからどうしたらいいのか、新しく役員になった3人にそれぞれ聞いてみようじゃないか。まず、東京東筑会をどうしたいのか。東京東筑会は何の為にあるのか。
(2)東京東筑会 未来への抱負
白 石…会報の4号かな、三原会長が東筑会は何が目的であるかというのをはっきりうたってあったなあ。”東京東筑会は会員相互の親睦と助け合いを目的とします”やっばり”親睦”というのが第一だと思いますね。
川 上…いや、俺はね、”親睦”というのはこの10年でかなりやってきたと思うんよね。ゴルフのコンペとかを見るとね。俺は、一番最初に村田に誘われた時に聞いた、小倉高校にあって東筑にないもの、つまり東京東筑会のサロンみたいなもの、その設立を目的としたい。最初はいい気に考えとったから、こんなにかかるとは思わんかったけどな。とにかく、受付の女の子がいて、東筑の同窓生がいつも何人かいて、地方から出てきた人も、そこに行けば何らかの情報が得られる、というような東筑の関東におけるキーステーションみたいなものを作る、というのが最初の夢やったからね。ところが毎回毎回、会報作ったり名簿作ったり、幹事会の経費も自腹を切ったり、余裕がない訳だ。だからサロンを作るとしたら、これはやはり寄付に頼るしかない。それで、事務局長になっての抱員は、サロン作りというか、本当の意味での事務局の設立を第一にかかげたい。今は個人の儀牲にのっとる訳やね。末森さんしかり、今度の小御門しかり。だから女の子1人と部星を借りれる経費、東筑会で払えるように早くなりたいというのが、俺が考えている目的やね。これがやっばり事務局長として、一番の仕事やと思っとる。
白 石…小御門君は?
小御門…究極はやっばりそこですよね。でもその前に、僕は学生を暖かく迎えてやりたいですね。アルバイトとか、就職のこととか、そういうことを気楽に話せるような場になれば、それが一番いいんじゃないかと。僕はやっぱり、現役の高校生や若手のヤツらに、自分たちの力を分け与えてやりたい、という気はありますね。
白 石…僕はね、”親睦”というのは必ずしもまだ充分じゃない、と思うんですよ。まず本当の意味での親睦の場を作って、その後でいかに後輩たちをかわいがるか、だと思うんだ。第一、現在1,900名近い会員の方がいらっしやるけれども、本当に自分の意志で会員になろうとしている人がいったい何割おるか。連絡しても3割から4割の人は音沙汰ナシなんだよ>そうじゃない”東筑魂”を見せつけるような、本当の意味での親陸を、僕は今年からやっていこうと思ってる。まあそう熱心でない人も、せめて年1回の懇親会ぐらいは出て来てもらってバァ−と騒いでもらおうと、ね。
川 上…それでね、結局、就職先が分ってれば自動的に会員、といういわゆるユニオンショップ制、これはこの10年でもう必要ないと思う。その気のない人は、もう入ってもらわなくて結構だと。それで本当に熱心に、親睦とか後輩の世話をするとか、そんな人たちだけの会になってもいいんじやないかと俺は思う。それで次の10年間で何をすべきか。これは一つはさっき言ったサロンを作ること。そしてその中で、アルバイトを紹介してやったり、飲み屋で東筑生は割安にすることにしたり、就職も世話してやったり、東京東筑会と企業との間の取り引きができるようなコミュニティーにしたい、ということやね。
白 石…最恵国待遇という訳やね。
千々和…つまりね、まとめると皆ね、最終的には東筑王国を作りたい。東筑王国とは言葉をかえると東筑コミュニティ−なんだよ。そのブロセスとして、サロンがあれば便利だと、言ってる訳だ。せまい、と言われればそれまでだけど、我々はやはり東筑モンロー主義じゃあないけれど、そういうコミュニティーを作りたい、というのが暗黙の内にある。だからただ”心の故郷”だけじゃあやはり駄目なんだ。東筑会の目的といったら、それは結局”親睦”と”母校への助成”だよ。それはどこの会でもいっしょ。ただ今年、一つのエポックとなるのは、懇親会への家族の出席を認めたことだね。今までは我々だけのつながり、これからは子供を入れて、孫を入れて、その上に学生も入れる、と。こうなると、ちょっと局面が変わってくると思うね。今年はそういった”親睦”という意味でも、新たな試金石になる年だと思うね。
川 上…そうやね。ちょうど10周年やしね。
千々和…実はね、同窓会で昔を懐しむという人は半分、あとの半分は現在の自分をどう評価するのか、というので来てるんだ。同窓会というのは、つまり鏡なんだ。懐しさだけでは決してない。自分を透影して、現在の自分を考えていく場が、同窓会なんだと思う。今まで3人の話を聞いてきておもしろかったのは、創世期にがんばっていた川上・小御門の両君が、再び役員としてこの組織の時代に戻ってきたということだね。英雄の時代の両名と、60年代以降の新しい白石君とがどういう運営をしていくか。はからずもおもしろい組み合わせになったと感じたね。
田 中…最後に一つだけ。皆さんにとってどうしてそれぽどまでに”東筑”なんですか?
白 石…やっばり、青春の熱い時代に東筑で過ごしたという想いが、ほとんど先入観のようにあるんだよなあ。だから”東筑”と聞いただけで、”よし、いっしょにやろうか”というふうになってしまうんだね。
川 上…15歳から18歳までの思春期という一番モノに感動する時代に、同し学舎に学んだというのがどうしても印象あるんじゃないかな。非常に多感な時代のつながり、悪い事したり良い事したり、その想い出がすごかったからね。それともう一つ。東筑が折尾のあの場所にあったことによって、今でこそ均一化されとるらしいが、俺たちの頃にはそれこそピンからキリまでいろんなヤツがいたということやね。ピンは東大に行くような奴から、キリは××校と負けないくらいにケンカしょった奴らまで。だから一番悪いのが東筑、一番良いのも東筑。そんな感しだったんだからな。
千々和…結局ね、東筑というのは地域社会なんだ。オヤジ、アニキ、妹、誰かは知っとる。そんな社会だった訳だ。それともう一つは、やっばり感動の時代なんだよ。自分の思想が形成される時期なんだよ。だから自我の形成期に出会った人物というのは、これはもう終生忘れられない。自分の原風景だからね。自分の思想の基底にあるものだから。こういう二つの理由で、東筑というのは強い絆で結ばれとると、まあ、こういう訳だな。
…その後、一同記念撮影をしたり、ビールを飲みはしめたりとひととおり騒いだ後、小御門氏の次のような話がありました。
川 上…だいたいこんなもんかなあ。
小御門…あと一つ、エピソード。僕はねェ見合いを断ったことがあるんですよ。何で断ったかというと、”東筑を捨てられません”と言って断ったんです。養子の口だったんですけどね。柏市に住んでた子で、その当時、テニスコートを15面持ってた家で…
川 上…それで何で”東筑を捨てられん”ということになるんや?
小御門…いや、やっばり東筑の同窓生に”養子に行った”とは言えんと思ったから。最初はそれでもいいと思ったんですけどね。見合いの次の日、朝一番の福岡行きの飛行機の中で、やっばりしみじみ思ったんですよ。”俺は東筑を捨てられん”と……。
皆さん、本当にお疲れ様でした。ここには載せられませんでしたが、いろんな楽しい話も酔いにまかせて飛び出し、役員の方々の熱意と意外なエピソードに、思わず時のたつのを忘れた2時間余の座談会でした。 (記・日中直)
期別だより
第49期便り……秋丸照雄
3月26日赤坂月世界倶楽部で松尾武満君の送別バーティーを開催した。「この3月15日を以って定年退職し、故郷の北九州に帰省し次の仕事の準備に入る」との挨拶に全員が感慨深く聞きいっていた。今時に55才で定年退職させる企業もあるのかと云う者もいたが、出席者の中では、商工中金の大庭穀郎君や新日鉄の秋野治夫君、井上義人君、日下部靖君、中西巍君、河原浩君の6人が系列企業に出向し、童顔の藤村誠枝君は、独立して百裳会なる企業を設立したなどの変化が生じている。鳴かず飛ばずで変らないのが、警視庁診療所の田仲真司君、総理府統計局の沖本正夫君、九筑工業の岩森生雄君、山九重機の古野嘉信君、それに筆者の5人であった。出席予定の三菱電機の木原福夫君は当日体調悪く、本来ならば駆けつける日本コンベヤの神元茂君は大病直後で、日本航空の井原邦彦君(ホノルル)と建設省出身の立石俊一君(南米)は、共に海外出張中であり、紅一点参加期待の、毎日新聞の山崎れいみさんは、女流作家の田辺聖子さんとの対談日であるので、2次会には間にあうかもしれぬとのことだったが、駄目であった。
思えば松尾君などと、東京同期会を創設して以来15年間の毎秋に、幹事もちまわりで同期会を都内で継続開催して来た。現在、総員55人で25人前後が集まって、近況などを語り合いながら騒いでいる。連絡をしても音沙汰なしの者もいるが、宛先不明戻りがないので、本人が受取っているはずなので、気が向けば何か云って来るだろう程度に思っている。
毎年のように、1度も来なかった者、殆ど来なかった者、それに新顔が1人や2人程度は、ふらりとあらわれるのも楽しみである。出席はしないが寄付だけはする者もいて、母校の90周年記念事業寄付や昨夏の甲子園出場寄付は、それぞれ上位ランクであった。昨年の同期会は11月7日に、半蔵門の「ふくおか会館」に23人が顔を揃え、また必ずやる2次会は22人が赤坂の杉囃子で、のど自慢を披露しながら借り切りで盛大にやった。山九の越智猛男君や三鷹在住の黒住(旧姓福家)千恵子さんなどが当年幹事を担当した。今年は11月5日に、千葉在住の米沢(旧姓森)美津江さんと男性3人の当番で行う予定である。国民金融金庫の井野義和君、YEデータの梶栗義人君、芳賀電気の藤戸伊三君や品川在住の望月(旧姓宇野)和子さんなどや昨年初参加の中本一好君と荒木(旧姓池田)豊子さんもつづけて出席するだろうと思っている。
末尾ながら恒例の東京東筑会懇親会の幹事期は64年の我々49期をもって折り返して、ひとまわり近く若い60期にバトンタッチすることになっている。来年は11月11日第二土曜日午後に、虎ノ門バストラルの大宴会場「鳳凰」で、ゆっくり語らい、楽しんでいただく予定です。はやめですが64年11月11日に、マーキングをお願い申し上げます。(ガデリウス株、勤務・東京49期会長)
56期は今年もワイガヤで行こう!……自石基雄
17名の美男美女(元と言うべぎか)が集まった1月30日(土)の新年会で、はや話題は次回の会合のこと。議論百出してまとまらず、結局有志によるゴルフ会をまずは開催することと相成った。幹事は、原石根君(日立金属葛ホ務)、場所は、戸張捷が監修し、メンバーに小柳ルミ子や江川卓を擁するロイヤルメドウゴルフクラブ(宇都宮駅から車で25分)、4月22〜23日(金〜土)の宴会を兼ねた1泊2日の小旅行である。
コースはフラットな丘陵ではあるが池が多く、また平均300坪以上はある広大なグリーンに悩まされながらも和気あいあいの中でブレーを楽しみ、オネストジョンによる優勝は東京東筑会ゴルフコンペで竹下総理大臣杯を獲得したばかりの越智紳光君、2週連続の優勝であります。当日出席予定であったが仕事の都合で参加出来なくなったお詫びにとブリデストンスポーツ鰍フ松田義弘君が寄贈してくれたニューボール(newing)のお蔭であるとは優勝者の弁でした。
ゴルフを楽しんだ後は、車で15分の益子焼の窯元まで出掛けて本場物をショッピング、そして最大の楽しみである宴会が日立金属鰍フ由緒ある寮をお借りして賑やかに挙行され、さらには、真岡市内に繰り出してカラオケの競演となったのであります。
参加者は、前述の2名に、紅一点の松本圭世子嬢、海外出張の多い古賀敏之君(ゴルフ準優勝)、シングルブレーヤーの東稔君・塚野尚之君、マイクを持つと次から次に歌が飛び出す花田正人君・原田具治君・原田英雄君、それにこの白石です。翌日は、車でドライブしながら帰る人、缶ビールを買い込んで列車に乗り込む人、各人各様にお別れをしたのだが、ちょっ待ってくれ!今回の目的は何だっけ。この分しや、今年も又ワイガヤの一年になりそうだ。
追伸…56期の期別幹事は今年から須藤至君(目産自動車販売梶jです。よろしくお願いします。
いざとなれば…57期 川上祥登
一昨年度の本校の総会に出席した時の同期生はわずか10名前後で現役のPTA会長、芦屋町長、郵便局長、地元企業の社長など同期生が要職におる期としては連携・結束とも充分だろうと信じて出席した私とっては意外でした。
しかも出席している同期生が翌年度の幹事が出来るだろうかと心配しているのですから先輩達の心配は推して知るべきものがありました。しかし責任感の強い女性軍の後押しもさることながら、写真の様な多勢の同期生がホスト・ホステス役に徹し、昨年の本校の総会は立派だったと皆さんに評価されるものでした。
東京からも10名以上が応援に行きましたが、いざとなれば出来るものだと感心致しました。一生に一度と云われる本校の幹事、かように立派になしとげましたことを在京の皆様に御報告申し上げます。
故郷賛歌の中で青春を見た………62年度懇親会を終えて
うさぎ追いしかの山 小ぶなつりしかの川 ゆめは今もめぐりて 忘れがたきふるさと
の唱歌に代表される様に、いくつになっても故郷は恋しく、時の流れに関係なくわすれがたいものである。父母や友を思う心の郷愁は時が過てばたつほどつのるものがある。青春とは心の若さであると言われますが、同窓会は丁度青春時代を通り過ぎた過程の中で、脳裏に焼きついて離れない多情多感な思い出を語り合うことの出未る恰好の場であると言っても過言ではありますまい。時に全てを忘れ、あの青春の思い出を懐古し、現代、東京の夢を楽しく語り合うのも心の洗濯になるのではなかろうかと、我々51期はそういうささやがな思いをこめて地味乍ら手造りの同窓会を試みました。
かくして62年度の東京東筑会懇親会は「九段会館」に於て、多勢の参加を戴き、晩秋の爽やかな陽光の下で、楽しい1日を過すことが出来ました。これも一重に故郷を思い、母校東筑を愛する皆様の優しい心と、川筋気質の心意気ではなかろうかと51期ともども感無量でした。さいわいにして、諸先輩はじめ、同窓の皆さんの暖かい友情に接し、東筑健児の連帯感を再認識しました。ここに改めて、51期一同、心からラブコールを送るとともに厚くお礼を申し上げる次第です。
さて、例年各担当当番期の皆さんが各々の趣向を凝らして、懇親会を盛り上げ、東筑を母体とした、友情の輪が拡がり更に強い絆で結ばれることはこの上もない喜びであり東筑健児の誇りでもあります。然し、一方では同窓会は年よりの懐古趣味に過ぎないという批判もない訳ではありません。が、それも一理あろうかと思います。と申しますのも懇親会に出席される比率では熱年と言おうか実年が多いことでもその一端を現わしていると言えましょう。これは何も東筑だけに限った事ではなく総体的に言えることだろうと思います。
正直なところ昨年の懇親会を担当するに当り、最も活力ある若い人達?の反応の少なさにいささか気がかりを感しました。勿論仕事に、家庭に、公私ともに今が一番多忙の極地だと思料しますが、とまれ、そんな時こそふと我を忘れ、普段着の姿で、同窓という台地のオアシスの中で、存分に人生を語り、故郷の山や川に思いをはせるのも明日への活力源の一助になるのではないだろうかと思います。それにはまず誰でも気楽に飛びこめる垣根のない和気あいあいとした雰囲気造りに我々も尚一更努力すべきだろうと思います。もちろん全体の同窓会は我々が常日頃青春している同期会とは、又違った雰囲気があることも事実ですが、東筑という大きな伝統の中で、一体感を高めるという意味では東筑会(同窓会)の役割は大きなものと言えましょう。
ともあれ、同窓会の部類は理屈ねきで楽しむべきものなりというのが私の個人的見解です。10月の同窓会も着々と準備が進んでいるようです。どうか同窓の皆さんも健康に留意され、秋には元気な姿で再会しようではありませんか。 (東京東筑会51期 高橋嘉正)
母校の歌声に酔いつつ…川口清臣(50期)
”旗振りは心に決めて四年間”と申せば大袈裟に過ぎるが、つまり昭和ひと桁の我々は不器用なのである。従って、ゆっくりと同期の結束を計り、当番幹事としての準備の為めの準備を始めたのが2年前であった。そして今、大会本番まで余すところ数ケ月ともなると、何やらそわそわと楽しくなって来たのは、プログラムがおぽろ見え出してきた所為であろうか。
幸いにも今回で10回大会という節目と、新しい役員諸氏にとっては最初の大会であり、又我らが母校東筑高校に於ては創立90周年という記念すべき年と相成った。何とか恰好をつけて、皆様に意義ある楽しい大会を味わって頂きたいものと秘策に秘策を練った結果、ついに母校一本松の根っ子のお出ましにたどりついた。遠賀川川筋の悪餓鬼の悪知恵、いまだ健在であるというところか。
テーマ”しみしみと心ゆくまで母校を懐しむ会”。これは毎年の大会の原点である。テーマに忠実にしっとりとした味わいが出せれば、出席者の皆様にはきっとこの1年間の生活の慰労となり、次回大会での邂逅の為めの心の励みとなる筈である。
そこで更に加えて若々しい息吹きのカンフル剤の投与をと思いめぐらした。早速、母校東筑高校の音楽部にお願いしたところ、東京東筑会の大先輩の皆様に喜んで頂けるのでしたらと、旧制中学折尾高女の校歌を始め、現校歌、更には創立90周年記念逍遥歌”黎明告ぐる皿倉に”をテーブにして歌声のブレゼントをしてくれた。彼等彼女等の蒼い母校賛歌のメロデーは必ずや当日会場を充分うるおしてくれるものと思われます。
若い歌声は実にすばらしい。いつしか己の若い頃と二重写しにしつゝ聞きほれて、大会いまや遅しと心ときめかしている毎日である。毎月の同期の準備ミーティングでは、それぞれ各自の持ち役を笑顔で確認し、明るい反応を心強く受けながら、すばらしい結束。さすが東筑。 (50期当番幹事代表)
東筑90周年万才……三原朝彦(64期)
本年は母校東筑高校にとり誠に意義深い創立90周年に当たります。そう言えばライバルである小倉高校は本年80周年とか。歴史において東筑勝り、文武においても又然りの今日、東筑を母校とする私達は幸せの意味を噛みしめております。(チト偏狭な愛校心の発露でしょうかね)
同窓諸兄姉のお蔭で母校に昨年研修兼同窓会館が見事に出来上がりましたが、これは母校の90周年にふさわしい記念事業ですし、又昨夏の野球部の甲子園出場も90年を迎える母校への何物にも換え難い贈り物と言えるのではないでしょうか。
高校を卒業して20有余年になる私ですが、何につけ母校の話になるとついつい熱が入るのは私だけでしょうか。程度の差こそあれ、卒業生は皆誰でもこのような気持は持っているのではないでしょうか。ましてふる里を離れての生活をする皆さんにとり、方言をためらうことなく、話せる同窓生との一時は何年たっても東筑時代を思い出させるものでしょう。
母校を説明する時、昨年迄は「高倉健氏の出た高校」と言うのを常としたものでしたが、今年からは「近鉄の仰末監督の出た高校でもあります」と加えられます。これらの有名人の存在は私達に更に母校愛を増巾させます。相手が高倉健、仰末彬の名を聞いて表すあの羨望を知る時、私は東筑出身であることの幸せを所構わず叫びたくなります。
母校愛による同窓の環は利害を超越した崇高なものであり万金に値します。年を経て人の往来はあっても同じ学舎で過ごした体験を共有すれば即ち東筑一家の一員です。損得での結び付きを余儀なくされる現実の中で、母校愛に根ざしたこんな付合いが何時までも続くことは、まさに東筑の良さの証明でしょう。私は胸を張り声を大にして東筑で学んだことの喜びをこの場でも叫びたいのです。「東筑90周年万才」 (東京東筑会顧問・衆議院議員)