第254号 平成20年12月12日(金)発行
私も将来、裁判員!?
いよいよ始まる
裁判員制度の開始まで、約半年となった。私たちは将来、誰でも裁判員に選ばれる可能性がある。つまり、私たちは人を裁く立場になるかもしれないのだ。 誰しも新しく導入される制度については疑問点、不安な点がある。それをそのままにしておくことこそ、一番危険だ。
そこで、私たちはアンケート調査を行って東筑生は裁判員制度についてどのような意識があるのかを調査し、また、実際に裁判に触れてみようということで福岡地方裁判所小倉支部を取材した。
生徒の声
アンケートによると、裁判員制度という言葉は95.3%、すなわち、ほとんど全員が知っていた。しかし開始時期や対象となる裁判を知っている人は半分以下で、制度が十分には知られていないことが分かった。
裁判員になりたくないと答えた人は約半数にのぼった。その理由は「責任が取れないから」が最も多かった。また、法的知識のない者が参加することによる裁判の質の低下を心配する人もいた。その一方で「良い経験になるから」という理由で、裁判員になりたいと思う人もいた。
どんな制度?
裁判員制度は、法律の専門家ではない一般国民が裁判に参加する制度で、平成21年5月3日から実施される。対象となるのは地方裁判所で行われる殺人などの重大な犯罪の刑事裁判で、これは全事件の約3%にあたる。
裁判員候補者になった人には前年3月頃に通知が届く。これらの人々の中から事件ごとに裁判員が選ばれる。一年間に裁判員に選ばれるのは3,500人に一人の確率である。裁判員は選挙権を持つすべての人の中から選ばれるが、国会議員や弁護士、自衛官などはなることができない。また、学生や70歳以上の人、仕事や介護、育児に支障が出る人などは辞退が認められる。
裁判では6人の裁判員が3人の裁判官とともに、被告人側と検察官側の言い分を聞いて話し合い、判決を下す。この時、裁判官からの説明があるため、法律の知識は不要だ。
裁判員候補者の不安を考え、裁判所には質問に答えるコールセンターが設置された。また、裁判の公正さや信頼、裁判員の安全を確保するため、裁判員の個人情報の公開は禁止され、裁判員には守秘義務が課せられる。
このように裁判員制度では、裁判員が不安なく安全に裁判に参加できるための様々な配慮がなされている。
裁判所訪問記
私たち新聞部は福岡地方裁判所小倉支部へ取材に行った。そこでは、裁判所職員の松枝さん、前山さん、谷川さんに協力していただいて、貴重な体験をすることができた。
では、裁判傍聴と模擬裁判の様子を紹介したい。
本物を見た
道路交通法違反の裁判の傍聴をした。始まると同時に法廷内の空気が張りつめ、緊張感がみなぎる中、裁判が進められた。
法廷で実際に裁判の様子を見てみると、人を裁くということの難しさと重さを感じた。裁判員の判断で被告人の人生が大きく変わってしまうのだ。「もし自分が裁判員に選ばれたら、どう判断するのだろうか。」と考えさせられた。
次に、私たちは実際にありそうな刑事事件のシナリオを元に、それぞれ裁判官、検察官、弁護士、被告人、証人の役に分かれ、模擬裁判を体験した。
難解な法律用語が多いのかと思っていたが、実生活における基本的な知識があれば理解できるものだった。今まで裁判は小説やドラマの中の遠い世界の出来事だと思っていたが、自分たちに近いものだという認識に変わった。
裁判傍聴と模擬裁判は、裁判というものに触れる絶好のチャンスだ。裁判員制度が始まる前までに、一度体験してみると、得るものが多いと思う。
インタビュー
今回の取材の途中、中牟田博章裁判官と小林敬英検察官に特別にお話を伺うことができた。
中牟田さんは、「裁判員制度で他人へ干渉しなければならないこと、そして法律知識がないことを、不安に感じる一般の方は多いと思います。ですが、私たちも一緒に考えていくので、大丈夫ですよ。」とおっしゃった。
小林さんは「いろんな人の意見を取り入れたいために作られた裁判員制度なので、自身の意見を言うのが大事です。」だそうだ。
私たちが今すべきことは、きちんと制度を理解することだろう。そして、万が一選ばれたときは、中牟田さんと小林さんのお話のように、法律知識がないことを恐れずに自分の意見を言うことこそが大切だと思われる。
東筑生へ
最後に、中牟田さん、小林さんから、東筑生へのメッセージだ。
「視野を狭めないでどんどん広げていくことが、高校では大切です。何事においても、一生懸命やった人が最後は勝ちます。法曹界には東筑の卒業生がたくさんいますよ。頑張って下さい。」と中牟田さん。
「視野を広げるというのは確かに大事です。理系・文系の枠に縛られた勉強ばかりをしていると、社会に出たとき意外なことにつまずくことがあります。なので、様々な勉強をしてほしいと思います。」と小林さん。
社会の第一線で活躍している方の言葉には、重みがあった。
最後に
今回、様々な視点で裁判員制度に迫ってきたが、いかがだっただろうか。裁判とは人を裁くものなので不安になるのは当然である。今回のこの特集がその不安や心配の解決の一助となってくれたら嬉しい。
若い潮
いよいよ冬に突入した今日この頃であるが、皆さんはどう日々を過ごしているだろうか。私はジュースで厳しい寒さを凌いでいる。この季節には温かいジュースが多く売られていて、私はそれを頼りに毎日を過ごしている。そう、私は無類のジュース好きなのだ。
私はほとんど毎日のようにジュースを飲んでいる。そのため支出が相当大きくなってしまうが、それでも一本でも多くのジュースを飲みたい。そこで毎日のジュース調査を欠かさない。
実は、同じジュースでも売っている場所によって販売価格は違う。これはそのジュースが持つ「価値」が異なるからだ。自動販売機には「どこでも買える」 「温かい」といった価値がある分価格が高い。逆にスーパーマーケットはその店舗まで行かなければならないし、適温のジュースがあるとは限らない分価格が安く、50円近く違う場合もある。売られている場所と価格の関係を把握しておけば、かなりのお金を節約できるのである。ちなみに私は、いつもは遠くても安いスーパーマーケットでまとめ買いをしているが、勉強や部活で頑張った時は、自分にご褒美として自動販売機で買うことを許している。至福の一時である。
ジュースは季節毎に限定品が売り出される。新しく発売されたものの中で自分の好みに合ったジュースを見つけた時はとても嬉しい。この冬の注目はキャラメル味である。最近アメやチョコレートなどのお菓子にキャラメル味が続々と登場していて、いちはやくそのブームを取り入れたジュースだ。
これからの冬季課外もジュース買手に頑張っていこうと思う私である。
美の裏側に迫る!!― イタリア美術とナポレオン展
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来る1月2日より、北九州市立美術館本館にて、「特別公開ポッティチェッリ
『聖母子
と天使』 イタリア美術とナポレオン」展が開催される。
コルシカ島のフェツシュ美術館の作品81点が日本で初公開されるのだ。
今回、展覧会の裏側に迫ろうということで、 私たちは学芸員の筒井さんに
お話を伺った。
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展覧会までの道のり
まず驚いたのは、提出しなければならないレポートの多さだ。作品を他の美術館から借りるにあたって、美術館のコンディションを報告するレポートを提示する。
セキュリティや収納庫の温度、湿度など内容は細かく、数十枚にもなる。この調査をクリアし、作品が来た時にもレポートを書く。絵に常に付き添っている学芸員か修復家と共に一枚一枚丁寧に絵の状態をチェックしていくのだ。
絵画はとてもデリケートで、取り扱いには気を遣う。ある美術館では、絵をつりさげるのは危険だというクーリエの指摘を受けて、急遽、直接絵を打ち付けられる壁を作ったという。
学芸員の仕事
美術館の学芸員の仕事は、展示の企画から始まり、ポスターやチラシ作りなど多岐にわたる。思わぬ発見をして専門家の話を開くことができた時や、思っていた通りの展覧会ができた時の喜びは大きい。学芸員の筒井さんは、その仕事を「クリエイティブ」だと語る。高校時代には、様々な文章や美術作品に触れ、感性を磨いてほしいと筒井さんはおっしゃっていた。
みどころ
今回の展覧会では、ルネサンス期からバロック・ロココ期の絵画の他、ナポレオン一世のデスマスクや彼愛用のスプーンなどナポレオン一族の珍しい資料が展示されるという。目玉のひとつ、『聖母子と天使』はボツティチェッリが独立後すぐの作品で、大変貴重なものだ。
冬休み、会いに行ってはどうだろうか。
科学の不思議に触れてみて
八幡東区桃園の線豊かな公園の中に、丸いドームを持つ白い建物がある。北九州市立児童文化科学館だ。
子どもが文化や科学に触れ合う場として作られた施設で、科学関係の展示や催しが行われている。 展示は高校生でもつい童心に返り夢中になって遊んでしまう面白いものばかりだ。
催しでは毎月一個、サイエンスショーや科学クラブが開かれている。科学クラブは小中学生を対象に、工作や実験を通して科学への興味や関心を育てている。夏休みに開かれるものは受講希望者が易く、抽選になるほどの人気だ。このクラブでの体験をきっかけに科学の分野に進み、活躍している人もいる。指導しているのはサイエンスレンジャーの小泉憲司先生だ。先生は科学館の催しだけでなく、小学校の親子科学教室、テレビ番組などで科学の楽しさを伝え
てきた。先生にとって科学は趣味みたいなもので、子どもたちが夢中になる表情が楽しみで、より面白い実験にしようと工夫するそうだ。
また、2050年までにサッカーでロボットが人間に勝つことを目標とし、サッカーロボットを作っているチャレンジサッカー事業も行われヤいる。中国で開催されたロボカップジュニア世界大会サッカー部門では、ここのチームが第三位になった。この他にもロポット工房やおもちゃ病院などここならではの催しが数多く行われている。
児童文化科学館には天文館もあり、太陽系の模型や天体移動のシミュレーション映像、そしてプラネタリウムがある。プラネタリウムで過ごすロマンチックな一時は、多忙な日常を忘れさせてくれる。
科学の楽しさ、宇宙の神秘には、年齢に関係なくすべての人が魅了される。そして児童文化科学館はその楽しさや神秘の宝庫だ。
面白く不思議な体験がしたくなったら、ぜひ訪れてほしい。
東筑の虫 スキーはお好き?
私は三歳の時にスキーと出会った。父親が始めたことがきっかけである。父のモットーが「熱中したことはとことんやる」だったため、幼い頃の私は、冬になるとスキーに行くのが当たり前だと思っていた。
スキーの楽しさは、普段は聞けない音を聴くことができる、というところにあると思う。風の音を聴きながら滑る爽快感は何物にも代えがたい。寒いにも関わらず風を気持ちいいと感じるのだ。走るのが遅い私でも、スキーではかなりのスピードを感じることができるのも楽しい。滑りが上達してくると様々なコースを滑りたくなる。たとえば、どこまでも続くような長いコース。何回かそんなコースを一度も止まらずに滑った。感想は、とにかく足がだるい。だが、大きな達成感を得ることができた。他にも、こぶがあるコースや森の中を抜けていくコースがある。コースに合った滑り方や休憩の仕方を考えるのも楽しい。
日分の実力を試したいのならば、スキー検定を受けるという手がある。スキー検定は五級から一級まで設定されていて、自分が受けたい級を選択できる。私は長年続けた甲斐があり、小学校5年生の時に3級を取ることができた。父と一緒に受けたのだが、私の方が父より得点が高かったことを今でも覚えている。ちなみに2級以上を}取得すると、スキースクールで指導員の仕事をすることができる。大学生にならたら、冬はスキー場でのアルバイトもいいかもしれない。
これまで行ったなかで、最高だったのは北海道だ。とにかく雪が良い。我が家がよく行く広島や島根とは違い「軽さは羽根一の如く、柔らかさはマシュマロのソ如し」である。太陽が顔を出し、パラパラと雪が降ると、その雪が陽光を反射する。この現象をダイヤモンドダストという。銀世界lに、キラキラと光の粉が舞い落ちる一枚の絵は、見る者すべてを幻想的な世界へと導く。気温が0度以下になると、グローブについた粉雪の中に雪の結晶が見える。
そしてもうすぐスキー教室。先輩によると、雪質も景色も、食事も最高らしい。山頂から見る景色はまさに絶景だろう。薄いモヤに包まれた山の峰、淡く差し込む太陽光、そんな光景をみんなと見られたらいいな、と思っている。
スキーは冬にしかできないスポーツである。だからこそ冬という短い期間内で楽しもうとする。天候が悪い時はやる気がなえるのだが、結局は滑るのである。それはやはりスキーの楽しさに魅せられているからだと思う。
スキーはいかが?。
部活動訪問記 -次なるステージへ-
ラグビー部
日本全国を五つの区域に分け、選抜された代表によるチームが競う全国高等学校合同ラグビーフットボール大会に、ラグビー部2年の原田遼君が九州ブロック代表として出場した。大会ではウイングとして全試合に出場し、準優勝の成績を収めた。「他の選手のラグビーに対する意識の違いを感じることができた。」と感想を語ってくれた。
原田君はラグビーを始めて5年目で、彼にとってラグビーは「生き甲斐」となっている。その実力は非常に高く、カウンターが得意で、50mを5秒7で走るスピードとそれを生かしたトライが持ち味だ。しかし彼にも弱点がある。「キックが下手で、克服するためにフリーの時にはキック中心の練習をしている。」とのこと。自分の長所と短所の両方を理解していることとラグビーに対する熱意、この二つが原田君の強さの原点となっているようだ。
最後に今後の目標を聞くと、「個人としては来年日本代表に選ばれること、部全体としては4度目の花園出場を目指している。」と強気な答えが返ってきた。これからの活躍に期待が高まる。
囲碁・将棋部
囲碁・将棋部の岸本真恵さんが、全国大会に出場した。一年生でありながら、全国大会という大きな舞台で活躍した彼女は「初戦の相手から強かったです。」と語る。試合に勝つ秘訣は試合の前に黙想をし、心を落ち着かせることだ。これをいつも心がけている。
そんな彼女が囲碁を始めたのは、小学校四年生の時、友達に誘われたことがきっかけだった。始めて一年で初段になり、それからは毎年一段ずつ上がった。アマチュアには一段から人段まであり、現在は六段を所有しているが、目標は囲碁の腕を上げることであり、段位を上げることにはあまりこだわっていない。「みんなはサッカーとか野球。自分は囲碁。」だそうだ。誰しも熱中できることがあると思うが、彼女の場合は囲碁なのだ。
囲碁・将棋部の部員は伸が良い。普段は東筑会館で練習していて、時々碁会所に行き、教えてもらったりもしている。今後の予定としては、二月に女流アマ囲碁選手権福岡県大会に、また三月には中国の江蘇省で行われる青少年囲碁交流大会に参加する。囲碁や将棋にチャレンジしたい人、また、自分の実力をもっと伸ばしたい人は、ぜひ囲碁・将棋部に足を運んでみてはどうだろう。個性的な部員たちの楽しい雰囲気が感じられるはずだ。
今、波に乗っている囲碁・将棋部。彼らの今後の活躍に期待したい。
編集後記
塾の帰り、バスから降りると、ほぼ100%待ってくれている母と、時々出現する父がいる。「さむいー。」「ほら、これ羽織って。」「ありがとー。」現代社会にない何か、我が家には確かにある。(藍)
今、心待ちにしているのは11月21日発売のマックフルーリーストロベリーショートケーキ。2学期号発行の日の放課後にご褒美として食べるのが私のささやかな夢。(紅梅)
築30年になる我が家。風雨にさらされ、あちこちガタがきているが、何も言わずに私たちを守り続けてくれている。いつも言い忘れるけれど、「お疲れ様、そしてありがとう。」(常磐)
執筆、添削を繰り返すうちに、いつの間にか冬。期末考査も相まって、とても忙しくも楽しい製作でした。早くこたつで丸くなりたいなあ。(葵)
美術館へ取材に行ったことで、ある小説を思い出した。姉と弟がメトロポリタン美術館へと家出をする物語。小学生の私は賢い姉に憧れていた。彼女への想いは、今もまだ消えていない。(寒椿)
登校中、まだ眠い目をこすりながら探呼吸すると、冷たく澄み切った空気が全身を満たす。充電完了。石段の向こうに、朝日に映える校舎が見える。また一日が始まる。(鬼灯)
放課後課外の途中、ふと窓の方に視線を向けた。四角に切り取られた風景には、藍色と朱色が滲んだ空と貧相になった木々があった。課外が終わった頃には、一番星が輝いていた。(雪柳)
美術館に取材に行き、門司港レトロで取材をし、すっかりアートな気分の秋冬です。 「ルネッサーンス!」(サファイア)
石鹸で手を洗う。
その後で石鹸を洗う。
きれいになった石鹸のつるん、とした表情が好き。(B&W)
第253号 平成20年 6月14日(土)発行
| 祝 東筑110周年 東筑高校創立110周年、新聞部創部60周年記念特集号 |
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"創造"と"飛躍"を - 増田校長先生にインタビュー -
今回私たち新聞部は本校創立110周年にあたって、増田校長先生にインタビューを行った。先生は本校創立70周年の時生徒として在校しておられ、今回の記念行事にかける思いもひとしおであるようだ。
ー創立110周年ということで、記念式典が行われますが、どのような式典になるのですか?
はい。大きな節目ということで、外部から多くの来賓を招き、卒業生、在校生の垣根を越えて祝うことになります。準備は100周年のときを参考に、PTAや同窓会と協力して行いました。
-かなり時間がかかったのでは?
一年半くらいですね。同窓会の寄付によって空調やトレーニングルームも整備しました。
-かなりの労力がかかった式典なんですね。ところで、校長先生は本校のOBでいらっしゃいますが、学生時代の思い出に残るエピソードを教えてください。
課外を抜け出して、みんなで野球の応援に行ったことですね。また、これも課外中のことなのですが、高倉健さんの映画ロケを遠賀川まで見に行ったこともあります。もちろん怒られましたが(笑)。
-そんなことがあったんですか。今とはだいぶ雰囲気が違いますね。
当時は気質としておおらかで自由でしたね。
-今はどうですか?
今は皆さん先生方にしっかりと鍛えられていると思います。すばらしい実績も残していますし。
-時代のニーズもありますからね。では現在の話が出たところで、今後東筑生に期待することは何でしょうか?
今まで培ってきた東筑文化を大切にして、文武両道・質実剛健の精神をしっかり身につけ、三年間で集中・熱中していろいろなものを吸収し、そして各々の道に進み、力を出して〝創造〟をしてもらいたいです。仲間を大切にし、友人と切磋琢磨しながら頑張ってほしいです。
-時代をリードする人になれ、ということですね。それでは最後に、生徒に向けて一言お願いします。
"飛躍"という言葉を忘れないように。東筑をさらに飛躍させてください。
-今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
一5月8日放課後校長室にて一
若い潮
納豆、山芋、めかぶ、オクラ……。これらの食べ物の共通点は、ネバネバしていることだ。私は粘り気のある食べ物に目がない。単品で食べるのはもちろん、納豆とオクラ、山芋と納豆など組み合わせてベるのも好きである。先日、スーパーでお湯を入れるととろりとなるガゴメ昆布入りお茶漬けを つけたとき、嬉しさのあまり姉妹品とともにすぐに購入してしまったほどである。
ただ残念なことに、粘り気のある食べ物は食べられないという人いる。やはり、独特な味や臭い、食感によって、好き嫌いが大きく分かれてしまうようだ。
実はネバネバした食品は栄養価が高く、多くの食物繊維を含んでいる。例えば、有名どころでは納豆である。納豆は健康を増進するナットウキナーゼやビタミンK、タンパク質、食物繊維などを多く含んでいる。また、刻むと粘り気が出てくるオクラ。あのネバネバの正体は食物繊維である。さらに、オクラは様々などタミン、ミネラルを含み、夏パテ防止が期待できるそうだ。その他の粘り気のある品にも食物繊維、ビタミンが多くあり、整腸作用などが期待され健康に良いとされている。
しかし最近、「栄養がある」、「健康に良い」と評判になると、その食品を買い込む人が多い。もちろん、栄養があるものを日々の事に加えるのはとても良いことだろう。だが、その食品を多く食べるほど良いというわけではなく、日頃不足しがちな栄養を補うために食事に取り入れ、バランスの良い食事を心がけるのがいいと思う。
と言いつつも、ネバネバした食品が好きなのは変わりなく、栄養があるならなおさら、毎日でも食卓にあると嬉しい。特にお気に入りの料理は、納豆と山芋、オクラを混ぜて冷やしたものだ。大学受験もこのマイレシピを加えた食事で乗り切っていこうと思う、今日この頃である。
東筑・折尾 110年の歩み
故きを温て

歴史ある街折尾、そして折尾と共に歩み続けてきた東筑高校。その長い歴史の中には一体どんなドラマがあったのだろうか。 そう考えて、私たち新聞部は調査を開始した。
東筑に校歌ができるまで
明治31年に東筑尋常中学校が創設されてから、大正12年までの約20年間、東筑には正式な校歌がなかった。その間、明治38年には擬校歌、41年には創立10周年祝歌などが作成されたが、校歌としては成立しなかった。
この状況を打開しようと、大正12年に当時の校長が校歌を作り、英語教育に生かそうと英訳もした。しかし、校長退任後はほとんど歌われなくなり、自然に消滅してしまった。
時がたち、三校統合後の昭和26年に、ようやく正式な校歌ができあがった。作詞は折口信夫(釈超空)氏で、作曲は信時潔氏である。
折口信夫氏は国文学者として明治から大正、昭和にかけて活躍した人である。彼は、民俗学者柳田国男と会い、国文学研究に民俗学を導入するという独自の学を形成した。そして、歌人としても釈超空という名で「アララギ」同人、「日光」同人として活躍した。歌集に「海やまのあひだ」がある。
作曲者である信時潔氏は明治20年に大阪市に生まれ、東京音楽学校を卒業し、ドイツに留学した。「海ゆかば」「沙羅」「海道東征」「いろは歌」などを作った著名な方である。
戦時中の東筑生
国全体が戦争へと向かっていた昭和16年、2月には「青少年学徒会料飼料等増産実施要項」が出さた。これによって東筑では一年を通じ最高30日間は授業を廃して、作業を開始することになった。その作業とは主に麦刈奉仕・田植奉仕・官役奉仕である。他にも十数種類の作業があった。同年には、物資の節約を理由にそれまで学校裁量であった教科書が五種類に統合された。そして12月8日、ハワイ真珠湾奇襲攻撃が引き金となり太平洋戦争が始まった。その際に先陣を切って攻撃し、戦死した9人は九軍神と呼ばれた。その中の一人に東筑35期生の古野少佐がいた。東筑でも学校防衛隊が組織され、防空訓練も強化された。
昭和17年2月に「国民勤労報国令施行規則」に基づく「学徒動員令」が出された。その2年後には全国的に「学徒勤労動員」が始まった。3月2日に東筑生は、遠賀村虫生津の古野少佐生家を慰問し、遺品を拝観した。そして4月10日には古野少佐の英霊帰還により、全校で遠賀川駅まで行軍し、5月6日には遠賀村葬に全校で参列した。同じ頃に藤崎氏が第13代校長に就任した。彼は東筑出身者として初の校長になった。4月には授業料が上がったが、出征兵士や公務死亡者の子弟は授業料が免除になった。
昭和18年1月に「中等学校令」が公布され、東筑も中等学校になった。3月には文部省から「中学校規定」が出され、その中にある「学徒戦時動員体制確立要綱」が閣議で決定された。本校では9月に適用され、毎週3日を半日授業とし、午後は戦力増強に努めた。また、4・5年生では滑空訓練が行われた。この時使われたグライダーは3機あり、そのうち2機は山鹿重患氏から、もう1機は朝日新聞から寄贈され、それぞれ東筑1号、2号、3号と名付けられた。
昭和19年には、「緊急学徒勤労動員方策要項」が閣議決定され、この前後より本校でも工場勤労動員が目立ち始めた。この年の新入生は、3月20日から22日までの入学考査、23日に合格発表、28日に入学式という慌ただしさであった。なぜなら東筑が戦時非常措置に対応して「年間三分の一の勤労作業・軍事教練の強化」という方針を決定していたからである。
昭和20年に入ると、警報の発令も頻繁になった。既に民需物資は著しく欠乏しており、ノートにも事欠いて教科書も多くは前年度生のものを使用した。また、服装も防空上白色系統のものが禁止され、ゲートルに至るまで染め直して使用した。8月8日の八幡を焦土と化した大空襲では、東筑の校庭に電波撹乱用の錫箔テープが降りはしたが被害を免れ、8月15日の終戦を迎えた。
折尾の建築物
折尾には貴重な建築物がたくさんある。折尾のシンボルといえる「折尾駅」をはじめとし、「ねじりまんぼう」と呼ばれる特殊な方法で作られた高架橋、折尾愛真高校にある「旧折尾警察署庁舎」などが、それにあたる。
この三つはどれも長い歴史を持っており、昔を偲ぶことができる。折尾の地にあるこれらの貴重な建築物について、これからも注目していきたい。
石炭産業から教育の町へ
私たちが学んでいるこの折尾の地は、石炭輸送業を中心に発達してきた。昭和の初期、九州は全国の石炭の三分の二を産出していた。そうした中で折尾は二本の鉄道路線が交差し、また堀川という運河もあったことから、石炭運搬の要衝の地として栄えていた。
しかし1960年代には中心となる資源が石炭から石油へと移り変わっていった。エネルギー革命の始まりである。石炭輸送業を核として繁栄していた折尾にとってその影響は深刻だった。炭鉱が次々と閉山していき、かつて隆盛を誇った折尾は衰退の一途をたどり、北九州市の行政は変革を余儀なくされた。
こうした状況下で、石炭輸送業にかわる都市活性化の方策として打ち出されたのが、学園都市への転換である。具体的には市の中の学校を増やし、教育による市の活性化を図ったのである。この教育重視の方針によって、新しい学校が次々と設立されていき、市は現在の活気を取り戻した。現在でもこの方針は続いており、折尾は学園都市として発展を続けている。
堀川の歴史
堀川は、遠賀川の水を分かつために作られた運河である。全長約5kmにも及んでおり、明治時代から昭和初期にかけては、筑豊炭輸送の大動脈として活躍した。 堀川の歴史は、元和元年(1615)、初代藩主黒田長政が巡視の際に洪水の被害に苦しんでいる住民の姿を見て、運河作成を決意したのが始まりである。元和七年(1621)老職の栗山大膳を頭に開通工事が開始した。しかし、工事には多大な困難が伴った。その上、大膳が筑前を去ったり、藩主長政が逝去したりで、2年後の元和9年(1623)に工事は中止された。それから百余年過ぎた宝暦元年(1751)正月、六代藩主継高の手により、工事は再開された。しかし、作業は難航を極めた。特に、「吉田の車返し」は岩の多きと硬質さゆえに難工事となり、約420m掘り進むのに実に12年もの歳月を要した。この時、岩から滑り落ちて多数の石工が亡くなり、川に血で染まった水が流れ出たことから、工事の安全を祈願するために河守神社が建設されたという。宝暦12年(1762)に「中間の水門」が築かれて堀川は一旦開通し、米や石炭を輸送するひらた舟(五平太舟)が行きかうようになった。さらに文化元年(1804)に「寿命の水門」が築かれて、ようやく完成した。工事を始めてから実に184年の歳月が過ぎていた。
堀川の完成によって、遠賀川の氾濫による甚大な被害が緩和された。加えて、堀川は潅漑用水をもたらし、運送路としての役割を果たし、人々に多大な恩恵をもたらした。明治時代になると、筑豊炭の需要が高まるにつれて、運送路として重要な役割を果たすようになってきた。特に明治27~8年の日清戦争37~8年の日露戦争時の石炭ブームでは、船による輸送が鉄道による輸送量を大きく上回っていた。
最盛期には、一日に石炭船5425艘、米・貨物積船2736艘が堀川を往来しており、潮待ちの長い日は水面が見えないほどだったという。現在の折尾駅付近には、潮待ちをする石炭船が並び、船頭たちが食料や日用品を買い求めるようになった。それが、やがて折尾の商店街へと発展していくのである。
このように繁栄した堀川であったが、大正から昭和にかけての不況や、石炭から石油へのエネルギー革命により経済効果が減少し、物資輸送の主流が鉄道へと移り変わっていく中で、次第に運送路としての役割を失っていった。
新しきを知る
今回、私たちは前述のとおり、東筑そして折尾の歴史を調べてみた。すると、それぞれ興味深いエピソードが数多く発掘された。私たちの郷里にも、他の地域に負けない深い歴史があったのだ。私たちはこの貴重な財産を大切にし、その上に新しいものを築きあげていこう。
お世話になった方々
今回の活動の中で、私たちはOBの方々から興味深い話を伺うことができた。
昨年度の「生徒派遣事業」で京都を訪れた時、関西東筑会の歓迎会で一人の先輩に出会った。井上寿美男さん(35期生)、旧制中学時代の東筑の卒業生だ。90歳というお年を感じさせないほどお元気で、私たちに貴重な昔の体験談を語ってくださった。
東筑を卒業した井上さんは大学進学のために上京した。東京駅に到着し、乗り換えの電車を待っていたが、なかなか来ない。井上さんは知るよしもなかったがその時、東京では、陸軍部隊が首相を始めとする官僚を襲撃し、日本の政治、軍事の中核を占拠していた。2・26事件である。その影響で交通機関が麻痺したため、電車が来なかったのだ。後にこの事件の事を知り、ひどく驚愕したという。 大学卒業後、井上さんは出征し、ソウルの朝鮮総督府に配属された。軍隊でも東筑の先輩が井上さんを危険から救い出してくれ、無事帰国できた。同窓生だというだけで恩情をかけてくれたことに感激し、東筑は素晴らしい学校だと再確認したと井上さんは、熱を込めて語った。
最後に井上さんは同級生の話をして下さった。真珠湾攻撃の際殉死し、後に九軍神と呼ばれるようになった一人、古野少佐の話である。中学時代の古野少佐は柔道がとても強く、やんちゃな少年だった。ラジオで古野少佐の計報を聞いた時、胸がつまったと井上さんは回想している。古野少佐は東筑の誇りであり、ぜひ全東筑生に彼の存在を知ってほしいと井上さんは語っていた。
東筑の歴史は長く、いろいろな時代を生きてきた人がいる。そのことを強く感じさせられたひとときであった。
36期生の田仲光男さんは、当時の朝鮮・満州への修学旅行の写真、従軍中の中国全土の写真・絵葉書を提供してくださった。修学旅行の写真の中には、日露戦争における激戦の地である二〇三高地での集合写真もあり、大変貴重な物である。また、鮮やかな絵葉書は、見学に来られた方々に大好評であった。
また、企画の構想においては、53期生の日高康さんにお世話になった。部員全員でお話を伺い、折尾の歴史的建築物や美術品に関する資料を提供して頂いた。その中には、「船出」の製作者舟越保武さんとその奥様からの手紙もあり、企画がより充実したものになった。
今回調査するにあたって、この他にも資料をお借りしたり、お話を伺ったり、多くの方々にお世話になった。この場を借りてお礼を申しあげたい。
なお、上の年表(省略…管理人)はもっと詳しいものが、講義室「海」の横に常設されている。ぜひ一度見てほしい。
東筑今昔物語-3巻-
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東筑では、開校以来運動部・文化部共に優秀な成績を収めてきた。
野球部の甲子園出場、ラグビー部の花園出場などが有名であるが、
他にもこれまでに様々な部活動が活躍してきた。
今まで新聞部は「ラジヲ部」、「地学部」を紹介してきたが、
今回は三つの部活動にスポットを
あててみたいと思う。
今回の特集を読むことで、母校の新たな一面を発見してほしい。
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運動部編~体操部~
体操部の創設は他の部活動と一味違っている。部設立の推進役が教師ではなく生徒だったのだ。彼は、体操に興味を持ち独自に練習を始め真心と情熱とを込めて当時の校長に嘆願書を提出した。その頃としては無謀に近い行為であった。
体操部が誕生して5年がたった昭和15年、第2回明治神宮体育大会に県代表選手として3名が出場し、東筑体操部として初めての全国大会進出となった。
その後、何度も全国大会に出場し、昭和37年全国高校体操大会において、3年生の影浦敏春が本校史上初の全国個人総合優勝を成し遂げた。彼は6種目中3種目で1位、総得点では新記録を出し、大阪以西でも初の栄誉ある個人総合優勝を獲得した。さらに、彼は双子の弟の明と共に第17回国体へ出場し、団体優勝。個人では兄が総合優勝、弟が第2位となった。その後、兄はオリンピック強化合宿にも参加している。
その他にも体操部は、数々の賞を受賞した。これは、選手間の固いチームワーク、指導者と選手の強い信頼と熱意によるものである。
文化部編~社会部~
社会部は古墳や貝塚など、遺跡の発掘及び調査を行っていた。着々と続けた活動により、数多くの成果を残した。
中でも有名なものは、「庚申信仰」の研究を行い、病魔を払い除くといわれる本尊の青面金剛像を、昭和30年頃芦屋にて発見したことだ。これは庚申信仰の変遷を裏付ける有力な資料であると、世界宗教学会で紹介され関心を引いた。また、昭和43年5月には、芦屋の山鹿貝塚にて推定3000年前の人骨三体を発掘した。人骨がほぼ完全な形で発掘されるのは非常に珍しいことであり、その上高校生が重要な発掘に携わることは当時としても稀なことだったため、各新聞社や発掘を主催した九州大学の考古学関係者など、多方面からの注目を集めた。
ちなみに現在、社会部が発掘した土器の破片などが社会科標本室にある。盛んだった活動の様子が日に浮かぶようだ。
~弁論部~
東筑創立と同時に、編輯部一後の文芸部、図書部、弁論部の三つの部活動が発足した。その中の弁論部は、発足当時は講演部として活動していたが、後に演説部、そして弁論部へと名称を変更した。
弁論部は、大正期までは定期的に校内講演会を開催するなど、校内中心の活動をしていた。昭和期になると活動範囲は一気に広がり、記録が残っているだけでも、全国大会に4回の出場を果たしている。そのうち一度は3位入賞という素晴らしい成績を収めた。昭和39年から41年には全九州高校弁論大会に連続入賞し、さらに39年には全国英語弁論大会で優勝した。
このように、大会に出場し、成果をあげただけでなく、本校弁論部が主体となって、大会を開催することもあった。校内では、東筑生の弁論する力の向上を目標として、弁論部・新聞部・放送部の三部が共同で弁論大会を行った。また、近県の高校生を対象に7回、校区内中学生を対象に8回、弁論大会を開催し、周辺高校の弁論活動の活性化に多大な影響を与えた。
弁論部にはいつも楽しげな笑い声が響いている、和気あいあいとした雰囲気の部活動だったようだ。「毎日の会話・発言のすべてが練習であり、自分の意志を明篠に話すように心がけている」と当時の東筑高校新間は報じている。弁論部についての多くの資料が、当時)の東筑生の意識の高さや社会に対する関心の強さを今に伝えている。
他にも注目の部活動が
今回の特集はどうだっただろうか。体操部、弁論部は全国大会まで進んだ実績のある部活動であるし、社会部は人骨を発掘するなど、幅広い分野で活躍していた。 今回私たちは、この特集を組むにあたり、東筑史など様々な文献を調べてみた。すると、「経済調査部」「射撃部」「滑空部」など。初めて目にする部活動名が予想以上に多かった。
今回取り上げられなかった部活動についても、新聞部はどんどん紹介していきたいと思う。
東筑の虫
テントレスキャンプのすすめ
キャンプをするにあたってテントを使うのは常識である。何を今更と思うかもしれないが、実はテントを使わない「林通」という方法がある。
林通には色々なやり方があるのだが、ここではブルーシートを使ったやり方を紹介したいと思う。
まずブルーシートを円錐形に巻く。その中にロープを通し、そのロープを1メートルの高さから地面に張る。すると図のように、チョココロネ型になる。最後にブルーシートの端を杭で打てば、完成だ。人間はこの中に入って眠る。
後はその上にもう一枚ブルーシートをかぶせれば、雨もしのげる。 さて、なぜわざわざテントを使わないでキャンプをするかと言うと、まずは移動が簡単だからだ。設営には15分、撤収にいたってはものの5分しかかからない。ブルーシートはたためばコンパクトになり、持ち運びにも便利だ。これなら、移動キャンプも楽にできる。様々な場所を転々と訪ねてその所々の自然を体感する、それがアウトドアの醍醐味の一つであろう。
次に、自然をより近くに感じられるからだ。虫の入る隙間もない布の箱に閉じこもって寝るというのは、本来のアウトドアから少し離れているような気がする。それよりも、星空を見上げて横になるのが本当のアウトドアではないだろうか。虫は周りに竹酢液をまいておけば寄りつかなくなる。街の明かりのない場所の星空はとても鮮やかで、天の川が見えることもある。
アウトドア好きの人なら、ぜひ一度はこの林通に挑戦してほしい。普段の生活でも、そして普通のアウトドアでも体感できないような面白さが感じられるにちがいない。
編集後記
文化祭が終わり、一学期号も完しました。これで引退となります。何だかんだ言ってとても早い2年間でした。みんな今までありがとう! (ハイド)
取材と資料集めに走り、原稿を書きすぎ手首を痛め、全身で完成を喜んだ2年ちょっと。引退するのが惜しいほどアクティブで充実した日々だった。(ジキル)
知性に溢れ、話し上手のハイド先輩、ジキル先輩と過ごした時間は、私にとってとても大事な財産です。今までお疲れ棟でした。またいつか会わんことを。
(藍)
久しぶりに訪れた母校の小学校は、ずいぶん小さくなった気がしました。変わったのは校舎なのか、それとも私自身なのか…(紅梅)
文化祭の展示の片付けをしていて、達成感と共に心に浮かぶ切ない気持ち。「こんなダンボールなんかに対して、どうして愛情を抱くんだろう。」 (常磐)
はじめまして、新入部員の葵です。今回炭鉱の記事を担当させていただきました。まだ名前の通り青い新参者ですが、精一杯頑張っきたいと思います。(葵)
新入部員です。試行錯誤を繰り返しながらの新聞作り、先輩方と共に頑張りました。もしかすると自分の人生の中で一番頑張った瞬間かもしれません。
(寒椿)
初めまして。新入部員です。入部して以来、事実を書くことの難しきに直面しています。まだ未熟ですが、語彙を増やして頑張っていきたいです。 (鬼灯)
初めまして、新入部員です。通学中に鳩の巣を見つけました。雛が一生懸命さえずる姿を見て、自分もあんな風に頑張りたいと思いました。(雪柳)
例年以上に力を尽くした文化祭展示、東筑の歴史に詳しくなりました。三年生のリーダーシップが頼もしかったです。(サファイア)
間に合う、のか?
為ば成る、のか?
このギリギリの緊張感が好き。(B&W)
第252号 平成20年 3月 1日(土)発行
卒業おめでとう
羽ばたけ106期生! 学校長 増田俊明
106期生の皆さん、卒業おめでとうございます。歴史と伝統に輝く東筑高校に入学して3年間、皆さんの様々な場での活躍は実に目を見張るものがありました。
例えば、勉学では早い段階で自分の将来を見据えて進路を設定しその実現に向けて切磋琢磨し、素晴らしい成果をあげてきました。また、部活動や文化祭・体育祭などの学校行事において全力を尽くす姿は、後輩たちの大きな指針となりました。私は、皆さんが様々な体験を積む中で、多くのことを学び、たくさんの友情を育み、大きく成長したと実感しています。
皆さんは、本日をもって、思い出のたくさん詰まったこの東筑高校を巣立つことになります。将来への希望に燃え、心弾んでいることでありましょう。
本日の卒業の慶びは、皆さんの努力の賜であると思いますが、同時に保護者をはじめ地域社会の皆様、諸先生方の限りない慈しみと深い愛情とご指導の賜であることを忘れてはなりません。
これから皆さんが踏み出そうとする社会は、様々なな問題が待ち構えていると思いますが、その時こそ東筑で培った精神とすぐれた英知で、困難を乗り越えて前進してほしいと思います。
また、皆さんが進もうとするそれぞれの分野では、多くの東筑の先輩方が活躍しているはずです。素晴らしい先輩たちに出会い、改めて東筑の歴史と伝統を実感すると思います。皆さんはその先輩方を道標としながら、自分の夢の実現を目指し、次の時代の担い手として社会に貢献できる人に成長してほしいと願って止みません。
結びに、母校「東筑」は、これから皆さんが新しい世界で活躍する姿を温かく見守っています。いつでも母校を皆さんの原点として訪ねてください。
106期生の皆さんの益々の活躍を祈念致します。
青は藍より出でて 藍より青いんだぞ 学年主任 平田龍司
東筑高校に通った日々を高校時代から数えると24年にもなる。折尾周辺の景色は随分変わったが皿倉山だけはいつも同じ方角にそびえている。寒い時は山頂にうっすらと雪を頂き、うららかな春になれば木々の緑が萌えている。山頂付近の白いケーブルカーの駅がくっきりと望める日は快晴だ。
人生にはたくさんの障壁がある一人が生きていく過程で、成長に伴って立ちはだかる壁である。この壁を乗り越えてこそ成長し、生きる力を身につけるのだ。 安らかに育った子供の最初の壁は幼稚園・保育園であろう。小学校、中学校、高校へ進学すれば、仲間同士での意見の対立や教師からの叱責など、家庭、学校、クラブ活動の中で様々な壁を乗り越えなければならない。
西洋では偶数を好むが、日本では奇数が好まれるという。奇数であれば、対立した意見は数の多い方へ自ずとまとまる。改めて議論をして事を荒立てる必要はないことを我々はいつの間にか身に付けてしまった。西洋人は議論を好むという。相手をとことん理解するためにも、自分の意見を議論の場でぶつけ、議論が終わると大いに抱き合って相手を尊重する。日本にはない光景だ。
日本が国際的になればなるほど、西洋の思想を取り入れなければならなくなったことは事実である。地球上には、異民族・異宗教・経済格差が存在し、相手を理解できないことによって生じる壁がある。そんな様々な場所、立場でぐしゃぐしゃに揉まれ、壁を乗り越えるところに成長はある。
今から25年以上も前に観た映画「愛と青春の旅立ち」を思い出す。アメリカの士官学校の話で、卒業できれば全ての学生が指導教官より階級が上になるのだ。卒業式は華やかに終了、教官にお礼を述べ握手をする時、卒業したばかりの学生に向かって、教官が「上官殿っ!」と敬礼するシーンは最高だ。
君たち一人一人が東筑高校を卒業した今、まさに同じ場面と私は思っている。この壁を乗り越えた諸君らを心から祝福する。
贈る言葉
3年1組担任
卒業おめでとう。1そして1年間ありがとう。7回目の♂男クラ♂楽しませてもらいました。
3年2組担任
3年間本当に濃い日々を送ってきたと思います。さようなら、お元気で。I'll miss you so badly.
3年3組担任
106期生と共に3年間多くのことを学びました。ありがとう。これからも頑張って下さい。
3年4組担任
卒業おめでとう。諸君と3年間過ごせて幸せでした。これからの人生を1人1人が東筑魂で頑張れ。
3年5組担任
3年間皆さんと過ごすことができて幸せでした。この先の人生で良い出会いがあることを願ってます。
3年6組担任
自転車通勤始めました。急坂でもギアを落とすと軽快です。人生の坂道もゆっくり登れば大丈夫。
3年7組担任
「君子は周して比せず、小人は比して周せず」。視野を広げ、世界で通用する人になって下さい。
3年8組担任
人方少壮時、不知惜陰。でも、そんなものじゃないですか?そうじゃないととしをとる意味がない。
3年9組担任
「謙虚な気持ちと思いやり」いつも心に留めてこれからの人生を送ってほしい。卒業おめでとう。
子どもの館 HOW!?
冬休み、私たちは子どもの館HOW!?を訪問した。
「子どもの館」と聞くと、小学生くらいまでが対象というイメージが強いかもしれない。が、実は高校生も利用できるコーナーがたくさんあるのだ。例えば、「HOW!?広場」では、高校生が勉強している姿がよく見られる。中央のイベント広場には、飲み物や軽食の自動販売機があり便利だ。
休憩時間にはマンガコーナーを利用するのもいいかもしれない。また、二つあるスタジオも人気が高い。キーボード、シンセサイザー、ギターアンプ、ドラムセットなど、一通りの設備が整っているうえに、使用料金は1時間当たり700円から1200円と安くて、音楽好き高校生の味方だ。
「チャレンジスポーツ」も高校生が楽しめるものだ。ここの目的は「力いっぱい体を動かすこと」であり、様々なジャンルのアスレ)チックがある。すべて記録を計って競争することができるので、人気があり、子どもより大人のほうが熱中することもしばしばあるという。そこで、私たちも体験させていただいた。挑戦したのは、壁面にボタンがついているアスレチックだ。制限時間内に点滅するボタンをいくつ押せるかを競う。一見簡単そうだが、やってみると意外と難しく、必死に光を追いかけてしまった。親のほうがのめりこんでしまうのもうなずけるほど面白い。他にも、短い距離を走ったり、バーチャル映像の中でスポーツをしたりするものなどがある。一度はチャレンジする価値がある物ばかりだ。
子どもの館では、ボランティア活動が盛んだ。働いている人の9割近くがボランティアで、年齢層は高校生から80才ぐらいの人と幅広い。一緒に遊んだり、子どもたちの安全に気を配ったり、「遊び工房」でおもちゃを手作りする指導をしたりと、子どもたちが楽しく過ごすのをサポートしている。私たちが会った人々は皆、表情が生き生きしていて、楽しそうな様子だった。保育士の方は「小さい子どもは皆、高校生のお兄さん、お姉さんが大好きで、とても慕っています。皆さんも一度ボランティアを体験してはいかがでしょうか。いい勉強になります。」とおっしゃっていた。
このように、子どもの館は子どもから大人まで楽しめる施設だ。ぜひ一度訪れて欲しい。素敵な一時が過ごせること間違いなしだ。
若い潮
去年の夏、私は東筑高校の体験入学に来ていた。当時将来の目標が決められなくて、どうしてもやる気が出ないでいた。そんな私が、多くの人が入りたがっている東筑高校を受験していいのだろうかと思い、決心をつけられなかった。
そこで、進路相談をしに会議室へ行った。そのとき相談に乗ってくれた先生は、「東筑ではいろいろな未来への道が開けるよ。だから、頑張って東筑にいらっしゃい。今は、悩みとかいろいろあるだろうけど、ひとまず頑張ったらどうかな。」と、おっしゃった。
会議室を出て「三月にまた来よう」と心の中で呟いて、東筑高校を後にした。帰り道にふと見上げた青い空は、吸い込まれそうなほど澄んでいて、ぽっかりと浮かんでいた白い雲は、手を伸ばせば届きそうな気がした。
その日は家に帰ってすぐ机に向かった。親はさぞかし驚いたのだろう、熱でもあるの、と聞かれてしまった。昨日までとは違う私がそこにはいた。何かやる前にあれこれ考えずに、ただ頑張ることで物事は見えてくる。そんな簡単なことに、私はやっと気づいたのだ。
ひとまず自分にできることをすればいいのだと、私に教えてくれた人がいる。その人のおかげで東筑にいる。その先生はもう忘れてしまっているかもしれないけれど、私はとても感謝している。体験入学でその先生に会わなかったら、まだ、やる気のない私だったかもしれない。
私はこれから青い空を見るたびにやる気をもらうだろう。そして、その空とともに夢を追いかけていきたい。私はまだ未来への一芸歩き始めたばかりなのだ。
ふと、「今日も青空だといいな。」と思うことがある。見上げてみるとそこには、一面の青い空がある。
さて、またもう一歩踏み出そう。真上に広がる青い空とともに。
駄菓子ブーム 最前線
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近頃、テレビや雑誌で駄菓子が売れているという話題をよく目にする。
かつて、駄菓子といえば子どもが街の駄菓子屋で、10円、20円程度の
小遣いで買うものだった。そのため、街にそんな店が減るにつれて
駄菓子を見かける機会は少なくなっていた しかし最近、ショッピング
センターやコンビニで人気を取り戻しているそうだ。
そこで、私たちは駄菓子が脚光を浴びている理由を探すべく、製造者、
販売者、消費者の三つの視点から調べてみた。
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チロルチョコの戦略
私たちにとって身近な駄菓子と言えば、まず頭に浮かぶのはチロルチョコだろう。これを作っているのが、松尾製菓だ。そこで私たち新聞部は田川本社工場へと取材に向かった。
元々松尾製菓は九州を中心に事業を展開していた。2004年、全国展開するにあたり、東京に「チロルチョコ株式会社」本社を設立し、そこに企画・販売部門を置いて、より早く情報を取り入れ、世の中の動きやニーズに対応できるようにした。全国進出してからは売上高、利益共に飛躍的に伸び続けており、今後も更なる成長が見込まれる。
開発部では何度も試作を重ね、おいしいチョコレートを開発する様子を見せていただいた。チロルチョコには定番の商品だけではなく、季節に合わせた期間限定商品や、各コンビニ限定商品もある。それだけではなく、原油高による材料費の高騰を乗り切るため「プレミアムチロル」という高級チョコレートシリーズにも力を入れている。こうして常に消費者に新しい味を提供し続けているのだ。
工場では機械によって大量に素早くチョコレートが作られていた。現在は需要が多く、正社員とパートタイム従業員合わせて300人の三交代で、休みなく製造ラインを動かしている。こうして、この田川工場から全国にチロルチョコが出荷されていくのだ。こうした不断の企業努力があるからこそ松尾製菓は業界のトップを走り続けているのではないだろうか。
ここで耳よりな情報だ。3月には「板チョコクランチ塩」、「ビッグチョコモナカ」、「チロルチョコ(宇治まっ茶)」、「花よりだんご」と、次々に新製品が発売される。これは東筑限定情報である。ぜひ食べてほしい。
広がる駄菓子マーケット
ここでは、私たちの身近で駄菓子を販売している専門店、コンビニ、スーパーマーケットに触れたいと思う。
まず、私たちは駄菓子専門店 「夢や」に取材を行った。農家の土間をイメージしたという店舗はおばあちゃんがやっていた昔の駄菓子屋の雰囲気が漂う。客の年齢層は幅広く、人気商品も世代によって異なる。子どもにはガムやキャラクターものが人気だが、高年齢層には昔ながらの袋菓子や飴が好まれている。ギフト用詰め合わせも贈り物として人気がある。 夢やの店員さんによると、子どもは物珍しさ、年配の方は懐かしさによって駄菓子を買うそうだ。
次に、ローソン北九州地区事務所に電話取材を行ってみると、今現在最も売れているのは「うまい棒」シリーズで、客の年齢層は幅広く、特に20代~40代の人が多いという。駄菓子が売られていることを知らなかった人が、売り場で足を止めてつい買ってしまうとのこと。おつまみや子どものおやつとしてまとめ買いする人も多い。
現在各コンビニでは、大手製菓会社と共同で期間限定商品、自社限定商品の開発を行い、それぞれ独自性を出そうとしている。例えば、前記のチロルチョコの「京きなこ」や「濃厚いちご」などがそうだ。
最後に、折尾近郊のスーパーマーケット各店にも取材した。 スーパーマーケットでも駄菓子専用のコーナーを設ける店舗が増えていて、そこだけ陳列棚を低くして子どもでも買いやすくする工夫をしている。ここでも駄菓子は幅広い年齢層に売れているそうだ。
売れるには理由がある
現在このように駄菓子が売り上げを伸ばしている理由は何だろうか。第一に、メーカー側の工夫がある。例えば今回取材した松尾製菓では、年に何度も新製品を出したり、高級な製品を開発したりと、満足感で勝負している。その結果、松尾製菓は業績を伸ばし続けている。第二に、販売店の努力がある。例えば「夢や」ではお酒を飲む機会が多くなる年末年始にはおつまみを置いて客のニーズに合わせている。一部のスーパーマーケットでは、子どもが見やすいように、駄菓子のコーナーだけ商品の棚が低くなっている。 各コンビニでは、製菓会社と協力して期間限定商品を販売している。このように、作り手、売り手の戦略があるからこそ、駄菓子は売れていると言える。。そして、これに加えてもう一つ大きな理由があると思う。
駄菓子を購入した人に、理由を聞いてみると、「子どもの頃を思い出すから」という人が多かった。コンビニでの駄菓子の購買層は、20代から40代が一番多いというデータもある。かつて駄菓子を買っていた子どもが社会人となって経済的に余裕ができ、昔を懐かしんで駄菓子を買っているのだ。
現在の駄菓子ブームはここから始まっている。そして、このような大人たちが、子どもに駄菓子を買い与えることも多い。駄菓子は、世代と世代の橋渡しになっているのだ。
この懐古現象は他の分野でも起こっている。映画「ALWAYS三丁目の夕日」が大人気になり、続編も公開された。この映画もまた、かつてありし日の日本を現代の子どもたちに伝えるものである。今の社会には、高度経済成長期、すなわち右肩上がりの発展が信じられた時代を懐古する雰囲気があると言える。
企業の努力と、社会の古き良き時代を懐かしむ風潮、この二つが駄菓子が売れている要因なのかもしれない。
東筑の虫
グループしなけりゃ意味ないね
オールドな雰囲気の喫茶店や路地の片隅にあるひっそりとしたバー、レコードの針が落ちるときの「ブチッ」という音。ジャズには何となく静かで堅いイメージがある。ジャズ、と聞いて連想するもの。
だが、それは少し違う。
ポップミュージシャンがバラートからダンスチューンまでこなすように、ジャズメンたちもテンポの速い踊れる曲もしっとりした曲も演奏する。事実、クラブでも時折ジャズがかかることがある。そもそも「ジャズ」というのはかなり広いくくりで、その中にビ・バップやフリー・ジャズ、フェーンといった色々な分類がある。
使われている楽器を見ても、例えばフュージョン・ジャズではエレキギターが頻繁に使われ、中にはヒップホップアーティストとコラボしたアルバムもある。さらに言えば、バラードはそもそもジャズの演奏形式の一つだった。
なら、ジャズと他ジャンルの音楽を区別しているのは何だろうか。一言で言ってしまえば、それは「アドリブ」と「グルーヴ」である。 アドリブとは即興演奏のことで場のムードや自分の気分によって瞬時に曲を作るのだ。ジャズメンにとっては一番の見せ場である。アドリブパートが上手くいけば、その曲は成功したと言ってもいい。逆に言うと、これが上手くいかなければジャズとしては大して価値がない。だからジャズメンたちはアドリブに命をかける。中には強烈なインスピレーションを得るためにドラッグに手を出してしまう者もいる。それほどのプレッシャーなのだ。
だが、アドリブよりももっと大切な物がある。それが「グルーIヴ」だ。グルーヴしていなければその曲はジャズではないと言っても過言ではない。 では、グルーヴとは何か。それは、聴いた人が「あ、ジャズだ」と思うような、ジャズ特有の雰囲気や「ノリ」のようなものだ。例えば先ほど書いたバラードは特定の拍子が決まっていない。ヴォーカルやホーンが自分の感覚で、その場その場で曲を速く、遅くして、それに他のメンバーが合わせて演奏するのだ。この一定の拍子のない演奏を聴いてさえ、私たちはそれが「ジャズ」だとわかる。一瞬一瞬にグッとくるような「ノリ」があるからだ。演奏者の感情が、音と音の「間」に染み出すと言ってもいい。私たちはそれを感じて、「ジャジー」だと感じるのだ。
ジャズは個性の音楽だ。ほとんどの曲の中にアドリブパートがある。そこではプレイヤーは自由に演奏できる。だからこそ、自分の「個性を出した演奏をしなければ誰も聞いてくれない。そしてその個性がはっきり演奏の中に出て、それが聴衆に受け入れられると、そこにグルーヴが生まれる。そこから私たちは先程書いたジャズのノリを感じるのだ。
と、ここまで偉そうなことを書いているが、私はただの高校生であり、ジャズの魅力を十分伝えられたとは到底思えない。百聞は一見に如かず、やはり実際に聴いてみるのが一番だ。今はブルーノートなどのレーベルから1500円の名盤シリーズが多数出ている。どれもいいアルバムなので、ぜひ一度聴いてみてほしい。
私のお勧めは、マイルス・デイ"ヴィスの「カインド・オブ・ブルー」。マイルスの静かで深い、そして魂の底から叫んでいるようなトランペットは必聴だ。
部活動訪問記 -囲碁・将棋部編-
囲碁・将棋部の1年生、松田浩志君が囲碁の男子個人戦の部で全国大会出場を決めた。松田君が囲碁碁を始めたのは小学校5年生の時、周りの人がやっていたのがきっかけだった。人気アニメ「ヒカルの碁」の影響が大きかった頃のことだ。入部以降もめきめきと力をつけて、現在五段の実力者だ。「これから布石の勉強に力を入れてさらに高段を目指してほしい。」と顧問の遠藤先生は語る。
全国大会ともなるとやはりレベルが高いが、結果が出せるように頑張りたいと松田君は意気込んでいる。目標はまず一勝すること。自分のペースで局面を進め、自分らしい手を打っていきたいとのことだ。
囲碁・将棋部は現在18名で活動していて、級位者も有段者も実戦経験を積むことで実力アップを目指している。個性派揃いの部員たちは仲が良く、雰囲気はいつも和やかだ。
部員の上達のスピードは目を見張るものがあり、何も囲碁のことを知らずに入部してきた生徒がわずか一年で初段になるという。次回は男女とも団体戦でエントリーして、全国大会へ…と部員全員で期待に胸をふくらませている。囲碁・将棋に興味がある人はぜひ東筑会館二階の会議室に一度、練習を見に行ってみてはいかがだろうか。囲碁は簡単なルールを一通り教えてもらえば誰でもできるようになるので、経験者はもちろん、初心者も大歓迎だ。
松田君の全国大会での健闘を祈る。
編集後記
3年生の先輩方、卒業おめでとうございます。先輩方のいなくなった部屋は何となく寒いですが、1,2年のパワーで新聞部を熱く盛り上げてていきます。時々遊びに来てくださいね。(ハイド)
先日、母が勝手口から外へ出たときのことだ。ボイラーの近くに薄黄色のふさふさしたものが暖を取っていた。なんとそれはイタチだったらしい。まだ、この辺にいるのかと少し感動。 (ジキル)
1年生は1月下旬、スキー教室に行って来ました。転んでばかりの皆でしたが上達スピードが速く、「スキー最高!」の声があちこち聞こえました。また長野に行ってスキーをしたい! (藍)
先日、我が家にソファーがやっきました。当初は購入反対派った私でしたが、座り心地の良さにたちまち虜に。最近は私の巣なりかけています。(紅梅)
いつも真っ暗な学校への道が今日は妙に明るい。東の空を見ると、久しぶりに朝焼けに会えた。ゆっくり、本当にゆっくりだけれど、春は近付いている。
(常磐)
"新聞部団塊の世代"が卒業します。典ちゃん、美彩ちゃん、真実ちゃん、伶くん、新聞部を盛り上げてくれてありがとう。知性と教養を武器に、輝かしい人生を切り拓いていってね。(サファイア)
葉書が7円だったころ、やきりんごは5円、バナナクリームロールは15円、そして100円玉なんてもは、なかった。わかるかなあ、わっかんねえだろうなあ。(B&W)
第251号 平成19年12月14日(金)発行
東筑リサイクル白書 ~エコタウン訪問を通して~

今年から校内の飲み物の販売が紙パックから缶とペットボトルに変わった。それと同時に、ペットボトル専用ごみ箱も設置された。
当然リサイクルのためだが、はたして私たちはどれだけリサイクルについて知っているだろうか。また現在、北九州市では情報誌の発行などを通してリサイクルの認知活動を進めている。そこでこの夏、私たちは北九州エコタウンを訪問した。
エコタウンを訪ねて
北九州エコタウンとは、政府の始めたエコタウン事業の一環として響灘地区に建設された、一連のリサイクル工場や研究施設の総称だ。
ここで言う「エコ」とは、エコロジー(環境)とエコノミー(経済)の略で、その両方を大切にしよう、という考え方を基に、様々な企業を誘致し、市内のリサイクル産業とも提携して、地域経済の活性化もはかっている。
今回、私たちはその中でOA機器のリサイクル会社「リサイクルテック」と家電関係のリサイクル会社「NKRC」を訪問した。
「リサイクルテック」では主にコピー機やパソコンをリサイクルしている。手作業で一人一台ずつ分解し、部品ごとに分け、その中から資源として再利用できるものを選び出す。これによって99%が資源化される。パソコンやIC基盤からは貴金属も取れ、大きな資金源となっているそうだ。
次に「NKRC」を見学した。この会社ではテレビ、エアコン、洗濯機、冷蔵庫をリサイクルしている。運び込まれた家電はまず部品ごとに分けられ、破砕機によって砕かれ、磁石や遠心力、風力を使って資源ごとに分別される。こうして資源化されて新しい製品へと生まれ変わるのだ。届いたごみの70%以上が完全に資源化されるということで、私たちはその技術の高さに驚いた。
しかも、北九州エコタウンではごみを工場間で回すことでリサイクル率を高めている。しかし、どうしてもリサイクルできないごみもある。そのようなごみは、火力発電の燃料として利用するのだ。
またそれだけではなく、北九州エコタウンでは風力発電にも取り組んでいる。あらゆる方面から省エネルギー、省資源化を進めているのだ。
このように、北九州エコタウンでは様々な企業がリサイクルに取り組んでいる。ここで気になるのがコストの問題だが、家電リサイクル法が施行されたこともあり、リサイクル料金や資源を売却した利益によって、おおむね採算は取れているようだ。そして今なお、エコタウンは成長し続けている。
市はこのようにリサイクルに力を入れているが、はたして私たち一人一人の意識はどうだろうか。そこで、アンケートをとってみた。

▲風力選別装置の正確さを体験
東筑生のリサイクル意識は?
私たちは東筑生182名に対してアンケートを行い、全7項目で、東筑生のリサイクルの実態と意識を調査した。以下、質問項目ごとに考察していきたいと思う。
1.今、家庭で行っていることを教えてください。(複数回答可)→ グラフA
7割以上の人がごみの分別をきちんとやっており、何もしていない人はほとんどいない。また、牛乳パックや発泡スチロールを回収ボックスに入れている人も、約半数いる。多くの人がごみを分別し、回収することを大切だと思っている。
しかし一方で、「リサイクル製品を購入している」「マイバッグを使用している」と答えた人は少ない。ごみを分別すること以外のリサイクルに対しては意識が低いようだ。私たちの周りには多くのリサイクル製品があるので、意識してリサイクル製品を購入するようにしたいものだ。また、マイバッグも積極的に使っていきたい。現在、多くの店舗がノーレジ袋を推進しているが、わざわざマイバッグを買う必要はない。家にあるレジ袋を何度も使うことから始めればいいのではないだろうか。
2. 1.で「何もしていない」と答えた人へ、理由を教えてください。(複数回答可)
この問いには「なんとなく」と答えた人が最も多く「必要性がないから」と答えた人はいなかった。また、数名だが「方法がわからないから」と答えた人がいた。
今、行政でもリサイクルを推進し、多くの情報誌を配布している。リサイクルの方法がわからない人に限らず、参考にしてほしい。
3. 1.でリサイクルをしていると答えた人へ、理由を教えてください。(複数回答可)
リサイクルしている理由が、「家の習慣だから」と答えた人が最も多かった。家族全員でリサイクルを習慣にして行っていることがわかる。さらに、多くの人が「リサイクルは必要だ」と感じているように、リサイクルに対して意識の高い人が多いことがわかる。
4.家庭でペットボトルはどの様に分別していますか。
約65%の人がペットボトルをきちんと分別して、ただごみとして捨てている人は約15%だ。
ペットボトルは正しく分別することでよりリサイクルしやすくなるので、正しい分別をするように心がけたい。洗っておくと、資源として再利用しやすくなり、さらに、キャップとラベルを取り、プラスチック容器包装として分別すると一層リサイクルがしやすい。
5.学校で、古紙回収ボックスに古紙を入れていますか。→グラフB
古紙回収に消極的な人が6割以上と意外に多かった。実際、クラスで必要ないプリントを丸めてごみ箱に入れている人をよく見かける。学校で行われている身近なリサイクルであるから、もっと積極的に取り組みたい。
6.学校でできそうなリサイクルがあれば教えてください。
この項目の回答で多かったのは、ペットボトルの分別だった。今年度よりペットボトル飲料が販売されるようになり、ペットボトルの消費量が激増しているので、ペットボトルのラベルとキャップ用のごみ箱も設置してほしいという意見だ。
また関連して、プラスチック容器包装を分別すべきだという意見も挙がった。学校では、パンなどのプラスチック包装のごみも多い。現在、北九州市ではプラスチック容器包装を分別しているので、学校でも分別したらよいと考える人もいるようだ。
7.リサイクルについて思っていることがあれば教えてください。
多くの人が「リサイクルは大切だ」と思っているが「なかなか実行できない」と答えていた。その理由として、「自分がリサイクルしていても、その効果が実感できない」というものがあった。確かに、私たちの行動と地球環境が結びついていることを実感することはあまりない。リサイクルは皆が少しずつ積み重ねていくことで成果が上がるものなのだろう。
今回のアンケートでは、東筑年のリサイクルの実態と意識を見ることができた。東筑生はリサイクルすることにはやや消極的であるが、リサイクルについて真剣に考えているのだ。
まとめ
今回の特集ではエコタウンの取材や東筑生へのアンケートを通して、リサイクルについて考えてみた。
ここで一つ気になるデータがある。リサイクルをしているという安心感から、ペットボトルの使用量が増加しているというデータだ。なんと、東筑高校では、販売を始めて以来、約二万本ものペットボトル飲料を消費している。アンケートの中にも、リサイクルをするより、消費量を減らすことの方が経済的によいのではないかという声がある。ペットボトルに限らず資源の消費量を抑えていくようにまず心がけたい。
私達の街北九州はとてもリサイクルが盛んだ。そんな街にいるのに、リサイクルに受動的ではもったいない気がする。環境をよくするための行動には日常のちょっとした心がけ次第で実行できることが多い。何か自分にできることを積極的に実践していくことが大切だ。
若い潮
最近、人間関係の悩みを抱え、病気になったり、学校や職場に行けなくなったりする人が多いというニュースをよく耳にする。このことは社会全体にとって大きな問題になってきていると思う。
ちょっと立ち止まって自分の周りを見つめて欲しい。日常の何気ない一コマの中にも誰かのSOSが隠されているかもしれない。
中学2年生のとき、私はある友人のSOSと向き合ったことがある。彼女の最初の変化は表情が暗く、反応が鈍くなったことだった。どうしたのか尋ねてみると、彼女は自分がクラスで疎外され、数人の人から嫌がらせをされて辛い思いをしていることを語ってくれた。元々彼女は人付き合いがあまり上手ではなかったため、クラスにうまくなじめなかったのだろう。
その日から毎日、私は彼女の相談に乗ることにした。といっても私には彼女の話を聞いて、自分なりのアドバイスをすることしかできなかった。
ある日10分休みに、私は泣いている彼女に会い、保健室に連れて行った。後日、私は先生に話を聞かれた。状況を伝えた後、私は先生に尋ねてみた。「私は彼女に何かしてあげられたのでしょうか。」すると先生は「あなたが側にいたことが支えになったんじゃないかな。」とおっしゃった。
辛いとき、誰かが側にいてくれるだけで気持ちが少し軽くなる。そんな経験をしたことがきっとあると思う。一本の小枝は簡単に折れるけれど二本三本なら折れにくいように、人は誰かと一緒にいると強くなれる。だから悩みを一人で抱え込んでいる人は、誰かに相談したらいいと思う。そして、逆に周りの人の様子が少しでもおかしいと感じたら、早く手を差し伸べてあげてほしい。それで救われる人がきっといるはずだから。
今、私と彼女は別々の高校で自分の夢に向かって歩き始めている。
スペシャリストを訪ねて
私たちは日常生活の色々な場で、遊んだり、学んだりしている。そういったことをする場があるのは、そこに目標を持ち、やりがいを感じながら働いている多くの人々がいるからだ。そんな人々に会ってみたい。
そう考えた私たち新聞部は、7月にスペースワールドといのちのたび博物館に取材に行った。共に、私たちが遊んだり学んだりするときの手助けをしてくれる身近な施設だ。
スペースワールド
スペースワールドに行ったことがある人は、多いと思う。日本で初めての宇宙テーマパークであるスペースワールドは、1990年、新日鉄の資本により開園した。 私たちは、スペースワールドのさまざまな職種の人々がアトラクションなどを運営している様子を知りたいと考え、7月24日に取材に行った。
園内に入り、企画グループPR課に所属している松澤さんから園の概要を話してもらった。まず、設立の所以についてだが、スペースワールドが宇宙テーマパークになったのは、工場の街という硬いイメージをなくし、やわらかいイメージにして町の活性化に繋げるためである。そして現在は、NASAと協力してスペースキャンプなどを行うと共にエンターテイメント性も取り入れている、ということだ。
次にスペースワールドの職員の労働時間についてである。開園前に、アトラクション点検担当の係の方が早く来て、1時間半、長いものでは2時間以上点検をするのだそうだ。開園中はアトラクションの安全バーの確認など安全点検や、乗車案内などをする。閉園時間後も買い物をしているお客さんがいるので、皆を送り出して、もっと遅く帰る係の方もいる。この話を聞いて、私たちの知らないところで頑張っている方がたくさんいるのだと思った。
その後、ゲストサービスセンターで仕事をしている松本さんにお話を伺った。ここでの仕事は、パーク内外総合案内や迷子、落し物の案内、アナウンス、ゲストアドバイス (クレームとは言わないのだ)への対応などである。スペースワールドの円滑な運営のためには欠かせない仕事である。
仕事の中で、やりがいを感じるときは、お客さんに「ありがとう」と言われたときで、外国人のお客さんと言葉が通じない時は辛いと感じると語ってくれた。お客さんに苦情を言われるときも幸いのでは、と思ったが「それも仕事の一部です。」ということだ。また、私たちが今のうちにしておいたほうが良いことは、海外でホームステイや留学をしてコミュニケーションの能力を養っておくことだとアドバイスをもらった。
インタビューの途中、ゲストサービスセンター内の、おむつ交換室や授乳室に入らせてもらった。おむつ交換室は天井や壁がかわいく、授乳室にはプライバシーを守るためにしきりがあり、利用する人が快適に感じるように気を配ってある。今後はこのような細やかなサービスをもっと増やしていきたいと、語ってくれた。
勉強が忙しい東筑生も冬休みにスペースワールドに行ってみたらどうだろうか。ストレス発散に効果があること間違いなしだ。
いのちのたび博物館
7月27日、いのちのたび博物館に取材に行った。この博物館は「自然と人間の関わりを考える共生博物館」を理念として、自然史、歴史の両分野の展示を行っている。
まず最初に、施設の説明をしていただいた。この博物館には展示施設のほかに、講座室、実習室、収蔵庫などがあるバックヤードがあるそうだ。
施設の説明のあと、学芸員の方にバックヤードを案内していただいた。学芸員とは、資料収集や調査研究を行ったり、展示物をより楽しめるように工夫したり、子どもの体験教室の指導を行ったりして働いている人たちだ。今回は、岩石の研究をしている森さんと、歴史を研究している日比野さんに案内していただいた。
この博物館には10以上の収蔵庫があり、保存、研究のための資料が収められている。森さんに案内していただいたのは、重量系収蔵庫だ。収蔵庫には、大小さまざまな岩石が三万点ほど保存されている。すべての標本はコンピュータに登録、管理されているが、登録の作業は時間がかかり、未登録の標本が一割以上あるそうだ。大変な仕事だが、やりがいがあると森さんはおっしゃっていた。
次に学芸員の日比野さんにトラックヤードと歴史史料収蔵庫を案内していただいた。トラックヤードとは、資料の搬入口があるスペースである。ここで、搬入された資料を燻蒸室に入れて、虫やカビを駆除する。博物館が最も恐れているのは、害虫が資料を食べることだ。そのため、どんな資料でも燻蒸して害虫の侵入と増殖を防ぐらしい。
続いて、歴史史料収蔵庫を見せていただいた。この収蔵庫には前室と呼ばれるスペースがあり、さらに奥に収蔵庫がいくつかある。前室があることで奥の収蔵庫の気温や湿度を一定に保ちやすくなるそうだ。収蔵庫には、史料が所狭しと並んでいて、教科書で見るような史料もあった。なかでも「千人針」という史料は、戦地へ行く兵のお守りとして千人の人々が一針ずつ縫った布で、当時の状況を示す貴重な史料だ。
私たちは取材の中で、両学芸員に高校生のうちにしておくといいことを聞いた。両学芸員の回答で共通していたことは「興味のあることを見つけて、それに打ち込む」ことだった。そのためにも好奇心を失わずにいることが大切だそうだ。
今回の取材を通して、展示物だけではなく、学芸員の方々が工夫を凝らした展示方法も博物館の見所だと私たちは感じた。この記事が、博物館を新鮮に楽しむきっかけになれば幸いだ。
おわりに
今回の取材で、スペースワールドではクルーの方々の細やかな配慮を、いのちのたび博物館では学芸員の方々の努力を感じることができた。それぞれの職場で多くの人々がプライドを持って働いていて、世の中が成り立っている。そんな当たり前のことを改めて実感した今回の取材だった。
部活動訪問 ―山岳部編―
「山岳部がすごい。」この噂を聞きつけた私たちは、山岳部を訪ねた。多目的ホール一階の部室に入ると、カラフルな突起物のついた壁が目に飛び込んできた。 山岳部は日々、ポルダリングを主な活動としている。ボルダリングとは、壁についている突起物に手と足をかけながら、登っていくという競技である。テレビなどで、ロープを使い15m以上の高さの壁を登っていく競技を見たことはないだろうか。それをリードクライミングというのだが、ロープを使わずに4mくらいの壁を登っていくのが、ポルダリングである。ちなみに山岳部が練習に使っている壁は、「東筑壁」と呼ばれている。
山岳部は昨年まで、実際に山に登り、大会の得点になる天気図を書く練習などをしていたそうだ。しかし部員が少ない今は、一人でも大会に参加できるボルダリングの練習をしている。
部活動の楽しい点を聞くと、部長の横大路さんは「自分が登れていること自体」と、部員の東さんは「今まで登れなかったボルダリングのコースを登れるようになること」と語ってくれた。
めったにない機会なので、私たち新聞部も「東筑壁」に登らせてもらった。予想通り素人には難しくて、何度も何度も壁から落ちてしまった。
練習では、腹筋や腕立て伏せなどをして基礎体力作りをたくさんしているのだろうと思ったのだが、壁に登ることが何よりの練習なのでひたすら登るだけで、それ以外に特別なことはしていないそうだ。
そして、ここでうれしいニュースである。東筑高校山岳部が、なんと、国民体育大会の福岡県強化選手になった。健闘を祈りたい。
東筑の虫 They have HEART
蒸気機関車は、英名「Steam Locomotion」を略した「SL」がポヒュラーな呼び名である。産業革命に大きく貢献したことで、テレビの歴史番組でよく紹介され広く知られている。しかし、その姿を実際に目にする機会はほとんどない。ディーゼル機関車や電気機関車などに比べ、パワーやスピードが遥かに劣り、車体から出る排煙も問題となり、ほとんど使われなくなったためだ。日本では1949年に製造を停止し、現在稼働しているのはわずか10輌ほどである。効率化を追求する現代社会の流れに、SLは取り残されてしまった。
ところが最近、観光資源としてSLを残そうとする活動が全国で展開されている。熊本の豊肥本線では、北九州市の若松機関区を走っていた車輌を修復し、「SLあそBOY」として1988年から運行を開始した。2005年に故障しため引退したが、復活を熱望する多くの人々の声に応えるべく、2009年を目標にJR九州小倉工場で修復が進められている。
テレビであそBOY修復作業のニュースを見た。作業員の中には、長年SL修復に携わってきた70歳を超える老練の職人もいれば、今回初めて参加するまだ若い作業員もいた。ベテラン作業員の一人は「SLは見かけによらず、デリケートな機械なんです。ねじの1㍉のずれがあってもうまくいかない。だから若い世代に整備の技術を伝えていかないとSLは走れなくなってしまうんです。是非伝えていきたいですね。」と話していた。
SLの故郷イギリスでは、各地に保存鉄道とよばれるSLの保存を目的とした鉄道があり、一般道路では古風な蒸気自動車が優先されて走る。その情景からは蒸気機関への愛がひしひしと感じられる。現代のハイテク時代にSLがこのように愛されるのは何故だろうか。
それは、SLが「人間らしさ」のある機械だからだと思う。私は以前SLに乗ったことがあるが、今でもあのときの感動は少しも色あせずに心に残っている。
その日、私は朝早くから駅のプラットホームでSLの登場を心待ちにしていた。出発の時刻の少し前、SLは乗客の前にその勇姿を現した。勇ましく汽笛の雄叫びをあげて出発する。しばらくして山を登り始めると、足取りが重くなり、息を荒げた。聞こえてくる音一つ一つが、本当に精一杯走っていることを感じさせる。下りに差し掛かると、まるで楽になって喜んでいるように一気にスピードを上げる。駅にたどり着くと、ほっとしたようにため息をつき、辺りは煙に包まれる。電車を見慣れている私にとって、この表情のアップダウンは非常に面白く、初めて乗ったのにどこか懐かしく、私の心をほっと温かくした。SLは人間と同じように生きている。私は本当にそう感じた。
今後、SLの老朽化はますます進み、走れなくなるものも増えてくるだろう。整備などの技術を後世に伝えていかなければならないという課題もある。しかし、ハイテク化された世界に生活する私たちに、アナログな安らぎと懐かしさを与えてくれるこの表情豊かな老人たちには、いつまでものんびりと走り続けてほしい。
獅 志 吠ゆる
透き通るような青空、まぶしく照りつける太陽。今年の体育祭はまさに「体育祭日和」となった9月9日に開催された。
開会式の始まる頃には、運動場は保護者やOBの方々で埋め尽くされていた。プログラムが始まると、今年のテーマ「獅志奮迅」を体現するような迫真の演技や競技に観客席は大いに盛り上がった。
高校の教師をされていたという保護者の方は、「東筑は素晴らしいパネルがあり、保護者が多く来ている。そのよい雰囲気を楽しみに来た」とおっしゃった。
午後の部に入り、保護者の方々の一番人気、応援合戦が始まった。一年生は女子の「Everything We Touch」、「El Nin Yo!」と、男子の「ビリーズブートキャンプ」、全体での「Hot Stuff」と、これまでの応援とは一味違った斬新な演技を見せた。二年生は女子の「Girl friend」、男子の「型」、全体での「イケナイ太陽」と、溌刺とした力強い演技だった。トリを務める三年生は最上級生らしい堂々とした演技を披露した。初めに女子が「モダン」、「never ending dream」で息の合った美しい演技を見せた。男子は気合いがこちらまで伝わってくるような迫力ある「型」を演じた。最後に「ゴエモンメドレー」、「音乱舞」をバックに、虎の山車がトラックを練り歩いた。
今年は二年生が下剋上する大活躍だった。三年生は随所で下級生を圧倒し、最上級生の貫禄を見せた。一年生は初めての体育祭で気負いなく戦った。雨で予行が延期になるなどのハプニングがあったが、全員が協力した結果、素晴らしい体育祭となった。
編集後記
わかる人はわかると思いますが、今年も100kmハイクに参加しました(詳しいことは去年の三学期号をご覧ください)。ゴールした時の感動は‥・表現できません!
(ハイド)
県大会で二つも賞を頂き、新聞面はルンルンです。大会では、他校と交流新聞作りをして、大変有意義な時間でした。決して。新聞紙を丸めてチャンバラなんてしていません。(ジキル)
この前コンビニでふと、視線を感じた。ふり返ると、マンゴー好きのあなたに飲んでほしいというマンゴーティーの声。出会いに感動すると共に、糖分多量摂取への不安が募る今日この頃。(藍)
万人の認めるドジ人間の私。つい先日も階段から落ちました。先生に「気をつけて。」と言われたわずか数秒後のできごと。あまりに見事だったのか、先生に吉本入りを勧められました。 (紅梅)
カメラを持つと際限なく激写してしまう癖がある。幼い頃、旅行中私にカメラを持たせた両親は、帰った後で写真代に泣かされたそうだ。それ以来私はカメラを持たせてもらえない。 (常磐)
ザクザクと霜柱を踏んで登校した経験がありますか。え、霜柱って何ですかって‥・。(B&W)
クリスマスのイルミネーションが好きです。この時期、北九州も頑張ってるなと嬉しくなります。(サファイア)
第250号 平成19年 7月20日(金)発行
図書館のすゝめ
~はじめに~
高校生にとって最もなじみのある公共施設といえば図書館だろう。
私たちの住む地域には多くの図書館がある。それぞれに様々な特色があるが、私たちが普段利用するのは最寄りの図書儲ばか朝ではないだろうか。少し足を伸ばせば使い慣れたところ以上に自分に合った図書館を見つけられるかもしれない。そこで、東筑生がよく利用している11の図書館を徹底比較してみた。なお、「こどもと母のとしょかん」は分館扱いのため、今回は割愛する。
~便利なサービス~
・レファレンスサービス
必要な資料や情報を必要としている人に的確に案内し、答えを導く手助けをするサービスである。
図書館では、様々な質問に対して、複数の資料に基づいて回答している。
・広域利用
平成14年度より、広域利用がスタートした。広域利用とは、住民が自分の住んでいる地域以外の図書館でも本を借りることができる制度である。この制度は、福岡県北東部の16の自治体で行われている。この制度によって、自治体の枠にとらわれない図書館の利用が可能になった。
・相互貸借
自分が必要とする本が近くの図書館にない場合、他の図書館からその本を取り寄せることができる。市内から取り寄せる場合は、一週間以内に本が届く。 このサービスはまだ、地域外少の貸し借りが少ないのが現状だ。これからこのサービスが発展しでいけば、より多くの本をより多くの人で共有することができるようになる。
~特徴ある図書館~
直方市立図書館では、今年は特に学校支援事業に力を入れている。これは、図書館の司書が学校と協力して、図書館や本についての教育をする、というものである。具体的に言うと、図書館でのマナーや本の並べ方、職場体験の受け入れなどである。
八幡図書館の建物は、昭和30年に建てられたとても古いものだ。当時としては先駆的な鉄筋コンクリート造りの建造物で、煉瓦タイルを丸や三角の幾何学模様にリズミカルに配している。デザインは八幡市民会館、世界平和記念聖堂(広島市)などを手がけた八幡出身の建築家、村野藤吾氏だ。
遠賀町立図書館の大きな特徴は、小さな子供と環境に対する配慮だ。ここの一角には、「木ッズランド」という場所がある。その名の通り、床や壁を木製にした部屋で、広さは約20畳。保護者が図書館を利用している間に、その中で子供が自由に遊ぶことができる。
また、環境への配慮として、太陽光発電設備がある。屋根一体型のソーラーシステムで、年間約6万㌔㍗を発電しており、二酸化炭素約12トンの排出削減に貢献している
~おわりに~
このように各図書館にはそれぞれの特徴がある。また、図書館の自習スペース以外にも、レファレンスサービス他の図書館からの本の取り寄せなどの便利なサービスもあり、東筑生にとって有効活用できるものだ。普段、利用しない図書館に行くことで、新しい発見があるかもしれない。ぜひ、この特集を機に、自分のニーズにあった図書館を探して、活用してみてはどうだろうか。
図書館のデータ一覧→ CLICK
規律と友情の体験学
5月8日、私たちは宗像市にあるグローバルアリーナへ向かった。108期生「規律と友情の体験学習」が始まったのだ。
先輩たちから体験学習では勉強ばかりしていた、と聞いていたので、「108期生は集団行動が主で勉強はまったくやらない。」と先生から聞いたときは意外だった。
8日は、集団行動コンクールに向けての練習と、麻生情報ビジネス専門学校の徳久晶子先生による「マナーアップ講座」があった。
集団行動では、体育委員を中心に行進、駆け足、列の増減などを練習した。クラスの団結力が少しずつ高まっていっていることがどのクラスでも感じられた。マナーアップ講座では、マナーとは「相手に迷惑をかけないこと」、「相手に良い印象を与えること」、「相手に対する尊敬表現」ということを教えてもらった。今のままで私が社会に出て行ったら、どうなるのだろうか、通用するのだろうかなどと考えながら、一日目は過ぎていった。
9日は、グローバルアリーナ周辺をハイキングした。午後は集団行動コンクールをして、そのあと去年の文化祭のビデオを見た。 ハイキングはきつかったが、山の中の風は心地よかった。集団行動コンクールでは、入賞したクラスもしなかったクラスも、団結したということがはっきりと分かった。皆の顔が生き生きしていたと私は感じた。文化祭の劇のビデオは、クラス企画がどのようなものか分かって、とても参考になった。そしてその後、クラスで文化祭では何をするかということを話し合った。活発に意見を出す人も多く、文化祭をいいものにしようという気持ちがひしひしと伝わってきた。
10日は、お世話になったグローバルアリーナに別れを告げることがとても寂しかった。この3日の間に、私たちはいろいろなことを学び、たくさんのことを経験してきた。グローバルアリーナに感謝をしながら、退所式を終えた。
帰りのバスの中で、この3日間を振り返ってみた。体験学習では、計画どおり順調には行かなかったことが数多くあった。先生たちを怒らせてしまったことも多かった。この反省を忘れないで、学んだこと、経験したことを生かしつつ、これから東筑108期生として高校生活を送っていきたい。
若い潮
東筑生であれば一度は、東筑フラスコという言葉を聞いたことがあるだろう。
化学部が文化祭で配っている、色付きの液体の入った小さなフラスコのキーホルダーのことである。化学部では、3年生が文化祭終了と共に引退し、部員が一人もいなくなった今、東筑フラスコが存亡の危機を迎えている。
東筑フラスコは、約30年前に当時の化学部部員が、文化祭で販売する商品として考案したのが始まりだといわれている。現在は無料で配られているが、当時は100円程で売られていたらしい。それ以来東筑フラスコは、化学部部員が入部して初めて教わる伝統技術として受け継がれてきた。
実際に化学部を訪ねて、東筑フラスコを作っているところを見せてもらった。ガスバーナーの熱気の中、部長が一人の部員を伴い、職人的な手付きで黙々と作業を続けていた。東筑フラスコは、ガラス工芸の要領でガラス棒を熟し、息を吹き込んで膨らまして作られる。私もやってみたが、息を吹き込んでもなかなか膨らまず、形を整えるだけでも難しい。さらに、形成の後で鉄鍋にたたきつけて、2㍍の高さから落とすという過酷な耐久テストに耐えられなければ正式に東筑フラスコとしてこの世に出ることはない。現在の東筑フラスコは部長の高い技術のために東筑フラスコ史上最も高い強度を誇るそうだ。このことを証明すべく、今回部長が自らの手で、2㍍の高さから10回投げ落としても耐えられる様を見せてくれた。
このように30年の伝統の中で培われた高い技術が、誰にも受け継がれずに消滅してしまうのは非常に惜しい。現部長が卒業してしまえば、東筑フラスコの伝承は本当に不可能になってしまう。この文章を読んだ一・二年生の誰かが東筑フラスコの伝統を守るために立ち上がることを、切に願う。
「知」を持ち「熱」を込めよ ~中竹竜二先輩来る~
6月5日、本校90期卒業生であり、現在早稲田大学ラグビー部の監督をしておられる中竹竜二さんが、文化講演会の講師として来られた。テーマは『「知」と「熱」』。
「知」とはインテリジェンスのことで、、これがあると行動への迷いが減り、勇気が与えられる。「熱」はパッション、つまり情熱で、「知」を通して分かったやるべきことを実行に移すためのエネルギーなのだという。中竹さんは、行動を起こす際にはこの二つが大切であると語られた。
また、「スタイル」の必要性についても話してくださった。スタイルとはこだわりと言い換えることができ、一貫性を持って行動することで生まれるという。ラグビーに於いて中竹さんは、「地面に転がったボールに誰よりも早く飛び込む」というスタイルを貫いたそうだ。中竹さんはスポーツ選手としては比較的小柄だが、「スタイルを貫くことで、チームの人に信用してもらえる」と語り、「いろんなスキルを身に付けるよりも、早くスタイルを確立して欲しい」と私達にスタイルの大切さを訴えた。
講演が終わったあとは、本校ラグビー部を指導してくださった。忙しい練習の合間を縫って、インタビューに応じて頂いた。
・ラグビーを始めたきっかけ
家の前にグラウンドがあって、そこで兄がラグビーをやっていたのでその影響で始めました。
・イギリスへの留学
イギリスへは、社会学の勉強をするために行き、そこで物事を冷静に分析する力を培うことができました。この留学が今の自分を作っており、ラグビーの指導にも生かされています。
・大学院へ行き、就職もしたのにラグビーの監督になったのはどうしてか
早稲田大学に頼まれたからです。自分がやるしかないと思いました。
・選手と監督を両方経験してみて
やっぱりラグビーは実際にやった方が楽しいですね。選手にいかに自信を持たせるか、それが監督の仕事です。
・高校時代にすべきこと
自分の限界を知るために、余力を残さず力を出し切ることが大切です。


▲あの中竹さんが目の前に ▲有名人を前に緊張のインタビュー
ラグビー部への情熱
中竹さんは、卒業後も本校ラグビー部に力を貸して下さっている。
平成11年、本校ラグビー部が全国大会に出場した年の9月のことだ。イギリスから一時帰国していた中竹さんが、2週間ほど貴重な時間を割いて本校ラグビー部を指導して下さったのだという。なんと、イギリスに帰るわずか2時間前まで練習に付き合ってくれたそうだ。また、中竹さんは10月の全国大会予選前にも遥々イギリスから国際電話をかけて下さったそうだ。本校で地歴・公民科を教えて下さっている藤内先生がその頃ラグビー部の主将だったのだが、実際に話をされたのだという。通話は一時間にも及び、試合を前にした悩みに、熱心に耳を傾けてくれたそうだ。
その翌日、藤内先生宅に、大量のFAXが届いた。その一枚一枚に、手書きの文字がびっしりと並ぶ。差出人は中竹さん。前日の電話の悩みや相談に、全て答えてくれたのだ。
中竹さんが持つ「人を惹きつける力」の秘密は、こういう所にあるのだと思う。
講演の最後で、中竹さんは「判断」と「決断」について述べている。「判断」には善し悪しがあるが、「決断」にはそれがない。あるのはやるかやらないか、それだけだという。だから未来を「判断」することはできない。未来は未定だからだ。中竹さんは語られる、「思い切って未来に対して強い決断をしていきましょう。必要なのは、揺るがないスタイルです。」と。 私達は今まで、様々な決断をしてきた。そしてこれからも、自分が生きる道を見失うたび、迷うたびに決断に迫られていくのだろう。そういう時こそ、自分の揺るぎないスタイルを持って、全力で取り組んでいきたいものだ。私達が自分自身を見つめる良いきっかけとなる講演だった。
東筑今昔物語―2巻
文化部編
110年の長い歴史を誇る東筑高校では、様々な部活動が誕生し、そのうちのいくつかは現存していない。文化部では、「天文部」、「ラジヲ部」、「社会部」、「弁諭部」、「地学部」などがそうである。彼らは一体どのような活動をしていたのだろうか。今回は、「ラジヲ部」と「地学部」にスポットを当ててみたい。
ラジヲ部は昭和31年に設立され、年に数回無線コンテストに参加し、何度か全国大会に出場したこともある。そこでは、24時間以内にどれだけ遠くの地域と何回交信できたかを競う。時には韓国やハワイともつながり、英語で会話することもあったという。会話の内容はコンテストの結果には反映されないが、見ず知らずの人と話をすることは、この部活動の魅力の一つである。普段はコールサインJA6YAMというラジオ局を運営していた。
一方、地学部は昭和15年に理化部の地学斑として活動を開始し、近隣の地質調査や化石の採取などを行っていた。コンピュータ室の横の岩石・化石の標本は、その成果である。地学部の歴史の中で、最も輝かしいものは、平成4年の文化祭で、人工ダイヤモンドを精製したことだ。これは九州で2番目の成功例で、近辺の大学から、教授や学生が見学に来ていたという。また、この展示は雑誌「科学朝日」で特集が組まれるなど、社会からの反響も大きかった。
今回、ほんの少し調べただけでもこのようなエピソードが見つかった。きっとまだ多くの逸話があるに違いない。これからも、新聞部では、埋もれてしまった興味深い話を紹介していきたい。
東筑の虫 彼の瞳で乾杯
私は魚の目が大好きだ。特におばあちゃんが作ってくれる魚の煮付けに付いている目玉。これは本当においしい。「早く食べてくれ。」と言わんばかりの醤油とゼラチン質の光沢。箸でとろうとすると落ちてしまいそうになるのを、急いで口に入れる。すると、ロの中に旨みがふわっと広がる。トロリとロの中で溶ける目玉をじっくこり味わう幸福感はたまらない。
物心がついたときから私は、おばあちゃんに「頭がよくなるから食べり。」と言われて魚の目玉を食べていた。私の姉も魚の目玉が大好きで、よく一匹の魚の二つの目玉を一つずつ食べたものだった。もし家族の他の誰かが魚の目玉を一つ食べてしまった場合、残り一つの目玉をめぐって喧嘩になる。そんなときはたいていじゃんけんでどちらが食べるかを決めた。おばあちゃんの「頭が良くなる」という言葉も、私たち姉妹の目玉好きを後押しした。
ところが私の友人には食べたことがない人も多くいるそうだ。こんなにおいしいものにチヤレンジしないのはもったいない。加えて、魚の目玉には近年話題のDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)などの栄養分がたくさん含まれているのだ。
DHAは、人間の脳に30%、目に50%、と多く含まれている。体内では生成しにくく、唯一脳に入り込み脳神経の働きをスムーズにできる。「魚の目玉を食べると頭が良くなる」と言われるのは、このDHAが原因だったのだ。それだけでなくDHAは、悪玉コレステロールや中性脂肪を減らす働きもあり、血栓やアレルギー、ガンの予防、改善をもしてしまう。
EPAは、血液を流れやすくして生活習慣病による脳卒中、高血圧、心筋梗塞などを予防してくれる。ガンの発生率を低くし、転移を防ぐ働きがあるのもすごい。アレルギーや慢性関節炎にも効果があるという。
このように、DHAやEPAはとても身体に良い成分で、魚の目玉は私たちにとって素晴らしい食べ物だ。おばあちゃんの言葉は本当だった。
近年、この魚の目玉のように、古くからの言い伝えが科学的に証明されることがよくある。昔の人が経験的にこのような知恵を身に付けていたのは驚くべきことだ。これからも、おばあちゃんやおじいちゃんの知恵を受け継いでいきたいと思う。そして私は魚の目玉の力を借りて志望大学を目指して勉強し、受かった暁には長年の夢であるマグロの目玉でお祝いしたい。
球場震わす大声援
青空の下、北九州市民球場で、第17回定期野球大会が開催された。
| 回 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 東筑 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
| 小倉 | 5 | 0 | 0 | 7 | 3 | 2 | 0 | 0 | × | 17 |
試合内容
東筑は1回裏、いきなり小倉に5点のリードを許すが、2回表、森君の適時打ですぐに反撃する。しかし、4回裏に一挙7点を奪われ、その後も追加点を取られた。9回表には二死満塁と攻めたが、あと一打が出なかった。これで通算成績は東筑の9勝7敗1引き分けとなった。
観戦記・インタビュー
試合直前、去年の雪辱を晴らそうと、東筑サイドには熱気がこもっていた。観客の方の一人も、「応援してます。どこまでもついていきますよ。」と、まさに観客と選手が一体となっていた。
いよい義合が始まった。リードを奪われ、流れが小倉に向かって傾いたものの、東筑側の応援にはますます熱が入る。1点を返したときには、球場を震わせるような大歓声が上がった。しかし、試合は残念な結果に終わってしまった。それでも、東筑の応援は大盛り上がりで、全校生徒が一丸となって声を張り上げていた。
定期戦の目的は勝つことではなく、生徒全体が一体となることにあり、その意味では、今年の定期戦は価値あるものだったと思う。


▲この応援はきっと選手に ▲試合を盛り上げた応援団
編集後記
今年は頼もしい一年生が3人も入ってくれました。今年になってますます楽しくなった新聞部。たlくさんの思い出ありがとうございました。次号の新聞楽しみにしてます! (サーモン)
元々新聞部に入る気はなかった筈なのにいつの間にか新聞部を愛してやまない新聞部フリークになっていました。これが新聞部の魔力。愛してる新聞部。 (あろわな)
新聞部部室には過去の新聞がファリングされている。自分が残した新聞は、将来の後輩にどのように読まれるのだろうか。(鱸)
野球部が白球を追い、音楽部が歌声に想いを込める高校3年間、新聞部で締め切りと戦い続けた日々は、正真正銘私の青春でした。新聞部に幸多からんことを。 (はりせんぼん)
頼りになる先輩方が引退されると部屋が急に寂しくなります。そんな新聞部のために、ぜひ遊びに来て下さい。新聞部はいつでも歓迎します。 (ジキル)
先日、キトラ古墳の天井の一部が落ちたというニュースを聞いた。l貴重な遺跡が無くなっていくのは悔しい。 (ハイド)
新入部員です。3年生の先輩方、本当にお疲れ様でした。先輩方から教わったことは数知れず。これから、新聞部の伝統を受け継いでlいけるよう頑張ります。 (藍)
初めまして。新入部員の紅梅と申します。ペンを片手に記事と闘い続けて3ケ月。先輩のように書けるようにこれからも戦います。 (紅梅)
新聞部の雰囲気に魅了されて入部してから、はや3ヶ月。楽しい時間は過ぎるのが早いといわれますが、新聞部でそれを実感する今日この頃です。 (常盤)
この号で3年生4名が引退して一気に寂しくなります。夏休みにはたくさん取材に行く予定です。2学期号にも期待して下さいね。 (サファイア)
第249号 平成19年 3月 1日(木)発行
卒業おめでとう
飛翔105期生! 学校長 増田俊明
105期生の皆さん、卒業おめでとうございます。
歴史と伝統に輝く東筑高校に入学して3年間、皆さんの様々な場での活躍は実に目を見張るものがありました。
勉学では、早い段階で自分の将来を見据えて進路を設定し、実現に向けて切磋琢磨し、素晴らしい成果をあげています。また、部活動や文化祭・体育祭などの学校行事において全力を尽くす姿は、1、2年生の大きな指針となりました。私は、皆さんが様々な体験を積む中で、多くのことを学び、たくさんの友情を育み、大きく成長したと実感しています。
これから踏み出そうとする社会は、様々な問題が待ち構えていると思いますが、その時こそ東筑の校是「文武両道」「質実剛健」で培った精神とすぐれた英知で、困難を乗り越えて前進してほしいと願います。また、皆さんが進もうとするそれぞれの分野では、多くの東筑の先輩方が活躍していることでしょう。そんな素晴らしい先輩たちに出会い、改めて東筑の歴史と伝統を実感すると思います。皆さんはその先輩方を道標としながら、自分の夢の実現を目指し、次の時代の担い手として広く社会に貢献できる人に成長してほしいと願って止みません。
皆さんは、本日をもって、思い出がたくさん詰まったこの東筑高校を巣立つことになります。将来への希望に燃え、心弾んでいることでありましょう。本日の卒業の慶びは、皆さんの努力の賜であると思いますが、同時に保護者をはじめ地域社会の皆様、諸先生方の限りない慈しみと深い愛情とご指導の賜であることを忘れてはなりません。
結びに、母校「東筑」は、皆さんがより広い世界で、更なる飛躍を遂げる姿を温かく見守っています。いつでも母校を心の拠り所として訪ねて下さい。105期生の皆さん、これからの益々の活躍を祈念致します。
幸福と健康を心から祈りつつ 学年主任 小森伸宏
卒業おめでとう。入学以来朝早くから放課後まで、勉強に部活に学校行事にと真撃な態度で取り組む皆さんの姿が鮮明に思い出されます。きつくて辛いこともあったでしょうが、自分のできる限りの力で懸命に前に進もうとする皆さんの姿を見るにつけて、東筑105期生の底力を感じさせられたのです。切磋琢磨しながら、共に育んできた東筑105期生の絆は、これからも年を重ねるにつれて皆さんの心中で深まり続け、在校中とは違った形で成熟を深めていくことでしょう。自分を上手く表現できずに孤独感に悩んだり、新たな環境の下で自分を見失いそうになった時、思わぬ時に、思わぬ場所で互いに助け合い励まし合う日が必ず来ることと思います。
さて、卒業は新たな旅立ちです。思い出深い東筑から旅立ちそれぞれの第一歩を印す時です。最初の一歩を踏み出すには勇気が必要でしょうが、その先には新しい世界が皆さんを待っています。その道は決して平坦なものではなく、うまくいくことよりも不本意なことのほうが多いかもしれません。そのような試練の時にこそ東筑で学び得たことを糧にして、逞しくそしてしたたかに生きていこうではありませんか。日本中、世界中のどこにいても皆さんは東筑105期の卒業生です。我々は誇り高き105期生のことを決して忘れることはないでしょう。皆さんの幸福と健闘を心から祈りつつ。
贈る言葉
3年1組担任
ペプシ→おでん→マック→おでん 君たちの集中力と団結力には感動しました。逞しい男になってくれ。
3年2組担任
くじけた時、困った時、泣きたくって泣いた時が竹の節だ。己が強くなると思います。祝卒業!!
3年3組担任
いつか君のことを一番必要とする人や仕事に出会います。その日までが~んばっていきま~っしょい。
3年4組担任
祝卒業!「3年」という時間と「東筑1-1-1」という空間を共有した仲間たちよ、これからもよろしく。
3年5組担任
前途洋々!!新しい航路を発見するのは常に若い水夫です。精一杯、幸せ一杯の充実した人生を。
3年6組担任
今の自分に不満があるなら、今いる場所を越えていくしかないだろう。それには努力が必要だ。
3年7組担任
「山中の賊を破るは易し 心中の賊を破るは難し」 得を求めず、徳を積む人生を…。3-7卒業おめでとう。
3年8組担任
105期生と共に成長できて幸せでした。皆さんの人生が輝きに満ちたものでありますように!
3年9組担任
3年間素晴しい生徒達と過ごすことができて幸運でした。実りの多い青春になるよう祈ります。
白銀の世界へ
1月23日午前7時50分、小倉駅北口1階に107期生が集合した。
出発式があった後、新幹線と特急列車で長野駅に向かった。長野駅からはバスでホテルタングラムへ移動した。バスガイドさんから、今年は大変雪が少ないと聞いたが、それでも広い銀世界に大はしゃぎだった。
ホテルに着いた後はビュッフェ形式の美味しい食事を頂き、翌日から始まるスキー教室に備えて早めに就寝した。
2日目。9時にゲレンデで開校式が行われた。その後、各班に分かれて、スキーの基本的な動きを学んだ。午後からはリフトを利用し、本格的なスキーを始めたが、なかなか滑れず、3日間で上手になるか心配だった。
3日目。
スキーをしていると、ふとした瞬間にコツを掴み、滑れるようになっていた。滑れた!と思った瞬間はとても嬉しくて感動的だった。午後からは、少し上のレベルのコースで滑り、今までと違った景色やコースを楽しんだ。
夕食後、再びゲレンデに集合してナイタースキーを行った。天気は良く、ゲレンデは銀色に輝いていて幻想的だった。
4日目。滑る度にスキーが上達していき、余裕が出てきて、滑りながら楽しいと感じるようになった。山の上から見る景色は格別だった。楽しい時間はあっという間に過ぎ、スキー教室の閉校式となった。お世話になったインストラクターさんとの別れを惜しみつつ、3日間のスキー教室は終了した。明日はもう帰らなくてはいけないということを実感し、何となく淋しく思った。

▲上級者コースを制覇しました!
5日目。朝早くお世話になったホテルを後にした。
帰りの道中では、最後まで盛り上がっていた。長い移動の後、小倉駅で解団式があり、5日間の思い出を土産にそれぞれの帰路へついた。
私は1年生の時に修学旅行があるということを聞いたとき、何となく損な気分になった。しかし今回、貴重な体験をし、楽しい思い出を作れた。早く旅行に行くのもいいものだと思った。スキー教室は私の一生の思い出になるだろう。
若い潮
例えば、今私の視界に入ってきた消しゴムのバーコード番号、49177084。
このような無意味な数字が目に入ったら、皆さんは何をするだろうか。私は、足し算をする。これは私の癖だ。数字を見ると、足してしまうのだ。例えば、車のナンバー。ナンバープレートに書かれている数字を眺めていると、いつの間にかその数字を一桁ずつ足している。そして、運良くきりの良い数字になった日にはやたらと嬉しくなり、何か良いことが起こりそうな予感に胸躍るのだ。
数字を見ると頭の中で計算してしまうという人は、意外と多い。最も多いのは「足して10になる組み合わせを探す」人だ。その他、「素因数分解をする」、「素数を探す」という人も多い。そしてその場合、素数を見つけると、割り切れなくてもどかしく思う人と嬉しく感じる人とに分かれるようだ。
一方で、計算はせずに、数字の並び方の規則性や対称性に着目したり語呂合わせを作ったりするなど、数字をもっと目を離して見る人もいる。数字にまつわる癖は際限が無い。自分と他人は違う。それは当たり前のことなのだが、癖について考える時、この違いがとても面白い。たった数個の数字につけても、他人が見ている世界は自分とは全て異なる。そしてその世界を知る二」とで、自分の世界が広がる気も首た、するのである。
割る人がいる。読む人もいる。きっと引く人や掛ける人もいるの有ろう。それでも結局、私の癖は足し算だ。49177084。冒頭で述べたこの数字を見た時も、やはり咄嗟に足していた。その和はきっかり「40」。今日は良い日になりそうだ。
ガスと電気 あなたはどっち?
きっかけは…
私達の生活の基盤であるガスと電気だが、ここ数年でオール電化という新しい流れが起こり、その状況が変わってきている。火を使わない、室内の空気を汚さないという「キレイライフ」をキャッチフレーズとし、多くの宣伝活動を行っているオール電化。そして、ガス会社の宣伝も頻繁に目にするようになって来た。電気とガスにはどのような特長があり、どんな遣いがあるのか。その最新事情を知るべく、私達は電力会社とガス会社の展示場を訪ねた。
ガ ス
ガスは、私達が以前から使用してきたとても身近なものだ。しかし、西部ガスのリビングスタジオ「ヒナタ」を訪れ、そこで見たたくさんのガス器具は私の中の常識をはるかに超えたものだった。
まず私達が驚いたのは、ガス式の床暖房である。床下に温水が流れており、床から部屋全体を暖めてくれるものだ。風が出ないので、空気が乾燥せずほこりも舞わない。実際に床暖房の畳に座ってみたところ、とても心地よい暖かさでしばらく立てなくなったほどだった。
次に体験させて頂いたのは自宅の浴室がサウナになるというミストサウナだ。中は湿度91%で肌がたちまちしっとりするのがわかった。にも関わらずなんと服は濡れず、これは水の粒を小さくすることで可能になったそうだ。そこでうれしいのは、本を読みながらサウナに入れることだろう。
そして次は、エコウィルという家庭用発電機だ。通常、発電所で発電されるエネルギーは約40%しか使われないのに対し、エコウィルは発電したエネルギーの約85%が使用可能なのだそうだ。そのため環境にも良いし、電気代も安くなる。またエコジョーズという給湯器を使えば、更に環境に優しい。これは排熱を利用して水をお湯に変えるというもので二酸化炭素の削減量は、1年間で14本の木を植えたのと同じになるという。
最後に、ガスコンロを見せて頂いた。従来ガスるコンロは掃除が面倒なものだが、最新のコンロは汁受けがなく、掃除がとても楽そうだった。タイマーや音声案内、保温の機能もすごい。料理好きには、鍋自体が熱くなるガスがおすすめだ。そして肝心の安全面だが、現在は地震が起こるとメーターが遮断するようになっているため、火災は起こらない。もしガス栓が取れてもガスが漏れないよう、ボール玉がガス栓をふさいでくれる。また、今の都市ガスは地下に埋まっている天然ガスを使用していて、万一ガスが漏れても有毒でないので安全だ。さらに本来無臭のガスにきつい臭いを付けて、漏れたときすぐにわかるよう工夫されているそうだ。このように、ガス漏れなどで危険と思われがちなガスが、実際は何重にも安全策がとられているのだ。
電 気
「ヒナタ」に続いて、九州電力の「イリス北九州」を訪れた。ここでは製品の販売は行っておらず、イリスにはハウスメーカーやキッチンメーカーのカタログや、様々な電気メーカーのIH機器がおいてあり、直接見て、触れて比較することができる。
まずはテレビCM等でよく耳にするオール電化に関する製品についての説明を受けた。
最初にエコキュートを見せて頂いた。これは自然にある空気の熱を有効に利用するヒートポンプ給湯器で、使用する電気エネルギーの3倍以上の熱エネルギーを得ることができる。昼間の電気代の約3分の1と割安な夜間電力を利用するのでランニングコストが安くなる。また発電所は常に電気をつくり続けているので、深夜電力の利用は電気のロスを減らすという観点から見て地球にも優しい。運転音も静かで住宅地に適している。
次にIHクッキングヒーターだ。これを使用するにはまず配線工事をして200ボルト3線式のものに変えなければならないが、この工事は無料だ。IH調理器は日々進化しており、かっては不可能だった強い火力も出せるようになった。メーカーによってはオールメタル対応のものもある。直径12cm未満の金属には反応しない様にできており、もし誤ってスプーン等を調理台の上に置いてしまっても熱くくなることはない。電磁波のことを心配する人もいるだろうが、電磁波のレベルは国際的なガイドラインを大幅に下回っている。
IHクッキングヒーターの一番いの利点は火がないことだ。直接火にさらされないので鍋があまり劣化せず、周囲の空気が温まらないので上昇気流が発生せず、油の飛散も少ない。何よりも夏の調理が楽というのが嬉しい。扇風機にあたりながら調理することも可能なのだ。
このような説明を受けたあと、実際にIHクッキングヒーターを使っての調理を体験させて頂いた。メニューは天ぷらと焼魚と妙飯。驚いたのは天ぷらの調理の際に油がほとんどはねなかったことだ。鍋全体を均一に温めるので油がはねにくくなるそうだ。魚焼きグリルの設定や火力の調節も簡単で、普段あまり料理をしない私たちも簡単に作ることができた。そして、お待ちかねの試食の時間だ。
IHクッキングヒーター初体験ので喜びはひとしお。とても美しい取材だった。
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今回、ショールームを訪ねてみて一番感じたのは、ガスも電気も私達が知らない間に大きく進化していたということだ。利便性においては、魚をひっくり返さなくても両面焼くことができるような便利な機能が数多く追加されていたし、安全面では、幾重にも及ぶ安全装置が付けられていた。また、環境面でも、エネルギー効率を上げて少しでも無駄を減らそうという工夫が見られた。両者がこのような進化を見せた今、もはやガスと電気の間に機能面での大きな差は感じられない。どちらの方が良いかは、使う人・使う環境次第である。例えば老人や子供のいる家庭ならば火を使わないオール電化の方が安心かもしれないし、料理にこだわるのならば本物の火を使うガスの方が良いのかもしれない。
今回訪れた展示場では親切に対応して頂き、ガス会社・電力会社の消費者に対して知ってもらおうという熱意を感じることができた。調理などの体験ができ、知識も得られ、高校生にも楽しめる場所だ。
ぜひ一度足を運んでみることをお薦めする。
東筑の虫
去る11月4日と5日、私は100kmハイキングに参加した。この行事はボーイスカウトが毎年行っていて、私もその一員だ。今回、その様子を伝えようと思う。
11月4日、18時30分。福岡県庁前に、市内や筑豊地区から続々と参加者が到着する。参加手続きを終えて、開会式の時間を待つ。開会式の後、19時のスタートまで軽く体をほぐす。私達グループ4名の心は高ぶっていた。昨年は完歩することはできなかったからである。今年はリベンジだ。
スタートの笛と共に、約100人が歩き出す。これから24時間で100kmを歩くのだ。ゴールは犬鳴峠の近くだ。先頭のグループは走っていく。私達は後のことを考えて、ゆっくりとしたペースで出発した。だがあまりのんびりしてもいられない。60km地点までは10kmごと、そこからは5kmごとにチェックポイントがあり、それぞれに制限時間があるのだ。私達は10kmを目指した。10km地点を少し越えた所で夕食をとった。20kmを過ぎて30分ほど歩いた頃、最初の困難に直面した。チームのうち2人は女の子だったのだが、その2人が動けなくなったのだ。このままでは制限時間に間に合わないので、私ともう1人で2人を引っ張った。途中で休憩を挟みながらも何とか30kmのチェックポイントに到達した。
夜も白み始めた。コンビニでおにぎりを買って食べていると、街が起き始めた。ジャージ姿の中年男性が私達を怪訝そうに見ている。部活に行くのか、高校生が私達の横を通り抜ける。周囲では、普通の日曜日が始まっている。でも私達は、日常と程遠い足の痛みと闘い、歩いていた。そのギャップが新鮮であり、冷たい水で顔を洗ったときのように、頭がすっきりとした感じだった。
50km地点につく頃には、私達は最後尾を歩いていた。女の子2人がすでに疲れきっていたのだ。結局、55kmのところでチームを二つに分けた。私達男2人は、心残りだったが、どうにもならなかった。60kmのチェックポイントに着いたとき、2人が失格になったことを知った。時間が無かったので、私達はすぐに出発した。日はすっかり昇っている。
そのまま70kmのチェックポイントを通過し、先を急ぐ。足の痛みのことは考えないようにした。2人とも疲れきっていたが、どちらもリタイアしようとは言わなかった。もしもあの時1人だったら、わたしは完歩できなかっただろう。
85kmを過ぎた頃、猛烈な睡魔に襲われた。どちらからともなく、「もうやめよう。」と言い出した。自然と足取りも重くなる。このとき、私は昨年完歩できなかったことを思い出した。これで二度目。自分に対する失望感があった。ため息をつく。もうすぐ日が暮れそうだった。しばらく進み、角を曲がると、スタッフの一人が立って付いた。「あと1kmや。俺が連れて行くけん、ついてきいや。」と言うと、私達を先導してくれた。それまでのロスを取り戻すため、私達は走った。再び闘志が芽生える。
制限時間一杯で90km地点に到着。そこからは河川敷沿いを歩いた。夕日が右手から射している。散歩をしている家族連れとすれ違う。あと少しでゴール、その予感が私達の足を速める。これまでの疲れなどなかったように、グングン前に進んでいく。通り過ぎていく車や人、空に浮かぶ小さな赤い雲までもが、私達を応援してくれているような気がした。
そのままの勢いでチェックポイントを通る。残り5km、日もほとんど暮れた。前を歩いていたチームを追い越し、私達はぐんぐんペースを上げていく。周りの暗さなど気にならなかった。世界を征服したような気がした。そして最後の一歩。ついにゴール。その場にいた皆が出迎えてくれた。私はその場にへたり込んだ。星がきれいだった。
東筑 HALAU
ハワイの伝統的な踊り。フラダンス。最近は映画にもなり注目されているので、興味がある人も多いのではないだろうか。フラダンスは神に捧げるための宗教的な踊りとして始まった。踊る時にはくスカートは、Ti という大きな木の葉で作られていて、首の花飾りをLei、頭を飾るものをHakuleiと呼ぶ。実は今、ALTのローレン・カワナ先生が校内でフラダンス教室を開いている。場所は図書館で、毎週火曜日の午後5時からだ。
美人で優しくて、みんな大好きなローレン先生。彼女はハワイ出身で、小学校4年生の頃からフラダンスを始めたそうだ。ちなみに、ハワイ語でフラダンス教室のことをHalauと言う。
ローレン先生はフラダンスの魅力を、「どんなダンスにも言える事ですが、歴史と意味があるところ、ダンスを通して感情を表現できるところ、それとリラックスできるところですね」と語る。
勉強の合間に気分をリフレッシュし、英語の勉強にもなる。ローレン先生の教室に参加してみてはどうだろうか。最後に、ローレン先生から私達生徒にメッセージを頂いた。
「フラダンスは誰でも楽しくできる美しいダンスです。だから皆さん、フラに挑戦して心と体をリラックスさせましょう。」
編集後記
先輩卒業おめでとうございます! 1人で私達6人の後輩を引っ張ってくれる、字のうまい本当に頼りになる先輩でした。私達も先輩の伝統を受け継いで頑張ります!これからも、かえるの好きな素敵遍な先輩でいて下さい。(サーモン)
一昨年末に「ベルサイユのばら」にハマって以来、古い漫画に夢中になっています。読んでいて特に楽しいのは歴史物。先日地元の図書館で横山光輝氏の「三国志」を発見したので、読んでみようと思います。(あろわな)
先日、テレビで初期クィーンのコンサートを見た。フレディの若々しく圧倒的な歌声をはじめとする素晴しいパフォーマンスに、久々に心の震えを感じた。70年代に青春時代を過ごしてあのステージを生で見られた人が羨ましい。(鰻)
毎年この時期になると、私の手は極度に乾燥します。気候区分で言うところの乾燥気候です。ところが今年は今年はどうしたことか、我が手の甲のサハラ砂漠はなりを潜めむしろ釧路湿原です。暖冬なんですね。(はりせんぽん)
毎朝、起きたいのに起きられず目覚まし時計と戦っています。しかし、そのために、アラームが鳴った瞬間に止める技術は向上し、その上、アラームの音に慣れてきました。誰か早起きの秘訣を教えて下さい。(ジキル)
私の親が突然、「オール電化にしよう」と言い出した。どうやら私の取材に触発されたからのようだ。そこでこの前の日曜日にショールームに送り出した。家の古いコンロがピカピカのIHクッキングヒーターに変わる日も近い。(ハイド)
105期生と共に過した3年間の思い出は、私の宝物です。みんな、卒業おめでとう!そして由梨ちゃん、部長として新聞部を支えてくれてありがとう! イリスとヒナタの皆様、お世話になりました。 (サファイア)
第248号 平成18年12月18日(月)発行
突撃!! 東筑生の食生活
はじめに
ここ数年、スローフードや食育について耳にすることが多くなり、昨年7月にはついに食育基本法が施行された。食事の重要性についての社会的関心は確実に高まってきているが、私達東筑生はどのような食生活を送っているのだろうか。私達は早朝の課外から、放課後の部活動、人によっては塾通いもしているという多忙な生活の中で、食生活に気を配る余裕はあまりないように思える。
そこで、今回の特集では食生活を扱うことになった。
まずは各学年2クラスでアンケートを実施し、東筑生の食生活の現状を調査した。
アンケート分析
食生活の自己評価アンケートを見てみると、やや良いとやや悪いが全体の8割近くを占めている。このことから、東筑生は自分の食生活について、可もなく不可もない平均的なものだと考えていることがわかる。
その理由として多くの人が、「三食きちんと食べているから」だと答えている。確かに朝食を食べていない人は、アンケートに回答した184人のうち11人しかおらず、94%の人が朝食をきちんと摂っていた。
次に、どれだけ必要な栄養素を摂ることができているのか見てみよう。自己評価では自分の食事を平均的なものと考えている東筑生だが、グラフを比較するとその認識と現実には大きな隔たりがあるということがわかる。
たんばく質、脂質は目標量を十分に満たしているものの、カルシウム、ビタミンC、鉄分はその半分ほどしか摂れていない。特にカルシウム、ビタミンCは全国の高校生の平均と比べても、大きく下回っている。それでは、このような栄養素が不足するとどういった問題があるのか、また、どのように摂取すればよいのかを述べてみた。ぜひ参考にしてほしい。
| ビタミンC | 肌の美しさを保つ、という美容効果の他にもビタミンCには、ウイルスや細菌の感染に対する抵抗力を高め風邪や感染症を予防するといった重要な働きがある。体調を崩しやすいこの時期、特に重要な栄養素と言えるだろう。ビタミンCは体内で生成することも、蓄えることもできない。だから、継続的に摂取することが大切なのだ。ビタミンCの主な供給源は野菜と果物。殆どの野菜はこれを含むので、毎日きちんと野菜を食べることがビタミンCの継続的な摂取につながる。ただし、ビタミンCは水溶性で、熱にも弱い。生で食べられる果物や、ピタミンCの損失が少ない妙め物が理想的なメニューだ。また、汁物にするとスープ内に溶け出したピタミンCを無駄なく摂取できる。 |
| 鉄 分 | 鉄分は主に赤血球や筋肉に含まれ、血液を通して酸素を各組織の細胞に運び、細胞内でエネルギーを作る働きがある。そのため、鉄分が足りないと貧血になる、疲れやすくなる、忘れっぽくなる、集中力がなくなる、寝起きが悪くなるなどの症状が出る。また、鉄分はビタミンCによって吸収が促進されるので、なるべくこの二つを同時に取った方がよい。鉄分を多く含む食べ物としては、第一にレバーが上げられる。また、イワシ、ハマグリ、のり、ひじきなどの海の幸に多く含まれ、日ごろからこれらの食品を摂取する必要がある。他にも、卵やほうれん草、番茶にも多く含まれている。魚介類が苦手な人には、こういったものを取ることをお勧めする。 |
| カルシウム | カルシウムには、骨と歯を形成する、神経を伝達させる、血液を固め出血を止めるという働きがある。カルシウムが不足すると、骨粗しょう症、筋力低下、高血圧、精神的ストレスを招く。 カルシウムは吸収されにくい栄養素であるが、牛乳やチーズなどの乳製品には豊富で吸収率が高く、手軽に摂取できる。大豆製品にもカルシウムは含まれるので、乳製品が苦手な人も大豆製品で摂取できる。また、マグロ、サケ、レバーなどに多く含まれるビタミンDや、魚介類、肉類に多く含まれる良質なたんばく質を表に摂ると、カルシウムは吸収されやすくなる。 運動をすることも重要だ。運動をして骨組織に刺激を与えると、カルシウムが効率よく利用されるのだ。逆に運動しないと、カルシウムは不要なものとみなされて体外に排出されてしまう。 |
間食について
これまでは栄養素について述べてきたが、ここで間食にも目を向けてみよう。アンケートの結果によると、間食をした人が最も多かったのが2年生男子の86%、次が3年生女子の83%であった。男女差で見ると、間食をした人は女子が75%、男子が68%と差が開いた。しかし、間食をした人は女子の方が多いが、一人当たりの間食量は男子の方が多かった。単年ごとでは、1年生が最もたくさん食べていて、特に清涼飲料水の摂取は格段に1年生が多かった。
左のグラフは間食をした人がどのようなものを食べているかをまとめたものである。
間食の内容は全体的にチョコレートや菓子パンを食べている人が最も多く、甘いおやつが人気だ。
間食の悪い面を挙げてみるとこのように糖分を主とする間食をしすぎると数々の問題がおきるということがある。まずエネルギーの過剰摂取は肥満や、更には生活習慣病の原因になる可能性もある。また砂糖を摂ってもビタミンやミネラルは全く作られない。それどころか炭水化物の代謝に必要なビタミンを大量消費してしまい、代謝を悪くしてしまうのだ。そして夜間の間食、つまり夜食は、最もエネルギーを吸収してしまう。深夜に食べ物を摂取すると昼間の数倍も体が吸収するというデータがあるのだ。
一方、間食には良い面もある。休みなく働く脳の栄養素を補うために、間食はとても効果的だ。東筑生は朝早くから夕方まで授業があるので、間食によって息抜きし、ストレス解消をすることは必要なことでもある。また晩御飯が遅い人は、間食をして晩御飯を少なめにすると肥満の防止にもなりうる。このような、間食の良い面を生かすはどうすればよいのだろうか。 まず、間食の時間帯は食事から3時間後が適当だということで、昔からある「10時と3時のおやつ」は理にかなっている。
また食べすぎは禁物で、一日200Kcal以内を目安に摂ると良い。100gで500Kcal以上あるチョコレートやポテトチップス、ケーキは危険だ。
間食は、カロリーや糖質・脂質が低く、不足した栄養素を補えると最良である。例えばさつまいむや小魚を摂取すると、東筑生に不足していたビタミン、カルシウムをたくさん摂れる。しかもさつまいもは食物繊維を多量に含んでおり、少量でお腹を満たすのでおやつには最適である。そして清涼飲料水の代わりに野菜ジュースを飲むのも効果的だ。
橋口先生より
東筑生の食生活について、家庭科教諭の橋口先生にメッセージを頂いた。
「毎日の食事をおいしく食べていますか。勉強に部活に忙しい日々、食事の用意を自分でしている人はほとんどいないでしょう。
しかし、どんな食品をどんな調理法で食べているかを意識するだけで、食品の体の中での働きは違ってきます。
たった一つしかないかけがえのない自分の体を大切に思って食事をして下さい。おのずと何を食べたら良いのかを体が知らせてくれるはずです。」
おわりに
さて、今回の特集はいかがだっただろうか。この特集が自分の食生活について考えるきっかけとなれば幸いである。 カウンセラーの中村先生に伺ったところによると食べるという行為は単に栄養を摂るだけでなく、精神を安定させ心を豊かにする行為でもあるそうだ。
完壁な食生活をいきなり目指すのは難しい。そこで、私達が提案したいのは、より良い食生活を目指す長い道程の、まず一歩を踏み出すことである。例えば、一日に食べる食品の種類を少し増やすだけで、摂取できる栄養素は増えるし、吸収率も上昇する。具体的には、朝食がパンだけならば果物も食べたり、コンビニエンスストアでおにぎりと煮物を一緒に買ったりすれば、少しずつ品目を増やすことができる。 最初から完壁を目指す必要はない。まずは少しでも自分の食生活に関心を持ち、できそうなことから一つ一つ取り組んでいくことが大切だと思う。
若い潮
朝境の冷え込み方が激しくなり、冬の足音が近づいてきた。鍋料理の季節がやってきたのだ。
一口に鍋といっても、色々な種類がある。部室でそれぞれの家庭の鍋について聞いてみると、水炊き、すき焼き、モツ鍋、骨付き鶏肉が入った鍋など様々な種類の鍋料理があがった。味付けもポン酢につけて食べたり、味噌味のスープで煮込んだりと、家庭によってこだわりがあるようだ。シメをどうするかも家庭それぞれで興味深い。ご飯を入れて雑炊にするか、ちゃんぽん麺を入れるか、噂好の遠いが現れるところだ。
私の家では、あんこう鍋が人気だ。もちろん他の鍋も人気だが、あんこうのあのトロッとした感じが私の家では受けがいい。あんこう鍋を作るときは、昆布といりこでだしをとり、長ねぎ、豆腐、白菜、糸こんにゃく、そして主役のあんこうを入れて煮る。食べるときは、父の友人が毎年送ってくれるカボスを使ったポン酢で食べる。これがたまらなくおいしくて、冷えた体を芯から温めてくれる。我が家の鍋にはシメがない。それは、鍋の味つけがシメに向いていないからだろう。
多くの人が鍋を食べることを楽しいと感じるはずだ。それは、温かい料理を食べると体が温まり、親しい人との団欒で心も温まるからだ。鍋は自分ひとりでは食べないものだ。みんなで囲むから、団欒から温かさが生まれ、身も心も温まる。温かい料理は山のようにある。そして、みんなで取り分けて食べる料理も数多くある。しかし、この二つの要素を兼ね備えていて、時間をかけて食べる料理は少ない。鍋料理はその数少ない料理の一つ。家族の団欒のための最強の料理と呼んでも差し支えがないだろう。何を食べるか迷った夜は、鍋にしてみませんか。
エジプト展訪問記
去る7月3日、私達新聞部は福岡市博物館で「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」を取材した。
この展示は、日本でのエジプト考古学の第一人者である吉村作治氏率いる早稲田大学古代エジプト調査隊の活動40年を記念して開かれたもので、調査隊がこれまでに発掘してきた品々を約250点展示していた。
吉村氏は、ハイテク技術を駆使した遺跡発掘の調査方法が世界的に評価されている人物で、今回の展示ではその発掘手法も紹介されていた。それは、上空の人工衛星から撮影された画像をコンピュータ解析し、調査の候補地をしぼった上で、考古学者が地形の分析や、地上の観察をする、というものである。1996年には世界で初めてこの手法を用いて、かつては空白地帯と呼ばれていた地区に小型ピラミッド付き神殿型貴族墓を発見した。2005年には約3800年前の古代エジプト中王国第13王朝期とみられる未盗掘の完全なミイラを発見した。
装身具や祭器などの様々な展示品の中で最も目をひいたのが、このミイラが身につけていた「青いマスク」だった。3800年も昔に作られたものとは思えないほど色鮮やかで、精緻な造りをしていた。胸には赤・青・緑のビーズの胸飾りがあしらわれ、よく見ると日には充血している様子まで描かれていた。ミイラが収められていた彩色木棺も美しく、マスクの色とよく似た青色で刻まれた象形文字が何とも神秘的だった。会場は古代エジプトの香りに満ちていた。
私達が博物館へ行く機会は少ない。しかし今回博物館へ行って初めて考古学の実態を知ることができた。考古学の印象というのは、地道というか、アナクロというか、おおよそハイテクとはほど」遠い。だが博物館へ行ってみると、その実態はハイテクそのものだ。今回の取材で私達は固定観念を払拭し、視野を拡げることができたのであった。
激闘 体育祭!

9月10日、前日の雨にも関わらず、うそのように晴れ上がった空の下、予定通り今年の体育祭が始まった。部活の先輩も、この目ばかりは敵である。どの学年からも、競技で相手に勝つと、何度も歓声が上がった。
「体育祭は見せるものじゃなくて楽しむもの。だからこういう雰囲気はいい」と、保護者の一人はおっしゃった。来場した保護者で観客席は全て埋まり、非常に賑わっていた。応援合戦はもちろんのこと、「部活動紹介」や「華麗に変身」を見に来る人も多いようだった。
その保護者からも最も心待ちにされた応援合戦では、1年生は学ランを着た男子の「型」から始まり、女子の「ブルーバード」、最後に「純情」と、新入生ながらもしっかりとした演技をした。2年生もまずは男子の「型」、続いて女子の「ゲット・ザ・パティー・スターテッド」、さらに混合で「UFO」を踊り、中堅学年としての意地を見せた。
最後に締めの3年生だ。テーマは「蒼天を翔ける龍の如く」。気合十分、息の合った男子の「型」、華憐をテーマにした女子の「命の鼓動」、そして男子も共に「プレイバック」を踊り、トドメは龍の山車がまるで生きているようにグラウンドを縦横無尽に翔ける中、扇子を使った舞で場内を圧倒した。
白熱した闘いの結果、今年も3年生が団結力を見せ、1、2年生を大きく引き離し圧勝した。1年生も、綱引きでは2年生を破るなど、大健闘だった。閉会式後、恒例のファイナルが行われ、今年の体育祭も大成功に終わった。
部活訪問
美術部
文化祭、体育祭という東筑二大行事に於いて、陰ながら重要な役割を果たす部活動がある。今回私達は、東筑の功労者、美術部に取材を行った。
美術部と言えば、まず頭に浮かぶのは体育祭のパネルである。これは、下書きの原案作成から全て、美術部主導で行われる。あの大きさにあのクォリティである。やりがいがあると同時に、相当な大仕事でもあるようだ。学校行事での苦労を尋ねたときに、真っ先にパネルと答えた美術部員の遠い目が、それを物語っていた。他にも、私達がよく目にする文化祭のパンフレットの表紙や作品展示、イラスト集の配布などの活動がある。
大会は、年に2回。夏にある地区展と二学期にある高文祭である。新聞部が取材に訪れたときは、ちょうど後者の作品を制作しているところだった。美術部員が立ち向かうは、身の丈ほどもある大きなカンバス。その姿は真剣そのもので、芸術に接する真摯な態度に、若き芸術家の姿を垣間見た。
ボート部
続いて私達は、ボート部を訪問した。1年生6人、2年生8人、計14人で活動している。県内でボート部があるのは東筑、八幡工業、遠賀の3校だけで、珍しい部活動なのだが、私達がその練習風景を見ることはほとんどない。なぜなら、ボート部は瀬板の森公園の中にある、大きな貯水池で練習しているからだ。そこでボート部は、部創立以来、20年以上日々鍛錬を続けているのである。
「学校で30分間筋トレをした後、瀬板で実際にボートで練習。その後坂ダッシュや軽い筋トレをしています」と言ったのは2年生部員。冬でも週に2、3回はボートをこぐそうだ。「ボートをこぐのは筋トレよりも楽」とのことだったので、私達も実際にボートをこがせてもらうたが、大変きつかった。これが文化部の限界なのだろうか。だが、ボートの上から見る空や夕日を反射して輝く水面、紅葉の始まりかけた岸辺はとても椅麓で、その中を小さなボートで走っているととても爽快だった。
ボート部員いわく、「イルカのような気分になれる」とのことだ。そして「大学でも、行ったところにボート部があれば、ぜひ入りたいです」と語ってくれた。入部した理由を聞くと、「レガッタというドラマの速水もこみちに憧れて」という答えが多かった。顧問の明石先生は、「ボートは楽しいスポーツです。普段学校から離れた場所で練習しているのであまり知られていませんが、ぜひ瀬板の森公園に見学に来てほしいですね」とおっしゃっていた。
さてボート部の大会成績はどうなっているのだろうか。
水江キャプテンに、今年の抱負を語ってもらった。
「ここ最近は全国大会まで手が届いていないので、今年こそ九州をこえて全国へ行きたい」とのこと。なお、今年は男子は全国大会出場はあと一歩でかなわなかったものの、女子は2年生の岸川さんが全国への切符を見事手にした。3月の全国大会での健闘を祈りたい。

東筑の虫
みなさんは、デパートの物産展に行ったことがあるだろうか。物産展というのは、デパートが全国各地のおいしいものや、その土地ならではの伝統工芸品などを集め、催事場で期間限定販売することである。物と共に店の人も地方からやって来て、実演販売したりする。
北海道展ではかにコロッケを揚げる香ばしい香りが辺りを漂い、大阪・京都展ではたこやきの焼けるにおいが食欲を刺激する。日本全国駅弁大会というのもあり、ご当地自慢の駅弁が軒を連ねている。
私はその物産展が、とてもとても好きなのである。
私が今まで最も心を動かされたのは、北海道物産展の牛乳プリンだ。ある日広告で牛乳プリンに一目惚れした私は、急いでデパートへと走った。しかし、そこには空のディスプレイがあるだけで、見事空振りであった。店の人に聞いてみると、全て午前中に売り切れてしまうという。私は出直すことを決意した。
翌朝の日曜日、私はいつになく早起きをして父とデパートへ向かった。既にベストな入り口は調査済みで、正面玄関から入るよりも、脇にある小さな入り口から入る方が良いのだ。脇のエレベーターだと正面玄関のエレベーターのように途中で止まることなく、8階まで直行で行ける。私と父は、他の数人の客とそのエレベーターの前でそわそわしながら開店を待った。
そして10時、開店時問。閉まっていた扉が、店員さんの「いらっしゃいませ」の笑顔と共に開いた。そして同時に、開店待ちの客達は、もちろん私と父も含めてエレベーターに走り出す。しかし、ここでまた一つポイントがある。あまり急ぎすぎて最初にエレベーターの奥に乗ってしまうと、8階についたとき出るのが遅れてしまうのである。だからと言って少し遅めに乗ると今度は重量オーバーにもなりかねない。私と父はまずまずの位置を確保し、すし詰めのエレベーターで8階へ向かった。乗客の皆が、頭上にある階表示ランプを見ている。2階、3階、4階、…階を増すごとに手に汗を握り、鼓動は激しくなる。
…7階、8階。エレベーターが開くや否や、皆走り出した。店員さんが指をさして笑ったり、「走らないで下さい」と言う中、羞恥心を捨てて走る。目指すは一日300個限定、お一人様3個までの牛乳プリン売り場。「牛乳プリンはこっちですよ」、と誘導してくれる店員さんを頼りに、売り場へと直行する。見えて来た牛乳プリン。それはだんだんと大きさを増し、気づくと奇跡のように私の手中におさまっていたのだった。
私達はホクホクして家に帰った。瓶詰めの牛乳プリンを、まず一さじ。セットのスプーンで口に運ぶと、舌の上ですぐにとろける。濃厚な、卵と牛乳の味。これまで経験したことのない味わいだ。家族で、うんうん頷きながら食べた。これぞ、苦労した甲斐があったというものだ。私はとても嬉しくて、満ち足りた気持ちになった。
今、買い物をしようと思えばインターネットでいくらでも注文できるが、店で買うときのこの臨場感、手にしたときの幸福感、味わったときの満足感は何物にも代えがたい。それに加えて物産展には、期間限定という希少価値がある。二度と出会わないかもしれない、ケーキや弁当ヤプリンに出会えた偶然に、私は顔をほころばす。そんな喜びを与えてくれる物産展、だから私はやめられない。
編集後記
今、ちまたではフラダンスが静かなブームだ。私のいとこがフラダンスをいち早く始めており、上半身と下半身が分離している様な腰の振り方はまるでマジック。私も彼女のマジックに魅了され、大学生になったらフラダンスをしようと目論んでいる。 (サーモン)
今回、エッセイで鍋のことが書いてありましたが、私はキムチ鍋が好きです。というか辛い物が大好きです。そんな訳で辛党を名乗っていたら、辛党は酒好きの人を指すのだと指摘されました。もの凄く恥ずかしかったです。(あろわな)
今回食について調べる中で、食品添加物乱用をはじめとする食品の様々な問題点を知った。これを変えるには、現実から目をそらさず絶えず見守り、私達が声を上げていかなければならないのではないか。(鱸)
アンケートに協力して頂き、有難うございました!面倒なものだったにも関わらず丁寧に回答して頂き恭悦至極です。日本はまだまだ大丈夫ですね。 (はりせんぽん)
〆切の足音が部屋に近づいてくる中、見事に風邪をひきました。手洗い、うがいを少しでも怠ってはいけないようです。予防を怠ったその隙をついて、病気はやってきます。体は一番の資本なので、みなさん体には気をつけてください。(ジキル)
京都に行きたい。古都の静寂の中に溶け込んでしまいたい。特に、竜安寺の石庭を覗めていると、無の境地に達する。きっと今の季節なら白い雪が庭に映えて、さぞ美しいだろう。 (ハイド)
新聞部は今年も県大会で敗れ、全国大会へ行けませんでした。無念です。全国への壁は厚いです。ボート部の取材では、なんと体験させてもらいました。貯水池の上から見る紅葉と夕焼けは感動の美しさでした。 (サファイア)
第247号 平成18年 7月20日(木)発行
東筑今昔物語―1巻 ~今は昔、セーラー服着たる女子ありけり~
今年から女子の制服が変わった。
東筑の制服として定着していた千鳥格子のスカートが見られなくなるのは少し寂しい気がする。しかし時代と共に変遷した結果として、今私達が過ごしている"東筑"がある。
2年後の創立110周年を前にこれから東筑新聞では東筑の歴史を振り返っていきたい。
制服の変遷

今年度から、女子の冬期制服が一変した。そこで、女子の制服の変遷をたどってみる。
東筑の一番初めの制服は、一般的なセーラー服だった。昭和59年より、現在の2・3年生の制服になった。紺のブレザーとグレーの千鳥格子のベストスカートに赤いネクタイという、当時としてけモダンなデザインだった。そして、今年度より制服は一変した。濃糾のブレザーと同色のジャンパースカートに濃いえんじ色でストラノブ柄のネクタイとなった。靴下の色も紺色となり、全体的に紺色でまとまっている。現在の2・3年生の制服とは、大きくイメージの異なる制服である。
今年度からの新しい制服のデザインについて、「かわいい」「格好いい」という1年生、「かわいい」「すっきりしていてさわやか」という2・3年生がいた。先生からは「今までの制服とは違う雰囲気だが、とてもおしゃれで、東筑生に似合っている」「清楚で賢そう」という声があった。
一本松
「今ぞ晴れたり青き空
喜び溢るゝ一つ松」
応援歌に登場する「一つ松」。聞き慣れない名前だと思う人も多いかもしれない。実はこの松の木は、東筑を象徴するものの一つなのである。
一つ松、別名「一本松」は、樹齢百数十年、高さおよそ15メートルの黒松だ。東筑中学校が新校舎に移った明治35年から、昭和32年に枯れるまで、グラウンドの中央で枝を広げていた。体育祭の時には、一本松から万国旗が八方に巡らされたそうだ。
卒業生の、母校を偲ぶよすがとして深く愛され、枯れた際には鎮魂祭も執り行われた。この根底は現在、東筑会館に展示されている。
「一本松」の姿は、今はもうグラウンドには無い。しかし東筑魂の象徴として、今尚私達に語り継がれている。
修学旅行
東筑高校の修学旅行はどのように移り変わってきただろうか。
明治期は国内、特に九州内の旅行が中心だった。
大正期では、初めて朝鮮旅行に行き、現地の人々から大変歓迎された。この旅行について「我等は併合後の朝鮮は幾多の悲劇に富んでいることを思わねばならぬ。この併合は自家の為に他家の団欒の楽も犠牲に供すといふ自己本意の心が人種的に拡大されたにすぎない」と厳しい批判をした生徒もいた。一時期は県の財政が苦しく県外旅行を禁止されていた時期があった。しかし、表向きには県内旅行だが、こつそり阿蘇まで行ったこともあった。
昭和期は、太平洋戦争によって修学旅行が中止される昭和16年までは、国策の関係上、朝鮮旅行を中心とした。昭和23年からは修学旅行は再開されたが、国内旅行のみとなった。戦後の一時期は、米を持参して旅行に参加しなくてはならず、米集めや米の発送などで、教師は苦労した。また、戦後の不運な旅行として、約50名が流行性感冒で本隊と2日遅れで帰校したり、大雨の影響で新幹線が不通になり、5時間も駅で待たされたりしたというものがある。
現在のスキー教室が行われるようになったのは、昭和59年からだった。最初のスキー教室は、本校初めてのスキー教室ということで、FBSが同行取材した。
このように東筑は長い歴史の中で日々変わってきた。一世紀前の生徒達がタイムスリップして、現在の一本松のない校庭を見たら、そして文化祭や体育祭を見たらどう思うだろうか。しかし今でも私達に変わらず受け継がれていく、"東筑魂"がある。それはどんな時代であっても、生徒達が東筑で過ごして抱く愛校心と、東筑生であったという誇りではないだろうか。
規律と友情の体験学習
5月8日、自分たち107期生は、グローバルアリーナで二泊三日の体験学習を行った。
初め、グローバルアリーナへ到着し、武道場で昨年と一昨年の文化祭のビデオを視聴した。男だけの白雪姫は少し怖かったが、面白かった。その後、各クラスで文化祭へ向けての協議を行った。
協議が終わる頃には腹の虫も文句を言い出し、夕べの集いの後の食事が待ち遠しかった。食堂はセルフサービスで、とても美味しかった。満腹になって一息つくと、次は自習が待っていた。その後、11時までは翌日へ向けての連絡を受け、就寝準備をして電気を消した。
二日目、これでもかと言うほど目覚まし時計が部屋中に鳴り響いた。眠い目をこすりながらの朝の集いを終え、午前中は数学と英語の自習に精を出した。
午後は集団行動。大声で返事をする事から始まり、グラウンド中を走り回ることになった。「大きな声を出せ」と言われるほどに、これ以上は無理だと思っていてもさらに声が出るもので、人間やればできるのかと思った。集団行動の最後に、学年主任の児玉先生が、次第に息の合ってきた自分たちに涙ながらに「これからも一人一人が一年生全体の一員だという自覚を持って行動してほしい」とおっしゃった。少しだけ、全体として団結できた気がした。夕食後、東筑高校を卒業した先輩方のお話を聞いた。
とにかく高校生活を楽しみたいと思った一方で、進路の選択に何となく不安を抱いて、二日目は終わった。 最終日、閉講式でマザーテレサのお話をうかがった。自分は少しでもこの研修で、彼女のように他人を思いやれただろうかと考えた。
おそらく、この研修で自分たもが学んだ一番の事は、「本気でやる」ということだろう。勉強であれ、スポーツであれ、本気でやってこそ実力がつき、結果が出るのではないだろうか。
107期生360名が本気になれば、なにかすごい事ができるに違いない。
若い潮
先日、本屋で面白そうな本を見つけた。買うか買うまいか、散々逡巡したが、結局、買わないままで終わった。そして、暫く経って買う気になった頃にはそれは本屋から跡形もなく消えていて、私は一人落ち込みながら、まあこんなこともあるだろうと思っていた。
それから一ケ月ぐらい経った時の話だ。私は特別な用もなく図書館に行った。ぼんやりと歩いていると、ふと、呼ばれたような気がする。振り向いて、目を見張った。驚いたことに、例の本がそこにあるではないか。その時私は、何か「見えない力」を感じた。本と、その本が好きな人とを引き合わせる力だ。こういう出会いは、何も本に限ったことではないと思う。視聴してみたCDが凄く好みだったり、偶然テレビをつけたら好きな映画の特集をやっていたりということは、意外とあるものだ。好きだから、それに対して敏感になっているというのもあるだろう。けれど、それは偶然と言うにはあまりに運命的で、私はその度に「見えない力」を感じる。
今でも、少し時間が出来ると、何を借りる訳でもなく、図書館をうろつくことがある。あのような出会いを期待する気持ちもきっと、心のどこかにあるのだろう。この図書館のどこかに、まだ見ぬ大好きな本が眠っているのかもしれない。そしてそういう気持ちがあるだけで、図書館は私にとって素晴らしい場所へと変わる。何かを好きだという気持ちは、自分の世界を、広くて輝かしいものへと変えていく。
何かを嫌いになるのは簡単だが、どうせなら好きになった方が楽しい。新しい世界を拓く鍵は、身の回りに溢れている。
東筑大奮闘 スタンドも大熱狂
すっかり定期戦日和となった6月2日、桃園球場で第16回定期野球大会が行われた。
試合内容
東筑は1回表、いきなり小倉に先制を許し、その後も追加点を奪われる苦しい展開となる。だが、5回に投手が鈴木君に代わり、小倉打線をこの試合初めて三者凡退に押さえると、流れが変わる。5回裏、鈴木君の適時打で、この試合の初得点を決めると、6回には3点を入れて追いつき、7回にはついに石田君の適時打で勝ち越す。しかし、8回に5回から好投を続けていた鈴木君が突如崩れ、一気に7点を奪われてしまう。東筑打線は8回にも1点をあげ、粘りを見せたが、反撃も遠く及ばず、3年連続の勝利を収めることはできなかった。
| 回 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 小倉 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | 12 |
| 東筑 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 1 | 0 | 6 |
観戦記・インタビュー
試合前、緊張が漂うフィールドを前に野球部員の保護者は、「小学生の頃から息子は野球をやっていました。今日は悔いのないよう、是非頑張ってほしい!」と熱い意気込みを見せた。試合が始まると球場は一気に盛り上がった。1回裏、小倉に先制を許してしまったが、「いえ、東筑は絶対勝ちます⊥と来場された方は笑顔で語ってくれた。
そしてとうとう東筑の得点。スタンドの熱さは頂点に達した。東筑生の声援は驚くほどの団結力である。また野球部員のお母様方も生徒にひけをとらず、一糸乱れぬ応援で来場客スタンドを盛り上げた。小倉側スタンドから見ると、東筑の応援はまさに圧巻。特に「ジンギスカン」の腰の振りは、見る者を圧倒した。孫が吹奏楽部というおじいちゃんおばあちゃんも、「尻上がりでこのまま勝ってほしいですね。」と生き生きとした表情だった。
一度は逆転した東筑も、再び小倉に点を奪われてしまった。しかし応援の団結力は変わらない。昨年副団長であった秋月先輩は、「野球部もすごく頑張ってるから絶対追いつく!応援もノリがいいし、最後でやってくれるはず。」と応援で汗をしたたらせながら語ってくれた。
結局試合は負けてしまったが、生徒も来場客も最後まで応援し続けた。この熱さはどの高校にも劣らないであろう。また来場者も多く、孫が元野球部員だったといったおじいちゃんおばあちゃんは、「とにかく頑張って!甲子園に行くまでついて行きます。」と現役東筑生に負けない"東筑魂"であった。
今、この〝東筑魂〟を燃やしながら夏の大会に向けて励んでいる全ての部活動にエールを送りたい。

TOTO訪問記 ―トイレを通じて世界へ発信―
ウォシュレット誕生
春休み、新聞部は小倉にあるTOTO本社を訪れ、広報の方から話を伺った。TOTOはもともと食器としての陶器を作っていたが、大正6年に国産初の水洗便器を作り、その後も衛生陶器のカラー化など、多くの画期的なことをしてきた企業である。中でも、痔の患者のための医療用器具から着想を得て作られたウォシュレットは、斬新な製品であった。発売当初は、水と電気を一緒に使うと感電するのではないかという心配や、その機能の奇抜さのため、なかなか受け入れられなかった。だが、「おしりだって洗ってほしい。」という強烈なキャッチフレーズの宣伝や、実際に使った人の口コミによってどんどん普及し、平成16年に出荷されたトイレの中で温水洗浄機能付きのものは6割にのぼっている。
かつて、トイレは汚い物であって、口に出すのもはばかられる場所だった。しかし洋式便所、次いでウォシュレットの普及によって大きく変わった。今やトイレは本来の用途に加えて、人によっては一人になってゆっくり本を読んだり、考え事をしたりする大切な空間の一つとなっている。このようなトイレの環境の向上には、TOTOも大きく貢献した。そうした人々の生活様式を変えてしまうような事に携われるのは、企業としての存在価値を感じるという。
海外進出
TOTOの海外戦略は、高級なブランドイメージを作ることである。
安さでは対抗できないので、TOTOにしかできない技術を用いた高級品で勝負しようとしているのだ。そこで、現在海外、特に中国では大規模な宣伝がなされている。実際に中国で放映されているCMを見せて頂いたが、中国でとても人気があるという女優が起用されていて、日本でいうとまるで高級車の宣伝のような、贅沢な雰囲気を醸し出していた。
来日した外国人にも、日本のトイレは快適だととても評判が高い。アメリカの俳優ウィル・スミスは、日本のウォシュレット付きのトイレをとても気に入り、帰国後すぐに購入したらしい。また先日来日した歌手のマドンナは、日本の温かいトイレが懐かしいとスピーチの中で言ったという。
普段何気なく使うトイレだが、その背後には、多くの人々の情熱があった。私達の地元北九州で、このような世界を股に掛ける企業が活躍しているのだと知り、誇らしく思った。
東筑の虫 仮想旅行 in ドイツ
今回で最後となりました。"仮想旅行"。最後を締めくくる場所として今回選んだ目的地はドイツです。ベルリンの壁の崩壊以後、経済的な繁栄を遂げた一方で、ドイツは環藁問題にも積極的に取り組み、大都市の中にも緑が多くあります。
今回は中世の街並みが色濃く残っている南部を旅しましょう。
旅の出発点はドイツ一のビールの消費都市であるミュンヘン。さすがにビールは飲めませんが、老若男女問わず人気の8の字にねじられたパンの"プレッツェル"をもって街を散策してみましょう。ミュンヘンの中心街には様々な様式で建てられた教会や、豪華な調度品が飾ってあるレジデンツ(宮殿)、世界六大美術館のひとつとされる"アルテ・ピナコテーク"を含めた美術館など、見どころがたくさんあります。ポイントを絞って観光しないと、なかなか次へ出発できなくなってしまいます。
ミュンヘンからロマンティック街道を南下していくと「ノイシュヴァンシュタイン城」があります。こだわりメルヘン王と呼ばれたルートヴィヒ二世が莫大な資金を費やして建てました。当時の不評とは裏腹に、ディズニーの「シンデレラ城」のモデルとなったことで有名になり、現在は世界中から多くの観光客を引き寄せています。行列ができることも多々あるので時間の余裕を持って行くことをおすすめします。
再びロマンティック街道を通り北上すると「マイスター(職匠)の街」ニュルンベルクがあります。中世の面影と現代がうまくマッチしたおしゃれなこの街では「おもちゃの見本市」が開催され、おもちゃでいっぱいの屋台が連なる街中を歩くだけで心が躍ります。
今ドイツでは"カリーボルスト(カレーソーセージ)"が大人気。ドイツ国内にある"インビス"と呼ばれる屋台で気軽に食べられます。お好み焼きに通じるこってり味で日本人の味覚にぴったりです。
ニュルンベルクから中世の古城が点在する古城街道を通ってフランクフルトをめざしましょう。金融の中心でありながら、文豪ゲーテが生まれた文化の街でもあります。ここでは古本屋巡りをするのがいいでしょう。ちなみにドイツは立ち読み禁止でないどころか、どの本屋にも必ず椅子が置いてあり、カフェが併設されている所も多くあります。また一日券を使えば市内25カ所の美術館や図書館へ入館できます。
旅もそろそろ終盤。ローレライ伝説が残るライン川のクルーズで旅の最終地点"ケルン"へと向かいます。世界遺産に登録されたケルン大聖堂のライトアップされた姿の美しさは格別です。
今回のドイツを含めたシリーズ"仮想旅行"はいかがだったでしょうか。旅行のパンフレットを開いて、どこへ行こうかと考えるのも旅の楽しみだと思います。さらに今回の旅は大学でドイツ語を専攻し、留学するという夢を叶えるために、自分に対しての宣戦布告の意味を込めて書きました。二年後文献を片手に持ち、プレッツェルをほおばりながらドイツの街並みを歩く日を想いながら。
編集後記
一人で新聞部の扉を叩いてから2年、引退の時がきた。多くの取材に行き、締切に追われながら記事を書いた日々は一生の宝物だ。 (ブルートパーズ)
最近、蚊とと戦う夜が続いている。負けたときには香港発塗り薬タイガーバーム。激烈メンタームを思わせる爽快感がたまらないのだ。 (サーモン)
巨人が弱くて、一番調子が狂うのは自分のようなアンチ巨人だろう。弱い巨人に自分の応援するチームが勝っても、うれしさは半減だ。 (鱸)
部内では隙あらば無駄話…もとい、討論をしているのですが、修羅場に限って白熱します。考査前の逃避行動に似ていると思います。 (あろわな)
とても忙しい一学期だった。新聞部が20番目の運動部として、部活動健康診断を受ける日もそう遠くはないだろう。 (はりせんぼん)
はじめまして、新人部員のジキルです。記事を書くことは、とても勉強になります。これからも精進していきたいです。 (ジキル)
初めまして、新人です。文化祭のCMで「ジャーナリスト宣言」とか言ってた奴です。締め切りに負けないように頑張ります。 (ハイド)
新入部員を二人迎え、今年も新聞部は元気です。神に感謝です。今年は号外をたくさん発行して、速報性アップもねらいます。 乞うご期待! (サファイア)
第246号 平成18年 3月 1日(水)発行
卒業おめでとう
飛翔! 東筑生 力の限り舞い上がれ 学校長 増田俊明
104期生の皆さん、卒業おめでとう。皆さんは、3年前、厳しい難関を見事に突破して、満開の桜咲き誇る歴史と伝統に輝く東筑に入学し、勉学はもとよりあらゆる学校行事に全力を傾注して取り組んで来ました。いまここに蛍雪の功なり、晴れて東筑高等学校の卒業生として、社会へ巣立つことになります。卒業生の皆さんは、いま将来の希望に燃え、心弾んでいることでありましょう。本日の慶びは、皆さんの努力の結実であると思いますが、同時に、御両親をはじめ地域社会の方々、さらに諸先生方の限りない慈しみと深い愛情と御指導の賜であることを忘れてはなりません。
皆さんは本日をもって、勉学や部活動や学校行事等の様々な思い出の詰まった東筑のキャンパスを離れることになります。皆さんはこの3年間、東筑で自分自身を見つめ様々な体験を積み、多くのことを学び、またすばらしい友を得て多くの友情を育み、ひとまわり大きく成長してきました。しかし、これから生きていこうとする社会は、それぞれに進む道が異なっても、様々な問題が待ち構えていることが予想され、行く手はるか道は決して平坦ではないと思います。そのときこそ東筑の校是「文武両道」「質実剛健」で培った精神、優れた英知と体力、そして人と自然を大切にする豊かな心を発揮し、東筑の卒業生であるという誇りを忘れずに胸を張って困難を乗り越えて前進してほしいと思います。
また、皆さんが進もうとするそれぞれの分野では、多くの東筑の先輩達が活躍していることでしょう。皆さんは、卒業して改めて東筑の大きさ、歴史と伝統と文化を実感するはずです。皆さんはその先輩達を道標としながら、自分の大きな夢の実現を目指し、21世紀の国際社会をリードするに足る卓越した人に成長してほしいと願って止みません。
結びに、母校「東筑」は、皆さんがより広い新たな世界で、新たな飛躍を遂げる日を温かく見守っています。うれしいとき、つらいとき、また仲間が集まったとき、いつでも母校を訪ねて下さい。
卒業生の皆さんの、これからの更なる飛躍を祈念します。
104期生! 力の限り 舞い上がれ!
東筑104期生に栄光あれ! 学年主任 後藤教生
104期生の諸君、卒業おめでとうございます。
思い返すとこの3年間は本当にあっと言う問に過ぎ去ってしまいましたね。君達は本当に我々教師をあらゆる場面で勇気づけてくれました。君達の行動にどれだけ私たち教師は胸を熱くしたことでしょうか。
思い返すと一年のタングラムスキー修学旅行。班長会議での先生の小言が翌日には全員に浸透し、それ以後の君達の行動には我々教師の目を見張るものがありました。ただの楽しい修学旅行に終わらせなかった君達の成長は本当に頼もしい思いがしました。次に忘れてはならない行事に体育祭があります。私は東筑に勤務してこれほど内容が濃い体育祭は初めてでした。
一糸乱れぬ最上級学年の結束力を感じさせる気持ちのこもった競技風景や応援態度。僅差ではありましたが、総合優勝を見事に勝ち取った瞬間の君達の歓喜の雄叫び。また新たな東筑伝統を創造した瞬間でもありました。
104期生ファミリーとしてお互いに喜び、悲しみ、苦しみを分かち合いそしていたわり合ってこの学舎で育ち、この学舎を巣立っていきます。東筑の伝統を重圧に感じながらも、その重圧に負けずに東筑の伝統を受け継いでくれた君達はまさに素晴らtいの一言に尽きると思います。節目節目の行事では必ずその底力を見せてくれた104期生諸君でした。人の気持ちを汲み取ってくれる若者達でした。
卒業後はそれぞれ進む道は違えどもまたいつの日か笑顔で高校生時代の想い出話に花を咲かせるその日を楽しみにしています。
卒業は別れではなく、また新たなる人生との出会いの旅の始まりです。
104期生諸君のこれからの新しい人生の門出に栄光あれ!
贈る言葉
3年1組担任
つらい時は誰かに頼ればいい。 誰かがつらいときに頼られる人になりなさい。「友達」は財産です。
3年2組担任
思いの叶ったことがある。 叶わなかったこともある。 でも、これからが君の人生だ。
3年3組担任
卒業おめでとう! 3年間培った東筑魂の輝きを忘れずに。 更なる飛躍を祈っています。
3年4組担任
今ここでの在り方が道を開くと信じています。昨日に続く今日ではなく、明日に繋がる今日であろう。
3年5組担任
「あの日あの時あの場所で君に逢えなかったら…」3年前に君たちに出会えて本当に良かったです。
3年6組担任
祝卒業!何もしないで後悔するより、何かをして後悔する方が幸せだと思います。悔いのない人生を。
3年7組担任
卒業おめでとう。失敗を恐れることなく何事に対しても前向きにひたむきにチャレンジして下さい。
3年8組担任
卒業おめでとうございます。人生の本編はこれからです。たくましく生きてください。
3年9組担任
人生苦しくってどうしようもない時もある。ピンチはチャンスだ。自分を変える絶好のチャンスだ!
校名表示石柱 除幕式
2月1日、校名表示石柱の除幕式があった。
以前の木製のものの老朽化にともない、御影石製の立派な石柱が出来た。
校名は書道科の安部先生が揮毫された。安部先生は、「東筑が永劫に続いてほしいという思いを込めて書きました。生徒それぞれが自分の東筑での思い出を重ねて見てくれたら嬉しいです。」と語って下さった。なお、東筑の歴史を刻んだ今までの木製の柱は東筑会館に保存されている。
新しい石柱がまた末永く私達の高校生活を見守ってくれるに違いない。


若い潮
身の回りの小物やインテリアなら、ボーダーやドット、写真がプリントされたものが好きだ。モノトーンの中に一色だけ原色を使ったものにも惹かれる。ポップなデザインの中に鋭利さが見え隠れするものが好きだ。ふらふらと雑貨屋に立ち寄っては、ついつい散財してしまう。インテリアに関しては高価な物なので自分の思い通りにとはいかないが、インテリアショップの前でつい足が止まってしまうのもまた、ままあることだ。私は身の回りのものは質とデザインが良いものがいい。どんなに使い勝手が良いものでも、デザインが良くなければ面白くないし、デザインが良くても実用性が無ければ本末転倒というものである。
私にとって小物やインテリアというものは自分らしさを表現する手段のひとつである。同時にそれらは私のメンタル面に大きな影響を与える。自分の好きなものに囲まれているだけで楽しい気分で一日を過ごすことができる。「住」に関して、私は「こだわりの人」だ。
「食」に関しても、人に言わせると「こだわりの人」らしい。確かに私はパック詰めされた惣菜が嫌いだ。味が甘過ぎたり、濃かったりするのが苦手だからだ。なるべくなら買いたくないと思うが、全く買わないということは不可能なので、せめてオーガニックな素材にこだわったものを買おうと、常々近場の惣菜屋に目を光らせている。ちなみに家には小さいながらもスパイス棚がある。
改めて考えてみると私は衣食住、殊に食と住に関してこだわりを持っているようだ。実はこれらは最低限のものさえあれば事足りる。「生きていく」ことのみに焦点を当てた場合、全くこだわる必要はない。しかしこれらは日々を気分良く、エネルギッシュに過ごすための重要な要因のひとつである。私にとってそれにこだわりを持つことは至極当たり前のことなのだ。
東筑の星、逝く
-仰木彬先輩の生涯と戦後60年東筑の歩みー
昨年の12月、我々の先輩である仰木彬さんが亡くなられた。仰木さんが生涯、日本の野球界に貢献し、偉大な功績を残したことは皆さんの知っていることだと思う。しかし、プロ野球に入る以前、東筑で活躍されていた時のことはご存じだろうか。
奇しくもも昨年は戦後60年の節目の年である。戦時中、戦後の東筑の歩みとともに、戦後の北九州市に希望を与えた仰木監督の一生を振り返ってみたい。
戦時中の日本と東筑
時は激動の昭和。満州事変、二・二六事件、日中戦争と日本を揺るがす事件が相次ぎ、昭和16年に太平洋戦争が始まった。男性は次々と戦争に出征し、石炭荷役作業や砲弾工場には女性が勤労動員された。皆ががむしゃらに働き、困苦欠乏に耐え、すべてを犠牲にして戦争協力することが正義とされた時代であった。
その頃東筑でも学徒出陣が実施された。一年間のほぼ3分の1が勤労動員に充てられ、慣れない仕事に戸惑った。非常体制であった当時は、男子は戦闘帽、ゲートル、女子はモンペ姿が制服となっており、腕には「学徒」と書かれた腕章がつけられていた。
戦後の復興
昭和20年になると、北九州へのの攻撃は激しさを増し、東筑でも運動場の隅に防空壕が設けられた。そして6月から8月にかけ、門司や八幡への大空襲が起きた。辺りは瓦礫の山と化し、門司、八幡だけで焼け出された人は7万3千人にも上ったそうだ。そして8月、広島、長崎に原爆が投下され、日本はポツダム宣言を受諾。こうして各地に大きな傷跡を残して第二次世界大戦は終了した。
戦後、戦争の被害がひどく復興は大変だったが、折尾の町は次第に賑やかさを取り戻していった。
昭和23年には、「東筑中学校」から「東筑高等学校」へと改称された。戦争中、中止されていた体育大会もこの頃復活し、演技種目には新しいものが多く取り入れられた。中でも目を引くのは「かつげば尊し」という競技である。組主任を駕龍に乗せて走る3年男子のリレー競技で、当時の体育祭の呼び物の一つであった。
この頃、学校の周りではリヤカーでの桶の修理屋や駄菓子売り、洞海湾で小舟を用いての日用品売りなど、様々な商売の形が見られた。こうして景気は活発化し、高度経済成長への道を辿る北九州市に現れた新星、それが仰木さんだった。
地元での活躍
仰木彬さん(52期)は、1935年に生まれ、中間で育った。中学時代は陸上部と野球部を掛け持ちし、両方の選手として活躍した。
1952年、東筑高校に入学した。父が戦死し、母と妹2人という環境であったため、小倉工業から八幡製鉄への進路も考えた。しかし、先輩の誘いがあり、東筑で野球を続けることになった。
彼は高校時代、どのような生徒だったのだろう。「仰木は絶対に人の悪口を言わなかったし、威張らなかった。頭が良くて、とにかく機転がきく奴だった。」と語るのは、仰木さんの同級生宮田利男さん(52期)と広渡敬彦さん(52期)である。
仰木さんは、2年生までは遊撃手だった。3年生になり投手に転向した。彼の球はとても速くとれる人がいなかったために、それまで投手で、後に長く東筑野球部の監督を務めた喰田孝一さん(52期)が捕手の役を買って出た。
甲子園行きが決まったときは、学校はもちろん、折尾の町全体がお祭り騒ぎであった。甲子園出発前には、折尾駅前で壮行会が行われた。校歌は前の年の11月に出来たばかりで、応援練習は大変だったらしい。全校生徒の3分の1以上が応援に行き、希望者が多くて応援に行けない生徒もいた。
試合は、1回戦で、優勝候補だった浪華商業高校に0対3で敗れた。仰木さんは肩を痛めていて本調子ではなかった。しかし、観客が6万人を超える注目を集めた試合で、優勝候補相手に大健闘した。
そんな中で、予想通り仰木さんはモテていた。秋武利枝さん(54期)は、下級生は少し見かけると、大騒ぎをしていたと話す。
プロからの誘いは、3年生の春頃からあった。九州一の豪腕として鳴らしていた仰木さんには、中日、南海、西鉄から誘いがあった。条件が良かったのは中日だったらしいが、西鉄の重役に東筑の先輩が居て、地元の球団ということもあり、西鉄ライオンズに入団した。
名監督誕生
1年目から2塁手として活躍した仰木さんは堅実なプレーで西鉄を何度も優勝に導き、60年にはベストナインを受賞している。通算1,328試合に出場し67年に現役引退。その後はすぐコーチとなった。
近鉄の監督に就任すると前年最下位だったチームを1年で2位にまで成長させ、翌年にはリーグ優勝。96年にはオリックスの監督として日本一に輝き、阪神大震災の被害が残る地元・神戸に立ち上がる勇気を与えた。
仰木さんの斬新で人を驚かす策は「仰木マジック」と呼ばれた。若手選手にも活躍の場を与え、野茂やイチロー、田口など現在大リーグで活躍する選手達を育てた。
東筑への愛校心はプロ野球生活においても消えることはなかったのであろう。東筑が甲子園に出場した98年、仰木さんは当時オリックスの監督であり、球団に頼んで練習場所がなく困っていた後輩達にオリックスの室内練習場を貸して下さったと、当時の監督の青野先生は懐かしそうに話された。
04年には野球殿堂入りを果たし、昨年はオリックス・バファローズの初代監督となった。しかし監督就任時から病状は良くなく、ベンチでは大量の薬を服用し、幸い表情を隠すためコーチに.周囲を囲まれていた。しかしそのような体調でも時には激しく選手を叱り、最終戦の黒星を悔やんだという。
最後まで勝利への熱意は絶えることはなく、監督退任会見を行った足で病院に向かい、昨年12月15日、とうとう帰らぬ人となった。
東筑での甲子園出場からプロ選手、監督と「幼い頃から飯より好きな野球」漬けの人生は「試合中に倒れたら本望や」と語っていた仰木さんにとって悔いのないものだっただろう。しかし後輩の私達にとって、仰木さんのあまりにも早い逝去は大変悲しく、そして悔しい。仰木さんの活躍で手にした甲子園初出場で、戦後の復興を目指す折尾の町に光が射し込んだ。生涯、プロ野球、そして東筑高校に貢献した仰木さんが先輩であることを私達は誇りに思う。
喰田さんの言葉
仰木さんと高校時代にバッテリーを組み、後に東筑野球部の監督を長く務められた、喰田孝一さんに話を聞いた。
「仰木は頭が良くて優しかったね。何をしても怒られない生徒だった。野球が本当に好きで、努力していたよ。毎日、中間からランニングして学校に通っていた。一緒に甲子園に行ったのは、一生の思い出。仰木は東筑の誇りだ。」

左 喰田さん、右 仰木さん
部活訪問
今学期号から始まった新企画!意外と知らないいろいろな部活動を報告します。
弓道部
緊張感のある道場内。その静けさの中に澄んで聞こえる弓の音。
取材している私も思わず背筋を伸ばしてしまう。今回は袴姿が凛々しい弓道部を訪れた。
部員数は1、2年生だけで約40名。なぜそのように入部希望者が多いのか、女子部長の久野さんに聞いてみると、「袴に憧れて入った人が多いようです。また高校に入学して弓道を始める人がほとんどなのも大きな理由です。」と語ってくれた。確かに全員がゼロからのスタートで安心できるものの、練習が厳しいのではないだろうか。
「冬の練習は寒くて大変です。でも日頃の練習のおかげで集中力が身につきました。姿勢も良くなり、正座にも慣れました。」と語ってくれたのは男子部長の園田君。
大会前になると個人がそれぞれの演技に集中しているので、ピロティの小さな話し声でもはっきり聞こえてくると教えてくれた。
日頃の厳しい練習と集中力が求められる弓道。それでも部長の2人は弓道を「一生のスポーツとして続けたい」と言う。弓道を極めようとする者だけが持つ確固たる信念があるのだと感じた取材だった。
生物部
次に私達は、生物部を取材した。
主な活動内容は、テーマを決めての動植物の実験・観察で、今回見せてもらったのはダンゴムシの実験だった。体を丸めた姿が可愛いダンゴムシであるが、彼らには一度曲がると次は逆方向に曲がるという、面白い性質がある。その性質がどの感覚器官からもたらされるものなのかをつきとめることが、現在の活動なのだそうだ。
実験には、ダンゴムシサイズの迷路が用いられていた。最初の数回は普通に走らせてデータを取り、その次は触角を切って走らせる。結果として走り方は変わらなかったが、もしここでダンゴムシの曲がる方向に変化が見られたならば、触角はダンゴムシの曲がる方向を決定する要であるとの仮説を立てることが出来る。
次の実験ではダンゴムシの目を潰して同様の実験を行うらしく、そうして、一つずつ可能性を除外していくのである。生物が相手なのでデータが一定しないが、それが生物の難しくも面白いところであるのだろう。
生き物について話す部員の顔も声も生き生きとしていて、質問をする私達も楽しくなる取材だった。
東筑の虫
夢の中に亡くなった曾祖父が出てくることがある。夢の中の曾祖父は玄関先でメジロにやる餌を鉢の中で練りながら「おはよう」と私に声をかける。今回はそんな曾祖父のことを話そうと思う。
ひいじいちゃんは熊本県の天草に一人で住んでいた。それもすごい山の中で、通りに車をとめて、蛇が出そうな山道を歩いてやっと家に着く。着くとひいじいちゃんは自分で切った刺身を私達に出してくれる。きれいな盛り付けではないけれど、とてもおいしい。近くの海に泳ぎに行くとひいじいちゃんは素潜りでたこを捕まえる。もどってお父さん達と一杯飲む。夕食には親戚が集まり、ひいじいちゃんはとてもうれしそうな顔でおいしそうにお酒を飲む。ひいじいちゃんは大きな凧を作る。真っ白い紙に武士や恵比寿様を大胆に描く。それを裏山で揚げたこともある。ひいじいちゃんの朝はメジロの餌やりから始まる。私が起きる頃にはもう朝食をすませていて、祖母達と買い物に行く格好をしている。つばのある帽子をかぶり、杖を持って歩く姿はかっこ良かった。私達が帰る頃になると「もう少しおり」と言って引き止める。中二の夏、私が突然「天草に行きたい」と言い出し行くことになった。なぜか無性にひいじいちゃんに会いたくなったからだ。夕食の時に「肩が凝った」と言ったひいじいちゃんのごつい肩に湿布を貼った。
私達が帰ってすぐひいじいちゃんは入院した。元気だったひいじいちゃんが日に日に弱っていくのを見るのは辛かった。ひいじいちゃんは自分の病名を知らないまま2週間後に亡くなった。ほんのひと月前に湿布を貼ったときの「ありがとう」が頭の中で何度もよぎった。もう会えない悲しさと、病気に気づいてあげられなかった悔しさに私は泣いた。
夢の中に出てくるひいじいちゃんはとても元気で、大きくて血管の浮き出たごつい手で絵を描いている。そんなひいじいちゃんに会いたくて私は夢を見る。
編集後記
祝・先輩卒業!これからも現在の5人+新入生で「知性と教養」の新聞を作り続けます。先輩も充嘉した大学生活を送って下さい。(ブルートパーズ)
友達に漫画を借りて少しクラッシツクに興味を持ち始めた。今年はモーツァルト生誕250周年でもあるので優雅な年にしたい。 (サーモン)
スキーで友達が雪に突っ込んだのを大笑いしていたら、直後に自分が雪に突っ込みました。自分の鈍臭さを忘れていました。 (あろわな)
今回多くの先輩に話を聞いたが、その愛校心の強さには圧倒された。日々の高校生活も、後には輝かしい思い出となるのだろうか。 (鰻)
生物部を取材していると、飼っていた熱帯魚を茄でて食べる夢を昔見たことを思い出した。一体何のメタファーだったのだろう。 (はりせんぽん)
多くの先輩方に取材し、東筑の歴史の重みと仰木さんの偉大さを実感しました。尚子ちゃん、憲葉ちゃん祝卒業、良い人生を! (サファイア)
第245号 平成17年12月19日(月)発行
再発見!!私たちの街
「おい街」編集部訪問
夏休み、私たち新聞部は小倉伊勢丹の近くにある「おいらの街」編集部を訪れた。「おいらの街」は、北九州随一のタウン情報誌である。一冊300円という財布にうれしい値段にも関わらず内容が盛りだくさんで、北九州の様々な店、イベント、音楽、本、街の人などを多岐に渡って紹介している。
事務所に入ると、数人の営業部の方が仕事をされており、「おいらの街」を実際に執筆しているというチャーミングな森川さんとさわやかな亀田さんが応対してくださった。二人とも都会的ではつらつとした鹿児島県出身の20代前半の方たちで、なんとあの120ページもある「おいらの街」をほとんど二人で書いているらしいのだ。これは驚きだ。「おいらの街」、通称「おい街」の起源は東京だ。30年前、東京にいた「おい街」創設者が今でも人気の高いタウン情報誌「ぴあ」を見て、自分も北九州のタウン情報誌を作って、地元の人に北九州の街はこんなに面白い街だよって気づかせたい、と思って作ったのだそうだ。
雑誌作りでまず大切なのは、スポンサー探しである。「おい街」は300円という低価格で売っているので、売り上げ収入より広告収入の方が断然多い。そのため、広告やPRなどは雑誌に不可欠な、とても重要な要素なのだそうだ。そして、編集者の苦労もただごとではない。まずは、紹介する店探しから始まる。主として街を歩いてネタを探すのだそうだ。それから取材をし、記事を書く。毎月違う店や街の人を何件も探すのはさぞかし大変なことだろう。でも、良い店を探して渡り歩くというのはなんだかとても楽しそうでもある。私事で申し訳ないが、私はそういうことがとても好きなのである。そしてもちろん、月に一度あの地獄の締め切りが来る。森川さんと亀田さんは、ほぼ一人60ページ書いていて、締め切り一週間前は午前0時~3時辺りまで仕事をやっているそうだ。「多すぎてやってられんよね」と苦笑する二人に、私はいくら大変でも仕事としてやってのける大人の姿を見た。
現在タウン誌というと、「おい街」と同じ会社の「リセット」や、「Nasse」、「アヴァンティ」など、フリーペrパーが多くなってきている。こうしたタウン誌の新しい流れの中で、「おいらの街」は有料のタウン誌という地位をずっと保ち続けている。やはり厳しい面もあるだろうが、「おい街」では主観で選んだものを載せるという、フリーペーパーではできないことをやっているのだそうだ。
福岡県には福岡市という日本の中でも主要な都市があるので、北九州の人は劣等感を抱きがちだ。しかし、北九州には独自の文化・気質がある。儲からなくても客には絶対にいいものを出すという古くて良い店も多い。なのに、そのよさを地元の人にあまり知られていない。出身が北九州でない人が、こんなにも北九州の魅力に気づき、北九州をよくするために積極的になっているのだ。私たちも、福岡はすこいな、福岡に行きたいな、と隣の芝生ばかり見ずに、まずは地元の良いところから知るべきである。小倉のまんなか、「おいらの街」編集部で、雑誌作りの大変さと、地元北九州の良さをもっと知って、もっと大切にする心意気を学んだ。
そして、自分の住んでいる地域の良さをもっと知るために、私たち新聞部はまず校内アンケートを実施した。
アンケート結果

まず最初の「あなたは自分の町が好きですか」という質問に対して、「好きだ・まあまあ好きだ」と答えた回答が64%と半数を大きく上回った。その理由は、「自然がある・空気がきれい」が最も多く、「住みやすい」 「静かで落ち着く」 「交通・買い物の便利がよい」という回答が続いた。その他の意見として「吉祥寺の藤祭りがある」 (八幡西区)、「スペースワールドがある」 (八幡東区)など地元に密着した回答も見られた。「普通である」と回答した理由には、「自分の町に興味・関心がない」という意見が数多く見られ、「あまり好きではない・嫌いだ」という回答は全体の9.6%にとどまり、「治安が悪い」 「活気がない」など町の現状に不満を持つ意見がほとんどであった。
「好きな店・場所・風景を教えて下さい」という質問には様々な回答が得られた。まず店だが、中間市の「ショツパーズモール・AMC」や若松区の「ジャスコ」などそれぞれの地区で票が集まったものもあれば、いつでも通えて便利なコンビニを挙げる生徒も多かった。好きな場所はこの他にも「神社」や「駅」といった個人お気に入りの場所があるようだ。
最後の「好きな町にするにはどうしたらいいか」という問いかけには、「清掃活動をする」など自ら奉仕活動に参加して町をきれいにするという以外にも、「現状維持のままで良い」という意見もあった。私達の町は「都市・田舎」両方の側面を持つ。「治安が悪い」や「交通が不便」という声もあるが、しかし私達の多くはこの性質を「買い物を楽しめる場所もあり、自然にも接することができる」というふうにとらえている。そして私達の街の持つ良さに満足しながら快適な生活を送っていると言えるだろう。
新聞部でアンケートに載っていた店を数点紹介してみた。ぜひ一度足を運んでみて下さい。
(八幡西区)
●パティスリー ヒロ
永犬丸にあるケーキ屋さん。フランスで修行してきたパティシュがこだわりのケーキを作っている。ロールケーキがおいしい。
●瀬板の森公園
自然がたくさんあって、空気のきれいな都会のオアシス。おなじみボート部も練習している。
(八幡東区)
●カフェーTCH
八幡駅の近くにあるカフェ。壁と家具の白い色がまぶしい。ランチのトルティーヤがおすすめ。
(遠賀郡)
●甘党屋
出来たてアツアツのたい焼きを出してくれる。
●河川敷のコスモス
秋になり、一気に開花するさまは壮観。
(若松区)
●AEON
色んな店があって楽しい。吹抜けがキレイ。
(中間市)
●垣生公園
春になると公園内の桜が一斉に咲いてとてもきれい。
◆ ◇ ◆
さて、北九州の更なる魅力が皆さんにも伝わっただろうか。私達も取材した先で、今まで全く知らなかった良い店や場所に出会ってとても新鮮だった。それでもまだまだ知らない北九州の顔がありそうである。店や場所だけでなく、人にも街全体にも、自然にも北九州の魅力はつまっている。
東筑高校には大学進学で地元を離れる人が多いが、それまでこの街北九州を積極的に知って楽しもう。そして、北九州をより良い街にすることにも積極的になるといいと思う。やはり自分の青春時代を過ごした街が好きになれないのは寂しい。
日本中どこにでも気軽に行けるようになった現代、外に興味をひかれるのもいいが、ちょっと身を引いて地元を探検してみてはいかがだろう。求めているものは、案外近くにあるかもしれない。
若い潮
福岡ソフトバンクホークスは、2年続けてペナントレースを一位で終えながら、プレーオフで敗れ、リーグ優勝を逃した。もしプレーオフ制度が導入されていなければ、パ・リーグ11年ぶりのリーグ3連覇である。上位チームへの優遇措置が少ない現在の制度に、不満を感じるホークスファンは多いだろう。だが、パ・リーグ内では、お互いに一度は納得した同一のルールで行っているのであって、ルール上の不公平は無い。本当の意味で今のプレーオフ制度の不平等を被っているのは、セ・リーグの優勝チームである。
今年のセ・リーグ優勝チーム阪神は、日本シリーズを迎えるまでに、17日も試合の無い期間があった。一方、ソフトバンクとの激戦を勝ち上がり、勢いに乗るロッテは、プレーオフが終わって、わずか5日後に日本シリーズを迎えた。この差は、試合勘の面で、大きな違いを生んだ。
実際に日本シリーズでは、接戦のプレーオフを制し、勢いのあるロッテが、阪神が目を覚ましてしまう前に一気にやっつけてしまったという印象を受ける。昨年も、プレーオフを勝ち上がった西武が日本シリーズを制している。このままでは、プレーオフ制度のために、日本シリーズはパ・リーグが有利になるということになってしまう。
だが、パ・リーグがプレーオフを導入したのは、話題性を持たせ、リーグの特色を出すという事だった。このような、プロ野球を変えていこうという試み自体は評価されて良いだろう。昨年の球団合併騒動から、プロ野球を変えていこうという考えが広がっている。プレーオフのような新たな試みはこれからも多く出てくるだろう。新しい事というのは、問題点も抱えているものである。その時は、その都度議論して修正していくしかない。プロ野球が変わってきていることは、確かである。
産医大 訪問記 ~産業医科大学の学園祭を徹底取材!~
11月3日、文化の日。今回、私達新聞部は、産業医科大学の学園祭「医生祭」へ取材に行った。
産業医、私達にとってはあまり聞きなれない言葉であるが、産業医とは、産業現場において働く人々の健康管理にあたる医師のことである。現在、一定規模以上の事業所では、これを選任するよう義務付けられている。具体的には、定期的に職場を見回って職場の改善点を指摘したり、労働者の健康診断を行ったりする。いわゆる「企業のかかりつけ医」である。
産業医になるためには、一定期間以上の研修が必要となっている。そこで、産業医学の振興と産業医の養成を目的に作られた、日本でただ一つの医科大学、それが産医大である。このような特定の目的を持って作られた医科大学は、他にも防衛医科大学、自治医科大学がある。
●訪問記
今年の医生祭は、11月3日から5日にかけての3日間開催された。アーティスト「キンモクセイ」を招いてのライブやチャリティーコンサート、ダンスコンテスト等、催し物や企画は多種多様である。
まず私達は、グラウンドで開かれていた模擬店へ足を運んだ。グラウンドの一角を囲むように、数多くの模擬店が立ち並んでいる。内容も様々で、焼きそばやたこ焼き等の定番メニューを始め、回転焼きやクレープ、チヂミ等の店がテントを連ねている。大学なので、ビールを売っている店も多く見られた。これら模擬店は、一つのテントにつき、一つの部活動、またはサークルが店を出しているのだという。大学の部活動は学生が自主的に運営していて、とても楽しそうだ。積極的に色んなことに関わっていくことが大学生活を楽しくする秘訣なのだと思った。
次に私達は、医心館と呼ばれる建物で医療企画を見学した。ここではこの日「産業医学・予防医学に触れてみよう!」という趣旨で、模造紙の展示や、生活習慣病になる危険度のチェックが行われていた。このチェックでは、血圧や体重、尿を検査してもらうことで、生活習慣病になる危険性を指摘してもらえる。幸い、部員の中に年活習慣病の者はいなかったが、年活習慣病についての説明を聞いていると、それらが他人事ではないのだということが身に染みた。
他にも、産業医の一日の仕事ぶりを書いた模造紙等が展示されていた。模造紙を見ていると学生の方が熱心に説明して下さり、この医生祭がただのお祭りではなく、大学を知ってもらうための催しなのだということが感じられた。私達が産医大を訪れたのは3日だが、4日には「クラウン(道化師)と遊ぼう」ということで笑いを取り入れた医療の実践、5日には外科医や妊婦、高齢者の疑似体験が行われるそうだった。参加できないのは残念だったが、医療企画を通じて健康や医学について考えることが出来た。ちなみに、私達が医療企画を訪ねたときに、取材に応じて下さった学生の方は、北海道出身だった。産医大は福岡県出身者が多数を占める大学と思われがちだが、実際は、福岡県出身者は全体の3分の1程度しかいない。他の人の出身地は日本全国、それこそ、北海道から沖縄県にまで渡る。産業医育成のための大学がここにしか無いためである。お陰で日本全国に友人が出来、それが産医大の長所の一つでもあるようだ。
このように、実際に取材してみて明らかになった大学の意外な一面というのも多い。私が特に驚いたのは、東筑高校出身の医学部の先輩が仰っていた「大学よりも高校の頃が忙しい」という言葉である。医学部は大変忙しく、2年生にもなるとレポートや実習に迫われることで知られているが、それでも東筑にいた頃の方が断然忙しいという。
東筑生が毎日予習復習で忙しいのに対し、大学生は集中的に忙しいのだそうだ。つまり、現役東筑生である私達は、今が忙しさのピークということになる。少しホッとする言葉であった。
●Q&A
他にも、多くの学生の方に取材に応じてもらった。
以下は、質問とその返答である。(Q‥新聞部、A‥産医大生)
Q…産医大の長所は何ですか。
A…医学科は、産業医になれることです。
産医大は4年生と5年生の時にカリキュラムに研修が組み込まれて、医師国家試験に合格した後、2年間の臨床研修を受ければ産業医となることができます。また、近くに大学病院もあり、恵まれた環境で勉強することが出来ます。
Q…医学科と看護学科が併設されている利点は何ですか。
A…医学生と看護学生が、お互いの意見を聞くことが出来ることです。医師と看護師は職場で協力し合うパートナーなので、これは大切なことです。
Q…人体解剖は怖くないですか。
A…解剖は興味深く、怖くはありません。解剖は、亡くなった方の遺体を使わせてもらっているので、「勉強させてもらっている」という意識で臨んでいます。
Q…産医大ではどのような語学を学ぶのですか。
A…英語に加え、2年生になるとドイツ語かフランス語を選択して学びます。やはり英語が中心です。というのも、論文は全て英語だからです。ですから、将来医療の道に進もうと考えている人は、英語をきちんと学ぶことが大切なのです。
Q…最後に、先輩方から東筑生にメッセージがありましたらどうぞ。
A…勉強を頑張り、メリハリのついた生活を心がけつつ、高校生活を楽しんでください。
A…東筑で日々頑張ることで得られるものも多く、それを生かせば大学へ行くことが出来ます。忙しいと思うけれど頑張って下さい。
●おわりに
今回、医生祭を訪ねてみて、学生さん達が楽しそうに活動している様子が、とても印象に残っている。私も、大学生になりたいという気持ちが大いに高まった。皆さんも、興味のある大学に行ってみてはいかがだろうか。思わぬ発見があるかもしれない
東筑の虫
温故知新という言葉を知らない人はいないだろう。
どんなに型破りな小説であれ、どんなに斬新なデザインであれ、それらは全て、少なからず過去の作品の影響を受けている。映画もその例外ではない。
映画の撮影技術の中に、「ダイナメーション方式」というものがある。これは、静止している物体を一コマ毎に少しずつ動かして撮影し、あたかもそれ自身が動いているかのように見える撮影技術であるストップ・モーション・アニメの映像と、役者が演技している実写映像をうまく組み合わせる方式のことで、ハリーハウゼンという映画監督が考案したものである。彼の映画とこの方式は、後の特撮映画の巨匠達に多くの影響を与えた。かの有名なジョージ・ルーカスも、「スター・ウォーズ」でこの方式を使用するなど、「ダイナメーション方式」はトリック映画の基礎としてその座を確立していたが、やがてはCGにその座を奪われた。「ダイナメーション方式」がわかりやすく使われた映画には、前述のハリーハウゼン監督作品の「アルゴ探検隊の大冒険(63年)」や「タイタンの戦い(81年)」などがあるが、私たちがこういう古い映画を見る機会は少ない。実際、私も高校に入るまで、この手の映画を見たことがなかった。やはり何となく手を出しづらく感じていたのだ。しかし、たまたまテレビに映っていたある映画のおかげでその感覚は払拭された。その映画が前記の「タイタンの戦い」である。
確かに、古い映画にはCGを駆使した、大迫力の映像というものは存在しない。「タイタンの戦い」もストーリーに於いては、最近氾濫しているB級CG映画の方が完成されているかもしれない。しかしその実、古い映画の映像には、CGにはない重量感と独特の暖かみがあるし、場面転換の際の「間」も独特で味がある。また、特筆したいのはそのわかりやすさだ。かつて人々にとって、映画はとても貴重な娯楽だった。それ故に、古い映画は筋立てが明快で、誰にでも楽しめ、見る人を選ばない。
古いものには古いものなりの新しいものにはない魅力がある。だからこそ私は古い映画を見ることをお勧めしたい。機会があれば、是非敬遠せずにじっくりと見て欲しい。きっと何かしらの新しい発見があるはずだ。
白熱! 体育祭
去る9月11日に体育祭が行われた。前日の準備は雨で思うように出来ず、当日の朝まで決行が危ぶまれた。見に来られた方は、「雨の心配で前日は何も準備をすることが出来ず、今朝急いで弁当を作り上げたので大変でした。」とインタビューで答えて下さった。
競技は100メートル走から始まり、最初から3年生と2年生の間で接戦が繰り広げられた。毎年保護者の方が楽しみにしている俵さしでは、選手が10キログラムの俵を持ち上げる姿を観客が固唾を飲んで見守った。
「華麗に変身!Who are you?」では先生達が3年生の手作りの衣装を身にまとい、「電車男」のエルメス&電車男などに見事に扮し、グラウンドを一周した。
午後の部になり応援合戦が始まった。1年生は今まで取り入れたことのない"ウェスタン"をイメージした斬新な演技で見る者を楽しませてくれた。グラウンドにテンガロンハットが舞うのは我が校で初めてのことではないだろうか。
次に2年生。力強い男子の型の披露の後に女子が「姫神」をイメージして青でまとめた衣装で鮮やかに舞った。そして男子が夏の制服を着て再びグラウンドに現れ「ファンタスティポ」を男女全員で踊った。
最後に3年生。山車の朱雀を中心に男子の気合いの入った型と女子の中国を思わせる舞が神秘的な雰囲気を生み出していた。高校生活最後の体育祭で素晴らしい応援を披露した3年生が総合成績でも優勝し、閉会後の玄関前では恒例の水かけをする3年生の歓声が響いていた。
では各学年の団長のコメントです。
1年生応援団長 田中友之
106期生のみなさん、お疲れ様でした。何もかもが初めての経験だったので型を作るのに手間がかかったりしてしまいました。また、型は何度も変わってしまい、みなさんにご迷惑をかけてしまってすいませんでした。しかし本番では、練習してきたことを存分に発揮でき、とても良かったと思います。一生懸命に取り組み、夜遅くまで練習して大変だったと思いますが、沢山の事を得ることができたと自分は思っています。また来年の体育祭も頑張っていきましょう。
最後になりましたが、手伝ってくれた応援リーダー、先生方、そして1年生全員に感謝します。本当にありがとうございました。
2年生応援団長 三好政徳
105期のみんな、体育祭本当にお疲れ様でした。応援合戦では、男子の気合い溢れる型、華麗で見る者を魅了した女子の舞い、圧倒的なフリで先生や保護者を驚愕させたファンタスティポ、どの演技も3年生に引けをとらない素晴しいものでした。あの時の感動は二度と味わえるものではありません。
最終的に3年生をギリギリまで追い詰め、観客・選手共にハラハラドキドキする体育祭となりました。
ほんとみんなに感謝したいです。最後までこんな頼りない団長についてきてくれた106期のみんなに送る言葉は、やっぱりこの言葉しか思いつきません。「みんなオレについてきてくれて、ほんとにアリガトウ!」
3年生応援団長 白濱恭平
104期の皆さん、体育祭お疲れ様でした。今回の体育祭での優勝という結果は、104期全員の気持ちが一つになったから勝ち得たものだと思います。本番ではみんなの底力をたっぷりと見せてもらいました。そして大きな感動をもらいました。 応援合戦では、特に104期のよさが表われていたと思います。
男女共に最高の演技でした。本番ではみんなの気迫がすごく伝わってきました。夏の忙しい中、応援練習に協力して頂きありがとうございました。これから先、残り半年の学校生活を104期の団結力で乗りこえていきましょう。
編集後記
修学旅行で見た京都の紅葉の美しさを未だ忘れることができません。先日京都で日米首脳会議が開かれ、道悪く修学旅行の日程が重なった妹は、厳重な警備が敷かれた京都の町を散策したそうです。風流さは欠けるけれどかえって貴重な体験という気もします。 (ブルートパーズ)
今回取材させていただいた「おい街」。私は受験時代、図書館での勉強の休憩時間にこの雑誌と運命の出会いを果たした。これぞ求めていた雑誌だ!と思い、紹介された店を渡り歩いた結果、お腹周りが軽くやばい今日この頃。これからも素敵な雑誌でいて下さい!(サーモン)
ビートルズに偏っていた音楽の趣味を分散すべく、友人から情報を集め、クイーンとニルヴァーナに行き着いた。どちらも、ボーカルに特徴があり、独特の雰囲気がある。良いものを新たに知ることは、人生において大きな喜びだ。(鰻)
新聞部には映画や音楽などに対してコアな知識を持っている人が多いのですが、一方でピーナッツとアーモンドとココナッツの違いがわからないと仰しゃる方もいたりします。…まあ、どれもナッツつちゃあナッツですが…。新聞部は不思議なところです。 (あろわな)
ピーナッツとアーモンドとココナッツの違いがわかりません。というのを部員の方々に言ったところ、丁寧に説明して下さりました。新聞部にいるといろんな意味で勉強の毎日です。今度はヒラメとカレイの違いについて訊いてみようと思います。 (はりせんぽん)
ここ数年、国際問題や自然災害などの特集が続いたので、本号は地域に目を向けてみました。アンケートではみんなの郷土愛にびっくりし、取材では美しい景色や美味しい店ににっこりしました。楽しんで読んでもらえるといいな。 (サファイア)
第244号 平成17年 7月20日(水)発行
圧勝 東筑ナイン 定期戦2年連続勝利
観戦記
6月3日、第15回東筑・小倉野球大会が北九州市民球場で行われた。
定期戦当日は朝から雲一つ無い快晴で、照りつける太陽の下、試合前の練習のバットがボールをとらえる音が青空に響いていた。
午後2時試合が始まった。東筑は序盤から打線が繋がり先制すると、最後まで勢いは衰えず、大量得点をあげた。東筑束筑側の応援席も大いに湧き「一生懸命な姿を見せて、感動してもらえれば…」という試合前の青野監督の言葉通り、感動と興奮に包まれた。
今回の定期戦は、野球部にとって、夏の大会に向けての素晴らしい第一歩となったと共に、全部活動生達の志気を高めるものになったのではないだろうか。夏の大会に向けて練習を積んでいる全ての東筑生にエールを送りたい。
試合内容
1回の表、東筑は、3番木村君の二塁適時打で先制点を上げると、4番の囲廣君も二塁打を放ち、2点を先制した。3回表、5番森田君の本塁打、2番豊岡君の二塁適時打などで2点を追加。その後も、東筑ナインは6回に1点、8回に3点、9回に4点を上げ、15対1と圧勝した。
投手陣は、東筑先発の太田君は8回まで三塁を踏ませない投球で小倉打線を0点に抑えた。9回に投手の交代後、惜しくも1点を与えてしまったが、最後をきっちりと抑えた。守備も冴え、無失策だった。
東筑は去年に引き続き勝利を収め、これまでの大会成績を8勝5敗1引き分けとした。
得点表
| 回 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 東筑 | 2 | 0 | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 3 | 4 | 15 |
| 小倉 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
インタビュー
多く点がとれたこと、ノーエラーだったことがよかったです。緊張したけど相手にプレッシャーを与えられるように頑張りました。夏に向けてのいいきっかけになればいいと思います。応援ありがとうございます。 高山君(主将)
(先発だと)一時間前くらいに知らされてびっくりしました。首に向けて、この時期今までやってきたことを出すだけです。 太田君(投手)
よく打った!今後の成長に期待します。 青野監督
しっかりしていて安心してみられる展開でした。夏に向かってすごく手応えがあると思います。応援のほうも気合いが入っていてさわやかでした。 保護者
若い潮
歴史の教科書に載っているバッハやルイ14世の肖像画を眺めるたびに、ずっと気になっている事がある。あの巨大なかつらはいったい何事だろう。そこでかつらに興味を抱いた私は、近代ヨーロッパにおけるかつらの歴史を調べてみることにした。
かつらの起源は古く、古代エジプト、ペルシャ、アッシリアなどにさかのぼる。かつらは高位高官の権威を表し、これが古代ローマに伝わると女性の装身具として用いられるようになった。
17世紀、近代ヨーロッパにおけるかつら流行のきっかけとなるのがフランスのルイ13世である。絶対王政を極めたイギリスのエリザベス女王は80個ものかつらを所持し、ルイ14世はかつら師を40人も召し抱えるなど、時の為政者たちはかつらにまつわる数々の興味深い話を残している。ルイ14世の時代には全頭かつらが人気を博し、かつらは礼装として、またおしゃれの一つとして当時の人々に親しまれていった。
18世紀に入り、かつら人気は全盛期を迎える。旅人・軍人は短いかつら、農民・職人は小さなかつら、と人々は職業に応じてかつらを購入し、その結果、かつらで職業を見分けることができたのである。
男性用の巨大な全頭かつらが衰退し始める一方で、マリー=アントワネットの時代には女性用かつらが発展し、結い髪の上に軍艦の模型を飾り付けるといった、大型で奇抜な髪型が流行した。驚いたことに、当時の髪型の種類は約3700種類、結髪師はパリだけで約600人にのぼった。しかしこのような華美な髪型はフランス革命後に急速に衰えていった。
今回かつらの歴史を調べ、様々なエピソードを知ることができ興味深かった。人間は大昔からいろいろな工夫を凝らして身を飾ってきたのだろう。現代の流行を後世の人の目にはどう映るのだろう。
天才作家来校 ~平野啓一郎先輩多いに語る~
6月7日、東筑高校92期卒業生であり、芥川賞を受賞した作家、平野啓一郎さんが、文化講演会の講師としていらっしやった。講演では、平野さんご自身の経験を通して、中高生の頃の、外面的な自分と内面的な自分との距離の取り方や、自己の拠り所について話してくださった。自分が世界を見る視点としての、自己の拠り所がはっきりせず、不安を感じていたそうだ。自己の拠り所すなわちアイデンティティは生まれたときには定まっておらず、社会的条件ではなく、その人が成し遂げたことによって初めて確立するものだと主張された。そして、何を成し遂げるかは、職業と結び付いていることが多いということで、LABOR(仕事)ではなくWORK(為事)をすることの重要性についてもおっしゃった。また、講演中には三島由紀夫やトマス・マン等、多くの作家や哲学者の名前が挙がり、私達の知的好奇心を刺激してくれた。
その後のインタビューでは私生活に関する質問から、作品について、社会問題に関してなどまで、いろいろな質問に答えてくださった。久しぶりの東筑高校に懐かしさを感じながら話してくださった。
・高校生にお勧めしたい自著について
「最近出した『滴り落ちる時計たちの波紋』などお勧めです。他には、最近外国文学を読む人が減ってきたので、ドストエフスキーやトマス・マンなどを読んでほしいと思います。」
・あとがきについて
「ハードカバーでは書かないようにしています。あれはあくまで営業的なものなので、無くても良いと思っています。」
・作品の中にどれだけ自分が表れるかについて
「小説を書くときに選ぶ言葉は、ある時代の固有の言葉を選ぶという点で一方で社会的であり、個人的な体験による選び方をするので一方では個人的です。自分が選んだ言葉には必ずある程度自分が表れると思います。」
・(『一月物語』など)主人公が美を求めることで最終的に死んでしまう作品は平野さんのものに限らず多いが、作品を書く上でそういった非日常性と日常性の差をどう考えているかという質問について
「小説の登場人物と作家が全く同じ思想を持っているわけではなく、むしろ異なる思想を持つ場合も多いので、日常生活との差に悩むことはありません。そもそも美は非日常的なものです。例えば三島由紀夫がテーマとする『美・死・エロティシズム』は全て日常ではあまりに過剰なものです。作家の使命というのは、人工的な社会を絶対だと信じ込んでいる人々が多い中で、それが完壁なものではないことを指摘することだと思います。そして、非日常的なテーマはそれを端的に描き出すための手段なのです。」
・(特に初期の作品に)何故漢語を多用した難解な言葉を使うのかという質問について
「作品で使う言葉や文体は、その作品の時代背景や歴史的背景に合わせています。また、日本語の持つ豊かな語彙を使わなくなりつつある世相への反発という意味もあります。」
平野さんは講演で、私達が日常で個々に感じている違和感や孤独感を言葉にすることによって、それを意識させ、理解させてくれた。インタビューではどの発言にも、作家としての確立した考え方が感じられ、新しいものの見方に触れることができた。平野さんが講演で示したテーマについてはもちろん、日常生活に対しても、文学に対しても、その他多くの諸問題に対しても、もっと深い考え方を持ちたいと思うようになった。そして、平野さんが講演中やインタビュー中に挙げられた作家や哲学者の著書を読むことで、そうすることに近づける気がした。私達が、改めて人生や、日常生活や、将来の夢などを捉え直そうとする、良い機会になった講演だった。
東筑の虫 仮想旅行(バーチャル・トリップ) in ベトナム
第2回目の仮想旅行。今回の目的地は日本から飛行機で6時間、アオザイを着た女性が魅力的な国ベトナムです。
ベトナムは中国と国境を接しているため古来から中国、さらにはフランス、アメリカの占領下に置かれ、長年被征服の歴史を辿ってきました。特に1964年から1975年まで続いたベトナム戦争では、アメリカ軍が枯れ葉剤や毒ガスなどを使用して攻撃し、国際社会の非難を浴びましたが、ベトナムは自分たちの土地をうまく利用して戦い抜きました。今ではそのような歴史の面影もないほど活気溢れる街へと変化を遂げたベトナムを今回は歩いてみましょう。
まず最初は南部の街・カントー。メコンデルタ最大のこの街ではメコンクルーズを楽しめます。
船の上を気持ちのよい風が吹き抜けていい気分! しかし市民にとってはこの川は生活の源。物を選んだり、食器を洗ったり、洗髪をしたりする風景があちらこちらで見られます。路上に目をやると白いシャツに赤いネクタイの小・中学生が屈託のない笑顔で手を振ってくれます。食事は市場の屋台・コムザンビンで食べましょう。台の上にのっている山盛りのおかずの中から食べたいものを指さすと、スープとともに運ばれてきます。1食が60~80円ぐらいと安く、栄養バランスもよく何よりおいしい!コムザンビンは市場の中に必ずあり、地元の人たちが並んでいるお店は美味しいこと間違いなしです。
次はカントーから列車で7時間ほどの街・ニャチャン。ベトナムを代表する海岸リゾート地です。昼間は日差しが強いのでベトナム風みつ豆ともいうべきチェーを食べながら海辺を眺めて、朝と夕方に海辺を散歩することをおすすめします。移動には人力タクシーのシクロが便利ですが、行き先や金額の交渉を事前にしっかりとしておかないとトラブルになる場合があるので注意が必要です。やはり自転車を借りて自分で移動するのが一番の方法かもしれません。
場所をベトナムの北部の都市・ハノイに移しましょう。戦火を逃れた旧市街の街並みはフランス占領時代に建てられた洋館や教会が現在も残っており、ノスタルジックな雰囲気を味わうことが出来ます。そしてその街中にはお菓子屋、おもちゃ屋、食器屋と様々な職種の店が賑やかに並んでいます。そう、この旧市街は買い物をするのに絶好の場所! 店先に並べられた色鮮やかな商品を目にすると、思わず手を伸ばしてしまいます。
また旧市街には路上の商売が多く、床屋、耳そうじ屋、マニキュア塗りなどが客を引き留めています。思い切ってチャレンジしてみるのも旅行の思い出となるでしょう。
食事は、ハノイが木場の麺料理フォーや同じ米麺のプンがあっさりしていて日本人の晴好にも合います。特にハノイは地元民のための屋台や食堂が多く、店同士の競争が激しいのでおいしいお店が多いのです。
ハノイで数日間買い物を楽しんだ後はもう一度南へ戻りホーチミンへ。ホーチミンから車で1時間半ほどのクチという村にはベトナム戦争の際にベトナム兵が作った地下トンネルがあります。入り口は人間一人がやっと入れるほど狭いのですが、内部は200~250キロメートルも続いていると言われます。さらに診療所まで作られていた内部はとても精巧でベトナム軍の本拠地となっていました。ベトナムの人たちの陽気でたくましい性格には、この戦争から得た真の強さが秘められているような気がします。
旅の最後は市内の国営デパートへ。友人たちのお土産を買いに出掛けましょう。デパートと聞くと旅行の趣にふさわしくないと思うかもしれませんが、観光化した市場よりも安く、商品もバラエティーに富んでいます。ここなら悩むことなく、満足のいくお土産を選ぶことが出来ます。
さて今回の旅行はどうだったでしょうか?私達と同じアジアの国であるベトナムの良さと強さを知ることが出来たのではないかと思います。では次回の旅で会いましょう。
規律と友情の体験学習
2005年5月8日から10日にかけて、一年生にとって初めての大きな行事、規律と友情の体験学習が行われた。東筑は、20年ほど前から英彦山でこの行事を行ってきたそうだが、今年から、グローバルアリーナという、5年ほど前に建てられた民間の施設で行われる事になった。まだ新しく、とてもきれいな施設だ。
それに伴って行事の内容も大きく変わった。昨年までは、集団行動や山登りなどの活動が中心だったが、今年は主に勉強や、進路についての講演など、去年までのそれとはかなり違った内容だった。プロ野球は今年改革元年ということだが、この行事にとっても、それに負けない改革の年だっただろう。先生方の準備は、とても大変なものだったと思う。
初日の朝、学校に集合して結団式があると、いきなり数学の授業があった。出発前から勉強である。試験対策のプリント学習であったため、気を抜くわけにも行かない。一時間集中した後に昼食をとり、バスでグローバルアリーナへと向かった。グローバルアリーナでの最初の活動は、総括教頭先生による講演であった。これから高校生活を送る上での心構えや、東筑高校の伝統についてのお話などが、2時間ほど行われた。
その後、風呂・食事・自由交歓が三交代で行われた。さすが出来たばかりの施設で、風呂はとてもきれいで、食事も品数が豊富であった。そして、夜の7時半から国語・英語の勉強が始まった。11時に消灯だったが、気持ちの高ぶりもあったのか、なかなか寝付く事ができなかった。
翌朝、6時に起床して、朝の集いがあった。朝の集いは6時15分からであったが、この合宿では5分前集合の約束があったため、集合時間は6時10分であった。しかし、慣れない環境ではじめて迎える朝で、僕らはそれを守る事ができなかった。そこで、朝の集いでもう一度5分前集合の徹底について話があった。
午前中は勉強があり、午後からはクラスマッチ形式でのスポーツ活動があった。男子は人工芝のグラウンドでサッカー、女子は体育館でバレーボールをした。男子のサッカーは、気持ちの良い大自然の中で行われ、天気も良く、開放感に満ちた活動であった。女子のバレーボールは、設備の整った体育館で行われ、クラスを越えて大変盛り上がった。
夜には、文理選択についての話があった。最初の1時間は先生によって、文理選択についての基本的な説明があり、次の1時間は、去年卒業されたばかりの先輩による、受験までの体験談や実際の大学での生活についての話があった。歳の近い先輩の話は、具体的で、将来を考える上で役立つものであった。その後の先輩への質問タイムでは、多くの質問が出て、1年生の文理選択への真剣さが伺えた。さすがに疲れが溜まっていたのか、この日はぐっすりと眠る事ができた。
いよいよ最終日の朝である。少しの寂しさを感じつつ、朝の集い、勉強をこなした。これで3日間の合宿も終わりである。バスに乗り込みグローバルアリーナを眺めると、とても大きな施設である事に改めて気づいた。
この合宿を通じて、集団生活を送る上で必要な事を学べたし、3日間の共同生活を送る中で、クラスの人と仲良くなる事もできた。まさに規律と友情である。今後の高校生活も、困難な事は多いと思うが、この合宿を通して得た事を生かしていけば、乗り切れるはずだ。ぜひこの合宿で得たものが役立つように、学校生活を送っていきたい。
編集後記
年は新入部員がたくさん入ってくれたので心置きなく引退できます。新聞部と共に実りのある日々を過ごせて良かったです。 (ラピスラズリ)
後輩が増え嬉しいのも束の間、引退の時となりました。たくさん思い出を作ることができ良かったです。(ガーネット)
先輩の引退ということで寂しいながらも身の引き締まる思いです。先輩と一年間過ごせて幸せでした。先輩に幸あれ。 (ブルートパーズ)
悩みに悩み、ついに入部した新聞部。文化祭では世界の厳しい現状を知ることができ、やる気がみなぎっています。
(サーモン)
3ケ月経ち、ようやく学校に慣れてきた。ここで中だるみにならず、自分に喝を入れて、踏んばっていきたい。(鰻)
文化祭では拙いながらも模造紙を書かせて頂きました。先輩方の文章と自らのそれを見比べる度、精進せねば、と思う日々です。(あろわな)
初めての新聞作成楽しかったです。さまざまな場面で多くの事を学びました。次回にしっかり活かしていきたいと思います。 (ぐっぴー)
自分が書いた文章を人に読んでもらうということが、こんなに嬉しいとは思いませんでした。さらに精進していきたいです。 (たつのおとしご)
主に文化祭の模造紙を書かせてもらい、大変勉強になりました。自身の文章力の未熟さを改めて痛感しています。
(はりせんぽん)
新入部員がまさかの6名!にざやかになった新聞部の活躍にご期待下さい。
三年生がこの号で引退です。お疲れ様でした。 (サファイア)
第243号 平成17年 3月 1日(火)発行
気宇壮大! 東筑生の力は無限大!
学校長 増田俊明

103期生の皆さん、卒業おめでとう。3年前、桜の花の薫る頃、厳しい難関を見事に突破して、歴史と伝統に輝く東筑に入学し、いまここに蛍雪の功なり、晴れて東筑高等学校の卒業生として、社会へ巣立つことになります。卒業生の皆さんは、いま将来の希望に燃え、心はずんでいることでありましょう。本日の喜びは、皆さんの努力の結果であると思いますが、同時に、ご両親をはじめ地域社会の関係の方々、さらに諸先生方の限りない慈しみと深い愛情とご指導の賜であることを忘れてはなりません。
皆さんは本日をもって、思い出のこもった東筑のキャンパスを離れることになります。しかし、社会においては常に、東筑で学んだ皆さんがどんな生き方をし、どんな生き様を示すか極めて大きな関心をもって見守っています。それぞれに進む道が異なっても、これから生きていこうとする社会には、様々な問題が待ち構えています。
行く手はるか道は決して平坦ではないと思います。皆さんは東筑で多くのことを学び、すばらしい友を得て多くの友情を育んできました。東筑の校是「文武両道」 「質実剛健」で培った精神と優れた英知と体力、そして人と自然を大切にする豊かな心を発揮して、東筑の卒業生であるという誇りを忘れずに胸を張って前進して下さい。
また皆さんが進もうとするそれぞれの分野では、多くの東筑の先輩達が活躍していることでしょう。皆さんは、卒業して改めて東筑の大きさ、歴史を実感するはずです。
その先輩達を道標としながら、自分の大きな夢を実現し、21世紀の国際社会をリードするに足りる卓越した人に成長してほしいと願って止みません。
母校「東筑」は、皆さんの行く手を温かく見守っています。うれしいとき、つらいとき、いつでも母校を訪ねて下さい。
卒業生の皆さん、これからますますの活躍を祈念致します。
更なる挑戦を! 学年主任 田代龍一
103期生の諸君、卒業おめでとうございます。今坂り返れば、東筑高校での3年間は厳しく、楽しくそして次へのステップとして、とても充実したものであったであろうと思います。
日々の授業とともに強く印象に残っているのは、体育祭での2年連続優勝と3年次の文化祭です。
体育祭では、2年次での劇的な逆転優勝に続いて、3年次では余裕の勝利でした。応援や山車でもリーダーを中心として全員の協力で、見事な団結力を発揮したと思います。
また文化祭でも、文系クラスでの「ドミノ倒し」を新たに企画し、クラス対抗行事として大きな成功を収めました。
もちろん日々の学習では、お互いに苦労しながらも、一歩ずつではあるけれど向上していったことがよき思い出となっています。
このように一つひとつの行事から諸君のパワーと結束力を感じ、日々成長してゆく姿を見させてもらいながら、また我々も力づけてもらいました。
これからは、君たち一人一人歩んでいく道が違います。しかしここ東筑高校で培ったパワーと支えあった仲間意識でそれぞれの進路を切り拓いて行って下さい。
より高い目標に挑戦し続ける人生であって欲しいと願っています。
贈る言葉
「一生懸命やれば、知恵がでる」「半端に止めると、言い訳がでる」何事も究める態度を失わずに 3年1組担任 渡邁 康宏
卒業おめでとう。 これからも、素直な心と感謝の気持ちを忘れずにいて下さい。 3年2組担任 陶山 陽-
祝卒業。最もよく準備をした人のもとに幸運は訪れるもの。皆の明日に幸多かれと心から祈ります。 3年3組担任 上野 真澄
祝卒業。志さえ失わなければ、困難も新たな発展の契機となる。高い志をもってお互い頑張ろう。 3年4組担任 橋本 寛
祝卒業。汗と涙と努力の3年間。一生の宝物です。未来を見つめ、今を生きる。悔い無き人生を。 3年5組担任 児玉 幸子
2年間、君達のおかげで充実した毎日でした。これからも謙虚な気持ちで頑張って下さい。 3年6組担任 馬崎裕之
ウォールクライミング始めました。下でロープを持つ人がいて、安心して登れます。家族を大切に。 3年7組担任 前村 裕治
いつも前向きに!!苦しいことから逃げず、立ち向かえるような大人になって下さい。 3年8組担任 神原顕一郎
卒業、おめでとう。東筑高校で身につけた力を存分に発揮して下さい。勝つまで粘ろう。 3年9組担任 月原 隆幸
本当にそれはしたいことか。こうしていて私はうれしいと思えるか。ならば、それは正しいことです。 3年10組担任 西田 公子
若い潮
近年、携帯電話はますます普及している。携帯電話はこの数年間でめざましい進歩を遂げた。昔は「電話をかけるだけの道具」であったものが、今ではメールやゲームができ、カメラがつき、人々の娯楽の一つになった。今ほど携帯電話が普及していなかった頃は町中に公衆電話があったが、今ではあまり見かけることはなくなった。 私たちが小学生の頃は、携帯電話は「大人が持っているもの」というイメージがあった。しかし今では、小学生でも当たり前のように自分の携帯電話を持っている。彼らにとって、携帯電話は本当に必要なものなのだろうか。
携帯電話の利点は、連絡をとることができる点にある。遠く離れたところからでも電話やメールができ、居場所を相手に知らせることで安全を確認する。リアルタイムで相手の状況を知るのに、これほど便利な手段はない。また電話やメールを通し、コミュニケーションを深めることもできる。 しかしその反面、携帯電話は次のような点も持ち合わせている。たとえばテレビを見ていても、一旦メールのやり取りをし始めると、返事が気になったり、返事を出すのに時間を奪われたりしてテレビを見ることに集中できなくなる。他のことが疎かになり、携帯電話に縛られた生活になりかねないのである。
携帯電話の所持者が低年齢化していくのは、恵まれつつも物騒になった今の時代には仕方がないことのように思われる。しかし、ただ目前のものを無批判に受け入れるのではなく、時間の使い方を考えて使用すること、一人一人が他人に迷惑をかけないようマナーを守ることが大切ではないだろうか。たまには携帯電話から少しだけ距離を置いてみるのも、何か発見があって良いかもしれない。
地震は必ず やって来る!
昨年の3月26日に起きたスマトラ沖地震のニュースは私達に大きな衝撃を与えました。規模はマグニチュード8.9、また地震によって起こった津波の影響で死者・行方不明者は、30万人を越えました。この被災状況は1976年に死者24万人を出した中国の唐山地震をはるかに越す、20世紀以降の地震としては最悪の惨事となりました。
ところで私は新聞やニュースを見ていてどうしても疑問に思うことがあります。それは地震が起こることがそこにいた人たちに全く知らされていなかったということです。もし事前に地震情報を聞きつけて海岸から遠いところに避難していればこのような大災害は防げたかもしれないという気がします。今後も起こる地震に対して私達人間はただ待つしかできないのでしょうか。
地震が起こるメカニズム
まず地震が起こる過程を知る必要があります。大陸や海洋の下には厚さ約40から140キロメートルほどの非常に硬い板があります。これをプレートといい、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んでいて、沈み込む海洋プレートと大陸プレートとの境目がずれて地震が起こります。陸と海のプレートがきっちりと組み合っているところでは、長い間にひずみが貯まっていきます。そして、それが限界に達すると、一気にずれて大地震になるのです。
それだけではなく、プレートの運動がプレートの境目だけで解消されず、プレート自身もひずみを貯める場合もあります。このプレートのひずみが限界に達するとプレートの内部が破壊して地震が起こります。これが阪神大震災のような陸地でも起こる地震(直下型地震)が起こる原因です。
特に日本は地震大国と呼ばれ、世界の地震の約1割は日本で起きています。その原因は日本付近でオホーツクプレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピンプレートと四つのプレートが互いに近づくように運動しているためです。
阪神大震災
1995年の阪神・淡路大震災では地震直後には、ほぼ5000人の方が亡くなりました。この地震は早朝に起きたため、家の下敷きになって圧死された人々が多くいます。避難所は地震発生直後から開設され、ピーク時には589カ所で、約27万人もの人々が避難所生活を送っていました。ライフラインは早急に復旧されましたが、避難所の設置は地震発生から七ケ月間続きました。長い避難所生活は、高齢者や障害者にとって過酷な面が多くあったと言えるでしょう。また被災生活の中で健康を害す人が被災者の7割にもなったことも重要です。
一方で、ボランティア活動も積極的に行われました。地震発生の1月から3月までに13万人(うち15~24歳の若者が6割以上)のボランティアが全国から訪れ、「ボランティア元年」とも言われました。
地震を予期できたかという問題ですが、地震発生の前日に前震が明石海峡で4回観測されています。
しかし小地震は無数に発生していて、とくに異常でもなかったのです。また震源地に近いところでは地殻変動の観測が連続して行われていましたが何の異常変化も観測されておらず、予知どころかかえって内陸地震の予知の難しさを再確認させるものだったのでした。
今後発生が予想される地震
地震発生の日時を正確に予知するのは難しくても、そう遠くない未来にやって来る地震を知るための観測は国内の至る所で行われており、その結果、多くのしかも大きな地震が日本を襲うことが予測されています。その中でも今マスコミなどでよく取り上げられており、日本中が一番恐れている地震は首都東京を襲う直下型の地震で、マグニチュードは7から7.2と想定されています。
この場合の死者は7000人、負傷者は15万8000人に達し、帰宅困難者は371万人にまでのぼります。首都高速や幹線道路では重大事故、老朽化したガス管や水道管の破裂、高層ビルのガラスの落下、津波などさまざまな事態が予想されます。
また30年以上も前から予想されている東海地震も依然と危険とされ続けています。この場合の心配は原子力発電所が近くにあるということです。死者が1000万人を越すかもしれないのです。さらに最近では東海地震が起こった後に富士山の噴火があるのではないかと考えられています。これは富士山の過去の噴火歴を調べると地震と連動しているケースが多いからです。火山灰の堆積の重みで、木造家屋約2000棟が全壊、降灰の結果、最大350万人が喘息などの健康被害に見舞われます。 このような状況をふまえてアメリカ国防総省は次のような試算をしているというのです。
-「東京直下型地震、東海大地震、それに南海地震、東南海地震に上る日本の犠牲者は、合計約2000万人になるだろう」-
また、大局的に過去の歴史を振り返ると、江戸幕府を安政の大地震が直撃して明治維新が始まり、関東大震災は経済を疲弊させ戦争に突入することになりました。このように大地震が政治体制の大転換に直結しています。今後予想される地震の後にもこのようなことが起るのでしょうか?
対 策
このような地震の被害を最小限に抑えようと日本では阪神大震災を教訓としてあらゆる方面で地震に対する対策が現在とられています。
まず地震の予知ですが1998年に「地震予知のための新たな観測研究計画」が発表されました。
また2002年にはある研究所が地震発生の瞬間に流れる電流の変化を観測することに初めて成功しました。さらに効果的な観測方法が観測できれば直下型でも揺れ始める前に発生をキャッチできる可陀性が期待でき、新幹線の減速、飛行機の発着停止などの緊急対応に活用できるといいます。
地域としては東海地震に備えて、1978年に大規模地震対策特別措置法が施行されました。この法律では地震被害が生ずるとされる一都七県が強化地域に指定され、建物を補強するなどの防災対策がとられています。
そして東筑高校は安全なのでしょうか?一般的に新建築基準法が制定された昭和56年以降の建物は、大地震が起きても耐えることができるとされています。しかし、表を見るとわかるように、構内の建物の多くは昭和56年以前に建てられています。今行われている特別棟の外壁工事では塗装と平行してはがれやすくなった外壁の落下防止のためにひび割れ箇所の修繕もしています。少なくとも地震の際に落下物で怪我をする危険はなくなります。
建物名 建築年
管理棟 昭和32年
普通教室棟 昭和48~49年
特別教室棟 昭和50~51年
体育館 昭和53~54年
多目的ホール 平成10年
地震はいつどこで起こるのかわかりません。また地震による火事、事故、津波などのような災害に巻さ込まれるかどうかは見当もつかないことです。地震対策の法の制定や公的な場所や道路の整備などは国の強力な施策が求められます。
しかし、夜眠っている間に自分のお気に入りの服が入ったタンスが襲ってくるかもしれないのです。まずは壁とタンス、食器棚を金具などで留めて倒れないようにしましょう。明日にでもできる小さなことですが、これこそが地雷から私たちが身を守ることのできる対策の第一歩なのです。
105期生・長野上陸!
1月25日、天気予報でいつもより上の地域を気にしながら朝食を摂って、電車で小倉駅に到着。出発式の後、365名の生徒たちは各々の荷物を抱えながら名古屋行きの新幹線に乗り込んだ。最初から騒ぐ者あり、雑談をしながらお菓子を食べる者あり、とにかくみんながこれからの4泊5日の旅行を楽しみにしている。名古屋で特急に乗り換え、長野駅に着くと、今度はバスに1時間半揺られ、ようやく宿泊先「ホテルタングラム」に到着したのは日が暮れた午後6時前。その後はスキーウエアや靴の試着をして、夕食を食べて1日目は終了した。
2日目、いよいよスキー教室が始まった。あいにくの荒れ模様で朝から雪が降っており、スキー初心者には厳しすぎる天候であった。午前中は平地で板の履き方やストックの握り方、滑るときの姿勢などを教わった後、実際に緩やかな斜面を滑ってみた。昼食は4品あるメニューの中から自分が食べたいものを選ぶ。午後からは視界をさえぎる雪が吹きつけているにもかかわらず、多くの班がリフトに乗って中腹に行き、転んだり暴走したりしながら、なんとかして下まで降りることができた。
3日目は昨日とはうってかわった晴天だった。日中に滑ってだいぶ上達し、夜はナイタースキーを楽しんだ。夜のゲレンデは空気が澄み、昼間滑った場所とはおもえない程、幻想的であった。
4日目、スキー教室最終日。この日はどの班もいつも滑っていた初心者用のゲレンデを離れ、山間のコースへ入っていった。上へと進むリフトから地面を見下ろすと動物の足跡がくっきりと残っている。山頂で景色を眺めると、見渡す限り雪をまとった山々がそびえていた。正面には妙高山、左には飯綱山があり、またもう少し視線を下げるとナウマン象の化石発掘でも有名な野尻湖が見える。標高2000メートルを越す山々の雄大さと美しさにしばしスキーをすることも忘れてしまった。
コースは途中道幅が狭い場所や急な坂があるのだが、どの生徒もこれまで滑った感覚を活かして、余裕のある滑りで山を下りた。思いっきり滑った後はこの旅行最後の夕食。ビュッフェ形式で、1回の食事ではとでも食べきれないほど多くのおいしい料理が和・洋・中、毎晩メニューを変えて並んでいて、初日は何度も取りに行ってしまっていたのだが、最終日ともなるとみんなコツをつかみ、自分が食べられる量を的確に取り分けていた。またこの日は楽しみに待っていたチーズケーキも登場して、うれしい限りだった。
長野に来て見慣れていた雪とも別れる最終日。朝食前に制服を着用すると、「もう旅行も終わりなんだなあ。」と実感した。予定より少し早く出発して、思い出話などをしていると、いつの間にか小倉に到着。ずっと楽しみにしていたスキー旅行も終わりとなった。
高校生活最大のイベントとも言える修学旅行を1年生で経験してしまうのは少しもったいない気がしたのだが、私はこの旅行で1年間一緒に過ごした友人たちとの絆を改めて実感したし、また1年間一緒に過ごしていても気づかなかった友人の新たな一面を知ることもできた。きっとみんな同じことを思っていることだろう。そしてこの思いがこれからさまざまな試練を乗り越える後押しをしてくれることを願っている。
東筑の虫
踊りながら念仏を唱える宗派があった、と初めて聞いたとき、あなたはすぐに信じられただろうか。
私は冗談かと思った。踊り念仏は、崇高で高尚で敷居が高い私の宗教のイメージに反するものだった。踊り念仏は、鎌倉時代に時宗を興した僧、一遍によって広められた。もともと人を集めるためのものだったのだろう。というのも、一遍は賦算というお札をできるだけ多くの人に配ろうとしていたからだ。賦算には「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と書かれており、一遍は六十万人にこれを配ることを目標とした。実際に二十万人以上に配ったらしい。賦算にどういった功徳があったのか定かではないが、万人を救うという阿弥陀仏への信仰の拠り所になるものだったのかもしれない。
踊り念仏は、始めは聖俗人り混じって踊られ、後には僧と尼のみが踊り、民衆は見物していた。踊りの場では、鉦(かね)・太鼓の音が響き、念仏がひたすら唱えられる。そのうちに恍惚状態になり、それが極楽浄土に近いと思われたのかもしれない。今でいうロックバンドのライブのようなものではないかと思う。普段楽しみが無い民衆は、踊り念仏によって日常から離れ、ついにはトランス状態に陥り、涅槃の境地に至ったのだ。
私の勝手な想像の中では、一遍はとてもカリスマ性がある人物だ。一遍の煽りによって念仏がどんどん早くなる、鉦と太鼓で打ち鳴らすビートがどんどんスピードを増す、踊りもどんどん加速する、大勢が踊り、円を描きながらひたすら念仏が唱えられる、無我の境地だ。本当に勝手な想像であるが…。とにかくその人気は広がり、大衆の熱狂を警戒して幕府は一遍が鎌倉に入るのを許さなかったほどだった。こうして踊り念仏をしながら各地を巡った一遍だが、その精神は「捨ててこそ」にあった。仏法というのは財産・地位はもちろん身命までも捨てなければ悟りを開くことはできない、という思想だ。一遍は安定した衣食住を捨て、旅をしながらぎりぎりの生活をして、民衆に布教してまわった。
では、それだけのものを捨てて、一遍は何のために遊行していたのだろう。それは阿弥陀仏のためだけではなく、衆生のためとも言えるのではないか。一遍は確かに阿弥陀仏による衆生の救いを信じていたが、その救いは死後行われるものである。民衆にとって、生きている間の救いになったのか踊り念仏だと思うのだ。鎌倉時代、あれほど新興仏教が急速に広がったのは、やはり民衆がそこに救いを見たからだろう。そして、踊り念仏という親しみやすい方法を使って、今まで貴族のものだった仏教を民衆に根づかせた一遍は、その発展に大きく貢献した。
現在、仏教に限らず、宗教がこれだけ広い地域で熱心に信じられているのは、やはり多くの人がそこに救いを見出すからだと思う。1日に5回礼拝し、生活の細部まで厳格な取り決めがあるイスラム教にも、ただ念仏を唱え、賦算を貰えば救われると説いた時宗にも、根底には「人間を救う」という目的があるのだと思う。過去から現在に及ぶまで、異なる宗教同士がいがみ合うことでさまざまな問題が引き起こされてきた。現在の国際紛争にも、宗教の衝突がいたる所に見られる。
しかしどの宗教も、つきつめると「救い」を目的として生まれたものなのだと思う。目的を同じにするなら、理解し合える可能性もあるのではないだろうか。
編集後記
先輩、卒業おめでとうございます!今回も締切間際ですが伝統を受け継ぐべく頑張っています。(ラピスラズリ)
今年は大量だという花粉の季節が近づいている。症状がなるべく軽ければ良いのだけど…。 (ガーネット)
最近、羊を数えると本当にすぐ眠れる事に気付きました。三十有匹目くらいで夢の中です。 (ブルートパーズ)
幸起ちゃん、そして現文の授業で出会った三年生の皆さん、卒業おめでとう!幸せな人生を! (サファイア)
第242号 平成16年12月24日(金)発行
働く犬たち ~社会で活躍するワーキングドッグ~
救助犬 小さな命を救う
10月23日、新潟県中越地震が起こった。この時、土砂崩れに巻き込まれた皆川優太君を警視庁の災害救助犬レスタ一号は車の中から見つけ出した。土砂の間から見えるわずかな車体に鼻を擦りつけてほえ、人がいることを知らせたのだ。こうして優太君は無事に保護され、災害救助犬レスタ一号は被災者捜索に大きな役割を果たした。1995年に起こった阪神・淡路大震災の際にも、災害救助犬が8頭出動し、被災者捜索を行った。
この時は、外国からも災害救助犬による救助が行われた。アメリカからの災害救助犬は、検疫などの問題があり、残念ながら入国することはできなかったが、スイスやフランスからは災害救助犬が救助にやってきて、広く報道された。そしてこの時の災害救助犬の活躍により、ワーキングドッグの存在が広く知られたのである。
ワーキングドッグ(使役犬、作業犬)とは、人の指示に従って働くように訓練を受けた大のことをいう。雪山で遭難した人や自然災害などで家屋の下敷きになった人の救助を行う災害救助犬(レスキュー犬)をはじめとして、これから紹介する盲導犬・警察犬のほか、耳の聞こえない人と暮らし音を知らせる聴導犬・肢体不自由者の日常生活動作の補助をする介助犬・密輸入の麻薬を探知する麻薬探知犬・高齢者や心身障害者などと触れ合って心身の癒しを促すセラピー犬など、現在社会では様々なワーキングドッグが活躍している。
今回私たちは福岡県内にある盲導犬訓練センターと警察犬訓練所を訪れ、ワーキングドッグについて調べてみた。
視覚障害者の目となる盲導犬
(盲導犬とは)
盲導犬とは視覚障害者の安全な歩行を誘導するという役割を持ち、国家公安委員会から認定を受けてハーネスを装着した犬のことを指す。ちなみに初めて盲導犬として起用されたのはシェパードで、最近では、ラブラドール・レトリバーが主に盲導犬として活躍している。
これらの大型犬が用いられるのは、障害物があった時に身を挺してユーザー(盲導犬を利用する人)を守ることができるためである。
(盲導犬の歴史)
日本の盲導犬の歴史は、1938年にさかのぼる。この年に初めて日本に盲導犬が紹介され、翌39年には4人の実業家がドイツから盲導犬を輸入し、日本の交通事情に合わせて再度訓練がなされた後、失明した軍人に寄贈された。
1957年には国産の盲導犬第1号が誕生し、その十年後の1967年には日本盲導犬協会が設立された。2000年には社会福祉法において盲導犬育成事業が社会福祉事業として認められた。
(盲導犬の一生)
盲導犬の適性のある犬同士を交配させて産まれた子犬は、生後五、六十日間、繁殖ボランティアによって育児を受ける。その後パピーウォーカーにより一年から一年半育てられるが、この間に海や山などへの旅行に連れて行くことで、犬を人と一緒に過ごすことに慣れさせるのである。この時大事なことは、しつけなどもあるが、たくさん愛情を注ぐことである。それから訓練センターに戻り、服従訓練と誘導訓練を受ける。服従訓練とは犬が人に従う訓練のことで、誘導訓練とは道で犬が危険を回避して人を安全に誘導する訓練のことである。訓練センターに戻ってきた犬の中で、適性のある三、四割の犬が盲導犬になり、残りは一般家庭でペットとして飼われる。ただし、盲導犬の適性がなかったからといって、決して犬として劣っているわけではない。適性のある三、四割の犬にはユーザーとの共同訓練を四週間行い、ここでユーザーには盲導犬の排泄や基本的しつけの仕方、盲導犬との歩き方を覚えてもらう。そして晴れて卒業となるのだが、卒業後もフォローアップとして訓練センターから指導が行われる。盲導犬は約十歳まで活躍し、引退すると訓練センターに戻ってくる。それからリタイア犬ボランティアへ引き取られ、引退後を一般の家庭で過ごす。
(現在、日本では)
日本での視覚障害者数は30万5000人で、聴覚障害者数は35万人、肢体不自由者数は165万人である。視覚障害者のすべてが盲導犬を必要としているわけではないが、盲導犬潜在需要者数は約8000人である。これに対し日本で稼動中の盲導犬は、948頭、聴導犬・介助犬に至っては各20頭程度であり、必要とする人に対して明らかに数が不足している。また、盲導犬を申し込んでからの待機年数は平均で2、3年、中には5年以上待つ人も一割以上いるらしく、いかに盲導犬の数が不足しているかがわかる。この原因として、育成費用が高額なこと、繁殖犬とリタイア犬のボランティアはそれほど不足していないが、何よりパピーウォーカーが不足しているということが挙げられる。
(盲導犬訓練センターを訪ねて)
10月30日、私たちは福岡県前原市にある盲導犬訓練センターで行われた見学会に参加した。参加者は私たちの他、大人から子供まで幅広かった。前半は主に盲導犬についての説明がなされ、後半は実際に訓練士と盲導犬による実演が行われた。
まずは犬が座ったり伏せたりする動きだ。訓練士の「sit」という命令で犬が座り、「down」で伏せる。命令は、大きな声だとびっくりするため小さな声で、また、日本語では男言葉と女言葉の二通りあり犬が混乱してしまうため、すべて英語で行われていた。
実演の際には2頭の盲導犬がいたのだが、1頭が実演している時はもう一頭は命令があるまで動かず、じっと座って待っている様子には感心した。続いて訓練士が目隠しをし、椅子を探す動き。「Chair」という命令で、犬は頭を椅子の上に置き、椅子のある場所を知らせる。そこで訓練士は手で椅子があることを確認して座る。
盲導犬は誉められることで学習するという。実際に、命令に従うたびに大の頭を訓練士がなでていた。
最後に、誘導訓練が行われた。自転車などの障害物や、行き止まり、段差などを犬が訓練士に教え、誘導していく。階段では犬が訓練士のペースに合わせ、上り始めや頂上、下り始めや下り終わりなどを少し止まることによって知らせていた。また、見学者も目隠しをして盲導犬と歩く体験があり、私たちも参加してみたところ、ハーネスが左右に揺れ、犬にぐいぐいと引っばられる感じがして、短い距離なのに長く思われた。
捜査の強力な味方、警察犬
警察犬は、鋭い喚覚を生かし警察の事件捜査を行うという役割を持ち、日本での警察犬の仕事は選別作業(臭いを選別する)、追及(足跡の追跡)の二種類がある。
驚くことに大の喚覚と聴覚は人の3000から6000倍であるという。警察犬は盲導犬と違い、人に完全服従するといった特徴があり、犬種は主にシェパードが用いられている。犯人を噛むといった行為は、アメリカでは認められているが、日本では過剰防衛となるため認められていない。北九州市では、嘱託犬として普段は個人の家で飼われ、事件などが起こった際に犬を借りて捜査が行われる。訓練期間は1、2年で、毎年1回行われる嘱託試験に合格した犬が嘱託警察犬として活躍している。試験内容は臭気選別と足跡追及の二つである。警察犬といえば犯人を追跡し追いつめるというイメージがあるが、北九州市で一番多い警察犬の仕事は、意外なことに夜徘徊して行方不明になった痴呆老人を捜索することである。また、水中・土中の遺体捜索も行う。
(警察犬訓練所を訪ねて)
11月4日、若松区にある芦屋警察犬訓練所を訪問し、警察犬を見せていただいた。私たちの前に現れたのは、体重が40㎏前後の大きなシェパード犬である。よく手入れされていて、毛並みがつやつやだ。訓練士と強い杵で結ばれていて、命令によく従う。そしていよいよ選別作業の実演だ。まず、訓練士がにおいの付いた布を5人分用意し、無作為に一列に並べる。5人のうち1人を犯人役として、もう1枚においを付けた布を用意し、それを訓練士が「におい、におい」といって犬ににおわせた。そうすると目の前にある5枚の布の中から、すぐに犯人役のものをくわえてきた。その素早さと正確さに、一同は思わず拍手だった。
欧米と比べると
日本では、未だにワーキングドック゛同伴で公共交通機関や飲食店などへの立ち入りが認められないことが多い。理由は、他の人に迷或山がかかるからということで、ワーキングドッグが一般のペットとは違うということを正しく理解されていないのである。そこで2002年10月には「身体障害者補助犬法」が施行された。この法律で、1978年に道路交通法で認定された盲導犬に加え、聴導犬・介助犬が補助犬として定められた。しかし、集合住宅や職場での受け入れや訓練などの問題点はまだ残っている。
では、外国においては、ワーキングドッグの活動状況はどのようなものだろうか。盲導犬に関しては、世界で一番頭数が多いのがアメリカ合衆国で10,000、次に多いのがイギリスで5,000頭、その他世界30数ケ国に盲導犬がいる。アメリカでは「ADA(AmericansWith Disabilities Act)法」 (障害をもつアメリカ法)で、盲導犬を伴う公共施設や交通機関の利用、職場への同伴、住宅での盲導犬の使用についてのアクセス権が保障され、違反者への罰則も規定されるなど、盲導犬のユーザーの権利が守られている。イギリスでもDDA(DisabilityDiscriminationAct)法」 (障害者差別禁止法)で、盲導犬ユーザーの権利やアクセス権が保障されている。スペインやオーストラリア、ニュージーランドでも同様の法律が制定されている。
これらの国々は、社会の受け入れ体制が万全である。ワーキングドッグに対して正しい知識を持ち、受け入れ体制を整えることが今の日本の社会に必要なことなのである。
私たちにできること
先に挙げたように、盲導犬をはじめとしてワーキングドッグは育成に多額の費用がかかるため、またパピーウォーカー等の不足のため、使用を希望している人に対して数が足りていない。そこで、ワーキングドッグの育成に私たちが協力できることがある。たとえば、育成費用のための募金だ。コンビニエンス・ストアのレジ前などで募金箱を見かけることがあるが、おつりを入れるだけでも、育成に役立つことができるのだ。
また、ワーキングドッグへの正しい接し方を知ると良い。街で困っているユーザーを見かけた時、声をかけ手助けをしてあげることも、小さなボランティアの一つではないだろうか。
そして、決して容易なことではないのだが、繁殖ボランティアやリタイア犬ボランティアになることで直接ワーキングドッグの育成に関わり、大きく貢献できる。このように、私たちができることはたくさんある。必要としている全ての人が、ワーキングドッグを利用できる日が来ればいいと思う。
若い潮
最近ファンタジーに人気が集まっている。映画化されて有名なのは『ハリーポッター』『ロードオブザリング』『ハウルの動く城』などだ。これらのように、舞台が異世界や、異世界と現実を掛け合わせた場所であるものを一般にファンタジーという。
魔法・妖精・竜・冒険などを連想させるファンタジーを幼い頃読んだ覚えがあるだろう。ファンタジーでは独自の世界を設定することができるので、物語を展開しやすく、娯楽性の強い面白さを持つ作品に仕立てたり、キャラクターの個性を際立たせたりすることがしやすい。この流れが「ジェットコースターのように目の離せない展開」と形容される、最近のファンタジーに受け継がれているのだろう。多くの子供達がその面白さに魅了され、読書のきっかけとしているに違いない。
ここで、『羅生門』を始めとして昔に題材を求めた作品を多く書いた芥川龍之介の言葉を紹介したい。「或るテエマを」 「芸術的にもっとも力強く表現する」ためには、「或異常な事件が必要となる」が、「異常なそれだけ、今日日本に起こった事としては書きこなし悪」く、「多くの場合、不自然の感を読者に起させて」 「折角のテエマまでも犬死をさせる事になってしまふ。」だから「昔か(未来は稀であらう。)日本以外の土地か或は昔日本以外の土地から起った事とするより外はない。」つまり、「不自然の障碍を避ける為に舞台を昔に求めた」。彼が言うのは、異常な事件を起こしても不自然な感を読者に起こさせないだけの、独自の世界を設定することができるファンタジーの利点ではないだろうか。
このように、作者が独自の世界を設定することができるファンタジーというジャンルは、様々なテーマを制約なしに追求することができる。これからも大きな可能性を持つものになるだろう。ハリーポッタ一に夢中になった人は、方向性の一味違うファンタジーにも挑戦してみてほしい。
新志士を訪ねて ~下関探訪記~
8月22日、私達新聞部は史跡を訪ねて下関に行った。下関は壇ノ浦の合戦や馬関戦争、日清講和条約の調印など様々な歴史が残る場所である。最近はドラマ新撰組などの影響で幕末を中心に歴史に対する関心が高まっているが、京都などより近い場所にも歴史の舞台となった場所があった。
(壇ノ浦の合戦)
1185年、下関の壇ノ浦で源氏が平氏を倒し、本格的な武家政治が始まることになる。
赤間神宮
宝物殿の前を抜け、境内の明るい雰囲気とは対照的な、鬱蒼と木々が茂っている場所に足を踏み入れる。するとそこには七盛塚とも呼ばれる平氏の墓がある。墓石には、平有盛を始め十数人の名前が残っていた。夏にもかかわらず涼しく感じたのは気のせいだろうか。社務所には平家蟹の展示もあり、平氏の怨念を感じるようだった。
(江戸時代)
下関は江戸時代、長州藩の領地だった。戦災にほとんどあわなかった長府の町は、土塀や長屋門、古江小路など城下町としての名残を色濃くとどめており、下関市とは全く違う雰囲気だ。歴史的な町並みと川や柳の木などを横目で見ながら、ここが江戸時代であった頃を夢想するのは楽しかった。
(幕末)
幕末に近づくと尊王攘夷論が広がるようになる。そして主に攘夷を目的として長州藩が起こしたものが馬関戦争である。これは1863年、久坂玄瑞の指揮により、アメリカ商船への砲撃から始まった。その攻撃がなされたのが亀山砲台からであった。
亀山八幡宮
残念ながら現在は砲台跡しか残っていないが、想像力の膨らむ場所だった。八幡宮からは道路、向かいの建物、そして海という展望が開けるが、昔はすぐ下が海だったようだ。ここから長州の志士たちが無謀にも外国船に挑んだのである。アメリカの後、フランス、オランダにまで攻撃に及んだ長州は翌年、四カ国連合艦隊に報復され、大きな痛手を被った。
巧山寺
四カ国連合艦隊に攻撃された1864年、高杉晋作は巧山寺で挙兵した。武士階級以外からも兵を募る奇兵隊を組織し、わずか80名で決死の挙兵であったという。境内に入るともみじが多く、秋に来ればすばらしい景色が望めるだろうと思われた。しばらく石段を登ると正面に仏殿が見え、少し奥に行くと馬に乗った高杉晋作の銅像があった。現在は存在しなくても、間違いなくここに高杉がいたことがある。そしてその場所に後世の人々によって銅像までも建てられたのだ。なんだか嬉しくなってしまって、私は意味なく地面を何度も踏んだ。この地面を百年以上前に彼は踏んでいたのだと考えながら。高杉がここで挙兵した理由のひとつは、ここに京都から追放された攘夷派・急進派の公家である七卿のうち三条実美ら5人がいたからである。彼らの前で挙兵することにより、公的なものであることを示す意味合いを持たせたのだ。
長府博物館
巧山寺のすぐ隣にある長府博物館には長府毛利家遺品・幕末維新資料を中心とした下関に関する様々な展示物があった。高杉の書簡や七卿の遺品の他、長州征伐の際に長州側として戟い、下関と深いつながりを持つ坂本龍馬の遺品などを所蔵している。
この後、幕府や長州で保守派と急進派の勢力が何度も入れ替わり、攘夷は不可能だと悟った薩摩・長州両藩はイギリスなどに接近して軍事力の強化に努めた。坂本龍馬らが結ばせた薩長同盟で討幕派の有利が決まり、大政奉還によって政権は幕府から朝廷に移された。
(明治時代)
明治になると政府は富国強兵を目標に西洋化を進めた。下関は東アジアに近いことなど、恵まれた立地条件から外交・経済・交通の拠点としてにぎわうようになった。
日清講和記念館
明治27年、下関は日清戦争の講和条約の場所として選ばれた。軍艦が狭い海峡を通過する光景が臨める、日本の軍事力を誇示できる場所であったからだという。記念館では、実際に講和会議で使われたテーブルや椅子、インク壷やストーブまでの調度品で、当時の部屋の様子を細かく再現していた。西洋文化が入ってきたばかりのこの時期らしく、畳の上に椅子、掛け軸とランプなど、日本的なものと西洋的なものが同居していた。
このとき調印された調和条約は下関条約と呼ばれ、清国は日本に朝鮮半島の独立承認・領土の割譲・賠償金の支払い等を約束した。
旧下関英国領事館
明治34年には英国領事館が開かれた。現在門司港・下関に残っているレトロな建物の一つである。外観だけではなく室内の間取りも建てられたときとほぼ同じ状態で残っていて、当時の様子を知ることができた。
今回、私はこの取材を通して平氏の人々や高杉晋作を、生身の人間としてより身近に感じることができた。また、歴史の事実をより肌で感じることができた。史跡を巡る楽しさというのはそこにあると思う
体 育 祭 ―これぞ質実剛健―
去る9月12日、思いがけない2度の台風到来と長雨続きで、当日も天気が心配されたが、私達の願いが通じたのであろう、無事秋空の下、平成16年度体育祭が始まった。
まず午前中の見物はなんといっても「俵さし」だった。インタビューした保護者の中からも「見応えがあった。」と言う声が多く聞こえた。10キロの俵を持ち上げ、仁王立ちして、肩が震えながらも持ち続けている姿に、見る者も息を飲んで見守った。
その他にも「綱取り」では女子が本領を発揮、「華麗に変身!Who are You?」では普段は厳しい先生方の変身に驚き、「騎馬戦」では上杉軍と武田軍に分かれ、白熱した戦いを見せてくれた。
そして午前中のインタビューの中で保護者の多くが一番期待していると答えていた「応援合戦」だ。
一年はまず男子の型から始まり、浴衣姿の女子がうちわを持って「夏祭り」を踊った。次に二年生、男子がまず勇ましい型を見せた後、それに続いて女子も「前略、道の上より」を力強く踊り、最後は男女全員の棒を使った型を披露した。
そして三年生。男子の圧巻の型の演技で観客を魅了したのも束の間、女子が夏休みから時間をかけて作った美しい衣装を身にまとい、中国の伝統舞踊を思わせる踊りを披露、最後は男女全員の息の合った演技の中を山車の二匹の竜が進んでゆく。まさに、今の三年生を象徴するような、堂々としたものだった。
今年の体育祭は連日の悪天候で練習も満足にできないまま本番を迎えることになった。だが一人一人が短時間の練習や準備に集中したことと、何よりも成功させたいという熱意があったので、素晴らしい体育祭を完成させることができた。
「全員が気持ちを一つにしてがんばっている最高の体育祭だった。」
「例年に負けない盛り上がりで、見ている側も楽しい。」という言葉が多くの観客から聞けた。
では最後に、体育祭を大成功に導いてくれた三人の応援団長のコメントです。
一年応援団長 岡田優一郎
今回の体育祭では、皆が団結するきっかけが出来たと思います。その中でも一番印象に残っているのが「応援合戦」です。例年よりも取りかかりが遅く、練習時間も短かったため、型を完壁にすることが出来ず、皆に迷惑をかけてしまいました。けれど、私はこれがただの失敗だったとは思いません。練習の過程で得たものはたくさんあったと思います。協力し合う、ことや、一生懸命に頑張ること、団結の大切さ等を知ることが出来ました。本番では上手くいきませんでしたが、このことを来年に生かすことによって、素晴らしいものが作れると思っています。来年の「応援合戦」を期待しています。
二年応援団長 上妻 謙介
僕たちは夏休みに入ってから、ほとんど休みを取らずに体育祭の応援練習に取り組んできました。振りを作るのにかなり時間がかかり、教える時間をあまりとることができなくて、完成度にやや不安を残したまま当日を迎えてしまいました。今年は天候にも恵まれず直前の台風で予定を乱され、また本番三日前の男子の振りの変更など学年の皆に多々迷惑をかけて申し訳なく思います。準備不足で臨んだながらも、出せる力全てを出すことが出来たし、何より体育祭を一丸となって皆と闘えたことが、とてもうれしかったです。よい結果は残せなかったけれど、これをバネにして来年こそは優勝したいです。
三年応援団長 石橋 亮祐
103期のみんな、体育祭お疲れ様でした。みんなのお陰で素晴らしい体育祭をつくりあげることができました。限られた準備期間にもかかわらず、本番では103期の力強いパワーを見せてもらいました。 応援合戦では、みんなの気持ちが一つとなり、多くの拍手が巻き起こりました。あのときの感動は二度と味わえるものではありません。ほんとみんなに感謝したいです。最後まで自分たちについてきてくれてありがとうございました。103期最高!103期バンザイ!ありがとう、ありがとう。
東筑の虫 仮想旅行(バーチャル・トリップ) in ローマ
エジプトにべトナム、オーストラリアにドイツ…。私がいつか行こうと思いを馳せている国は数えきれないほど。しかし、当然ながら資金も時間もない私が行けるはずもなく、パンフレットやガイドブックを眺めるだけで終わってしまうのですが。今回は私が計画したプランで紙面上ではありますが、みなさんと一緒に旅行に行ってみようと思います。題して「仮想旅行(バーチャル・トリップ)」。記念すべき第1回目の訪問地はイタリアのローマ。比類なき大帝国を築きあげた古代ローマ。
今回はそのローマ建国当時の中心地の七つの丘周辺を旅してみましょう。
まずはパラティーノの丘周辺から。この地はローマ建国者・ロムルスが都市建設の中心地として選んだ地域で、歴代皇帝の多くが住んでいました。では、コンスタンティヌス帝の凱旋門から出発しましょう。ローマ最大のこの凱旋門は313年に彼が政敵マクセンティウス帝との戦いに勝利したときに建てられたものですが、何と言っても保存状態がいいです。門を飾るレリーフの装飾は圧巻で、皇帝の偉大さを見て感じ取ることができます。そしてそのすぐ横にあるのが円形競技場(コロッセオ)、五万人を収着できる4回建てのこの壮大な競技場に立っていると、周囲を観客に囲まれながら死を覚悟で闘っていた剣闘士たちの名誉や恐怖といった思いが伝わってくるようです。ちなみにこの剣闘技の際に血を吸い取るためにまかれた砂をアレーナと言い、現在のアリーナ(球技場)の語源となっています。
次に西に少し行くとフォロ・ロマーノにたどり着きます。ここは古代ローマの民主政治時代に中心地として栄えていて、現在でも元老院や王宮などの多くの遺跡が残っています。カエサルやアントニウスが政治を行った地。歴史の雄大さを実感します。
一通りローマの中心地を回ってお腹も空いてきた頃なので、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世広場に行って昼食にしましょう。この場所は平日に市場(メルカート)が開かれ、観光客と地元の買い物客で賑わっています。パン屋ではコロッセウムやロムルスの母狼などを形づくったパンなどローマならではの味を楽しめます。お惣菜屋さんでテイクアウトしたものや市場で買った果物を持ってローマの街並みを歩くのも良しです。
お腹もいっぱいになったところで、クィナーレの丘の周辺へ。ここには現在、大統領官邸や内務省があり、テレビ中継では、「大統領官邸、内務省から中継します。」と言う代わりに「クィナーレから中継します。」と言うそうです。ここの名所はなんといってもトレヴィの泉。初めは広場が意外に狭い感じを受けますが、ネプチューンの彫刻と噴水との調和と美しさにきっと心奪われるはずです。〝ローマへもう一度戻りたいと願うなら、後ろ向きにコインを投げよ″という言い伝えがあるので、ぜひ試してください。
そして、トレヴィの泉から西へ十分ほど進むと、コリント式の巨大な16本の円柱が見えてきます。
そうここが今回の最終目的地のパンテオン。パンテオンとは「全ての神々の」という意味で、神々に捧げられた神殿です。現存するローマ建築の最も完全な遺構というばかりでなく、世界最大の石造り建築でもあります。内部には有名画家 ラファエロの墓が小祭壇として置かれています。一歩足を踏み入れると、天窓からの陽光が辺りを優しく包み、その荘厳さに思わず立ち止まってしまう、時の流れを忘れさせてくれる空間です。
今回の旅の終わりは、喫茶店で一杯のおいしいカプチーノでしめくくりましょう。ローマを離れたくないような、でも次の旅行への期待に胸が躍ります。では次回の旅でお会いしましょう。次の旅はベトナムです。
編集後記
幕末ファンの私としては、下関訪問は本当に楽しいものでした。ただ長府博物館で、普段展示している坂本龍馬の湯飲みが運悪く展示されておらず残念でした。11月15日は龍馬の誕生日であり暗殺された日です。悼。 (ラピスラズリ)
夏休みに下関、秋には盲導犬と警察犬の訓練所、と取材に飛び回った二学期号だった。大好きの私は特に訓練所の取材が楽しかったが、家に帰ると臭いが染みついていたのか、心なしか家の犬が敏感だったのは気のせいだろうか。 (ガーネット)
先日のヨン様の来日で日本中が大騒ぎしたのも記憶に新しいですが、私にも遅ればせながら韓流ブームが到来したようです。注目はイ・ピョンホン。彼の余裕のある笑顔は犯罪です。やられます。(ブルートパーズ)
今回の新聞は、いろんな所に取材に行って作った力作です。面白く読んでいただけると幸いです。 新聞部では今、昔のロックが流行っています。いかした音楽と共に年末年始を楽しく過ごしましょう。 (サファイア)
第241号 平成16年 7月20日(火)発行
ようこそ東筑
「自分探しの旅」 学校長 増田俊明
我々を取り巻く社会は、国際化や情報化、少子・高齢化の進展をはじめ、めまぐるしく変化しています。21世紀はこれまで以上に変化の激しい時代と言われています。東筑生諸君は、たくさんの可能性を秘めており、そんな21世紀を担う有為な人材であると期待されています。
東筑生活3年間を通して、本校の教育方針である
①ひたすら勉学に励み、心身を錬磨して、校是である『文武両道』『質実剛健』の精神を貫く。
②次の時代の担い手として広く社会に貢献できる、心身ともに逞しい、有徳の人間育成を目指す。 ③生徒一人ひとりの個性を生かし、希望進路の実現を図る。を目指し、21世紀の国際社会を
リードするに足る卓越した人材
に育って、さまざまな場で活躍してほしいと願っています。
私は、卒業以来(昭和45年卒、68期)35年ぶりに母校東筑に戻ってきました。
赴任当日、折尾駅から狭い路地を通り、歴史を刻んだ石段を登り、懐かしい本館を見上げたとき、初めて母校に帰ってきたという実感が湧いて参りました。私の在学当時「新館」と呼んでいた校舎、現在の本館は約半世紀の風雪を耐え抜き、床が少し傾いていますが、24,000余名の卒業生をそこから輩出しており、本当に歴史を感じさせられています。
私は本年四月の着任から、東筑高校の同窓会「東筑会」(会員約37,000名)の本部・各地域の総会に数多く出席し、多くの先輩の皆さんや後輩達と話をする機会を頂き、生徒諸君の活躍等母校の近況を報告しながら情報交換を行ってきました。(東筑会は現在、本部のほか、東京、上総、東海、関西、広島、福岡、芦屋、岡垣、遠賀、中間、鞍手、折尾、水巻、宗像の14の地域東筑会があり、それぞれの地域で活動を展開しています。)
東筑は長い歴史と伝統、文化を誇り、東筑OB達は全国各地において多方面ですばらしい活躍をしており、非常に結束が強く頼もしい存在であると改めて感じています。その「東筑会」で盛り上がる話題は、東筑で青春時代を過ごした思い出や、母校や後輩達への大きな期待でありました。
生徒諸君は、今まさに「自分探しの旅」が始まっていると思います。「自分探しの旅」、すなわち「自分の特徴や長所、興味や関心は何であるのか。東筑でどのようなことを学びたいか。卒業後はどのような進路を選び、将来どのような職業に就きたいか」をしっかり見つけていってほしいと考えています。自分の「夢」をしっかり持ち、自分の進むべき道を真剣に考え、自分の夢の実現、すなわち「自己実現」に向けて邁進してほしいと願っています。
生徒諸君が、この東筑での三年間を通して、自分自身をよく見つめ、様々な体験を積んで、ひとまわり大きく成長すると共に、自分の進むべき道を見出さんことを期待しています。
そして、21世紀のリーダーとして日本だけでなく広く世界で活躍されんことを願っています。
若い潮
私はロックが好きだ。そして、その理解を深めるのに役立ったのがライナーノーツである。ここで私は、ライナーノーツを中心にした、音楽の聴き方を紹介したい。
ライナーノーツとは、主に洋楽が、日本で発売される際につけられる曲目解説のことだ。日本では輸入盤と国内盤の二種類を手に入れることができるが、国内盤のほうがどうしても高価になってしまう。その差別化をはかるために、ボーナストラックと共につけられているのが歌詞の日本語訳とライナーノーツなのである。
これに書いてあるのは、まず出身地や今までの活動履歴などの、アーティストに関する基本的な情報。もちろんこれは、そのアーティストの他のCDも買ってもらうための宣伝を兼ねているから、必要不可欠だ。それからそのアルバムの製作経緯やいかに外国で売れたか、なんてこともよく書いてある。
ただ、ライナーノーツはいわばオマケ的な存在であるために、CDによって気合の入れようが随分異なる。どれだけ売れたかの数字だけだったり、楽曲には直接関係ないことがだらだらと書かれていたりする三流品もある。そしてそれが一番わかるのは、その曲の聴きどころの解説だ。表面的な感想やよく聞く言葉の羅列だけだったら、残念ながらそれはハズレだ。
しかし、その曲の聴きどころをうまく言葉に置き換えているものや、系統立ててより理解しやすくしているものがある。これらは読んでいて「音楽の聴き方のポイント」を知ることができ、たいへん勉強になる。今わからないことも、しばらく聴いて理解できたりする。音楽の聴き方のポイントを探るには、良いライナーノーツが最も手近で役に立つと思う。
また、そのアーティストに影響を与えたアーティストを紹介していることがあり、聴く範囲を広げる参考にもなる。例えば現在好きなアーティストが影響を受けたもの、それを聴いて良いと思えば、またその影響を受けたもの…と聴いていけば、いつの間にか縦の歴史を知ることになって面白いそういう洋楽の聴き方もある。
他に、その曲が出た頃の時代背景を説明しているものもある。日本に住んでいるため、外国の社会情勢はどうしてもわかりにくいがそれが簡単に解説されていて、その音楽を違った視点から理解するのに役立つ。なかには、時代を直接反映した音楽や、製作者はそのつもりはないのに時代に合わせた解釈をされる音楽がある。例えば七十年代のイギリスの閉塞感や未だに残る階級制度に反発したのはセックスピストルズ。一枚のアルバムしか残されていないが、パンクロックの「基本」として伝説化されている。パンクロックはそもそも、社会に対する反発やアナーキーな状態への志向をエネルギー源にしているから、時代の影響を受けやすい。そういった意味で最近のポップパンク(またはメロコア)と呼ばれる健康的なパンクもまた今という時代を反映しているのかもしれない。
流行を追うだけでなく、またカラオケで歌うためだけではなく自分なりの音楽を求めたい人には、ぜひ洋楽を、しかも輸入盤ではなく国内盤を、おすすめしたい。確かに輸入盤より値がはるときも多いが、同時にレンタルCDはだいたい国内盤だから、借りて聴くのもよい。
最後に、私の好きなニルヴァーナをおすすめする。91年、湾岸戦争が始まった年に出したアルバムが大々的に流行ったこのバンドは、お世辞にも明るく健康的だとは言えないが、重たいサウンドとキャッチーなメロディで独特の音を作っていて、かなり聴き応えがある。そしてこのバンドを音楽的にも、社会的にも、歴史的にも(洋楽史的にグランジロックという新たなジャンルの代表者となったのだ)理解するのに示唆を与えてくれるものが、私にとってのライナーノーツだったのだ。
文化祭 盛り上がり最高潮!!
去る6月19日、文化祭が行われた。まず体育館でCMの上映があり、そして開会式。
校長先生の挨拶の後、音楽部の演奏があり、素晴らしいハーモニーで会場を圧倒した。続いて吹奏楽部が演奏し、開会式は大いに盛り上がった。
クラス企画では、3年生文系がドミノ、理系は今年もロボコンを行った。2年生は自由なテーマで個性を出し、1年生はステージ企画で劇、歌、タップダンスなどのパフォーマンスを披露した。
そして最後は文化祭の締めくくり「一声」。「すべてが僕の力になる」を生徒全員が一丸となり歌った。大きな歓声と熱気に包まれ、例年を上回る人を迎えた文化祭は盛大に幕を閉じた。
次に、文化部へのインタビューを紹介しよう。質問事項…①出し物②文化祭を終えての感想
◆演劇部
① 演劇「捨テル人々」を2回上演しました。
② 今年は本校の生徒がたくさん 見に来てくださって、とても嬉しかったです。
◆ESS部
① ASHPUTTEL&THE GOLDEN G00SE という演目で2つの物語の英語劇をしました。
② 昨年よりもたくさんの人が見に来てくれて、特に東筑生の観客が多かったので嬉しかったです。
◆写真部
① 自分たちで撮った写真を展示しました。
② 文化祭直前まで準備に忙しくて大変だったけれど、無事間に合ってほっとしました。
多くの人に写真を見に来ていただいて、本当に嬉しいです。
◆美術部
① 絵画とイラストの展示。イラスト集の配布。
② 幅広い層の人たちに見てもらって幸せでした。
◆食物部
① クッキーとケーキとマドレーヌを売りました。
② 相当大変だったけど、前年以上に好評ですぐ完売しました。
嬉しかったです。みんながおいしいと言ってくれました。
◆化学部
① フラスコ製作、スライムづくり、メッキ、花火、ルミノール反応、ケミカルガーデンなど
各種実験をしました。
② 準備が大変でしたが実験が喜ばれて嬉しかったです。
◆茶道部
① お茶会を開きました。
② 2年生の先輩たちが中心となって点前、1年生はお菓子を出したけど緊張しました。
大勢の人が来て下さって嬉しかったです。
◆書道部
① 自分達の作品と3年担当の先生方の色紙を展示しました。
② 日頃見られない先生の字が見られて楽しかったです。
◆新聞部
① 今年は産業専門紙を集め、それを元に日本の産業構造がどう変化したかを調べて展示しました。
② 今年は例年以上にテーマが複雑で、できあがったのが本当に奇跡です。
皆さんから、そして閉会式の講評でも高い評価をいただけたのは大変光栄に思います。
序盤の四点きっちり守りきる! ― 定期戦 2年ぶり勝利 ―
観戦記
試合開始前、守備練習のため選手たちがグラウンドに散っていく。青野先生の打つ球が外野に飛んでいくのを見ると、いよいよ始まるという思いで私達の気持ちも高ぶってくる。
午後2時過ぎ、末吉興一北九州市長の始球式で試合が始まったのだが、市長が戻る際東筑のスタンドにボールを投げ入れたことで、東筑側の応援席は一足早く盛り上がり始める。「守っている時に応援がよく聞こえて力になりました。」と主将が言うように、序盤の4点をあげる攻撃で応援は最高潮に達した。「東筑の応援はまとまっていてすごくいいと思った。」と小倉高校生徒も語ってくれた。
いよいよ7月10日からは夏の大会が始まる。3年生の選手にとっては高校生活最後の大会だ。インタビューでも「夏の大会に照準を合わせて毎日練習している。」と言っていた。また、マネージャーの遠藤さんは「部員一人一人がチーム全体の雰囲気作りを大事にしている主体的なチームです。」と語り、自分の仕事に「試合中のベンチの中で選手たちの緊張をほぐすこと」を挙げている。このように技術の面だけでなく、精神的な面でもチームワークの良さを知ることができた。この大会、東筑野球部の良さを全て出して一歩一歩勝ち上がっていってもらいたい。そして、また全ての部活動の夏の大会にも、エールを送りたい。
試合内容
6月4日、第14回東筑・小倉定期野球大会が桃園球場で行われた。
1回の表、小倉がショートゴロの間に1点をあげるが、東筑もその裏、3番主将の日高君のレフト前ヒット、二者連続の四球とチャンスを作り、6番谷口君がレフト前にタイムリーヒットを放ち、その後押し出しで勝ち越しに成功。
2回の表、先発の松本君が小倉を三者凡退に抑えると、またしてもその裏東筑は、相手のエラーと5番島田君のレフト前タイムリーヒットで2点をあげて4対1と差を広げた。3回以降は両校とも先発の2人が好投を見せ、7回までスコアボードには0が並ぶ。東筑は8回に1点をとられるものの、9回投手の野田君が小倉の打線をきっちりと抑え、4対2で東筑が2年ぶりに定期戦に優勝し、これまでの大会成績を7勝5敗2引き分けとした。
得点表
| 回 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 小倉 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 |
| 東筑 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | × | 4 |
インタビュー
「三年生に勝利の試合を見せることができて良かった。定期戦は勝ち負けにこだわらず生徒たちにいい 思い出を作ってもらいたいので、そういう面でいい試合だった。」 青野監督
「早い展開の試合だったが、チームはリラックスしていた。後半に追加点がとれなかったので夏の大会へ向けて改善していきたい。」 主将 日高君
「四球を2つに抑えられたのがよかった。(打撃でも2安打)大きいのを狙わずに打ったのがいい結果につながった。」 投手 松本君
「(東筑の応援について)強制されているわけでもないのに楽しそうに一生懸命に応援している。
離れてみて東筑の良さが改めてわかった。」(惜しまれつつ東筑から小倉へ転勤なさった)M先生
規律と友情の体験学習
1年生の規律と友情の体験学習が、4月27日から3日間英彦山青年の家で行われた。
初日、体操服などでいっぱいになったバッグを持って学校に集合した1年生362名は、バスに乗り英彦山に向けて出発した。
午前11時に到着し、少し早い昼食を取ったあと、入所式がありその後、この日のメインの集団行動が始まった。
開始する前に「これからきついから体調の悪い人は見学してもよい。」ということを先生から言われ、一体どんな事をするんだと思った。実際に女子も男子と同じ量のトレーニングをしたので「きつい。」と言う声が女子のあちらこちらから聞こえる。しかしクラスごとに合宿最終日の発表会へ向けて練習が始まり、みんなで話し合い、わからない点を教え合いながら一つ一つの動作がそろい始めると何とも言えない楽しさがこみ上げてくる。集団行動=激しいだけだと思っていた以前の自分には考えられないことだった。2時間の練習時間があっという間に過ぎた。
その後、夕べの集い、夕食、入浴、クラス別の研修があり、自由交歓では先生と将棋を指す人あり、体育館で遊ぶ人ありとそれぞれが楽しい時間を過ごした。しかしその中でも5分前行動を考え、部屋を常に整理しておくなど、日常生活にはない緊張感を持っていなければならず、そのせいか、一日目から布団に入るなりすぐ寝てしまった。
二日目の朝はにせの(笑)鳥の鳴き声で起床し、いつもより多く朝食を食べ、弁当を受け取り、この合宿の最大のイベントである登山に向けて準備をした。
そして、午前9時40分登山出発。他校の登山した友人や先輩から聞いていたとおり、急な岩場が最初から多く、みんなの口数も少なくなっていく。その中で私の疲れを軽くしてくれたのが出発前にもらったアメだ。アメの甘さが疲れていた体に元気をくれる。そして登山中に感じられる水の音、涼しい風、風景の美しさなどの自然も一歩一歩登っていく手助けをしてくれた。
やっと頂上について昼食をとり一息ついたのもつかの間すぐに下山となった。登りより危険なのでペースが遅くなると、友人との会話も弾む。頂上を出発して3時間、少しの疲労と登り切った爽快感を持って登山を終えた。
夕食、入浴を済ませて部屋に戻る途中、色々な場所で集団行動の練習をしている姿が見られた。決して強制ではなく自主的に練習しているのを見ていると、この学年に所属することができてよかったと思う気持ちが自然に起こった。
午後7時からはキャンドルの集いがあり、第一部で火が灯されたキャンドルを囲んで第二部のレクリエーションを行った。「楽しむ時は思いきり楽しめ。」と先生が言ったように、みんな優勝を目指し少し汗をかくほど体育館内を駆け回った。第三部で火が消され集いが終わり、部屋に戻って就寝準備、班別ミーティングをして午後10時30分「明日で帰るんだ。」と少し感傷的になりながら就寝した。
翌日は朝から雨だったが、予定通り10時40分から集団行動発表会がグラウンドで行われた。風が強く吹き肌寒い中で、自分たちの発表の順番がくる直前まで練習しこれまでの練習の成果をどのクラスも本番で披露することができた。
その後退所式があり昼食を済ませバスに乗った。そして高校について解散。2泊3日の合宿が終った。
今回の合宿は例年より時期が遅く、入学してから1ケ月半近くが経っており、集団行動などではとても良い雰囲気の中クラスで打ち解けて活動することができた。そしてこの合宿の中で「友情」がさらに深まり、高校生活にある「規律」の真の意味を知ることになった。
この合宿を終えてやっと東筑高校の一員になれた気がした。
東筑の虫
あと40年。なんと石油が枯渇するまでの年数である。これは一説で、35年という説もあるが、少なくともこれから数十年で石油がなくなってしまうことには変わりない。とすると、現在石油を精製してエネルギー源として使っているものはどうなるのだろう。私たちの一番身近なものである車は一体どうやれば動かせるのだろう。
結論から言えば、新しいエネルギーを見つけるしかない。というわけで、今世界の至る所で新エネルギーの開発が行われている。その中で、私が今一番注目しているのは「燃料電池」である。これは最近「燃料電池車」として新聞の記事でよく見かけるものだ。
「燃料電池車」とは何か。簡単に説明すれば、車内に蓄積した水素と空気中の酸素が化学反応してできる電気で動く車である。ということは、水しか排出しないのである。排出物に関しては完全に「無公害」なのだ。今まで草から排出されるものといえば二酸化炭素で、温室効果の元になるとして嫌われていたが、燃料電池はそれを排出しないのだ。地球温暖化防止に大いに貢献できる。これはとても喜ばしいことである。
現在日本では、自動車業界各社が燃料電池車の開発を行っている。政府もこれに大変注目しており、2002年に総理大臣官邸に燃料電池自動車の市販第一号車が2台(トヨタとホンダから各1台)納入されている。更に、2010年度に5万台、2020年度に500万台の燃料電池車の導入を目標にしている。アメリカでもブッシュ大統領が燃料電池車の開発に総額12億ドルを投じると発表した(2003年1月現在)。
ただ、やはり開発段階なので、まだまだ問題点が多い。その中でも一番問題となっているのが、コストの高さだ。燃料電池車に燃料の水素を供給するには、現在のガソリンスタンドに相当する水素供給ステーションが必要となるわけだが、その水素供給ステーションを設置するためにはガソリンスタンドの設置コストのおよそ4倍かかる。まずここを何とかしないといけないようだ。各企業が開発を進めているので、これからの動きに期待したい。
先に、完全な「無公害」と言ったが、実は他にもいい点がある。それはエネルギー効率の良さだ。燃料電池は、電気化学反応によって水素の持つ化学エネルギーを直接、電気エネルギーに変換する。このため、従来の発電のように「化学エネルギー→ボイラーで燃料を燃やす(熱エネルギーに変換→タービンを回す(運動エネルギーに変換)→電気に変える」というようなエネルギーの形態を何度も変換することによる損失が少なくてすみ、エネルギーの利用効率を示す理論発電効率は83%で、既存の発電方法に較べ格段に高いのである。燃料電池車の開発により一般利用が実現されれば、これは間違いなくこれからの私たちのエネルギー利用を大きく変えるものとなるだろう。
新エネルギーの開発は人類にとって現在最も緊急の課題と言って良いだろう。しかし、今私たちが既存エネルギーを過剰利用していることもまた事実である。このままでいいわけがない。外に出れば道路では多くの車が往来している。排気ガスに鼻を覆いたくなることもしばしばだ。車は確かに便利だが、私たちはそれを利用することによって自分たちの健康を自ら害し、さらには私たちの生きる場所である地球をも滅ぼそうとしている。新エネルギーが開発されていること、そしてそれが実用化される日がそう遠くないのは事実だが、それまでの間車の使用を必要最低限におさえるべきだ。
40年後、私たちの生活において燃料電池車が当たり前になり、町中のガソリンスタンドは水素供給ステーションになり、排気ガスを排出せずに車が走っている、そんな光景になっていることを私は望むし、また信じている。そしてそれが実現するために、何らかの形で自分も貢献していきたい。
編集後記
とうとう最後の新聞になってしまった。振り返ってみると、失敗ばかりで周りの人々に迷惑をかけっぼなしであった。そんな私を辛抱強く指導して下さった方々に心から感謝したい。そして、後輩諸君。今までこんなへッポコ部長についてきてくれてありがとう!これからの健闘を祈っています。(ムーンストーンこと江頭幸起)
記事を書くための取材、調査、考察を通した貴重な経験や、苛酷なしめきり前の恐ろしさなど、さざまな運命を共にした先輩が引退されます。本当にいろいろありがとうございました。ところで今年はニルヴァーナのボーカル、カートの十周忌です。悼。 (ラピスラズリ)
2年生になり、ますます一日が過ぎていくのがはやくなった気がする。そして暑さの苦手な私にとって厳しい夏がいよいよやってくる。しかし夏祭りや花火大会などの楽しい行事も待っている。夏休みを有意義に過ごしたい。 (ガーネット)
入学してから早四ケ月、今一番の悩みは毎朝、四階の教室までの階段を上ること。体育の授業の後や売店から戻る時はなんともないのに、朝だけは異様にきつい!そう思っているのは私だけでしょうか、一年生のみなさん。 (ブルートパーズ)
新人が入部し新聞部は無事続きそうです。ホッ。文化祭では「日本の産学構造」などという大それたテーマに挑み、討ち死に寸前でしたがなんとか成功させることができました。部員のみんな、お疲れ様。ありがとう。 (サファイア)
「守りに入っちゃあいかん。攻めの姿勢が肝腎」確かにこれで、多くの分野で発見が見られ、今の日本があるのだろう。が、これで、世の中、余裕や寛容さが減ってきたみたい。「攻めの姿勢」が「責めの姿勢」にならずにありたい。 (パール)
第240号 平成16年 3月 2日(火)発行
卒業おめでとう
生きる糧としての東筑魂 校 長 古田 智信
102期生の皆さん、卒業おめでとう。皆さんは三年間、文武両道に一生懸命努力しました。その成果は、東筑高校の歴史の1ページにしっかりと刻み込まれるとともに、後に続く後輩達の新しい目標となりました。私も、三年間の真聾で勤勉な皆さんの高校生活を心から讃えます。
これまで3万6千人の生徒達が、東筑高校を巣立っていきました。少し前までは、卒業生達の前途に一点の不安も感じることはなく、その未来は、眩しいほどに輝いていました。その若さがあれば、どのような困難も跳ね返していけると確信することができました。
しかし、いまはそのような楽観を許さない時代です。卒業生の持つ力そのものは、それほど変わっていないのですが、先行き不透明な社会ゆえに、卒業生の行く手に暗雲を予測してしまいます。
ドイツの詩人ヘルマンヘッセが書いた詩に「困難な時期にある友だちたちに」というものがあります。ここに、一節を引用します。
この暗い時期にも、
いとしい友よ、
私のことばを容れよ。
人生を明るいと思うときも、
暗いと思うときも、
私は決して
人生をののしるまい。
(新潮文庫『ヘッセ詩集』より)
あまり明るい展望のない社会情勢です。今後皆さんは、失敗や挫折の原因を自分以外のところに求めて、人生をののしりたくなることもあると思います。逆に自分の力に絶望して、人生をののしりたくなることもあるでしょう。しかし、皆さんがどれ程人生をののしろうと、明るい未来を創ることはできないのです。
ヘッセは、この一節に続く部分で、「魂のことばを読むことを学びたまえ⊥と書いています。私は「東筑魂」と言い換えたい。
卒業する皆さんが、今後困難な時期に遭遇したとき、心の中の東筑魂から生きる糧を引き出してください。もし、自分の東筑魂が力を失ってきたら、東筑高校を訪ねればいいのです。そうすれば、不擁不屈の東筑魂が復活して、再び自分の目標達成に向けて力強い歩みを始めることができます。
新たなる門出を祝して 学年主任 小森 伸宏
卒業おめでとう。皆さんの凛々しくも逞しく成長した姿を目の前にして、三とせの春秋をこの東筑で共に過ごせた縁を、無上の喜びと感じ、これからの大成を祈らずらににはいられません。
三年前の入学式で、皆さんの初々しく緊張した姿やこれからの高校生活に対する希望に燃える瞳と出会ったのが昨日のことのようです。
一年生では英彦山での規律と友情の体験学習やタングラムでのスキー教室で、おとなしくて真面目な102期生との印象を見事に覆し、皆さんの若さとパワーを見せつけうれました。
二年生になり、まさしく東筑の中心学年として勉強に部活動にさらにその力を十二分に発揮しました。授業中、時には睡魔と闘いながらも気力で乗り切ろうとする皆さんの姿を思い出します。
そして三年生での体育祭、初秋の太陽のもと、溢れるような熱気と優勝を目指す割れるような歓声の中で、山車を担ぎ応援の演技をしました。結果としては惜しくも破れ、涙をのみましたが、皆さんの姿は光り輝いていました。
さて102期生の進路便りや放課後課外にチャレンジという名前が付けられていたのを覚えているでしょうか。皆さんが本校を卒業し、さらに広い世界で活躍できるように、との願いを込めてチャレンジという言葉を使ってきました。自分の視野や経験を広げようと思えばチャレンジ精神は不可欠なものです。本校の卒業が決してゴールではなく、ひとつの通過点に過ぎないということを肝に銘じて、これからの人生において、幾多の試練に直面する時、何事にも勇気をもってチャレンジして下さい。皆さんの今後のこ健闘を祈ります。
若い潮
私は洋楽を聴くのが好きだ。テレビのCMや歌番組、ラジオなど、日々私たちが洋楽を耳にすることは多い。洋楽は、歌詞の意味がわからなくても、メロディーや歌声などでその曲を楽しんで聴くことができる。ここで、アヴリル・ラヴィーンという歌手について紹介したい。
彼女は自分で曲を書いており、ロックからポップまでジャンルが幅広い。存在感のある歌声、耳に残る心地よいメロディーが特徴だ。小柄な体とかわいい顔でストリートファッションを素敵に着こなしている。また彼女をはじめ最近では、ミシェル・ブランチやステイシー・オリコなどの女性アーティストの活躍が目立っている。
中学校での英語の授業で、先生が何度か洋楽を流してくれたことがあった。歌詞がところどころ( )抜きされたプリントが配られ、曲を聴いて単語を埋めていく、という授業だった。埋める単語はそれまで授業で習ったものなのだが、聴いてみるとわかりにくいものもあり、思ったより難しかった。けれども何度も聴くうちにだんだん聴き取れるようになったので嬉しくなり、この英語の授業がとても楽しみになっていった。生きた英語のリスニングの練習になって良かったと思う。「Let it be」「Can't take my eyes off of you」など、みんなが一度は耳にしたことがあるような曲が選んであり、聴くときに親近感を持てた。これを機に、洋楽を聴く機会が増えていったのかもしれない。
最近は歌詞カードをよく見て、詞の意味を考えながら曲を聴くようになってきた。と言ってもまだ、英語の詞だけを見てもほとんどわからないので、つい日本語訳を見てしまうのだが。いつかは英語の歌を聴きながら口ずさめるようになると最高だと思う。
国際貢献を考える
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二学期の新聞で、私達新聞部はイラク問題について取り上げた。
国際社会には他にも多くの問題があるが、これらに対して自分達
ができることは何だろうか。今回は、世界規模で人々の幸せに
貢献している諸団体についてみていき、考ええていきたい。
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NGOとNPO
最近、NGO、NPOという言葉をよく耳にする。特に最近はNPO法などが話題になっている。イメージはできても、厳密な意味がわかっている人は少ないと思う。
まずNGOは、Non-Governmental-Organizationの略で、直訳すると「非政府組織」である。NGOの基本的な性格は、1.利潤を目的にしないこと。2.政府の一部分でないこと。3.組織としての体裁を備えていること。4.独立して組織を運営していること。5.自発性の要素があること。である。ただし利潤を目的にしないと言っても、所属している人の収入や、事業費、管理費は稼ぐ。活動領域は、医療・自然科学・平和運動・学術文化交流など多岐にわたる。
それではNPOはというと、Non-Profit-Organizationの略で、直訳すると「非営利組織」。2000年現在で日本全国に約88,000の団体がある。このNPOとNGOの違いはと言うと、基本的には同様の意味を持つものらしい。しかし、政府とは異なる民間の立場を重視したのがNGO、企業とは違い営利を目的としないという点を重視したのがNPO、というニュアンスの違いはある。また、NGOは開発協力など国際的な活動を行う団体、NPOは地域社会で福祉や町づくり活動などを行う団体という意味で使われる傾向もある。今回は国際的な活動を中心に見ていくので、NGOに焦点をあてたい。
NGOの実態
NGOには地方で活動するごく小さな市民団体から、世界規模で活動している団体まであり、その形態も多様である。ここでは世界的に活躍しているNGOをいくつか紹介する。まず世界最大の民間緊急医療援助組織である「国境なき医師団(MSF)」。紛争や災害の現場に駆けつけ、人種・政治・宗教に関わらず分けへだてなく援助を行う。「世界自然保護基金(WWF)」は世界最大の自然保護団体である。世界の動植物、天然資源、環境の保護が目的。「アムネスティ・インターナショナル(AI)」は、世界人権宣言が守られる社会を目指し、思想・信条・人種・肌の色など不当な理由で拘束されている人の釈放と、拷問や死刑の廃止などを求めて活動している。「ペシャワール会」は福岡に本部を置く医療援助を中心とする組織で、水利事業や農業計画も行っている。「ハンガーフリーワールド」は飢餓・貧困のない世界を創るために活動しており、開発協力や啓発活動を行っている。また、インターネット上でクリックすれば、本人がお金を出さなくても企業が募金してくれるというフリー募金の寄付先団体でもある。このようにNGOと言っても、目的や活動範囲は様々だ。また、こういった団体はインターネットなどで多くの情報を公開している。「できること」を探すためにもまず「知ること」が大切だろう。
NGOの可能性
NGOをボランティアに似た存在というイメージを持って見る人も多いだろうが、これまで説明してきたように、NGOは無償で活動しているわけではない。そこに収益があるからこそ、次の活動につなげることができるのである。つまり、ボランティアより大規模で将来的に展望のある活動をすることができ、政府より小回りがきき、民間より利益を優先せず自発性にも富むため、信用度の高い活動をすることができる。NGOが大きな可能性を秘めていることは間違いない。
国際協力事業団とは
日本のODA(政府開発援助)の15年度予算は9,106億円である。これは税金から出ている。が、果たしてその使い道がどうなっているか知る機会はなかなか無いと思う。やはりここでも私が強調したいのは「知ること」だ。自分の税金がどのように使われているかを国民が知ることは、そのまま日本政府をどう動かすかにつながることである。また、援助金が現地の人々のためにうまく使われていなければ意味が無い。国際協力は与えた側だけが満足するものではない。お互いに協力、つまり力を合わせることが本当の国際協力である。一方向だけではなく、互いが相手のほうを向いていないといけない。だからこそ、どこで何に使われているかを知るべきであり、その国の人々の顔の見える支援が必要なのだ。そのODAを実施している機関の一つがJICAだ。正式名称は国際協力事業団で、1974年、政府の国際協力の実施機関として設立された。青年海外協力隊も、JICAの事業である。発足当時から、技術協力、青年海外協力隊派遣、開発協力、海外移住、人材の養成、確保やこれに関連する付帯事業を行ってきたが、技術の進歩にともない、ますます要求が多様化している。この結果、年を追うごとに活動の幅は広がり、現地でのニーズ・要求を綿密に調査した上で、様々な事業の計画が立てられている。開発事業の対象分野は行政、公益事業から社会基盤や交通、農業、鉱工業、通信・放送、環境まで多様である。実施後の評価も大切にされ、評価が低いものは原因を探り今後の事業計画の改善に役立たせる。また、事業後のアフターケアも重要であり、特に開発協力などは長期的な視点が大切である。
クロスロード・コミュニケーション
私達は、国際交流を肌で感じるために、二月十四日、1ICAの主催するクロスロード・コミュニケーションに参加してみた。まず、青年海外協力隊の方によるボツワナについての講演があった。講演に来ていた人は、子どもから年配の方までと年齢層が幅広かった。
ボツワナの国旗や町並み、土壁とかやぶきの屋根の家など、スライドを見ながら講演は進んでいった。砂漠と青い空が印象的だった。ダイヤモンドが採れるので、財政がとても豊かで、学費がすべて無料だとは意外だった。
次に、国際交流パーティーがあり、参加しているのは、研修員として滞在しているアジア、南北アメリカ、中近東、欧州の多くの国々の人達だった。英語での会話は難しかったが、いろいろな国の人との交流が図れてとてもよかった。彼らはみな友好的で話しやすかった。アフリカから来た女性が、日本に来て初めて雪を見た、と話していたのが印象に残っている。また、自分がいかに世界について知らないかがよくわかる機会でもあった。外国についての知識は、欧米諸国などに偏っているのが現状で、日本で生活していればそれ以外の国についての知識はあまり入ってこない。そういう知識の偏りにも、今まで気づかず、目から鱗だった。機会があればまた参加したい。
最後に
日本ひいては世界が抱える様々な問題について、私達ができることは「知ること」そして「考えること」であると思う。国際協力をしている諸団体だけが真剣に考え、行動していても、問題は解決しい。だから情報を公開すること大切なのだ。現在、大きなNGO団体も、政府の団体も力を入れやっていることであり、あとは私達が知ろうとするかどうかなのだ。
一般の人々が世界の課題について知り、考え、意識が向上すれば、もっと生きやすい世界になるのではないだろうか。
楽しかったスキー
1月27日、5日間の修学旅行に期待を膨らませ、小倉駅に1年生が集合した。出発式を終え、いよいよ小倉駅を出発。新幹線の中ではみんなで写真を撮ったり、トランプをしたりして終始賑やかだった。名古屋駅に着き、長野行きの特急電車に乗り換え、窓の外の変わっていく景色を眺めながらのお喋りが弾んだ。長野駅に着き雪景色に感嘆の声が上がった。そこからバスに乗り、カラオケでまたまた大いに盛り上がった。ホテルに近づくにつれ、どんどん積もっている雪の量が増えていく。これだけ多くの雪は北九州では絶対見ることはできない。一日かけてやっとホテルタングラムに着いた。着くとすぐに夕食で、メニューが豊富なバイキング形式の、美味しそうな食事が並んでいて、明日からこんな食事が続くのだと思うと嬉しくなった。ウエアの試着や係別会議、入浴を終わらせて、あっという間に就寝時間となる。普段より早めの時間だが、移動で疲れたためにすぐに寝入ってしまった人が多かった。
28日、スキー初挑戦の日だ。朝起きて窓の外の雪景色にひとしきり感動した後、豪華な朝食を食べ、慣れないスキーウエアに手を通した。ぶ厚いスキーウエアと手袋、帽子、ゴーグルに絞めすぎて痛いくらいのスキー靴という重装備だ。外に出ると一面の銀世界で、天気が良く眺めも良かった。開校式を行った後、約10人で1班に1人のインストラクターがつき、スキー板のはき方や転び方から習った。始めは滑るどころではなく、板をつけるのに苦労し、やっとつけられるようになっても歩くのが大変で、午前中はほとんどの班が狭い範囲を少し滑っては少し歩くという練習を続けた。なかなかの運動量で、汗もびっしょり、昼食が美味しく食べられた。昼食はカレーライス、スパゲティ、牛井、ピラフの四品から一つ選ぶことができる形式で、3日間食べられる昼食のうち、どれを食べないまま終わってしまうか考えた人は多いのではないかと思う。午後は斜面の登り方、ブレーキのかけ方などの練習をした。
29日、この日は一日中スキーの日だ。朝からほとんどの班がリフトに向かった。リフトでは、始めは慣れないスキー板のまま乗るのでびくびくしていたが、だんだんと景色を楽しめる余裕が出てきた。ただ降りるときは、結構怖い。
夕食後、お楽しみのナイタースキーをした。闇に浮かび上がる真っ白な雪が大変椅麗で、上達の早かった人は余裕を持って景色も楽しめたと思う。私の場合は上達が遅かったため、周りの景色を楽しむ暇もなく、ついていくのに精一杯だったが…しかし夜に行うスキーはても印象的なものだった。
30日、スキー最終日となる。もう皆上達しきって、この日はひたすら滑る。それが楽しい。1日目の午前中に比べれば、本当にすごい上達ぶりだ。やっと自分で満足にスキー板を操れるようになり、スキーの楽ししさがわかってきたところで、とうとう終わらなければいけない時間に。なってしまった。閉校式後、最後の夕食を皆楽しむ。なかでもアップルパイは美味しかった。
31日、ホテルでの最後の朝食を食べて、バスに乗る。食事も美味しく、部屋は綺麗で、お土産屋の品揃えも良い、離れがたいホテル。名残惜しい気持ちを抱きつつ、ホテルを後にした。小倉駅に着いたときは、とうとう終わってしまうという名残惜しさと、久しぶりに家に帰ることができる嬉しさの両方があった。大きな怪我もなく皆で無事帰ってくることができて良かった。本当にたくさんの思い出ができた旅行だった。
論 説
マナーを守って書き込もう
最近、私はインターネットに夢中だ。インターネットには、他では体験できないことがたくさんある。中でも、今回は掲示板について語りたい。
BBS、いわゆる電子掲示板とは、あるテーマやニュースなどについて、オンライン上で自由に自分の意見や感想などを記入する場であり、「自由」だから本当に様々な角度からの意見を知ることができる。例えば、最近のニュースについての掲示板がある。そこで自衛隊派遣についての掲示板をのぞけば賛否両論の意見を知ることができる。閲覧するだけでも良い勉強になる。気軽に参加できるので、様々な人との意見交換が可能で、自分の視点が広がっていく。
ところが、掲示板には欠点がある。それは、顔が見えないことだ。
通常、掲示板などでは、「ハンドルネーム」と呼ばれる架空の名前を用いる。個人情報が自分の知らない問に広がっていく恐ろしい現代には必要不可欠である。しかし、ハンドルネームを使うということは、掲示板に誰が書いたのかは誰にも分からないということだ。よって、「自分が書いたと気付かれない」という心理が働いて、中傷的なことを書く人が出てくるのである。言葉遣いも自然と悪くなる。
例えば、音楽のコーナーで、それぞれの歌手が売り出したCDについての掲示板があるのだが、その内容がもう滅茶苦茶である。およそそのCDの感想とは思えないような歌手の批判や中傷した内容のものが多い。もちろんまともな感想を書いたものもあるが、いくら自分が言われたことではないにせよ、そんな内容の掲示板を見るのはいい気持ちではない。中にはただ「×」とだけ書いて、更にそんな書き込みを同じ人が何件れているものがある。「荒らし」と呼ばれるものだ。
これが、掲示板のあるべき姿なのだろうか。顔が見えないからと言って他人を中傷したりからかったりするような書き込みをするのは卑怯だと私は思う。「自由」に自分の意見が表現できるからこそ書く内容に責任を持つべきであろう。インターネットによって私たちは世界中の人と繋がっているのだ。だからこそ、読んだ人に何かを訴える意見を書き込むことが最低のマナーなのではないだろうか。
編集後記
部長の名が板に付き、新開作りが面白くなってきた今日この頃。前から望んでいたパソコン導入が実現され、作業効率も大幅にアップ!後は部員を増やせば完璧!! (ムーンストーン)
新聞部を復活させたという伝説の(?)先輩方が卒業される。お疲れ様でした。卒業後も頑張って下さい!ということで私のおすすめ洋楽はグッドシャーロットです。 (ラピスラズリ)
寒さが苦手な私ことって、冬を乗り越えるのは毎年困難であるが、今年は修学旅行でたくさんの雪を見ることができてよかった。またいつかスキーに行ってみたい。 (ガーネット)
102期生と共に過ごした3年間の思い出は、私の宝物です。新聞部を盛り上げてくれてありがとう。幸せな人生を送ってね! (サファイア)
早いものでもう1年。時が経つのはこんなに早かったかな?と思わずにはいられない、今日この頃。1年間、みんなおつかれ様!そして「ありがとう。」 (琉拍)
第239号 平成15年12月24日(水)発行
イラク情勢を考える
5月の上旬に、戦闘終結宣言が出され、終わったはずのイラク攻撃。それでは毎日のように新聞に載っている「米兵死亡」や「××撤退」という記事は何なのだろう。
イラク攻撃は3月20日、ブッシュ大統領の宣言により開始された。それまで行われてきた国連の査察も終えていないなかで、国連安全保障理事会決議無しの戦争が始まった。
Q1 「イラク攻撃についてどう思いますか」という質問の結果は「どちらとも言えない」が、32%と最も多く、「どちらかといえば攻撃する必要は無かった」が、27%で次点となった。全般的に反対のほうが多い。賛成意見には「他国へ攻撃する危険があった」などフセイン政権を危険視するものや、「イラクの人々の平和の為に攻撃したのは良かったが、後の対策が悪かった」などの意見があった。また、反対意見には「戦争すること自体がいけないから」「武力で平和は生まれないから」などの武力行使自体を疑問視する声や「大量破壊兵器があるかどうか確実に分かっていなかったから」「国連がどうにかできたから」などアメリカの攻撃の性急さを批判するもの、「アメリカの利権確保のためとしか思えないから」「石油の利権をめぐつてのこと」などアメリカの攻撃の真に見え隠れする利益に言及する意見、そして「攻撃した結果からして(テロの)根絶をたちきれてなかったから」「大量破壊兵器が見つかっていない」など大義に対する結果を問うものがあった。「どちらとも言えない」理由としては、「両方に非があるから」などアメリカとイラクを秤にかけた意見と、「フセイン政権が崩壊したのは良かったが、何の責任もない子供たちが可哀想だから」などフセイン政権の崩壊と攻撃による犠牲と比較したものが多かった。
< 何故攻撃が起きたのか >
何故アメリカはイラクを攻撃したのだろうか。まず大量破壊兵器を所有している疑いだ。アメリカは、フセイン政権が開発・保有する大量破壊兵器がテロ組織に渡ることの脅威を強調し、国連の決議を待たずに戦争に踏み切ったわけであるが、未だに大量破壊兵器は見つかっていない。またブッシュ大統領はイラクを「テロの資金源」とも呼び、イラクの解放を、テロに対する戦いのなかで重要な前進だと言い切った。(朝日新聞HP)
しかし攻撃後、テロは減少しただろうか。むしろ米軍への反発を中心にイラクでの自爆テロは増え続けている。新聞には毎日のように米軍への攻撃について書かれている。テロの矛先が国連や赤十字にまで及んでいるのはやりきれないことだ。
またイラクの民衆をフセインの独裁から解放する、というのも大義であった。しかし、略奪や電力・水道の不足などイラクの実情はまだほとんど安定しておらず、政治も機能していない。イラクはもともと様々な民族・宗教が複雑に絡み合っている土地である。フセイン政権が崩壊しただけではイラクに平和が訪れる日は遠いだろう。
フセイン政権は崩壊しても、イラクの民衆が安心して暮らせるようでなければ元も子も無い。戦後の復興に関してもっとよく考えておくべきだったのだ。こうして見ていくとアメリカの大義には疑問点が目につく。この攻撃が正しかったかどうかは観点によって変わるだろうが、アメリカは攻撃に性急すぎ、また復興の見通しが甘かったとは確実に言えるだろう。
ここで次に攻撃がアメリカにもたらす利益を考えてみる。まずアンケートの指摘にあった通り、石油である。自国産の石油も使っているが、限りある石油資源は、日々大量の石油を使う国としては、やはり欲しくてたまらないものであろう。次に親米政権を作るという目的。反米色の強い中東で、イラクに親米政権ができれば、石油諸々も含めて都合が良いに違いない。
< 各国と日本の対応 >
このようなイラク攻撃であるが、各国の対応はどうだったろうか。
まずイラク攻撃を支持した国は35ケ国以上。もちろん日本も含まれている。
Q2 「日本がイラク攻撃を支持したことについてどう思いますか」という質問に対しては「どちらかといえば反対する」が26%と最も多い。次点は僅差で「強く反対する」が25%と反対意見が圧倒的に多かった。
賛成の理由としては「アメリカを敵にまわせないから」「日本が戦争放棄を決めた時点で戦争時にどこかの国の傘下になるのは明らかだったから」「アメリカとの国交を考える上で大事」など、アメリカとの関係を重視することから賛成する意見が多かった。また反対の理由としては「アメリカの行為(攻撃)に反対なのにその背中にのってる日本政府がいいわけないじゃん」など純粋にイラク攻撃に反対する意見の他、「憲法に違反しているように思えるから」「平和を謳う日本が戦争しちゃいかんと思う」「日本は戦争をしないと定めたのだから、他国にもそれを訴えるべきである」など日本の平和主義を重視した意見、「テロの標的にされるから」など日本の安全保障面を心配する声、「日本はもっと自分たちの意志を強く主張するべきだ」「日本はアメリカに従い過ぎ」といったアメリカとの関係に反発する意見があった。
次に、各国・団体が拠出するイラクの復興支援額は表1の通りである。(省略:HP管理人) 米国を除くと日本が突出して多いことがわかる。また、現在イラクに派兵している国は韓国・オーストラリアなど400人以上が約10ケ国、未満が約25ケ国である。(10月25日付朝日新聞)
しかし最近の外国軍に対する攻撃多発のため、撤退する国も増えるだろう。
Q3 「日本の自衛隊派遣についてどう思いますか」という質問に対しては「強く反対する」が、25%と最も多く、続いて「どちらかといえば反対する」が、25%とこちらも反対意見が多く占める。
賛成の理由としては、「罪の無い人民を助ける必要があったから」「イラクの一般住民の役に立てば◎」など早期のイラク復興を重視した意見、「アメリカを敵にまわせないから」「アメリカを支持した時点で国際世論を敵に回した日本に選択する余地は無かったのでは」など日米関係を重視した意見、「世界に貢献していくにはお金だけじゃだめ」「こんな時に日本の力を見せておいたほうがいい」など国際貢献のための自衛隊派遣を好意的な目で見る意見などがあった。
反対の理由としては「危険な気がするから」「米兵がたくさんテロにあっている現状があるから」などイラクの治安を考え自衛隊員の安全を心配する声、「結局は戦争に協力するということだ」「戦争を始めた国の協力をするということは戦争を放棄したはずの日本が戦争に参加するということだから」など日本の間接的な戦争加担を心配する意見、「憲法に反することになるから」「自衛隊は軍ではなくあくまでも国を守る機関であるから」など憲法や自衛隊の定義という観点で見て違反なのではないかと心配する意見があった。
< イラクと世界のこれから >
イラクの現状は今、反米派の過激な指導者が民衆の支持を集め、闇市場ではたくさんの武器が売られ、テロが活発化し、その標的は米兵から次第に、外国軍や赤十字にまで及んでいる。一方電気・水道や医療機関の復旧は遅々として進んでいない。劣化ウラン弾の残骸が放置されたままになっていて、深刻な影響が予想されるところもある。フランスやドイツを始めとする国々はアメリカ主導から国連の役割強化のイラク復興に切り替りえることを求めている。冷戦後、ソ連が崩壊して力がアメリカ一極に集中していたが、それも今転機を迎えようとしているのではないか。
アンケートの自由記入欄にも、字数の関係で要約させていただくが「様々な角度の視点から見ていきたい」「『私たちにできること』を考えたい」「国連が十分な力を発揮できていない」「国際情勢はよくわからないので、そういう自分が口を出すよりもわかる人達が一生懸命考えて最良の選択をしてほしい」「戦争に反対した国も私利私欲のためである」「何よりイラクの一般市民のことを考えてほしい」等々多くの意見が寄せられた。イラク攻撃に対する考え方は校内だけでも多種多様である。最後に、アンケートにご協力して頂いた皆さん、本当にありがとうございました。
ここまで読んできてどう思っただろうか。世界はこのままでいいのか。そして日本は。アメリカによるイラク攻撃は終わったかもしれない。しかしそれを過去のものにしてはいけない。イラクはまだ一国として独立しておらず、復興の今こそが本当に大切な時期なのだ。私達は国際社会の一員として、また、自分が望んだにしろ望まなかったにしろ攻撃を支持した国の国民として、未だ安心して暮らせずにいるイラクの民衆のために、せめてこの問題について一層深く考えるべきではなかろうか、と思う。
若い潮
多くの人々に親しまれている、ディズニーの「くまのプーさん」。
私は、このプーさんのかわいらしい容姿や心和む表情がとても好きだ。今回はこのプーさんの原作について紹介することにする。
物語に登場する少年、クリストファー・ロビンは実在した人物である。彼の父親であるA・A・ミルンという人が息子の一歳の誕生日に贈ったテディベア。これが原作「クマのプーさん」のもとになったのである。
この物語が書かれるきっかけとなったのは、ミルンが寝る前に祈るクリストファーの姿を見て、「夕べの祈り」という詩を書いたことだ。これがニューヨークの雑誌に掲載されて有名になり、ミルンは子どものための詩を書くようになる。それらの詩は2冊の詩集にまとめられて出版され、人々の人気を博した。1冊目の詩集が出版された翌年のこと、ミルンは新たに子ども向けの話を考えていた。そこで、ふとクリストファーとテディベアをもとにした物語を思いつく。こうしてできたものが「クマのプーさん」である。「ウィニー・ザ・プー」という名前はこのときにつけられた。
クリストファーとプーは100エーカーの森で楽しく過ごすが、ある日別れがやってくる。クリストファーが学校に行くことになったのだ。クリストファーはプ一に世界で一番好きなことは何もしないことだと言う。しかし大人になるにつれ、何もしないことということはできなくなるのだ。そこでクリストファーはプ一に、これから1人でも100エーカーの森に来てくれるよう頼み、プーはクリストファーのことを忘れないと約束する。それから手をつないだ2人は遠くに消え、物語は終わる。
最後の場面はそれまでの楽しい話とはかわって、もの悲しい。幸福な子ども時代に戻ることはもう二度とできないということを私達に思い出させるからだろう。
四十億年のはるかなるいのちのたび ―いのちのたび博物館訪問記―
(博物館の歴史をたどる)
それは一匹の小さな魚の化石から始まった。その化石とは、世界最古のニシン科魚類化石ディブロミスタス。小学生の発見をきっかけに、1976年に市内で発掘されたのである。この化石を保存する場所として、1981年に北九州市立自然史博物館は開館された。
その後「自然史」「歴史」「考古」の各博物館を統合した新しい博物館の建設が始まり、2002年11月に「いのちのたび博物館」という市民に親しみやすい名でオープンした。今回、私たちは夏休みにこの「いのちのたび博物館」を訪れ、有意義な午後を過ごした。
(自然史ゾーン)
私たちは、まず博物館の入口からすぐにある自然史ゾーンを訪れた。目の前には巨大なセイスモサウルスの骨格標本を先頭に、多くの恐竜の骨格が立ち並んでいる。入った瞬間から圧倒される。この「アースモール」では、全長100メートルに及ぶ大空間に、誕生以来46億年の地球の歴史をたどることができる。階段ごとに生物の絶滅があり、次の時代へと移っていく。化石だけでなく、岩石などもある。
さらに、ここは他の博物館とは違って、なんと展示してある化石や岩石に「触れる」ことができるのだ。展示物の至る所にハンズオンの表示があり、そこの化石や岩石は触れて学ぶことができる。レプリカではなく、全て実物なのだ。ここでしかできない貴重な体験である。この博物館を訪れたときは、ためらわずにどんどん触って欲しい。きっと地球の生命の力強さを感じるだろう。
もう一つ、ここには変わった特徴がある。「ぽけっとミュージアム」という名のその場所は、博物館の学芸員の皆さんが個々に苦心して作りあげたテーマ館のようなものである。例えば、動物の骨だけにスポットを当てた展示やカブトムシ・クワガタムシなどの甲虫を集めた展示など、バラエティに富んでいる。これは自然史ゾーンと後に紹介する歴史ゾーンの至る所にあり、どれも見応えがある。それだけではない。この「ぽけっとミュージアム」の中の展示は時々新しいものと替わる。この日博物館を隅から隅まで案内して下さったミュージアムティーチャーの丸山先生によると、「学芸員の間で展示の工夫を競い、いつでもホットな話題が提供できるよう展示替えの準備をしています。」ということだ。つまり、何度訪れてもまた新たな発見ができる、というわけである。飽きのこない斬新な方法だ。
次に案内されたのは、「私はここが一番お勧めなんですよ。」と丸山先生が語る「エンバイラマ館」。
白亜紀ゾーンとリサーチゾーンに分かれており、白亜紀ゾーンは古生代から新生代までの北部九州の環境を再現したゾーンなのだが、その中でも古代魚が泳ぐ湖の展元はすごい。レプリカの模型が動いているわけではなく、コンピュータグラフィックスを駆使した映像だ。しかも、化石からきちんと裏付けを行ったうえで、再現しているので、実物に忠実なのである。また、入り口で音声ガイドを受け取れば音声で化石や恐竜についでさらに知識が深まる。
他にも、「生命の多様性館」は、日本最大のウバザメの標本を始め、約900体の実物標本を展示し、迫力ある姿を見せている。「自然発見館」では、鳥などの剥製がまるで本物がそこにいるかのように、目をこちらに向けている。
自然史ゾーンに来れば、日々の生活を忘れて「自然」にどっぷりつかれる場所である、と感じる。
(歴史ゾーン)
次に歴史ゾーンへと向かう。まず最初に「カルチャーモール」を訪れ、戸畑、黒崎、小倉での祭りの山笠に伝統的な重みを感じた。「探究館」では、昭和30年代の戸畑にあった社宅の暮らしを再現してあり、当時の生活の様子がうかがえる。他にも歴史的な事物を復元したものが数多く展示されており、歴史好きの方にはお勧めだ。もちろん、自然史ソーンで紹介した「ぼけっとミュージアム」もある。
(博物館の新たな取り組み)
この博物館では、展示を行うだけでなくもっと画期的なことが着々と進められている。それは、学校との連携を図ろうということだ。現在、学校は教育改革により「総合学習」という、教科書にとらわれない学習の時間が設けられている。この総合学習や理科や社会などの授業のヒント集になるような、学校の先生向けの「博物館利用者指導書」を作成しているそうだ。小・中学校の先生50名ぐらいで行っており、3月中には各学校に配付できそうだ、と丸山先生は言う。こうして、最終的には全国に発信していき、いのちのたび博物館の名を広めていきたいのだそうだ。
そもそも「いのちのたび博物館」という名前の由来は何だろうか。
これは公募によって付けた名前で、博物館の人々の二つの思いが込められている。まず一つ目は、インパクト。分かりやすく、親しみやすさのあるひらがなの名で、みんなに覚えてもらおうというわけだ。二つ目は、今からおよそ38億年前、地球上に生物が誕生して(いのちのはじまり)現在に至るまでの間に、生物の大絶滅や進化が繰り返された。これからも、命(いのち)が未来に向けて永遠に旅(たび)を続けて欲しい、という願いである。深い意味が込められた名前なのだ。
そして注目すべきは、私達の案内をして下さった丸山先生をはじめとする「ミュージアムティーチャー」の存在だ。博物館は何となく敷居の高いものだが、それをもっと親しみやすくしよう、と学校の先生が「ミュージアムティーチャー」となり、博物館を使った学習を提供している。学芸員の仕事とはまた違い、学校と博物館を繋ぐきっかけを作ろうと日々努力を重ねているのだ。「この仕事に携わって人生観が変わった。」と丸山先生は熱く語る。子供たちと接したり来館者に満足して帰っていただいた時に喜びを感じるそうだ。
このような様々な取り組みが功を奏し、11月末日までの来館者数は既に43万人を突破し、予想を上回るペースで伸びている。
(博物館の舞台裏)
今回私たちは特別に、表には出ていない展示物を保存してある場所を案内していただいた。そこは、動物の剥製や化石などといった資料を害虫などから守るための保管庫なのだが、展示面積と同じだけの広さに何十万点もの資料があると聞き、管理の大変さを考えさせられた。害虫から守る、と一言で言ったが、これは決して簡単ではない。燻蒸庫で害虫の食害から守り、金庫のような厳重な倉庫に入れて害虫の侵入を防ぐのだ。どの資料も年に一回は燻蒸し、これだけで多額の費用がかかるそうだ。庫内にはどこも強いホルマリンやナフタレンの臭いがたちこめていた。
私たちは、収蔵室や処理室、技工室などを主に案内していただいた。収蔵庫は、細かく分けられた部屋に種類別に資料が保管されている。特に印象に残っていたのが「動物標本収蔵庫」だった。中に入るとナフタレンの臭いが更に鼻を打つ。と思ったら、部屋の至るところから視線を感じる。見ると剥製となった動物たちがこちらをじっと見つめていた。展示に出ているのだけでも数があるのに、部屋じゅうにある箱の中にはもっとあった。好きに見ていいですよ。」というお言葉に甘えて開けていくと、鳥や狐の剥製が次から次へと姿を現す。これらはカビから守るために湿度は60%以下、温度は20度以下に保たれている。真夏の取材には嬉しい場所であった。
これらの資料はこれから特別展などでどんどん使用していくということだ。これからも多彩な展示を期待できそうである。
(おわりに)
最後に、半日間熱心に私たちに説明して下さった丸山先生から、東筑生に一言頂いた。「是非ここに来て本物を見て下さい。教科書の世界だけでなく、多くの人と物に接して下さい。その意味でも、ここでいいものを発見し感動を味わって欲しいです。」これからもこの博物館が発展し、多くの人々が訪れることを願う。ちなみに1月2日から2月1日まで「博物館のお正月」というテーマで企画展が始まる。皆さんも、勉強の合間の息抜きにここを訪れるのはどうだろうか。
最後になりましたが、丸山先生、本当に長い時間ありがとうございました。
盛り上がったね 体育祭
去る9月14日、前日の悪天候とはうって変わったさわやかな秋晴れのもと、体育祭が始まった。
上級生に負けじと意気込む1年生。3年生を追い抜こうと密かにもくろむ2年生。自分達こそが優勝と、最上級生としての貫禄を見せる3年生。それぞれの気合いがぶつかり合い、体育祭は最初から白熱したものとなった。
午後の部になり、応援合戦がいよいよ始まった。まずは1年生。学ランを着た男子が入場し「型」を披露、女子に替わって「上海ハニー」、最後は「ソーラン節」で締めた。続いて2年生。女子の「Wannabe」の後男女で「学園天国」を踊り、最後は男子の「型」がピタッと決まった。いよいよ三年生。パネルの弁慶を背に男子が入場して「型」を決め、続いて女子が優雅な静御前となって[春の海」を舞った。最後は男女で「海老天」を踊り、それと同時に弁慶の山車が場内を圧倒した。
みんなで力を出し切った体育祭だった。
最後に団長の談話です。
1年応援団長 4組 岸上赳大
大変でしたけど応援リーダーたちが協力してくれてとてもたすかりました。
それに他のクラスに知り合いができてよかったと思っています。
本当に貴重な経験をさせてもらったと思います。
2年応援団長 3組 清水大輔
応援団の団長という仕事は、とてもきついものだったが、やりがいのあるものだった。
「指揮」する立場に立って、改めて自分が今どうあるべきか、また、これから「指揮」
される立場においてどうあるべきかを少し認識した。
今年の体育祭は僕にとって「たかが団長、されど団長」のようなものだった。
3年応援団長 3組 清水大輔
今年、男子の型と男女の踊りを自分でつくりました。かなり大変でした。
けれど本番ではみんなが頑張ってくれたお陰で満点をとることができました。
自分はあの瞬間のことを涙無しで思い出すことはできません。
優勝はできなかったけれど思い切りはじけることができたので悔いはないです。
ありがとう、そしてさよなら。
東筑の虫
尊敬する人は坂本龍馬、である私が考える、龍馬の魅力を書いてみようと思う。坂本龍馬はご存知の通り、幕末を生きた維新志士で日本の歴史に関わる多くの偉業を成し遂げてきた。龍馬の魅力は多くあるが、根底にあるのは「時代の先見性」そして「発想の柔軟さ・斬新さ」であると思う。
例えば有名な「薩長同盟」。私はこれを歴史の教科書で知ったばかりの頃、同盟を結ぶだけなのに何がそんなにすごいのだろうと浅はかにも考えていたのだが、何がすごいかって薩摩と長州の仲は当時最悪に悪かったのである。(説明は割愛するが禁門の変などによる)反幕府勢力として特に強力な二藩をどうにかして結びつけようとしたのが坂本龍馬だ。その方法がまた斬新なのである。
当時薩摩では米が不作で兵権米が足りなかった。一方長州は米はよくとれていたが、禁門の変などにより朝敵とされ動きを監視されていて、討幕に不可欠の武器を買うことができなかった。そこで龍馬が考えついたのは、薩摩名義で武器・汽船などを外国から購入し長州にまわす。代わりに長州が薩摩に兵権米を分けるという案だった。双方の利を先に置き、そこから仲直り(?)させていこうという魂胆だったのだ。こうすれば幕府に怪しまれない。その上武器の輸入は龍馬が作った日本初の株式会社である亀山社中が行うというのだから一石三鳥である。まだ経済があまり発展していないこの時代において、互いの利害を一致させ経済的結びつきを政治的結びつきにするといったやり方は大変な妙案だった。
他にも、五ケ条の御誓文のもとになる舟中八策を書いたり、大政奉還の陰の立て役者であったりと、龍馬の歴史に与えた影響は大きい。
彼の才能が培われた要因として天性のものに加え農業、商業、武士と移り変わった坂本家の家業の中で受け継がれた先見性や、海外事情に詳しい勝海舟、河田小龍などと接して得た感性があげられると思う。龍馬のもつこれらの長所は今の国際化する時代においてますます必要なものになるのではないかと感じられてならない。
多くの経験をして感性を磨き、多くの人や情報、考え方に接して現実を見極める。「先見性」と「柔軟さ」を身につけるにはまずそうしてみればよいのではないだろうか。龍馬は私にそういったことを考えさせてくれたりもするのだ。
編集後記
祝SPEED再結成!新聞も無事出来上がり、休みに入ってゆっくりアルバムを聴こうと思う。皆さんもぜひアルバムを買って聴いてみて下さい。(募金もできます。)(ムーンストーン)
変わり続ける国際情勢。イラクの治安が一向に改善しないようでやりきれません。本当にイラクの民衆のことを考えた復興協力を日本にやってもらいたいと思います。(ラピスラズリ)
はやいものでもう1年が終わろうとしている。高校生になって、改めて時間のたつ速さを実感したものである。残りの3学期を大切に過ごしたい。(ガーネット)
体育祭から始まり、模試三昧に終わった2学期でした。3年生はクリスマスもお正月もないけど、目標を達成するまで元気に走り抜いて下さい。応援してます。(サファイア〉
朝は、陽が昇る前に家を出る。道端の枯葉がカサカサと笑う。夜は東の空にオリオンが寝てる。気がつけば、もうすぐそこに。あなたに冬を告げたのは何でしたか? (琥珀)
第238号 平成15年7月18日(金)発行
ようこそ東筑へ
寛かなれ、東筑文化 校長 古田智信
本校は、創立以来、百年を超える歴史を刻んできました。本校の校史として編集された『東筑百年史』の巻末年表を見ても、実にたくさんのできごとが、この間に起きていることが分かります。名誉なこと、不名誉なこと、嬉しいこと、悲しいこと、三万数千名の東筑生がそれぞれに多くの経験を積み、想い出を創ってきました。
共通の3年間を過ごした同期生が会えば、想い出を懐かしみ、話が弾むのは当然です。しかし、現在東筑に学ぶ生徒の皆さんと、本校がまだ東筑中学校であった頃に学ばれた大先輩の方々との間でも、心が通じ合えるのは何故でしょうか。東筑で過ごす時代は、まったく違っているのに、お互いに親しさや信頼感を覚えるのは、どうしてでしょうか。
それは、開校以来脈々と受け継がれるものがあるからです。一般的には、「伝統」や「校風」という言葉で呼ばれますが、本校関係者は、「東筑魂」と呼んでいます。
その「東筑魂」を意識することによって、生徒の皆さんは、自分が何をしなければならないかが自ずと理解されます。「東筑魂」と呼ばれるものは、皆さんが「わが道」を求めようとするときの「ともし火」と言えます。そして、皆さんは、自分の目標の達成のために、先生方の指導を受けて、懸命に努力しています。
その努力は、自分自身を成功に導くだけでなく、本校の教育活動を充実させるものです。言い換えると本校に成果を残すものです。
本校に限らず、すべての学校の教育活動は、「伝統」や「校風」と、現在学校で学んでいる生徒が懸命の努力で創り上げていく「成果」という二つの要素を持っています。
少し難しい言葉でいいますと、前者は変わらないもの、変えてはいけないものであり、これを「不易」と言います。後者は、日々充実していくもの、積み上げられていくものであり、これを「流行」と言います。
この「不易」と「流行」の二つの要素で構成される学校のもつ独特の雰囲気みたいなものを、「学校文化」と言います。本校には、本校独特の「東筑文化」というものがあるのです。
誰もが認めるように、本校の「伝統」や「校風」は、大変いいものです。そして、皆さん方の日々の努力によって、成果も上がっています。だから、今のところ、大変すばらしい「東筑文化」が形成されていると言えます。
しかし、努力を惜しんだり、正しい道筋から外れたりすれば、たちまち「東筑文化」の輝きは、あせてしまいます。しかも、「東筑文化」が輝きを失えば、皆さんの努力がなかなか実を結ばなくなってしまう。つまり悪循環に陥るのです。
だから、「東筑文化」は、守るものではありません。生徒の皆さんの力で一層寛かなものにしていくことが大切です。それは皆さんの責任でもあります。
若い潮
「尊敬する人は誰。」と聞かれたら、私はきっと「両親。」と答えるだろう。今日はそのうち、母についての話をしようと思う。
私の母は働いている。仕事はきちんとこなしているし、家でも家事をちゃんと行い、食事も手が込んでいる。私に悩みがある時は話を聞いてアドバイスしてくれるし、私の意見を大切にしてくれる。母はすべてのことを一生懸命手抜きせずに行っているのだ。それでもやはり疲れは出てくるもので、昨年の冬は特に疲れて見えた。その時私はまだ何もわかっておらず、「そんなに疲れるものなのか。」くらいに思っていた。
その疲れの度合いになんとなく気付いたのが今年の春休みだった。疲れがたまった母は、ついに風邪をひいて寝込んでしまった。しかも仕事が忙しい時期だったので、点滴を打ちながら高熱をおして勤務を続けたのだ。これを見て、私は初めて母のきつさに気付き、「私も何か協力しなければいけない。」と強く思った。それから、時間を見つけては家事を手伝ってみた。洗濯物を干したり片付けたり食器を洗ったりリビングなどの掃除をしたり。家事と一口に言ってもそんなに簡単なものではなかった。やり終わって「ふう。」と一息つくと、想像以上に疲れているのに気付く。しかもきれいにしたそばから、汚れ物は次々と出てきてきりがない。これを毎日やるのはきつい話であった。
こんなに忙しく家事をやり、仕事もし、私の面倒まできちんと見出てくれている母。春休みに母の凄さに気付いた私は母に尊敬の念を覚えた。そして、これからは今まで勉強にかまけすぎてた分、母を精一杯支えていきたいと思い始めた。(と思いつつも日々予習・復習に追われている私である。)今年の夏休みは、「お手伝い」ではなく、家族の一員として、家事を分担していきたいと、今から密かに決意しているのである。
いとうづに 行ってきたゾウ
訪 問 記
私達新聞部は、開園して1年になるいとうづの森公園に取材に行った。4月に訪問したので満開に咲いた桜がとてもきれいだった。
私達は獣医師である石飛さんに園内を案内してもらった。最初に特別なゲートから入り、普段では決して見ることのできないライオンやトラやキリンなどの寝室を見せてもらった。さらに部員の一人だけがまだライオンのいる寝室に入らせてもらえることになった。
寝室に入るまでにはライオンが病気に感染しないように靴を消毒しなければならない。徹底した衛生管理だ。いよいよ寝室に入ると、そこには1匹のオスライオンと2匹のメスライオンがいて、重低音のうなり声をだし私を威嚇している。ライオンとのたった1メートル強しかない距離で私はあまりの大きさと迫力に恐怖を感じ立ちすくんでしまった。ライオンとトラがいる広場には、逃げ出さないように、金網に9,000ボルトの電流が流されている。そして、毎日その金網が破れてないかちゃんと電流が流れているか確認する。寝室から出すときには、たくさんついている鍵の確認を何度も行う。その過程を間近で見学させてもらい、徹底した安全管理がされていることを知った。
次に私達はキリンの寝室に行った。キリンは寝室から出た後で、飼育係の青森さんが掃除をしていた。寝室は高く6メートルぐらいある。寝室に入るとキリンのした直径約1センチメートルのコロコロしたふんが無数に転がっていた。1回に150個から200個するという。キリンの生態に合わせて寝室には様々な工夫がされていた。アフリカの動物であるキリンは寒さに弱いので、コンクリートの下にフロアヒーターが入れてある。また、爪で立つのでコンクリートで滑らないように木のチップを敷いている。首が長く下にあるものは食べ幸いのでえさはオートリフタ一に乗せて食べやすいようにしている。
次に鳥の楽園を案内してもらった。ちょうど飼育係の河野さんがえさの準備をしているところだった。えさは鳥の種類によってさつま芋、果物、ドッグフード、ひまわりの種、穀物など様々である。
病気になったら薬をはちみつに混ぜてあげるそうだ。小屋を掃除するとき、ホースの持ち方を変えて水圧でふんなどを取る。見た目のきれいさはもちろん病気の予防のためである。鳥の体調を判断するのは大変難しいそうだ。鳥は羽毛が体を覆っているので太っているか痩せているのか分からない。その上鳥が体調を自らごまかすことがあるという。ふんの形や色やにおいで判断するがもともと水っぽいふんをするので判断しにくいそうだ。野生動物はペットと違って、人間に捕まえられることが大変なストレスになる。触らずに、いかに体調管理を行うか、プロの仕事っぶりを見た気がした。
午後から吉森さんと岩城さんにお話を伺った。いとうづの森公園には87種430点の動物がいて、チンパンジーや象、キリンに人気が集まっている。勤務時間は8時30分からだが、8時には出勤して動物の健康を確認する。病気になったらすぐ獣医にみせて対処するそうだ。私は、動物達の健康にとても注意を配っているのを感じた。命の誕生は嬉しいし、死んだときはショックだという。
また、一生の動物が連れて来られたときは治療して野生に返すそうだ。最後に高校生へ一言助言を求めると、「その時にしかできない、自分が一生懸命になれることをしてほしいです。何もやらないで諦めるより、やって諦めるほうがいいです。」と私達に力強い言葉を贈って下さった。
この取材を通して、私も生命を扱うやりがいのあるいきいきとした仕事に就き、輝く毎日を送りたいと思った。
いとうづの森の歩み
到津遊園は、昭和7年7月31日に開園した。開園当初はまだ動物は入っていなかったが、8日間の開園記念の催し期間中はなんと20,300の入園客で賑わったという。昭和7年9月2日に初めての動物として南洋産の35匹のサルがお目見えした。昭和8年7月にライオンやヒョウ、トラ、クマ、ワニ、ゴリラ、テナガザル、ワシなどの購入を決定し、9月に猛獣一号としてライオンを購入した。しかし、戦時色が年々強くなってきた。人間の食程さえも乏しくなり、動物にえさを与えるのは困難になった。ひもじさのために悲しそうに飼育員を見つめる動物達の目にたまりかね、園内のあちこちに飼料の自給自足のための畑を作って、係員一同この時代を乗り切ろうと努力したそうだ。国の非常時にあたり、昭和18年、東京の上野動物園では、命令で猛獣が次々と毒物などで処分された。続いて到津を含む地方の動物園でも、猛獣がたくさん処分されていった。昭和19年3月31日、非常時局のため福岡県警察警備隊本部として接収され、やむなく閉園となった。終戦後、昭和21年8月3日、平和と喜びに満ちて営業を再開した。昭和24年には猛獣の姿が到津遊園から消えてから6年ぶりにヒグマを購入した。遊戯機具も続々新調し復興期を迎えた。海外との文化交流を深めたり様々な展示を行ったりして福岡県の子供達にたくさんの喜びを与えてくれた。しかし、採算面で苦しい状況が続き、平成12年5月31日、到津遊園は約68年の幕を閉じた。ところが、市民からの閉園を惜しむ声が強く、北九州市が経営を引き継いで「いとうづの森公園」として生まれかわったのである。
北九州市の象徴として、これからもみんなに愛され続けるだろう。
燃えた! 定期戦
「応援がすごかった。負けて申し訳ない。」と岩田主将は言った。この日、東筑の出だしは好調だった。1回表に2番岩田のタイムリーで先制し、ついで5番中尾のタイムリーで1点、その後相手のエラーで1点、7番島田の2塁打で1点、計4点を獲得した。また6回表には、8番内田の2塁打、相手ピッチャーの暴投でそれぞれ1点を追加、6対1と突き放した。守備も良かった。1回裏でダブルプレーを取り、3回には相手に1点を許すが5回1アウト満塁をダブルプレーでしのぐなど守備の堅さを見せてくれた。しかし7回、小倉は東筑の流れを止めた。ノーアウト満塁からタイムリーを浴び1点。続いてまた1点と計7点を奪われてしまう。その後、東筑は3番日高のタイムリーで2点を追加した。7対9でむかえた9回、東筑は点を取ることが出来ず定期戦は終了した。
得点表
| 回 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 東筑 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 7 |
| 小倉 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | × | 9 |
キャッチャー島田は、「終盤、小倉につかまってしまい流れをとられた。これからはつかまっても流れを止める雰囲気を作っていきたい。」ピッチャー田代は、「思ったより緊張した。うまくコントロール出来るようになりたい。」とこの定期戦で夏への課題を多く見つけたようだ。「今日足りなかったところをうめる時間を作りたい。夏の大会めざしてチームでまとまってがんばる。」と岩田主将は熱い決意を語ってくれた。また、監督の青野先生は「みんな楽しめたから勝ち負けはどうでもいい。」とコメントをくださった。
ところで、今年は応援に新しい工夫が見られた。赤いチューリップハットを用いて T の人文字を作った。白に赤の文字が浮かび、カラフルな応援席となった。応援も吹奏楽部、応援部を中心に〝狙い撃ち″や〝マッハ東筑″などで盛り上がった。途中、小倉の攻撃で少し応援に疲れも見られたが、応援部の力強いリードで最後まで楽しむことができた。加藤団長は「応援部から見て、練習の時より声が出ていて良かった。応援のし甲斐があった。」と定期戦を振り返った。
これから、野球部は課題を克服し夏の大会ではもっと素晴らしい試合を見せてくれるだろう。
野球部の今後の活躍に期待したい。
規律と友情の体験学習
4月19日から3日間、規律と友情の体験学習が行われた。1年363名はバスに乗って英彦山青年の家に向かった。約2時間で、青年の家へ到着。高度が高いのでふもとより少し肌寒い。クラス写真を撮影し、昼食をとった後、集団行動を行った。体育でいくらか練習したものの、ぴんと張った姿勢、大きくそろった声と足並、集団の中の緊張感が高校生活の厳しさを改めて感じさせた。
その後も夕べの集い、夕食、入浴、クラス別スタンツ練習などが続々と行われた。5分前行動や整理整頓など当たり前のことだが、時間に追われていたり、甘えが出てしまったりしてなかなか全員がそれらを守るのは難しかった。
2日目は朝の集いから始まった。英語の(!)ラジオ体操を行った後、いよいよメインイベントの英彦山登山がある。始めのほうは斜面も緩く、「これから先がきつい」と心していたら、徐々にだが案の定それはきた。初め虫が嫌でたまらなかったが、途中から気にする余裕も無くなった。景色はきれいだったが、それに気付くのも心のゆとりがあるときだけで、一歩先だけを見ながら必死で歩き、大変きつい登山をやっと終えることができた。その日の夕方にキャンドルの集いがあった。第一部は静かで幻想的な雰囲気。第二部はクラスごとにスタンツを披露し、大いに盛り上がった。どのクラスも、準備期間が短かったにも関わらず、なかなかの出来だった。第三部で、再び静かな雰囲気になり、だんだんとろうそくの火が消され、その日のイベントは終了した。
体験学習、最終日。短期間だが思い出のつまった部屋の掃除をし、クラスごとに集まって反省を行い、昼食を摂ったあと退所式を行い、帰りのバスに乗った。
翌日からすぐに朝課外が行われた。皆少し疲れてはいたが、遅刻者無しで気持ち良く始めることができた。また、二泊三日の間、友達と寝食を共にしたことで、誰もが以前より「友情」を深められたと思う。
「規律と友情の体験学習」、その名前通り、私達はこの二つを得ることができた。それらをこれからの生活で生かしていき、さらに深めていけるように努力することが大切だと思う。
東筑の虫
あなたは文章を書くことが好きだろうか。「嫌い」と答えた人の中には、「私は文才がないから上手な文章を書くことが出来ない」と思っている人がいるかもしれない。しかし、それはちょっとした間違いである。
私は中学1年生まで、文章を書くことが嫌いだった。それを180度変えてくれたのは、所属していた放送部でかいたビデオ番組の絵コンテだった。それまで、文章と言えば感想文しか書いたことがなかった。だが、絵コンテというのは自分の感想をかくものではない。番組を通してみんなに伝えたい自分の意見をかかなければならないのだ。
これが一番難しいことである。頭の中では自己の意見がもやもやと出かかっているのに、いざペンを握ると言葉が続かないのだ。これを脱する方法はただ一つ。それは何度も熟考することだ。脳裏に浮かぶ断片的な言葉を書きとめ、それを見ながらまた考える。そうすることで、頭の中のもやもやが晴れ、はっきりとした道が現れてくるのだ。私はこの瞬間がとても好きになり、それ以来、文章を書くことに嫌気がさすことはなくなった。
ところで、文章を書くためには読書は必要だろうか。私が思うに文章力は必ずしも読書量に比例しない。確かに本を読むことによって、語彙を増やし、新たな知識や考えを吸収することはできる。しかし、そこで重要なことはすべての情報を両手を広げて受け入れることではない。多くの情報をもとに、自分の考えを確立していくことだと思う。読書の価値は知識を増やすことより、むしろ思考力を養うことにあるのかもしれない。
文章を書くことにより、私たちは自身の意見を目に見える形にすることができる。それにより、相手に意見を伝えることができ、時には書いた文章を見て頭の中を整理し、自身の主張を再確認することまでできるのだ。私は文章を書くことが好きである。このエッセーを読んで、少しでも「書くこと」に興味を持ってくれた人がいればとても嬉しい。
編集後記
とうとう引退の時となった。私は封印されていた新聞部を復活させることができて本当によかったと思う。なぜなら良い先生に指導していただいたり良い後輩ができたからだ。この経験を生かし受験期を有意義に過ごそうと思う。 (ルビーこと耳田 容子)
到津では、職員の方々に大変親切にしていただきました。ありがとうございました。三年生は一応引退です。部活で得た「知性と教養」で、受験を成功させて下さい。(サファイア)
ついに引退、そして本名を明かすときがきました。今までいろいろ取材に行き、たくさんの記事を書くことができ、良い経験になりました。今日をもって、私、普通の受験生に戻ります…(エメラルドこと三宅 美沙)
6月は定期戦、実力考査、文化祭と大きな行事がたて続けにありとても忙しかった。今回の新聞も1年、2年、3年が協力して作ることが出来て良かった。2学期もいろいろがんばりたい。(アクアマリン)
今年は1年生がやっと1人入ってくれて、「先輩」と呼ばれてかなり喜んでいる今日この頃。ただしそれと引き換えに先輩たちが引退していくことは非常に寂しい。ついでに言えば人手も寂しい。(ムーンストーン)
新入部員として、初めて新聞製作に関わらせていただきました。過去の新聞はとても立派で、その裏には並々ならぬものがあることがわかりました。その仲間入りができることを嬉しく思います。(ラピスラズリ)
何か一つの事をやり遂げた人は輝いていると感じた。定期戦も、この新聞にも誰にも負けない輝きがある。自分を輝かせることができる場所を見つけていこう。(琥珀)
第237号 平成15年 3月 1日(土)発行
卒業おめでとう
「雲外に蒼天あり」 校長 松岡教知
101期生の皆さん、卒業おめでとう。蛍雪の功なり、晴れて本校を巣立っていかれる諸君へ、心からの期待と激励の意を込めて贐の言葉を贈ります。
さて、戦後の民主教育は、機会均等の実現を基本理念とし、個人の尊厳と人格の完成のための、いわば個を尊重する教育を目指して参りました。それと軌を一にして、社会は日本人の誠実で勤勉な国民性によって高度経済成長を遂げ、物質的な意味では私達の生活は豊かなものになりました。しかし、一時代前の日本人が持っていた、正義や勇気、謙虚さや慈愛といった高邁な精神性は失われた感があります。嘗て日本人の美徳であった、他人に迷惑をかけることを何よりも恥じるといった規範意識や、卑怯を憎むという我が国特有の国民性は忘れ去られようとしています。
そうした中、平成12年2月には「教育改革国民会議」の報告の中で、「人間性豊かな日本人を育成する」という指針が提示され、昨年平成14年には、「教育基本法改正」に向けての中間報告が出されました。今、まさに「国を愛する心」や「奉仕の精神」といった社会や国家の一員としての責任と自覚が国民的課題となってきております。
諸君の本校3年間は、明治の「教育令」以来といわれる教育改革の真っ只中にありました。本年度から学校週5日制が完全実施となり、本校としては、授業時間数と部活動時間の確保のため、7時間目の設定、始業時間の変更、終礼の簡素化、そして、土曜講座の設定、学校行事の精選等を実施し、来年度からは、いよいよ本格的な「新学習指導要領」による新しい教育活動が始まります。
こうして時代は激しい変革の中にあります。しかし、東筑生として学んだ3年間は、必ず諸君のこれからの長い人生の指標となるでしょう。
私は本校着任以来、諸君が勉学に部活動に日々一心に精進する姿を見てきました。そして将来、資源を持たない小国である我が国が世界の国々と肩を並べていくためには、まさに質実剛健の気風をかざす東筑魂の体現者である諸君らが、益々必要とされる時代が来ることを確信しております。
校長室に2枚の直筆の書があり、1枚は「雲外に蒼天あり」とあり、他の1枚は「行不由径」とあります。前者は著名なジャーナリストであり、本校の卒業生、入江徳郎氏のものであり、後者は奈良薬師寺の管長であられた高田好胤氏のものであります。青年の気概は、目の前の困難に果敢に挑戦し、高い理想に向かって溌刺として進むことにあり、しかも、小道でなく正々堂々として人生の大道を歩いて欲しい。これは本校生への切実なる願いであります。私はここに、諸君の新たなる門出を祝して、この2つの言葉を「贐の言葉」とし、これからの諸君の益々の精進と努力を祈念いたします。
輝く未来への旅立ち 学年主任 後藤教生
東筑高校101期生! 何と歴史的重みのある響きを持つ言葉であろうか。創立百年を超える伝統あるこの東筑高校を今君達は堂々と胸を張って卒業していこうとしている。
卒業アルバムを捲って欲しい。君達の東筑高校3年間の、百余年と比較すると短いけれど、ぎっしりとつまった別の意味での重みのある歴史が存在する。喜び、悲しみ、悔しさ、憂いといった様々な青春の有様が見えてくる。そんな君達が私の誇りでもあり、かつ羨ましくもある。君達と過ごしたこの3年間を思い起せばきりがないけれど、私の心の中の宝石箱の中に大事にしまっておき、時々そっと開いて楽しむことにする。
最後に私の好きなドイツの詩人であるサムエル・ウルマンの「青春の詩」をはなむけの言葉としたい。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、たくましき意志、炎ゆる情熱(中略)こういう様相を青春と言うのだ。歳を重ねただけでは人は老いない。(中略)歳月は皮膚のしわを増やすが、情熱を失う時に精神はしぼむ。 人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。
人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。」
101期生のこれからの将来に青春の栄光あれ!
若い潮
私はレース編みが好きだ。得意とまではいかないが、恐らくレース編みをしている人の人並みくらいは出来るだろう。
始めたきっかけは中学校での必修クラブだった。どれにしようかと迷っていた私の目に飛び込んで来たのは〝レース編み〟という文字。その時、私の脳裏に浮ふんだのは、白く細い糸の華麗なイメージだった。しかし、実際は違った。毛糸でマフラーも編んだことのない私にとってレース編みは過酷だった。編み棒に細い糸が掛からない、掛かっても編み目を上手に作れない、編み目をつくっても一つ一つが小さいため終わりが見えない。嫌気のさす作業に、遂には、このクラブを選択したことさえ後悔した。
つまり、私は編み物に関しての基礎も無く、いきなり応用に飛び付いたため、このようになってしまったのだ。基本が大事だということは全てに共通する。これを無視すれば、自分が苦労するだけではない。マニュアルを放棄し杜撰な作業をしたために引き起こされた事件。少しの注意を払わなかったため起こった事故…時には、大惨事をも招きかねないのだ。
その後、私は家にあった毛糸と・編み棒で毛糸編みを始めた。レースでは難しく感じられたことも、毛糸ならば案外楽に出来た。それから3カ月後、毛糸編みも出来るようになった私は、遂にレースの敷物を完成させた。
人間は大抵、なるべく楽をしてモノを作り上げようとする。工夫され考え抜かれた簡略化ならば良いのだが、基本を見失った手抜きならば良くない。時間との戦いが激しい現代人は、どれだけ時間をかけずに作業を進めるのかということばかりに目がいきがちである。しかし、そんな時代にこそ「基本に返る」ということが、あらゆる問題を見詰め直し、解決への一番の近道を導くのではないのだろうか。
お世話になっています!! ― 食堂訪問 ―
私達の体そして心も暖めてくれる食堂。私達は今回、日頃お世話になっている食堂へ取材に行った。食堂の方は私達を暖かく迎えてくれた。
食堂の方は現在5人で働いている。勤務歴の長い方はなんと15年間もいらっしやるそうだ。勤務時間は、9時から14時までで、4時間目終了の15分前には準備を完了して私達が来るのを待っていてくれる。昼食時が一番忙しくて座る暇もないのだ。
メニューは唐揚げ丼、カツカレー、たまご丼に人気が集中するが、全体的に売れる。注文を待つのが嫌ならカレーや牛丼を、体の芯から暖まりたいならうどん系を頼むのがコツだ。
食堂で働いていて嬉しいことはおいしかったと言われることと、食事を残さず食べてもらうことで、食事が残ったら、「量が多かったのかなあ。ごはんがかわいそうだなあ。」と思われるそうだ。逆に辛いことは、残飯が出ることと、冬のコンクリートからしんしんと伝わってくる寒さだという。
今回話を聞く中で食事を作ってくれる方々に対して、自分の体調を考え、体調の悪い時には量を減らしてもらうように言ったり、注文する時はっきりと言ったり、食券がよく見えるようにしなければいけないことを実感した。
最後に生徒へ一言メッセージを求めると「これからも元気に食堂へ通って下さい。」と話して下さった。
夏の暑い日も冬の寒い日も一生懸命食事を作ってくれる食堂の方に改めて感謝をしたい。お忙しい中インタビューに答えてくれてありがとうございました。
ところで、他校の食堂メニューも知りたいので独自に調査した。
調べて一番気になったのは、「オニカラ」というメニューだ。オニカラとはおにぎりと唐揚げのセットの弁当のことで150円前後で購入できるという。他にも、中華まんやプリン、いなり寿司がある。皆さんはこれらの中で食べたいものがありましたか?
スキーが好きになったよ
1月21日、午前8時20分。1年生全員が早々と小倉駅に集合した。「楽しみだね」。「スキー出来るかなあ。」と口々に言い合い、学年全体が喜びと期待でいっぱいになっていた。出発式の団長や生徒代表の挨拶等で更に期待が高まり、「早く長野に着いて。」と願いながら新幹線に乗り込んだ。乗ったらすぐに新幹線の椅子を向かい合わせにしてトランプを始めたり写真を撮り始めたりととてもはしゃいだ。12時50分に予定通り名古屋に到着し、バスに乗り換えた。ガイドさんから名古屋に関する面白い話を聞いた。例えば、「お前さん」と言うのを、名古屋弁では「おみゃーさん」と言うそうだ。こういう地方独特の文化などの話を聞くのは大変面白い。夕方頃からチェーンを付けなければならない程の雪の中、約5時間近くバスに揺られて、やっとタングラムに到着した。外はもうすっかり暗くなり、みんないそいそと体操服に着替え、先輩などからおいしいと話を聞いているお楽しみの夕食へ下りた。夕食は期待通りのおいしさだった。「どれにしようか。」メニーがありすぎてみんな悩み、なかなか前へと進まなかった。目の前で焼いたお肉を切ってもらったりもあり、あつあつで最高だった。日替わりで少しずつメニューが違うため、毎日飽きがこない楽しい食事だった。ケーキもあり、たくさん取ろうと女子が群がった。特にアップルパイはおいしかったと思う。
次の日から、スキー講習がはじまった。ぎこちなくスキー靴を履き、インストラクターに教えてもらいながら、さっきよりもぎこちなくスキー板をはめた。初めてのスキーで、板をはめた瞬間、ああ長野に来たんだという実感が湧いた。初めは恐る恐るなだらかな所で滑っていたが、次第に慣れてきて徐々に急な所で練習していった。みんなみるみる上達した。昼からはもうリフトに乗って上から滑っている班も出てきた。1日目のスキーが終わる頃には随分上達して、まだ滑り足りないといった雰囲気だった。また、お昼ご飯はビーフカレー、焼き飯、牛丼、スパゲティの中から一つ選んで食べた。どれもスキーの後にはもってこいの食事だった。
スキーの2日目。この日からほとんどの班がリフトに乗って上まで行った。昨日よりも急な斜面を滑っているため、「キャーッ。」と派手にこけたり、人にぶつかったりしながら滑っている人もいた。男子は、初めの頃より随分上達し、かなりスピードを上げて格好良く滑っていた。少々ふぶいていたため視界が悪かった。そのため、「ナイターは出来るかなあ。」とみんなで心配したが、私達の願いが空に届いたのだろうか、予定通りナイターは行われた。雪が降る中、光に浮かび上がるゲレンデは、昼間とは違う幻想的な風景だった。たっぷり1時間滑り、時折スキーウエアに積もった雪を見ると、なんと雪の結晶が肉眼で見えるという、九州では経験できなおまけもあった。
スキー最終日。みんなリフトでかなり上まで行ける程上達した。もう派手にこける人もほとんどいなかった。昨日よりふぶいていて視界は更に悪く、顔がカチコチになって、冷たいを通りこして痛かった。でも、もう今日でキーが終わるんだと、最後のスキーをめいっぱい楽しんだので、
そんなことは忘れていた。あっと間に閉校式の時間になって、「まだやりたい。」「帰りたくない。」と、スキー講習の終わりを惜しんだ。3日間お世話になったインストラクターと、思い出に写真を撮った。夜には嘆きつつも帰り支度を始めた。
とうとうタングラムともお別れの日がやって来た。みんな眠い目をこすりながら久々の制服に着替えた。「現実に引き戻された。」と言いながらタングラムでの最後の食事へと下りた。お腹いっぱい食べた後、急いでバスに乗り込みホテルの方々の暖かい見送りの中、タングラムを後にした。小倉駅に着く頃には、帰って来たんだと少し懐かしくなった。たくさんの思い出とお土産を手に、帰路についた。
終わりに、今回の5日間のスキー研修は、現実とは全くかけ離れたところで一面の雪景色を楽しみ、もちろんスキーも楽しみ、更にクラスの親ぼくも深まった大変有意義な旅だった。ホテルの設備も食事も大変豪華で嬉しかった。
この思い出を、一生忘れないだろう。
九州大会出場おめでとう
特別棟一階の奥にある教室、そこが化学部の活動域だ。今回は、九州大会に行った化学部へインタビューをしに行った。九州大会は2月9日に長崎県で開催された。福岡県からは地区大会で選ばれた3校が出場できた。
研究内容は「食品中の有害物質の検出及び除去方法」である。化学部は食品添加物の中の亜硝酸とリン酸に注目し研究を行った。亜硝酸はほうれん草、ハム、ソーセージなどに含まれており発色剤の役割を果たすが、魚などに含まれるタンパク質と結びついてジメチルニトロソアミンという発がん物質を作る恐れがある。そこで化学部はハム、ソーセージについて焼いたりゆでたりしての亜硝酸の減少について調べた。もう一方では、食肉加工品や麺類、パンなど様々な食品に添加され、体内でカルシウムの吸収を阻害するリン酸について調べた。まず、リン酸溶液に硫酸マグネシウムなどを加えて、リン酸の減少を調べた。今後は、食品を使用し、より有効にリン酸を減少させる研究を続ける予定である。
大会の準備では、14人で研究について意見を出しあったのでなかなかまとまらず苦労したという。そしてなんと九州工業大学にまで行って実験させてもらったり、大学の実験もみせてもらったりしたそうだ。本番では、慣れない発表で緊張し、また、他県の発表を見ることで勉強することができたと語ってくれた。
化学部では、現在1年生3人、2年生14人が活動している。日頃は、テルミット反応やケミカルガーデンの実験や様々な金属によるメッキなどを行っている。
実験を成功させるまでには失敗が絶えないという。硫酸やじゃがいもの汁をホールピペットで吸い込んでしまったり、硫酸で制服がピンク色になったり穴まで開いたりしたと笑いながら話してくれた。まだまだ失敗談はありそうである。
化学部ならではの楽しみもある。九州大学等に行って、日本で数台しかない高価な最新の設備を使って実験させてもらったり、そこで講義を受けたりするのはとても楽しいそうだ。また、実験が上手くいった時はとても嬉しいという。
部室内は和気藹々としていた。インタビュー中も難しい化学用語が飛び交い、ただ者ではない雰囲気だった。これからも化学部から目が離せない。
論 説
2002年1月22日、日本人初のクローンベビーが誕生した。
この衝撃的なニュースに興味を持った人は私を含めて多いだろう。この出来事は私達だけでなく、多くの人に医学の進歩を感じさせたのではないか。
私は、「クローン人間は作るべきではない」と考える。クローン人間を作るには、解決するのが難しい様々な問題がありすぎるからだ。まず、現状における問題として、成功率の低さがある。クローンは死産や流産が多いといわれており、生まれたとしても死亡することが多い。それによって母体を傷つけたり、多くの命が途中で失われることになる。
次に、悪用される危険性がある。例えば、自分が気に入らない人を殺害して、その人のクローンとすり替えるという犯罪が起きるかもしれない。
また、臓器移植のためにクローンが作られ、臓器を取った後は殺されるかもしれない。
最後に、クローンの人権が守られない可能性がある。あるテレビ番組で見たのだが、猫のクローンと、クローンの元となっている個体を比べていて、元の猫とクローン猫は、毛の色や性格が全くといっていいほど似ていなかった。もし、このようなことが人間の場合でおこったならどうなるであろうか。そのクローンは十分な愛情をうけなかったり、見捨てられたりする可能性がある。
では、これらの問題が解決できるとすれば、クローンは作ってもよいものなのか。私は、やはり作るべきではないと思う。クローンを作るということは、一つの尊い生命を作ることになる。生命は授かるものであって、どんなに医学が発達しても、生命を操作してはいけない。このように、人間が生命を操作することが当たり前になれば、命の尊さが感じられにくくなる。生き物の命を作ることには大きな責任がある。その責任は人間にとって重すぎるのではないか。生命を作るのは人間がやるべきことではなく、神の領域である。
ところで、クローンベビーを作っている会社はどういう目的があるのだろうか。医学の進歩という側面もあるだろうが、営利の追求が第一だと思う。クローン技術を富裕な人に利用してもらえば莫大なお金が入ってくる。その結果、人権を無視したクローン製作が行われる恐れがある。現に、先日センセーショナルな報道をされた会社には申し込みが殺到しているらしい。
日本には「クローン技術規制法」という法律がある。これを厳しく適用しなければどんどんクローンが作られ、増える。あとになって取り返しのつかないことが起こるかもしれない。
これらのことを考えると、私の「クローン人間を作ることには反対である」という考えは強くなる。人の生命は科学技術によってお金で作るものではない。問題もありすぎる。
私達は現在、幅広いジャンルの勉強をしているが、その中でこの難しい問題を判断するだけの知識を身につけたい。
高 文 祭
去る1月25日、北九州国際会議場にて、記念すべき第1回目の北九州地区高文祭が行われた。
13の分野から集結した北九州地区の高校生が日頃の活動の成果を発表した。私達新聞部もこの高文祭に参加し、自作の新聞を発表した。
ステージ部門の発表で一番印象に残ったのは、築上東高校の郷土芸能、神楽の「御手」だ。初めて見る神楽の華麗な踊りと、その傍から響きわたる笛と太鼓の美しい旋律に心を奪われた。また、茶道部のお茶会にも参加し、小倉南高校の茶道部員が点ててくれたお茶とお菓子をいただいた。最後は参加者全員で「大きな古時計」を合唱し、無事に終了した。
北九州地区高文祭は参加者全員にとって、非常に楽しいものであり、価値のあるものだった。北九州に新たに生まれた文化交流の芽が今後、ますます大きく成長していくことを願いたい。
編集後記
3年生の皆さん御卒業おめでとうございます!!私も素敵な3年生になりたいです。(ルビー)
この新聞が出たらもう春ですね。新しい季節、皆さんに素敵な出会いがたくさんありますように。(サファイア〕
春になると街角には新作のお菓子が。世の製菓会社は私を太らせて一体何をする気なのでしょう?(エメラルド)
クラスの人と仲良くなれたのにもうすぐクラス替えで少し寂しし。新しいクラスでもがんばりたい。(アクアマリン)
今回初めて記事割りをしてみた。一面しかしていないから簡単なはずなのに頭が沸騰しそうだった。(ムーンストーン)
春は別れと出会いの季節です。3年生と別れるのは寂しいのですが、出会いを大切にしていきます。(翡翠)
第236号 平成14年12月24日(火)発行
明日の地球を救え! ― エコタウンの実体に迫る ―
エコタウン事業始まる!
あなたは北九州市若松区の響灘で、「エコタウン事業」が進んでいるのを知っているだろうか。「エコ」という言葉からわかるように、ここではリサイクルや環境に良いものを作る研究をしていて、全国から大変注目されている。
2,000haの広大な埋立地には、実証研究エリア、総合環境コンビナート、響リサイクル団地などがあり、資源循環経済社会の構築を目指す全国的なプロジェクトの一つとして発展している。ところで、なぜ響灘がエコタウン建設地として選ばれたのだろうか。それは広大で安価な土地を生かせるというのが大きな理由だが、北九州市の工業化の歴史も大きな理由だ。
1901年に創業された官営八幡製鉄所は、北九州工業地帯の中枢として発展し、その中でも若松は「鉄鋼の町」として発展していった。しかしその一方で、60年代に深刻な公害をもたらした。空は「七色の空」と呼ばれ、洞海湾は「死の海」と呼ばれた。そこで市民は「青空がほしい」をスローガンに掲げ、市民、企業行政が協力し合い、克服を試みた。その結果、今ではきれいな空と海を取り戻し、当時の面影は少しも見られない。この過程で培った技術や人材をもっと生かしたい、としてエコタウン事業が平成9年より開始されたのである。私達はそのうち2カ所の工場を見学してきた。
生まれ変わる蛍光管
まず、私達は蛍光管リサイクル工場へ行った。使用済み蛍光管は、まず熱をかけて両端を取る。そうして筒状になった管から内側の蛍光体を取る。そうすると管が透明になり、その管を粉砕した物を溶かして再利用する。この工場は蛍光管から蛍光管へリサイクルできる、なんと日本で唯一の工場なのだそうだ。今後この工場を見習って、全国的に蛍光管から蛍光管へリサイクルする工場が増えればいいと思う。
ところで、従来の企紫企業などからの使用済み蛍光管の回収に加えて、今年7月1日から、一般家庭からの廃蛍光管の回収が開始された。これに参加することで、私達も一歩地球環境の保全に協力することができる。 出し方は簡単だ。使い切った蛍光管を電気店に持っていくだけだ。 ただし、われた蛍光管は回収できないので、割らないよう注意してほしい。なぜなら、さっき説明した工程で割れた物だとうまく党光体が取れないので、再利用できないからだ。
再利用して作られた蛍光管の一般への販売は来年ぐらいから実施される予定だ。すでに11月1日からは、使用済み蛍光管の回収契約を結んでいる企業約400社を対象に、リサイクル蛍光管を販売している。価格は一般の白色灯と同じ、一本580円だ。一般への販売が始まったら、是非リサイクルされた蛍光管を買ってみてほしい。
知っている? OA機器のその後
次に私達は、OA機器リサイクル工場へと向かった。OA機器と言われてもびんと来ない人も多いと思うが、コピー機・FAX・パソコン・印刷機・複写機などのことである。この工場では主にリコーのコピー機をリサイクルしているそうだ。
OA機器は、従来はそのままの状態で埋め立てるか、または破砕機で丸ごと粉砕処理した後、金属を取り除いて埋め立て処理するかのとちらかで、環境には決してよくはない処理法だった。現在、この工場では、まず回収したOA機器を計量して仕分けする。その後人の手でOA機器を分解し、さらに材質・用途別にプラスチック・ガラス・アルミ・鉄に分解する。
そして再利用可能な部品や材料を計量し、出荷する。この工場はエコタウンの中で二番目に古く、リサイクル率は96.7%と非常に高い。
このように、OA機器は言うまでもなく、エコタウンの工場はゼロエミッション(ある産業から出る全ての廃棄物を他の産業の原料として活用することで、あらゆる廃棄物をゼロにすること)を実現させ、資源循環型経済社会の構築を目指しているのである。
まだあるよ リサイクル
エコタウンには、私達が見に行ったところ以外にも、数多くの工場があり、そこで様々なリサイクル事業が行われている。その中のいくつかを紹介しよう。
まず最初に、エコタウンの中で一番最初に操業されたペットボトルリサイクル工場だ。ここでは、年間なんと4億5000万本ものペットボトルがリサイクルされていて、日本一の規模を誇る。ちなみに1.5Lのペットボトル15本からスーツが1着作られる。ではどうやってリサイクルするのだろうか。
まず圧縮したペットボトルをバラバラにする。その際塩ビボトルや色つきボトル、異物・不純物を除去する。続いてラベル、アルミキャップの順に除去する。選別された透明ボトルを粗く破砕し、フレーク状にする。できたフレークをきれいに洗う。洗い終わったフレークは熱風で乾燥する。最後にフレークを溶かして押し出す。トコロテン状に押し出したものを細かくカットする。こうして再生PET樹脂が誕生するのである。
次に紹介するのは家電リサイクル事業だ。
「家電」とはこの場合「家電リサイクル法」でリサイクル処理に出すように指定されてるテレビ・エアコン・洗濯機・冷蔵庫の4品目を示す。エコタウンではメーカーを問わず廃家電を引き取り処理しており、年間50万台もリサイクルしている。さらに、冷蔵庫などに使用されているフロンは回収し、10,000度の熱プラズマで分解した後、ホタル石に固定化するそうだ。フロンをきちんと処理することでオゾン層の破壊をくい止めることができるのだ。
次はスーパーなどで回収されている発泡スチロールのリサイクル事業。発泡スチロールは、従来中国へ輸出するか、または電化製品の回りに付ける衝撃吸収材に使われていたが、ここではコンクリートの中に混ぜるように研究が進められていて、すでに軽量コンクリート材が開発され出荷されている。これらは例えばトンネルの外壁などにする。軽いのでコストも下がり、遠くまで一度にたくさ運べるようになるのが大きな利点だ。
私達にできること
今回の取材では、予想を上回る規模と技術の高さに「すごい。」と感動することばかりだった。「リサイクル」「エコロジー」という言葉は決して自分には無関係な話ではないのだ。記事の途中でも述べたが、私達は実際に何ができるのだろうか。まず、私達の高校の現状から見てみよう。
現在東筑高校では、燃えるゴミ、古紙、ダンポール、不燃ゴミ(粗大ゴミ)などが出ている。その内、燃えるゴミは年間にゴミ袋3,080袋が出されている。不燃物・租大ゴミは年間2t車7台分、タンポールは年間10,590㎏も出ている。大変な量だ。また、普段家庭で出ているゴミを考えてみると、無駄に捨てていることが時々ある。どうすればゴミを少なくできるだろうか。エコタウンセンターの人は、「グリーンコンシューマー(環境にやさしい行動をする消費者)10原則」というのを教えてくれた。〈表参照〉
私達一人一人の小さな心がけが、自然を守ることにつながるのだ。この記事を読んで、身近なことから、始めてみませんか。
環境にやさしい行動をする消費者
(グリーンコンシューマー)10原則
1 必要な物だけ買う。 |
佐木隆三先生 来る!
本年度の文化講演会の講師として佐木隆三先生が来られた。佐木先生は、八幡製鉄所に勤務しながら作家活動を始め、「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞された。以後、世間を騒がせた事件をテーマに作品を執筆なさっている。
今回は、八幡製鉄所初の宿老田中熊吉さんのドイツでの足跡を調べるために、ドイツを訪問されたときの話をして下さった。熊吉さんは27才の時にドイツへ渡り鉄作りを学んだ。小学枚を3年生で中退した熊吉さんにとって全く言葉の分からないドイツでの研修は苛酷極まりないものだった。殴られても蹴られても一生懸命働き、1日12時間の労働も自ら買って出た。そんな熊吉さんを、上司のノイホイザーをはじめたくさんの人が支えてくれた。熊吉さんは人に恵まれていた。ドイツでの厳しい研修を終え、日本に帰って来た熊吉さんは、できたばかりの官営人幡製鉄所で働いた。ある時、二交替制で12時間労働という過酷な労働に耐えかねた労働者がストライキを起こし、溶鉱炉を壊そうとしたとき熊吉さんは、「溶鉱炉の火を止めるなら私を殺してからにしろ。」と仁王立ちして言った。誰も溶鉱炉を壊さなかった。そして、勤務は8時間二交替制に変わった。これは当時画期的なことだった。そして熊吉さんは生涯定年のない「宿老」の第一号に任命され、多くの人が祝福した。彼は98才で亡くなるまで働き、「溶鉱炉の神様」と呼ばれた。日本の鉄鋼業を支えたのは熊吉さんをはじめとする多くの無名の人々の熱い思いなのだと知った。
講演の最後は「絆」についての話だった。今回の取材で熊吉さんとドイツの仲間達の絆を知ることができた。また、ドイツで出会った人達との間に絆ができた。八幡製鉄所に勤めてよかった、熊吉さんに会えてよかったと佐木先生は言う。
講演が終わると、私達新聞部は佐木先生に時間を割いていただきインタビューをすることができた。まず「テーマ」は自分の関心があるもの、知りたいものを設定する。このテーマを書きたいと出版社に話をしたり、現実に事件が起こった時に出版社から書きませんかと話がくることも多いということだ。次に取材するコツはズパリ、聞き上手になることだそうだ。相手によって癖があり、言いたくないことも聞ため相手をよく調べ、事前にしっかり準備することが大切と教えて下きった。
最後に進路で悩んでいる高校生へのアドバイスを求めると「進路は自分で定めるものです。人に進路を決められるほどばかばかしいことはありません。私が八幡製鉄所をやめるとき母に泣いて叱られましたが、自分の考えを貫きました。すぐに進路を決めることもない、本当にやりたいことが決まった時、打ち込めばいいのです。」と勇気のでるお言葉をくださった。
新聞部も先生のような素晴らしい文章を目指すべく決意を新たにした。佐木先生、有難うございました。
若い潮
2ケ月前から、新刊の発売や映画の公開にともなって、ハリー・ポッターが再び話題を呼んでいる。私はハリー・ポッターの中で「クィディツチ」というスポーツのシーンが一番好きだ。
ところで、本を読んだときと映画を見たときでは同じ物語なのに楽しみ方が随分違う。本を読んでいるときは文字から自分でイメージを作り出さなければならない。最初は入り込むのに時間がかかるが、いったん想像力が働きだすと頭の中に自分だけの世界が出来上がる。ビーターがブラッジャーを相手チームのチェイサーに向かって思いっ切り打ち飛ばす所や、ハリーが競技場の隅から隅へ黄金のスニッチめがけて急スピードで飛んでいくシーンなど、とにかくありとあらゆる場面が頭の中に鮮明に浮かんでくる。「ハリー・ポッター」は、場面が特に多く浮かぶ本だと思う。
一方、映画化したものを見ると、登場人物たちが目の前に出てくる。クィディッチは本で呼んだ場面がそっくりそのまま映像になって出てくる。頭の中で創造するのとはまた違ったリアリティーのあるスピーディーな映像が味わえる。まるで本当に自分がその映像の中にいるような気分になれる。
けれど、映像化されたものには欠点がある。それはイメージが固定化されがちなことだ。映画の中の登場人物を見て、「このキャラクターはこの人とはもう少し違う感じの人を想像していた」と思うことがたまにある。でも、時間がたつにつれてこのキャラクター=この人というイメージが出来上がってくる。つまり、想像をストップさせられるということだ。
このように、文字と映像はそれぞれに長所と短所がある。どちらも違った面白さがあるので両方楽しめばいいと思う。芸術の秋はもう過ぎてしまったが、今年の冬は一つの作品を本と映画で比べて楽しみたいと思っている。
体 育 祭 燃えろ東筑魂!!
去る9月15日、体育委員長の矢野康平君の宣誓とともに、秋空のもと、平成14年度の体育祭が始まった。高校を入学して初めての体育祭となる1年生。3年生に負けじと気合十分の2年生。総合得点でも内容でも優勝、そしてV2達成を狙う3年生。それぞれの想いで臨んだ体育祭は大変熱いものになった。
プログラム5番の「俵さし」では、2・3年生にも劣らない一年生の活躍、そしてプログラム11番の「綱取り」では2年生女子の強さが光るなど、午前から運動場は白熱した。
午後最初の競技、プログラム15番の「応援合職」。1年生は、まず男子が力強くスピーディーな型を披露し、その後黒のTシャツに白のかわいらしいハートマークを付け、ボンボンを持った女子が「あなただけ見つめてる」にあわせて踊る。最後は男女で「WE WILL LOCK YOU」を格好よくきめ、これまでの練習を通して生まれた強い団結力を見せつけた。
次の2年生は、まず女子が「CAN'T TAKE MY EYES OFF OF YOU」にあわせて入場した後、「EVERYDAY AT THE BUS STOP」で華麗なチアリーディングをきめ、その後男子が迫力ある型を熱演。最後に、昨年より動きも曲の雰囲気も変わってグレードアップした「ソーラン節」で、2学年に嵐を呼んだ。
続いて最後となる3年生は、まず男子の迫真せまる型があり、次に華やかな衣装を身にまとった女子が、扇子とともにあでやかに舞った。
最後は男女ともに踊る中、山車の「天狗」が登場した。この「天狗」には「天狗の団扇で新たな風をおこそう」という想いが込められている。そして3年生一人ひとりの全てのカが運動場に集結したその瞬間、くす玉が割れた。すると何とそこからは本物の鳩が飛び出してきた。山車作りももちろんだが、この鳩を集めるのにも大変苦労したそうだ。
最終競技まで生徒席、保護者席、選手達が戦う運動場は歓声に満ちていた。結果は3年生のV2となったが、それ以上に生徒一人ひとりの心に熱いものが刻まれたことだろう。
放課後、ロータリーで水をかけ合い騒ぐ「ファイナル」をしている3年生の姿はとても印象的だった。3年生にとってはもう一つ大切な戦いが残っている。この体育祭での優勝に負けないような、素晴らしい勝利をおさめることができるよう頑張ってほしい。
では、最後に各学年の応援団長からのコメントです.
――― * ――― * ―――
1年応援団長 牛尾聡一郎
僕達1年生の応援はどうでしたか。初めての体育祭で緊張の連続でしたが、全力で頑張ることができました。日々の練習で友人との絆もさらに深めることができました。先輩方の素晴らしい応援は感動的でした。東筑の伝統の重みを感じた一日でした。1年生の皆さん、ありがとうございました.
――― * ――― * ―――
2年応援団長 安倍昂洋
「よっしゃあ!やってやる!」という妙な気合い。でもそれと同時に「本当に俺に出来るのか?」という不安も抱えていた。でも多くの人に支えられてここまで来ることが出来た。こんな頼りない団長について来てくれたこと、本当に感謝している。本当に有り難うございました。そして来年はみんなと一緒にずぶ濡れになりたい。
――― * ――― * ―――
3年応援団長 中西健太
勝ちました。本当に、勝ちました。3年生が一つになりました。東筑全体としては最後の行事を最高の形で締められたと思います。早い人は既に始まっていますが後1回、このノリに負けない勢いで僕達ははじけます。1年生・2年生の諸君、3年を超えろ・僕等が先輩から託されたこの東筑をもっと大きくして下さい。東筑大好き。
東筑のヒーロー
平田鷹司先輩と相撲との出会いは、幼稚園の頃までさかのぼる。
幼稚園の時、先生に頂いたまわしをつけてもらい、その時の感触が良かったことを今でも覚えているそうだ。
小学校の時、町内の試合に初めて出たのだが1回戦で負けてしまった。そして小学校4年生の時に、本格的に練習をし始めた。週に1回道場で練習をし、めきめきと頭角をあらわしてきたのだ。
中学生になると、年に2回試合に出るくらいで練習はほとんどやらなかった。が、ずば抜けた能力と体格に目をとめられ、なんと相撲部屋から手紙が来はじめた。
そして現在、インターハイや伊勢神宮の奉納相撲に出るまでになった。奉納相撲とは神社の神様に見せる相撲で、中でも伊勢神宮で行われるものに出ることは相撲界で最高の名誉とされるのだ。厳粛な雰囲気の中、礼儀などの厳しい作法にしたがい相撲をとる。
今年は8月6日にこの奉納相撲が行われた。開催地の三重県からは2人、他の県からは1人、合計48人が東西に分かれて団体戦を行い、次に、個人戦を行う。平田先輩は4戦3勝1敗という好成績をおさめることができた。平田先輩にとってこの夏は大満座区の最高の夏だったそうだ。
平田先輩が相撲を通して身につけたのは、「相手のことを気づかい、大事にする」心だった。また、長年相撲続けて「耐えることの大切さ」「礼儀」「正々堂々」「勝てばいいというものではない」という4つのことを実感するようになったそうだ。そして、相撲によって世界が広がったという。今後、チャンスがあればプロと戦ってみたいという大きな夢をもっている。
これから先、平田先輩は大学へ進学なさる予定で、できればこれからも相撲を続けたいということだ。
最後に、「友達や自分の周りにいる人の良さを自分の中にとり入れ、大きな人になって下さい。」という力強い言葉を私達後輩に残してくれた。平田先輩のますますのご活躍を、新聞部一同祈っています。
東筑のヒロイン
11月16日、17日、築城400年を迎えた小倉城を舞台にしたオリジナル時代劇、『小倉城の女たち』が小倉市民会館で公演された。これは北九州演劇祭10周年という節目にあたる大イベントだ。
小倉城の撃美しさに魅せられ、藩主小笠原忠真の側室となって城を守ろうとする藤、一方、キリシタン禁令で処刑された祖父や両親の恨みを胸に藤の侍女となり、城を滅ぼそうとする主人公玉。その主人公玉になんと、我ら東筑高校の森久智代さんが選ばれたのだ。
参加したきっかけは、森久さんのお母さんが市政だよりでこの劇を見つけ、応募したことだった。
5月に応募し、1ヶ月間基本練習をした。その後、演出の方から呼ばれ、主役に予定されていることを初めて知った。「初めは何でだろうと信じられなかった。選ばれた嬉しさは後になって実感した。」と語る。選ばれた理由は声がよく通る点、目が綺麗な点、真剣に取り組みそうだという点だったそうだ。 8月から立ち稽古や通し稽古を始めた。週に3回、7時から2時間の練習。体力を消耗したが、劇への熱い思いと主人公という大役に対する責任から、辛いとは感じなかったそうだ。
江戸時代が舞台のこの劇は、演じるにあたり様々な困難にぶつかった。普段の「歩く」という動作も、着物の時は肩をゆらしてはならない。話し言葉も昔の言い回しにするなと改めて勉強しなければならないことが沢山あった。森久さんは時代劇を見て所作を勉強し、歌舞伎のパンフレットを見るなど、練習以外でも様々な努力をした。
そして迎えた本番、森久さんは2時間半の舞台を夢中で演じきった。「玉が乗り移っていた。」と口々に言われた迫真の演技だった。森久さんにとってこの半年は、日常生活では得られない大きな感動を皆で作った特別な期間だった。そして今、大きな夢から無理矢理覚まされたようだと彼女は言う。
これからは勉強に励み、今後も何らかの形で演劇に関わっていきたいそうだ。「演劇祭の10年の偉大な歴史の中に入れてもらえたという幸運に、感謝の気持ちで一杯です。」今後の活躍が楽しみだ。
東筑の虫
また、成人式が近付いてきた。
近年、成人式についてのニュースが日本を騒がしている。首長や来賓からの祝辞をいただいている時に大声で騒いだり、暴言をはいたり、クラッカーを鳴らしたり、酒盛りを始めたりと、とても式どこではない。成人式とは整然としたハレの儀式であるはずだ。それをただのイベントだと思い、ロビーでしゃべり、会場へ入ろうとさえしない人もいる。彼らは大人への第一歩と考えないのだろうか。法律によって決められていた禁酒・禁煙から解放され、選挙権も与えられて、自分の判断で生きていくと誓う日ではないのか。私もあと数年すると成人式を迎えることになる。毎年毎年成人式についての嫌なニュースが続くと、成人式を行う意義が問われ式自体がなくなるのではないかと心配だ。私も振袖を着て、旧友と二十歳を迎えた感動を喜びあいたい。
日本の成人式は平安時代以降ずっと続いてきた。公家、武家の男子が成人する時には、元服という儀式が行われ、公家は冠を武家は烏帽子をかぶった。女子が成人する時には、初めて裳を着ける裳着という儀式が行われた。
アフリカなどの部族では、能力を試すための一定の試練が成人式である。これを無事終えると社会の一人前の成員になり結婚が許される。バリ島では犬歯を削って獣の痕跡を消し、バヌアツのニューカレドニア島では、有名なパンジージャンプを行い、ケニアではなんとライオンを一頭倒さないといけないそうだ。こんな命懸けの成人式もある。
このようにどこの国でも時代でも成人式は大切な儀式である。時代により成人式の形式が変化していくのは仕方がないことであろう。しかし、時代が変わり形式が変わっても成人式は厳粛であるべきだ。
県大会の報告
11月3日、久留米市の共同ホールで第6回新聞部門福岡県大会があった。参加校は全部で15枚で、発行している新聞1枚を模造紙にはって絵や説明を加え、自分達の新聞の素晴らしさをアピールした。
表彰は展示、視点、個性、構成の各部門に分けて行われ、私たち東筑高校新聞部は、展示、視点の2部門で入賞し、総合では4位の好成績をおさめた。全国大会には例年2校程度が出場できるので、今年は惜しくも逃したが、昨年よりも成績を大幅に伸ばしている。
今後に期待して欲しい。
君も新聞部で青春時代を過ごしてみないか。
第235号 平成14年 7月19日(金)発行
伝統の継承に向けて 校長 松岡教知
本校に着任してはや三ケ月が経ちました。日々目にする玄関の木立、正門と階段の堂々たる風格が本校百年余の伝統を語りかけるようです。その長い歴史の中で、本校は幾多の秀才を世に輩出してまいりました。そうした誇り高い学風はここに学ん先輩方が築かれた精神風土であり、その精神、即ち「東筑魂」は同じ学窓に学ぶ私達の心の絆であります。私は本校着任以来、冠たる東筑の心魂を伝統として継承していく責務の重さを、益々強くしております。
創立以来の校是である「文武両道」は長き歳月を経て、現在に継承されています。進路実績や部活動の活躍状況等を見ますと、本校生の気概躍如たるものがあり、単に勉学の面のみならず、身体を練磨することは、調和のとれた良識ある人間形成の基本であります。
ここ今日にあって、価値観の多様化や個性重視等、教育の普遍的理念が揺らぎつつある中、本校の伝統を問い直すことの意味は大きいと考えます。
さて、元神奈川県知事が県のスポーツ振興と充実を図るために、「パンとバラのスポーツ」のキヤッチフレーズを掲げられ、これが多くの施策において大いに功を奏したと聞きました。私はこのフレーズをそのままに、仮に「パンとバラの東筑生」という言葉としてみました。言うまでもなく、パンは人間の生命維持のための基本的な生活の糧を表します。そして、バラはその人間に美的な潤いや感動、あるいは、生きる喜ぴを与えてくれる情操的感性の象徴であります。
諸君にとって、パンは生きるための基礎的な知識・技能(情報)であって、それらを授業から学ぶべきものです。その日々の授業を高校生活の基本とすることが東筑生の真骨頂であります。毎日食べ続けることで身体が成長するように、堅実に授業を消化することが成長へと導きます。授業第一とすることが学生たる本分と考えます。
一方、バラは、人生観・価値観ともいえる規範意識であります。それは自己を律する生き方であります。私は高校三年間の生活の中で、諸君に有為な人間として社会に奉仕できる公の精神を培って欲しいと思います。私達は誰一人として一人で生きていくことは出来ません。人間として生きていること自体社会的存在の証明であります。社会の自分に対する期待に謙虚に耳を傾け、より高い志に向かつて自己を高めていく東筑生であることを切に希望します。
小さな自分の殻に閉じこもることなく、心を大きく開き、多くの友人たちと共に切磋琢磨する中で、各人の精神と肉体を磨く土壌風土が本校の伝統であります。新しい風は常に伝統の中から吹いてきます。我が校「文武両道・質実剛健」の校風が、永遠に新たなる「東筑魂」を生み出す風であることを私は信じております。
第12回 定期野球大会
9回裏の奇跡
**実況中継**
6月7日、午後1時30分。皿倉山が見下ろす桃園球場で、第12回定期野球大会の戦いの火蓋は切って落とされた。
1回表、小倉は2アウトからフォアボール、パスボールでランナーを3塁におき、東筑は初回からピンチを迎える。ここで森田は打者にフォアボールを与え、2アウト1・3塁とするが、次の打者をストライクにとり、ピンチを凌いだ。
2回裏東筑の攻撃、6番野口がヒットを放ち盗塁も成功して2塁に進む。続く7番加来はセーフティーバントをきめ、ノーアウト1・2塁の初のチャンスを迎える。ここで9番森田は1塁側に打ち、その間に3塁ランナーがホームインして、東筑が先制点を入れる。
しかしその後の3回表、小倉は2アウトからヒットを重ね2点を入れる。追加点を許したくない東筑は、レフト方向に痛烈なあたりを浴ぴるが、ホームヘ走るランナーをタッチアウトに抑え、1対2で3回表を終える。これで逆に東筑打線に火が付き、4回裏には2アウトから森田が本日2打点目となるヒットをセンター方向に放ち、同点に追いつく。続く1番久保田もヒットを放ち3塁ランナーが帰って来て、3対2と逆転するが、5回表に小倉は1点を返し、3対3の同点となる。
6回は両校とも追加点がなく、迎えた7回表。小倉高校の校歌が響く中、小倉は2点を追加し、3対5とまたもや逆転される。7回裏、東筑高校の校歌が響くが、全校生徒の声は届かず、3対5のまま、9回裏、東筑最後の攻撃を迎えた。
吹奏楽部が「狙い撃ち」を演奏し、生徒全員が一丸となつて応援する中、1アウトから1番久保田がヒットを放ち4点目を入れ、6番下村もヒットを放ち5対5の同点となった。続く7番の加来もヒットを放ち満塁とするが、最後は3ストライクをとられ、3アウトとなり試合は引き分けで終了した。
得点表
| 回 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 |
| 小倉 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 |
| 東筑 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 |
**インタビュー**
藤森主将
今日の試合は夏の大会へ向けての課題を見つける、良い前哨戦となりました。全校生徒の応援が暗くなりかけたベンチをカバーしてくれたので、最後までねばりっこい野球をすることが出来ました。これからも、野球部を応援してください。
森田投手
自分的には、満足したビッチングはできませんでした。夏に向け、課題を克服していきたいです。
野口投手
大人数の前で投げられるとは思わなかったので、嬉しかったです。
青野監督
春の大会で対小倉戦は負け、今回は引分けということで、夏の大会へ向けてのはずみをつけることができました。ただ、選手達にはエラーをしないようにして欲しいと思います。
最後に、今日は暑い中応援ありがとうございました。
**観戦記**
一般生徒が桃園球場に到着する一時間前に、吹奏楽部と応援部は一足早く球場に着いた。
定期戦で野球部がベストを尽くした試合をするためには、吹奏楽部と応援部の力がなくてはならない。彼らはこの日のために、野球部にも負けず練習をしてきた。
試合が始まる前の応援部は応援台のセッティングとメガホン等の準備を、吹奏楽部は音合わせをしていた。また、長松前応援団長もかけつけ、準備に加わった。
試合はシーソーゲームとなり、グラウンドでは激しい展開が続く。ここで盛り上げたい応援部と吹奏楽部であったが、序盤から東筑の応援はおとなしめだった。
試合は終盤にさしかかり、5対5で東筑は9回裏最後の攻撃を迎えた。そのとき、吹奏楽部の「狙い撃ち」とともに、応援部のひときわ大きな声が耳に入った。それとともに生徒も立ち上がり、グラウンドに精一杯、応援の声をおくった。これが"9回裏の奇跡"を呼んだのだ。
試合後、どの生徒も「いい試合だった」「面白かった」と口々に話していた。これは多くの陰の活躍があったからではなかろうか。
今も、野球部・応援部・吹奏楽部は夏の野球大会へ向けて各々がんばっている。そんな彼らにエールをおくりたい。
絆は深まった!!
6月16日、文化祭が行われました。テーマは「絆~同じ地球、同じ時代を生きて~」だ。これには、違う考え方・経験を持った仲間とふれ合い理解しあって共に高めていこうという願いが込められている。当日はクラス、文化系部活動とも日頃の努力の成果を発揮した。
開会式ではまず、音楽部が自慢の美しい声を披露した。各パートがバランス良く調和し、素晴らしいハーモニーが体育館中に広がった。どの曲もリズムが独特で、個性的なので楽しく聞くことができた。続く吹奏楽部の演奏は、テンポが良く乗りやすい曲ばかりで、思わず手拍子をしたくなるほど楽しめた。曲の合間に汗を拭き、次の曲をまた真剣に演奏している姿を見ていると、みんなに楽しんでもらおうという気持ちがひしひしと伝わってきて、とても感動した。
開会式終了後、一般公開が始まった。
文化系部活動はこの日のために何力月も前から着々とをすすめてきた。写真部は決定的瞬間をとらえた素晴らしい写真を展示し、美術部は特大のキャンバスに力作を完成させていた。化学部は多くの不恩議な実験を行い、東筑フラスコは今年も大人気だった。茶道部は華やかな浴衣姿の部員が鮮やかなお点前を披露していた。食物部のクッキーやケーキは人気が高く、あっという間に完売した。文芸部は小説を発表し、ラジオ部はパソコンのプログラムを製作していた。「長靴をはいた猫」をテーマに、ESSが演じ社会部が時代背景を調べるというのは新しい試みだった。地学天文部はブラネタリウムを行い、生物部はATPによる筋萎縮運動の実験に取り組んだ。演劇部は感動作「ラストメッセージー」を発表、心のこもった演技に涙ぐむ人もいたという。私達新聞部は百力国以上の新聞を集め特徴を研究した。自信作だがどうだっただろうか。部員数も予算も滅少する中で、どの部活動も精一杯頑張った。
クラス企画は、1年生はステージ、2年生は自由、3年生は文系が自由、理系がロボコンだった。
1年生のステージ企画は、本年初の試みだつたが、短い期間でよく準備できたと思う。3年生のロボコンも、初めての企画なのに完成度が高かったと思う。
最後は全員体育館に集合して「一声」を行った。皆で大きな声で歌っているうちに、気分が盛り上がり、文化祭の"しめ"にふさわしいものになった。
今年の文化祭は、校内・校外装飾が華やかになっていたし、1・3年の企画や最後の「一声」なのど、新しいものに意欲的に取り組んだ実り多いものだったと思う。
毎日遅くまで残つて準備した生徒会役員に心から「お疲れ様」と言いいたい。そして日頃目立たない文化部の部員達に、「お疲れ様。来年も頑張ろうね。」と伝えたい。
今回の東筑高校新聞の数々の写真も前々号の新聞に引き続き、写真部のみなさんが撮影し提供してくれました。期末テス卜があったり、新聞部からの連絡が不十分だったりして時間の都合が合わなく大変な迷惑をかけましたが、ナイスショットを撮ってくれました。本当にありがとうございました。
次号の新聞も共に力を合わせてがんばりましよう。みなさんお疲れ様でした。
第234号 平成14年 3月 2日(土)発行
スキー教室 IN タングラム斑尾 1/27~1/31
1月27日午前8時15分、小倉駅に東筑1年生が集結する。行き先は長野県上水内郡にあるタングラム斑尾スキー場だ。初めてスキーをする人が多いので、みんなそわそわしていて落ち着きがない。新幹線に乗ると早速大はしゃぎになった。
新幹線は時間通りに名古屋駅に到着し、一行は帝産バスに乗り込み、名古屋を後にした。バスの中ではカラオケや雑談で盛り上がった。全長8650メートルの神取トンネルをぬけると、辺りは白一色の世界に変わり、みんなは思わずその美しさに歓声をあげた。
バスはさほど時間に遅れることもなくホテルタングラムに到着した。ふくれたバックを手にさげ部屋に入ると、その綺麗さと設備の素晴らしさにびっくりした。初日の夕食はバイキングで、心いくまで様々なおいしい食事を楽しんだ。高級ホテルのもてなしと明日からのスキー実習への期待で、皆終始ご満悦な様子だった。
スキー教室の初日。慣れない手つきでウェア・帽子・手袋・ゴーグル・スキーブーツを身につけ、ゲレンデへと走る。開講式でインストラクターの先生方が紹介され、早速実習に移った。最初はゲレンデを横一列になって1歩ずつ上がり、低いところから滑っていた。何度も転び、雪まみれになっている人もいたが、それにも負けない笑顔があった。午後からはリフトに乗っている班もあり、目に見えて上達がうかがえた。夜はスキー映写があり、自分やクラスメイトが画面に映ると各部屋から歓声があがっていた。しかし、映写が終わった後は疲れからか、ぐったりとした様子で、すぐに眠りについた。
スキー教室の2日目。リフトに乗るのにも滑るのにも慣れてきて、プルークボーゲンだけではなくパラレルターンも教えて欲しいと言う生徒もいた。インストラクターの先生とも次第に打ち解け、スキーだけではなく雪遊びをしている班もあった。この日はナイタースキーも経験した。天候もよく、照明が映し出した漆黒の闇にうかびあがった白く輝くゲレンデは、私たちを幻想的な世界へと導き、昼間とは一味違ったスキーを楽しむことができた。
スキー教室の最終日。みんなのスキー技術は初日からは想像もできないほど上達し、かろやかなターンを描いて滑れるようになっていた。閉校式ではインストラクターの先生との別れを惜しむ光景もみられ、多くの生徒から「まだスキーをしていたい」という声が聞かれた。
翌朝、たくさんの思い出とお土産をもって、タングラムを出発した。バスの中ではスキーをしている夢でも見ているのであろうか、みんなの寝顔がゆれていた。予定通りに名古屋駅に到着し、小倉駅に帰ってきた。
絶好のスキー日和に恵まれたスキー教室。大きな事故もなく、みんな無事に帰ってくることができたのをとても嬉しく思う。そして「増えたのは思い出と体重だ」と嬉しい悲鳴をあげた女子生徒が多いこともつけ加えておこう。
寒稽古、みんなで支えあった4日間
2月5日から8日までの4日間、1年生を対象に寒稽古が実施され、男子は柔道、剣道を行い、女子はグランド25周約5kmを毎日走った。寒稽古は朝の課外の時間よりも30分以上も前に学校に来なければならないので、みんな眠たそうな顔をしていた。しかし、寒稽古が始まると、寒さと緊張で顔からは眠気がふっとんだのだった。柔道を例にとり寒稽古の具体的なメニューを紹介すると、まず、馬跳びに始まり次に準備運動、打ち込み50本を2セット、移動打ち込みをして、受け身・寝技・乱取りをする。個人的に1番辛かった練習は剣道場での馬跳びだった。剣道場は床が板で冷たく、跳ぶと足が痛くなるからだ。
1日の稽古はこれで終わる。終わったあとは、疲れの中にも爽快感があった。最終日にはぜんざいが配られて、寒稽古を成し遂げた後のぜんざいは格別においしかった。
初め、寒稽古なんて朝も早いし4日も続けられないと思っていたが、気がつくとあっという間だった。この体験を通して僕達が生きていく上で必要な忍耐力、精神力を身につけることができてとてもいい経験になったと思う。
部活動訪問 ~おめでとう柔道部~
部活動インタビュー(柔道部編)
今回、私達新聞部は福岡県北部大会で28年ぶりに優勝した柔道部を訪問しました。柔道部のみなさんは我々新聞部一同を暖かく迎えてくれました。さっそく私達は柔道部の主将である平田さんにインタビューしました。ここからは平田さんへの質問(以下Q)とその答え(以下A)を紹介しましょう。
Q 「優勝の感想をお願いします。」
A 「いつもあと一歩のところで優勝を逃していたけど今回やっと優勝できたのでとてもうれしいです。」
Q 「勝利の秘訣はなんですか。」
A 「短期集中練習です。」
Q 「日頃の練習内容を教えてください。」
A 「まず準備運動です。次に寝技を3分5本し、補強運動、打ち込み200本、立ち技3分10本を行い、最後に腕立て伏せを50回します。」
Q 「なぜ柔道を始めたのですか。」
A 「父親にあこがれたからです。(笑)」
Q 「柔道をしていて良かった事は何ですか。」
A 「友達が増えたことと、体が丈夫になったことです。」
Q 「どのような食事をしていますか。」
A 「とにかくいっぱい食べます。」
Q 「体重管理の苦労話を聞かせてください。」
A 「特にないですが女子にはあります。」
Q 「今後の抱負を一言聞かせてください。」
A 「夏の大会も優勝をねらっていきます。応援してください。」
柔道部は、高校に入ってから柔道を始めた人が多いそうですが、練習を重ね皆で助け合ってここまで強くなりました。ところで私達が柔道部を訪れた時には柔道場で激しい練習が行われていました。
インタビューの間は和気あいあいと答えてくれましたが、終わるとすぐに厳しい練習が始まり、私達はその激しさと、場の張りつめた空気に驚きを隠せませんでした。
柔道部の今後のご活躍を新聞部一同心より願っています。
第233号 平成13年12月21日(金)発行
背番号61は 山本 翔
21世紀になり第一回目のドラフトが注目される中、我ら東筑高校の3年8組山本翔さんが、広島カープに4位指名されるという栄誉に輝いた。山本さんは快くインタビューに応じてくれた。質問は次のようである。

新聞部質問(以下Q)
「ドラフトに指名され、今までと変わったことがありますか。」
山本さんの答え(以下A)
「周りの人達から注目されました。他には・・あ、たくさんの女性からファンレターがきました。(笑)」
Q 「広島カープについての印象について聞かせてください。」
A 「東筑野球より桁外れに練習がきつそうです.。」
Q 「プロでの目標は何ですか。」
A 「周りの人から信頼される捕手で、走・攻・守、三拍子揃った選手になりたいです。」
Q 「プロで対戦してみたい選手は。」
A 「う~ん、上原投手や寺原投手と対戦してみたいです。同期だし球も速いから。150キロの球は未経験だし。」
Q 「最後に私達東筑生に一言。」
A 「何事にもあきらめず、がんばってください。そして野球部の後輩達へ。常に周りの人の支えがあることに感謝し、一生懸命がんばってください。」
山本さんは、小学校4年の時から野球を始め、今に至っている。
東筑に入ってから捕手一筋で活躍された。
最後に山本さんは「夢が叶って本当にうれしい」と微笑んだ。
おめでとうございます。プロでの活躍を新聞部一同祈っています。
漲る闘志 熱闘体育祭
9月17日、待ちに待った体育祭が行われた。前々日に雨で延期になったのだが当日は秋風の気持ちよいさわやかな体育祭日和だった。生徒代表の力強い宣誓により、緊張していた選手達に「勝つぞ!」と気合が入る。100メートル走から次々に競技が行われて、選手達が最も力を入れて練習してきた応援合戦の出番がやってきた。選手達の顔がだんだん険しくなっていく。
華やかな音楽と共に1年生の応援が始まった。パラパラを踊りながらおそろいの青いTシャツを着て女子が入場してくる。太陽のように放射線状に広がり誰もが知っている「ミッキーマウスマーチ」のパラパラバージョンを踊る。ミッキーになった気分で踊りきり男子と交代する。学生服を着た男子は「型」を組む。整列した男子は太鼓の音に合わせて前列からウェーブをして勝利の流れをつかもうとしている。極めつけは「マンボー」青空に響いた。そして最後は男女で踊る「ソーラン節」だ。法被姿で「どっこいしょ。」という声に合わせ綱を引く動作をする。1年生の初めての応援は、2、3年生からのプレッシャーに押されながら終了した。
次は2年生の出番だ。3年生を凌ごうと力が入る。まずは女子のダンス。ウインクの「愛が止まらない」など2曲だ。ホットパンツとルーズソックスとサンバイザーをつけて2人一組になって踊る。2人の息がピッタリ合ってとても綺麗だ。女子と入れ替えで男子の「型」だ。太く重い声で1、3年生達を威嚇する。前へ後へと力強く型を組む。そして、鮮やかな青とピンクの衣装をまとった男女が、気合いの入った踊りで、共にグラウンドを右へ左へと駆けめぐった。
いよいよ最後は3年生の出番だ。1、2年生に負けないように放課後遅くまで練習をしてきた。まずは男子の「型」からだ。グラウンドに勇ましい声が響き渡る。周りを圧倒するようにこぶしを突き出す。女子の衣装はとても凝っていて足首には鈴がついている。手には桜を持って優雅に「夜桜お七」を踊る。曲の最後には1つ1つ持っていた桜が1つの大きな桜の木になり、会場がどよめく。そして、男女の踊りだ。元気で力強い歌なので勝利を願う3年生にぴったりである。「ソイヤソイヤソイヤソイヤッ」と声を合わせて踊る。それにあわせ、放課後毎日遅くまでかけて作った巨大な相撲の山車が踊る。とても大きく堂々としていた。
初めて見る保護者は生徒達の熱意に圧倒されたであろう。成績は結果的に2年生が優勝した。これは決して3年生の活躍不足ではなく、2年生の異常な健闘をたたえるべきであろう。
今年の体育祭は成功した。来年は今年以上に盛り上がる体育祭を作っていきたい。
